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2020.09.26 Saturday

「軽くてもおもい詩」をもとめてー『八木幹夫詩集(現代詩文庫)』を読むー

 詩にふさわしい読み方というものがあるなら、私は詩の読み方が分かっていません。では、小説など他ジャンルの本はどうなのと問われると黙ってしまうしかないのですが、そう思っています。当ブログで詩によくふれてもいますが、私はいい詩だ、好きな詩だとただ紹介しているだけのような気がしています。そして、引用する詩は、私自身より、年長の詩人によるもので、同世代と呼べる詩人の作品ではありません。

 ところが、今回、ひょんなことなら、同世代と呼ばせていただいてよい詩人の現代詩文庫(思潮社)を一冊読む機会がありました。というのは、当ブログに記事(2020.7.13「10年目の贈りものー八木幹夫『余白の時間 辻征夫さんの思い出』を起点にー」)をアップした関係で、著者である八木幹夫さんから連絡をいただき、おまけに2005年に刊行された現代詩文庫『八木幹夫詩集』を大変に厚かましくも「恵存」していただいてしまったのです。 

 この1947年1月生まれの、ほぼ同世代の詩人である八木幹夫の詩の束を、ときに共感し、ときに身につまされ、ときに頭をふりふり、ときに記憶の壺をたたかれ、ときにおどろきながら、楽しく読ませていただたのです。ここで世代論を展開しようというわけではありませんが、私は高度成長期以降に生じた<自然>や<地域>、そして<暮らしぶり>の大変貌という時代背景というものを無視して読むことができませんでした。それは八木の経験の根っ子にあるものであり、私の経験ともどこかしら近いところがあるのでしょう。 

 本稿では、いつものように他者の言葉に依存しながらになってしまいそうですが、「読書感想文」を残しておきたいと思っています。

 

 思潮社の現代詩文庫は、1968年に創刊され、半世紀を経た現在、300冊前後が刊行されています(著名な詩人の場合は「続」「続続」「続続続」として複数冊ラインアップされています)。私の本棚にも20数冊並んでいますが、ほとんどが20歳以上年長の詩人たち(いわゆる戦後派詩人)のものです。

 この『八木幹夫詩集』(2005年1月刊/思潮社(現代詩文庫))は、176冊目ということになります。1983年から2002年までに上梓された全7冊の詩集から選ばれた詩に加え、八木の詩論・エッセーが5本、そして他者による八木の作品論・詩人論が4本付されたという構成となっています。

 ですから、この現代詩文庫に掲載された八木幹夫の詩は、詩集発表時の年齢でいけば、1983年の36歳から、2002年の55歳までのほぼ20年間をカバーしていることになります。以来、現在の73歳までに発表された詩やエッセーも数多くあるようですが(詩集3冊、歌集1冊)、当然のことながら、今回読ませてもらった対象外となっています。ですから、私の読んだ八木の詩は中年・壮年期に書かれた作品だということになります。

  『八木幹夫詩集』 2005年1月刊/現代詩文庫176/思潮社

 八木の詩から受ける総体的な印象というものは、第五詩集『野菜畑のソクラテス』(1995年刊/ふらんす堂)を論じた鼎談(現代詩文庫に「頭の洗濯、心の掃除」として所収)での井上ひさしの発言の延長線にあるようだと、私は読み終えてそんな気持ちになりました。

 井上は、次のとおり文学者や詩人の役割を説明し、『野菜畑のソクラテス』はそんな可能性を感じさせる詩集だと発言しています。

 「 文学者や詩人の役割というのは、恋をしたり、けんかをしたりする庶民

  の話し言葉を、書き言葉に練り直して永久にとどめるということでしょ

  う。そうやって口語を練り上げ、鍛え上げた時、一国の最もいい文学言語

  が誕生する。」

 口語は日常生活と密接不可分といえますが、井上は、この詩集が「我々の営む日常生活」という経験が根っ子にあって、「読者に、日常を発見させる、つまりなんでもない日常を宝石に変えてしまう」ところがすばらしいと激賞しているのです。

