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2020.09.19 Saturday

今、「寛容」ということー渡辺一夫の言葉からー

 うれしいニュース記事を読みました。現在、高校3年生の梅田明日佳さんが小学3年生から続けてきた10年間の「自学ノート」が単行本として出版されたのです(『毎日新聞』夕刊/2020.9.7「新聞は自学の窓」)。書名は『ぼくの『自学ノート』』(2020年7月刊/小学館)といいます。

 私が喜ばしいと言いたくなるのは、NHKドキュメンタリーとして全国放送された「ボクの自学ノート〜7年間の小さな大冒険」(2019年11月放送)をみて、当ブログで取り上げたことがあるからです(2019.12.15「「自学ノート」に励まされてーNHKスペシャル『ボクの自学ノートに〜7年間の小さな大冒険』ー」)。これ以外に何の関係もないのですから、ちょっと大げさなのですが、「明日佳さん、よかったね」そして明日佳さんのお母さんに「おめでとうございます」と申しあげたい気分なのです。

 ブログのタイトルに「励まされて」と入れたのは、ドキュメンタリーを見ていて、このブログはある意味で私にとっての「自学ノート」ではないかとの思いをもったからでもあります。

 

◈発熱してPCR検査を受けると想像するとー小国綾子の記事からー

 急に発熱して、新型コロナウイルスの感染が疑われ、PCR検査を受けるようなことになったらと仮定して、私なら、どんな反応をすることなるかを想像してみようと思います。

 まずは不安になります。そして感染することになった場面を探そうとするでしょうか。つまり犯人探しのようなことをしそうです。と同時に、感染していたら、誰かを感染させたりしていないか怖くなります。家人以外の濃厚接触者があっただろうかと指折りします。現実にはほとんどありませんが、自治会活動の関係などで限られた方と接することもあります。

 だんだんと不安が大きくなり、濃厚接触者が親しい人の場合は、「ごめん、PCR検査を受けることになったけれど、貴方は大丈夫か」と電話しそうです。でも、「親しい人」とはいえない濃厚接触者には、電話することはしないでしょう。というか、できなくて、検査結果を待とうとします。

 では、検査結果が陽性だったら、という仮定はさておき(ちょっと想像が届きません)、陰性だったとしたら、電話をかけた親しい人には報告し、電話しなかった人にはそのままということになるのかなと思っています。

 

 以上のような仮定が現実のものとなった経緯を、毎日新聞の小国綾子記者が「あした元気になあれ」というコラムに書いています(『毎日新聞』9月8日夕刊「コロナ疑惑に学んだこと」)。

 小国は、新型コロナウイルスの「感染者たたき」について、取材相手と話し込んだ翌日に、発熱して医療機関を受診してPCR検査を受けることになりました。そしてこの取材相手に「謝るべき話じゃないと頭で分かってるけど。でも、感染していたら本当にごめんなさい!」とメールしたとあります。

 この過程で、PCR検査の前日、3年の付き合いになるデイケアの女性スタッフから、「結果がどうあれ、そんなのどうでもいい!また一緒に過ごせるのをお待ちしています。」とのメールが入り、「胸を突かれ」、<コロナには誰もが感染しうる。病気や障害は謝るものではない>という信念をもって、「心の病を持つ人びとの居場所で働いている彼女らしい一言だった」と、小国は記しています。

 そして、この言葉の存在もあって「検査結果を待つ数日間、私の心はもう穏やかだった」とし、「検査は陰性だった」ことを小国は報告しています。

 今の社会では、「コロナ感染が「加害・被害」の文脈で語られ、感染者が加害者のようにバッシングされる」という現実があること(すべてではありませんが)を指摘したうえで、小国は記事を次のとおり結んでいます。

 「 「病気より世間が怖い」「職場の感染第1号になりたくないと多くの

  人々が口にせずにいられない社会は、誰にとっても生きづらい。「陽性で

  もいい。早く元気になって」と受け入れ合える社会でありたい。」

 

 小国の記事はよく分かりますし、そのとおりだと思っていますが、私だけでなく他者に対し「結果はどうあれ、そんなのどうでもいい!」という言葉を吐ける人はなかなかいないであろうということも否定できません。ここではむしろ、小国も書くとおり、こうした状況下では、私たちはふつう『ごめん』、『迷惑かけてごめんなさい』という感覚をもっていて、共有しているという厄介さを指摘しておきたいのです。

 このことが、バッシングの土壌としてはたらいている、巻き込まれやすいものとしている、ですから、私たちの誰もがまた、バッシングする立場に立ってしまう、言いすぎであればバッシングを許容する立場に身を置いてしまう可能性をもっていると、私は考えています。

 

◈極端な現象が象徴するものー中村文則の視点からー

 前項の小国の記事にある「感染者が加害者のようにバッシングされる」というような現実を、社会の病理として言葉にしようとした記事を読みました。<鈴木美穂>という書名入り、「作家・中村文則さんと考える」と付された記事です(『毎日新聞』夕刊8月26日付「「帰省警察」に「クラスターフェス」極端すぎませんか?」)。

 今次のコロナ禍において、「自粛警察」「マスク警察」「帰省警察」などの言葉で表現される<個人攻撃社会>というべき現象が生じていることを、どう理解すればいいのかを考えようとしています(一方の、同じく極端な現象である「クラスターフェス」「クラスターデモ」も論じていますが、本稿ではふれないでおきます)。

 

 作家の中村文則は、従前から「日本を覆う不吉な空気」というものを強く意識しており、それがコロナによってさらに「悪化のスピードを加速」させ、「ずっと進んでいた差別の感情」は増大し、「人々は互いに攻撃し合う」ようになっている、と診ているのです。今の感染者バッシングなども「そうしたギスギスした社会を象徴している」というわけです。