 こんな言葉だけで、八木の詩業を総括することは短絡的でしょうが、「日常」の営み、ということは<人生の一日>への思いや感慨を、時間や場所を自在に往還しつつ、「批評」とは思えない言葉とシチュエーションで照射される八木の詩行のもつ<批評性><哲学性>という特質が、私にとっては何よりも印象的であったと、ひとまず記すことから感想文を始めることにします。

 

◈ゲンダイシへの懐疑と、「八木幹夫の詩」をもとめる旅へ

 いわゆる「現代詩」という言葉が含意するものとはなんでしょう。足場を外されてしまったような世界(「身体」とか「日常」が不在の世界ともいえます)を、委曲を尽くし洗練された言葉で表現されたものというイメージが、私にはあります。そして、どうかすると、私のような感度の低い読み手を拒むような高い壁を意識したりもしてきました。それが冒頭の「詩の読み方が分かっていない」にもつながっているようなのです。

 また前記の鼎談において、井上ひさしは、言語表現の最先端を切り開いていくという詩のすばらしさを認めつつ、それが「日常とは関係ない言葉、関係のない次元で行われていることが多いという印象」があって、私たちは詩を、現代詩を敬遠しがちになるのではないかと語っています。だから、つい「それがどうした」と言いたくなるとも発言しています。

 そのような難解という袋小路に入っていく「現代詩」の洗礼をうけるなかで、若くして詩(短歌も含めた短詩型文学全般)に目覚めた八木幹夫は、反発しつつ懐疑しつつも、自らの詩を求めて苦闘してきたにちがいありません。

 

 八木が、若い頃から敬愛してきた<西脇順三郎>をタイトルに入れた「百年後ー西脇順三郎氏に」という詩に(第六詩集『めにはさやかに』(1998年刊/書肆山田)に所収)、「ゲンダイシ」をめぐって、次の一節があります。

 「                   詩を書いていますか

            ゲンダイシはどんなふうになりましたか

   (そりゃあもうたいへんなもんです 実験ばやりで試験管の

    中からあぶくのように詩が湧き出しています)

                   それはよかった よかった

   (それでいいんですか)

                                        それでいい それでいいんですよ

   (そうかなあ そういうわけにもいかないんですけどね)    」

 八木は、この詩を、生前に一度もあったことのない西脇と会話する形で書きすすめていますが、「実験ばやりで試験管の中からあぶくのように」湧き出てくる「ゲンダイシ」に強い異和感をもっていたことがわかります。温和で度量の大きそうに見える八木幹夫ですが、「そうかなあ、そういうわけにもいかないんですけどね」とつぶやきながら、詩を実作してきたのではないかと、私は憶測しています。

 

 後ほど、本質において変わらないにせよ、八木の詩がどのように変化してきたのかについて考えたいと思っていますが、多くの識者が称揚する第五詩集『野菜畑のソクラテス』は八木の詩の一つの到達点であり、ある意味で「ゲンダイシ」への回答ではなかったかと受けとめています。

 この現代詩文庫の裏面に、清岡卓行が短く鋭い文章を寄せていて、現代詩の全体状況とそれへの反発のありかを、明晰な言葉で俯瞰したうえで、八木の『野菜畑のソクラテス』を批評しています。

 その前半部を引用してみます。

 「 第二次大戦後活発に甦った現代詩の多くは、やがて状況の変化のなか

  で、現実から少しずつ観念的、政治的、演技的、あるいは美学的に浮き上

  がった。この傾向への底深い反発の中心となったのは、庶民の日常性への

  愛着であろう。」

 この現代詩をめぐるパーステクティブに続き、八木の『野菜畑のソクラテス』について、次のとおり言及しています。

 「 そして、この長くつづく新しい傾向のあるときの緩みに、さらなる新し

  い覚醒の衝撃を与えたものの一つが、八木幹夫の『野菜畑のソクラテス』

  であった。庶民の生活をそれよりもいわば遥かに低姿勢の野菜畑の生態な

  どに重ね、写実と諧謔を交錯させたりして、笑いをともなう高い批評や、

  美をともなう深い瞑想などをもたらしたのである。」

 ですから、清岡は、「八木幹夫はこの詩集によって、現代詩における一つの貴重な位置に立った」と結語しています。

 この清岡の文章は、ホントにそうですねとうなずくしかない的確なものと読みました。清岡の「現実から少しずつ……浮き上がった」という時期、その潮流が主流となった時期とは、八木の20代、30代は重なっているのではないか、そして、それはまた、八木が中学校教師となり、結婚して子供が生まれ自分の家庭をもち社会人として歩んできた時期とオーバーラップしていたのではないかと想像しています。

 少し先走り過ぎましたが、こうした20数年の成熟期間を誠実に生きて、清岡のいう「この長くつづく傾向のあるときの緩み」に出現したのが八木の『野菜畑のソクラテス』であったということになるのでしょうか。そして、多くの識者も、「ゲンダイシ」のもつ弱点というものを突破することのできたモデルとして、なるほどと膝を打ったというわけでしょう。

  

 八木の大学時代の恩師?であろう新倉俊一が、やはり現代詩文庫に「六十年代末の移動祝祭日」というタイトルの短い文章を寄稿しています。学生時代の八木について、以下の記憶を書きとめています。

 「 (前略)八木君は、当時の詩誌を賑わしていた流行の詩風などにはさっぱ

  り見向きもしなかった。その態度は今も変わらない。やがて卒業の時期が

  来て、みなそれぞれの道へ別れていった。八木君も同じセミナーにいたや

  さしい女性を生涯の伴侶として旅立っていった。」

 八木は、流行の詩風に「さっぱり見向きもしなかった」ということなのでしょうか。近くにいた新倉先生ですから、そういうことなのでしょうが、私は、表層ではそうであっても、内面では大きな葛藤や不安と対峙していたのではないかと思っているのです。当時の主潮流が、自分の資質に合わないと思いつつも、これからどのような詩を書いていくのか、書いていけるか、怖れがなかったとはいえないだろうと想像しています。

 とりわけ、八木の詩論・エッセーのトップにおかれた「愛の歌を唄い続けた男、下村康臣」(2003年発表)を読むと、学生時代に出会った同窓の下村は詩を志す仲間であり、友人であったことがわかります。こんな表現が軽々しくてどうしようもないことは、30余年後の下村の死に際して八木がとった行動(手紙を含め)から、容易に想像できます。

 この現代詩文庫の解説(「「私」を覗くとき」)を担当した井坂洋子は、八木と下村の関係について、「推測にすぎないのだけれど」としつつ、次のとおり表現しています。

 「 タイプの異なる詩人下村康臣との濃いつきあいが、八木幹夫という詩人

  を根底から変えることはなかったと思うが、詩や思想の方向を固める鏡像

  となってくれたのではないか。」

 詩の志向において近くにいた下村ですが、八木は、強力な磁場をもつ下村を畏怖すべき友人であり鏡として、自らの歩む道を探しもとめていたのではないか、そして「八木幹夫の詩」をもとめる旅に出発したのではないかと、私にはそう思えてならないのです。

 

 次項では、濃密な幼年、少年、青年時代をへた八木が、今、私たちの思う「八木幹夫の詩」に到達する道程というものを考えてみることにします。

 

◈「軽くてもおもい詩」へ向かって

 結論より、どうでもいいことから、話を始める悪い癖が、私にはあります。

 この現代詩文庫は、前記のとおり全7冊の詩集から詩を集約したものですが、<全篇>を収録できた詩集が二冊あって、第三詩集の『身体詩抄』(1991年刊)と、前項でふれた第五詩集の『野菜畑のソクラテス』(1995年刊)です。この間に第四詩集『秋の雨の日の一方的な会話』(1992年刊)がありますから、立て続けに三冊が上梓されており、各詩篇の書かれた時期は前後しているものもあるかもしれません。

 前者の『身体詩抄』は全21篇、同文庫にして10頁、後者の『野菜畑のソクラテス』は全28篇、23頁です。ひらかなだけのタイトル「め」「け」「かげ」から「はら」「かわ」「からだ」までが並ぶ前者は、前二冊の詩集『さがみがわ』(1983年刊)、『少年時代の耳』(1988年刊)と比べ、一見して、一篇あたりの行数も、一行あたりの字数も、少なくなっています。そして、言葉自体も、相対的に平明なものとなっています。意識して書かれたのは明らかです。

 この『身体詩抄』と、「だいこん」「かぼちゃ」「きゅうり」から「法蓮草」「土」「ポイズンベリー」までのタイトルが並ぶ後者の『野菜畑のソクラテス』は、行数も字数も少し多くなり、かつ詩によってばらつきがあります。語調という点においても、前者の統一性に対し、後者にはバリエーションの多彩さがみられます。

 ここで、申し上げておきたかったのは、この両詩集が題材の統一という制約のもとで、意識して書かれたものであるという点では同じことですが、後者にはよくいえば自在さという特徴が感じられるということです。詩を知らないものが書くことではありませんが、『身体詩抄』でグリップした技法のうえで、もっと自由に鮮やかに踊ってみせた、その間には何か飛躍とか跳躍というものがあったにちがいないと、私は強く感じさせられました。

 『秋の雨の日の一方な会話』のタイトルと同名の詩には、次の三行が唐突におかれています。

 「 ぼくはこのごろ

   ぼくのことを語り出そうという

   勇気を少し持てるようになった   」

 このことは、同詩集の後半で「父」のクロニクルというべき複数の詩篇に結実しているように思いますし、続く『野菜畑のソクラテス』ではさらに自在に展開されており、ある達成というか、「八木幹夫の詩」というものが一つのスタイルを成したといえるのではないでしょうか。

 

 もっと突っこんで論じるべきところでしょうが、この現代詩文庫に「詩という恩寵ー八木幹夫詩集によせて」というタイトルで文章を寄せた小沢信男(1927-)におまかせしたいのです。というのは、これほど説得的な八木幹夫論をとても書けそうにないからです。

 前記の当ブログ(「10年目の贈りものー八木幹夫『余白の時間 辻征夫さんの思い出』を起点にー」)で、小沢による八木幹夫のポルトレについても簡単にふれており、重なるところもありますが、やはり紹介しておきたいのです。

 小沢信男は、1980年代の半ば過ぎでしょうか、辻征夫の要請をうけ、詩人たちの集まりである「余白句会」の宗匠となった方です。その句会の世話人になったのが詩人たちのなかで「一、二の年若」である、でも「一見むしろ年長の貫禄」のあった八木幹夫でした。ですから、句会の宗匠と世話人としても、この時点で出会いから10数年のお付き合いがあったことになります。

 

 小沢は、まず、刊行当時において、八木の全詩業を集約したものである現代詩文庫を読んで、こんな感想を述べています。

 「 初期の二、三冊は出会い以前の作品だけれど、それらもふくめて、一冊

  ごとになにかの扉が、ぐいぐいと目の前にひらけてゆく。そんなふうな快

  感がある。作者のこの足どりを、そのつど目撃してきたのだなぁ、という

  おどろきと、よろこびを、あらためて思いました。」

 私の「飛躍」「跳躍」という受けとめも、この小沢の記す印象に近いものかもしれません。

 そして、「過不足が人を詩人にする」という持論を提起したうえで、「円満具足、小市民の鑑のごとき八木家」であり「円満具足の詩人が八木幹夫」だと形容しつつ、でも「過剰なものがある。ハートが温かすぎる。思いが溢れる。たぶん当人が当惑するほどに」としています。ところが、八木の散文にはわりと正直にそれが現れているが、詩はそうではないと、『身体詩抄』を例に、次のとおり批評しています。 

 「 ところが、その詩をみよ。詩は溢れていない。いや、溢れるものをもの

  の見事に取りおさえている。数行ないし数十行に。たとえば<身体詩抄>

  の各篇の、いきいきと簡潔に完結していることよ。」

 そして、第三詩集以降の各詩集に対し、短いコメントを付していきます。

 印象に残る箇所を紹介すると、第四詩集『秋の雨の日の一方的な会話』のところでは、「八木幹夫の堅実な家庭は、そのまま詩の実験場にほかならないことを。この詩人は、円満具足というスリリングな綱渡りを歩んでいるのではないか」と、「ふいに気がつく」と述べています。

 続く『野菜畑のソクラテス』では、「制限によってこそのびのびとあふれるコツを、自家薬籠中のものとした」とし、「<身体詩抄>の、その「からだ」の扉を開けて、詩人は広野に出たのですね」と、感慨を吐露しています。

 第六詩集『めにはさやかに』(1998年刊)から第七詩集『夏空、そこへ着くまで』(2002年刊)について、「人生五十年。詩が、もうとっくに幸福に完結する青春の詩ではいられない。猥雑な散文的世界を生き抜く日々の堆積があって、そうして現れた<夏空、そこへ着くまで>」だと読んでいます。

 

 最後に、まとめの文章、八木幹夫に限らないのかもしれませんが、次の文章で締めくくっています。

 「 詩を、何十年も書きつづけるということは、辺境へ鍬を打ちこんでゆく

  ことなのだな。青年が、中年へ、壮年へ、そして老年へ、ひたむきにすす

  んでゆくよりない。そのとき詩という表現がもつ制約が、ゆたかな奥行き

  へと転じてゆく。詩の恩寵。

   五歳まで立って歩むことのできなかった八木幹夫に、恩寵がくだって五

  十余年。依ってくだんのごとし。」

 この八木幹夫の足どりを、「余白句会」をいっしょに歩んできたということもあってか、現役最長老の物書きといわれる小沢信男は、八木幹夫の詩の「よき成熟」を、よろこび、そして「ひたむきにすすんでゆくよりない」と励ましています。

 

 八木の詩には、故郷であり、現在も暮らす相模原の風土、父と母の生まれ育った津久井の自然のこと、川のこと、釣りのこと、野菜・果物、魚、虫、鳥、そして家庭のこと、家人や娘、友人、父、母、兄、叔母・従兄弟などの親戚の人びと(生者とはかぎらず死者もいます)、「八木幹夫」の過去と現在において関わり、経験としてきた人・モノ・風景が登場します。

 他者の言葉や詩句や俳句も詩の起点として登場したりもします。たとえば、「我は是れ何者ぞと頭頂より/尻まで探りたれども/探られぬところ 我なり」(一休宗純の言葉)や、「愛されず冬の駱駝を見て帰る」(清水哲男句集『匙洗う人』より)なども注入りで使われています。

 こうした「日常」という経験のベースへ、あるシチュエーションを用意し、そこへ一人の詩人が独自の視線を向けることから、詩が生まれています。

 そのためには、軽口やだじゃれも厭うことなく使って、いわば「詩」だという構えや緊張が少し弛緩した間隙に、核心へと批評の矢を放っているという感じがします。でも、その批評は全否定とか拒絶ではなく、大人としての余裕というか、複眼的、重層的な批評性というのが、「八木幹夫の詩」であり、その人そのものなのだと、私は感じています。

 前記した井坂洋子は、八木の題材との関係について、次の文章で八木の精神のありようを表現しています。

 「 本人を支えるのは本人ひとりではないと、頭ばかりでなく、心で知るこ

  の詩人の詩は、死者を含め、同時にたくさんの人たちが同一地平にいて、

  その織物を、自分のことばで乱暴に裁きたくないという配慮が見える。家

  族や友人、ヨっちゃん、きよこさんなどに対する視線はいたわりに満ちて

  優しい。そして勿論のこと、人ばかりでなく、畑の種をほじくる鳥やミミ

  ズ一匹にも同胞への視線がゆき届いている。」

 

 では、小沢信男の「ひたむきにすすんでゆくよりない」と思い定めた八木幹夫は、<詩の方向>をどこにもとめようとしたのでしょうか、どこに定めようとしたのでしょうか。このような問いがありうるとすれば、「軽くてもおもい詩」ではないだろうかと、私は考えています。

 もとより、現代詩文庫に掲載された20年間にわたるであろう八木の詩を読んで感じたことでもありますが、直接には、姓も生まれ育った土地も同じくする「八木重吉」の生家などを巡った際の八木幹夫の発言から来ています(「山羊散歩 その二/相模原・津久井/八木重吉の産土」(文・構成 中村剛彦)『ミッドナイトプレス・ウェブ』No.5/2013年5月)。

 この山羊散歩では、八木幹夫が、八木重吉(1898-1927)の生家や墓、詩碑をめぐり、彼の魂の足跡を辿っていて、それがレポートされているのです。このなかで、この29歳で亡くなっている八木重吉の詩が60歳を過ぎた八木の心を鷲掴みするのはどうしてかが語られています。

 八木幹夫は、次のように重吉の詩の牽引力というか魅力のありかを語っています。

 「 重吉さんの詩は、先にも述べたように極めて平易に書かれていて、また

  経験を基礎に書かれているけれども、決して人生訓の詩ではないってこと

  ですね。普通の人生の時間軸を超えたものがあるんです。

    《中略》

   重吉さんの詩は、事物とのコレスポンダンス(照応)によって生まれる。

  事物と主体が交感してもはや、主語、述語、といった文法が消えてしまっ

  ているのです。

    《中略》

   重吉さん自身のなかに自然が広がっているんです。そして永遠の時間を

  生きている。そういうところに私たちは引きつけられるんです。このよう

  な詩人はめったにいませんね。」

 そして、平明な表現で奥行き深く、難解なんです」と、締めくくりの発言をしています。

 そうだ、八木幹夫が詩というものの理想形としているのはこういうことではないか、と私は思いました。「平明な表現で奥行き深く、難解」から出てきたのが、「軽くてもおもい」という言葉でした。この「軽くて」と「おもい」に挟まれた「も」は必要かどうか、いささか悩みましたが、残しました。

 こんな短絡的な見取り図は、笑止千万というべきですが、『身体詩抄』から『野菜畑のソクラテス』へと至る試行によって、もともと祖型としてあった「軽くてもおもい詩」が「八木幹夫の詩」の方向として現れてきたのではないのかと、私は理解しておきたいと思っています。

  「山羊散歩」トップページ  2013年5月/『ミッドナイトプレス』No.5

 

◈好きな詩を引用しておきたくて

 以上、読書感想文的な感想を並べてみましたが、詮方のないこと、詩の分かる方が書いたらいいことだ、なんだか恥ずかしくなりました。ここでは、八木幹夫の詩のなかで好きな詩だ、「軽くてもおもい詩」だと感じた詩を、ちょっと短めの詩に限定して、以下の四篇を引用してみることします。

 まずは、第三詩集『身体詩抄』より「ほね」という詩です。

 

      ほね

 

  こじんまりした

  演奏会にでかけていった

  悲しいことが

  あったばかりなので

  きれいな

  音に

  会いたかった

 

  人の良さそうな

  その太ったフルーティストは

  コーヒーブレイクで

  こんなふうにいった

 

  フルートという楽器の原型は 骨ではないか

  という説があるのですよ 骨の髄を食べてい

  る時 ふと 音がする おどろいて  息を 吹

  き込む 済んだ魂の声が 太古の闇にひびく

 

  帰り道

  灰になってしまった

  きみを

  しきりに

  おもった

 最近、手で漢字を書かない私は、本筋から外れて、あれ、「太古」か、「大古」じゃなかったのかと思ったりしてしまいました。小沢のいう八木の過剰な心というか、優しさを感じます。

 

 次は第五詩集『野菜畑のソクラテス』より、「葱」という詩です。

 

     葱

 

  葱はもう永いこと

  脇役を演じて久しい

  

  朝の納豆

  夜の湯豆腐

  蕎麦の薬味

  焼き鳥の肉と肉のあいだ

 

  葱一本で独立すべきときが来ているんだ

  

  ねえ そうだろう

 

  ねぎらいの言葉もきかず

  葱はだまって

  まっすぐに背筋をのばしたままだ

  (土の奥深く白く長い根を隠して)

 清岡のいう「笑いのともなう高い批評」の感じられる一篇です。

 こんな比喩をすると笑われるでしょうか。この詩集を読んでいると、伊藤若冲の「果蔬涅槃図」が浮かんできました。この涅槃図には、どんな野菜や果物が描かれているのかなと調べてみました。88種類もあって、そのうち野菜等の栽培品目は50種類だそうですが、「葱」や「牛蒡」などは描かれていないのです。仏事には「匂いの強い大蒜や韮、などの五辛」が避けられたからではないかと指摘されているとのことです。

 実際に、八木は野菜づくりをされてきたようで、その経験がないと、この野菜涅槃図のような詩集はできなかったことでしょう。

  伊藤若冲「果蔬涅槃図」 水墨画

 続いては、第六詩集『めにはさやかに』から、「野の花」という詩です。

 

    野の花

 

  限りなく猿にちかく

  限りなく人にちかい

  百数十万年前の

  猿人の化石が発見された

  分析してみると

  その人骨もしくは猿骨の周辺には

  さまざまな花粉があったという

  とすれば

  死んだ仲間に向かって

  かれらは

  花を

  手向けたのだ

 

  限りなく人にちかく

  限りなく猿にちかい

  涙を

  ときに

  わたしも流す

 こんな考古学的な発見から想像を飛ばしています。「限りなく人にちかく/限りなく猿にちかい/涙を」、どのような「涙」なのでしょう。再度、清岡の言葉を使わせてもらうと、つい「深い瞑想」へと誘われていきます。

 

 最後は第七詩集『夏空、そこへ着くまで』より、同じタイトルの「白い家」という詩の二つ目、「1999年冬から春へ」という年次が記されています。この長い詩の冒頭の部分です。

 

     白い家

      −一九九九年冬から春へ

 

  夢を持て

  と他人にいおうとする瞬間

  夢を持つのは簡単だが

  夢を砕かれるのはもつと簡単だと

  どこかで気付いている

  十四歳の少年や少女にむかって

  夢について楽観的にはいえない

  その目 その唇 その脚 その腰 その胸

  その肉体全体で

  彼らは夢を実現している

  かつて

  わたしがもっとも手を焼いた

  性の

  はちきれんばかりの若さ

 

  夢を持て

  とは

  わたしにむかっていう言葉だ

        《以下、略》

 八木は、相模原の公立中学校で英語教師を36年間、勤めました。この経験は、ほとんど詩に書いていないとされていますが、このことが感じられる一篇です。八木のことですから、「14歳の少年や少女たち」にも深くコミットされてきたに違いありません。

 最近、『はちどり』という映画をみたのですが、私などからは霧散してしまった記憶の世界をひりひりする映像で描いた作品でした(今年、見た本数が少ない中ですが、ベストワンです)。韓国では「中2病」という言葉があるらしく、まさに微妙な時期ということです。

 そんな中学二年生を「その肉体全体で/彼らは夢を実現している」と、八木は受けとめたのでしょう。

   

  映画『はちどり』チラシ表 キム・ボラ監督/2019年韓国

  中学2年生の主人公ウニ(パク・ジフ)

 

◈おわりにかえて

 かくして、八木幹夫さんという同世代の詩人の作品をある程度まとまった形で読むことができました。私だけではなかなか踏み出せないままだったかもしれません。

 前項で引用した短い詩でも感じていただけるように、平明な言葉が使われていますが、わかりやすいかと問われたらいかがでしょうか、やはり「軽くてもおもい詩」だと、私は読みました。

 八木の詩を、「余白句会」との関係、中でも辻征夫の詩との関係、何よりも、前記した同世代に共通する高度成長によって生じた<自然>や<地域>や<暮らしぶり>の大変貌という時代背景から考えてみること、こうしたやるべきことをやれないままですが、ひとまず区切りをつけることにいたしましょう。

 これから当ブログでも、詩を引用するときに、同世代の詩人である八木幹夫の作品を引用できるようになったことを、八木さんに感謝したいと思います。

 現在も「ひたむき」に詩を書きつづけている詩人八木幹夫に、小沢信男のいう「詩の恩寵」というものを感じています。

 

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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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