 だから、中村は、感染が判明した著名人が謝罪する風潮をよくないと断じています。つまり、「コロナウイルスに感染⇒感染した人が謝罪⇒感染が悪いという印象の植え付け⇒感染者への差別や攻撃を助長⇒人々は怖くて自分の症状を隠して、余計に感染が広がってしまう」、こうした連鎖のサークルが「悪循環の極み」だというのです。

 こうした「悪い方向へ行く社会」を、中村は心理学用語である「公正世界仮説」という概念を用いて説明できるとします。「公正世界仮説」とは「この世界は公正で安全であると思いたい心理」のことで、これが「行き過ぎる」と次のようになると指摘しています。

 「 何か被害が起きた時、それが社会構造や政策のせいだと不安になるの

  で、被害を受けた人に『あなたに落ち度があったのでは?』と思うように

  なる。つまり被害者批判に結びつく。新型コロナは誰もがかかり得る病だ

  とわかっているのに、感情的に感染者側に落ち度があったと思うことで安

  心し、かかった人を攻撃するようになる。」

 いずれにしても、前記した私たちの『ごめん』『迷惑かけてごめんなさい』という感覚自体が悪いわけではありませんが、こうした<行き過ぎた>「公正世界仮説」と結びついたりすると、被害者である感染者という個人を攻撃するという倒錯的な行動に転嫁しやすいという現実を直視しておく必要がありそうです。 

 こうした見方をしている中村は、コロナ終息後の社会を「悲観材料しかない」とみています。長期間にわたり中産階級を分解させ、格差を拡大してきた今の日本社会において、つまり格差社会においては長引くコロナを何とか耐えることは厳しいのではないかというのです。「ますます景気は落ち込み、社会はよどんでいく。差別や格差もこれまで以上に広がり、この『個人攻撃社会』は加速するでしょう」と予見しています。

 以上、中村は、長期的な社会構造の変化が根っ子にあって、いわゆる「分断と格差社会」という「ギスギスした社会」という基底があって、そんな社会が今次のコロナ禍によって覆われたとき、顕在化したのが感染者が加害者のようにバッシングされる<個人攻撃社会>であり、こうした社会的雰囲気の中で「自粛警察」「マイク警察」「帰省警察」なども登場したのだと考えていると、私は理解しました。今風の言葉で表現すると、もともとストレスフルな社会に、コロナというストレスが覆いかぶさったことで、さらに強くなったストレスをスルーないし反転させる反応として<個人攻撃社会>がいよいよ顕在化したということになるでしょうか。 

 現時点において、幸いにも、私の小さな狭い世界でこの<個人攻撃社会>を具体的に経験したり、見聞したりしたとはいえないのですが、中村の「公正世界仮説」に基づく診断を否定することはできません。とりわけ、「格差社会においては長引くコロナを何とか耐えることは難しいのではないか」ということは、私も強く意識していることです。そして、いつものように脳天気な立場かつ安全地帯からの発言という誹りを受けつつですが、深く憂慮しています。

 

 ちょっと補助線を引いてみましょう。

 この「公正世界仮説」は、当ブログでも紹介した「正常性バイアス」という言葉とも親近するニュアンスを感じています(2020.5.26「「解除」という空気感のなかで」)。永田和宏は、この「正常性バイアス」とは、「自分だけは大丈夫だろうと、根拠なく思う性癖である」あるいは「これしきのことで騒ぐなんてみっともないと高をくくる傾向と言ってもよい」とし、「誰もが多かれ少なかれ持っている」ものだと説明します。 

 「コロナには誰もが感染しうる」ことをわかっているのにも関わらず、どうして<行き過ぎた>というべき「公正世界仮説」や「正常性バイヤス」が具現化、顕在化してしまうのか、それは、広い視点、視野をもたせることのできない「分断と格差社会」にあって、いわば「自分だけ」を特別扱いしてしまう心性において共通しているのではないかと、私は理解したいと思っています。

 前者は被害者批判、被害を受けた人を攻撃することに結びつきますし、後者は自分だけは大丈夫と思い込むことにつながっていきます。

 いわば「公正世界」ではない現実の中で「公正世界」をどう求めていくのかという方向に思いや考えが向かうことなく、自分の中に閉じこもる、それはまたその場その時だけの自分を守ることでもあるのですが、こうした社会、世界の反映ではないかと思っています。

 

 もう一つの切り口として、「過激化する正義」という視点があります。

 毎日新聞の大治朋子記者の新著『歪んだ正義』(2020年月刊/毎日新聞社)について、本人へのインタビュー記事からのつまみ食いです(2020.8.24「毎日新聞・大治朋子専門記者に聞く」)。大治は、長く中東の紛争地での宗教対立の取材を続けてきた方であり、この本では、なぜ人は過激な正義にとりつかれ、暴走するのかというテーマが論じられているのだそうです。

 このインタビューのなかに「コロナ禍の自粛警察は「正義の鎧」」という項で、正義の過激化という視点から、「自粛警察」現象をとらえて、語っています。まさに中東の過激化プロセスの方は断片になり、失礼千万ですが、大治は、中東の過激化のプロセスの核を、「人間を突き動かすのは「ストーリー」」であり、「本人はこれでいける」と「大きな悪と戦う正義の聖戦士」というストーリーをつくり、その主人公になろうとする」と言葉にしています。

 そんな大治からみて、「自粛警察」は、次のような現象としてとらえています。大治の発言の全文です。

 「 見せかけのストレス対処法で、最もやっかいなのは正義の顔をした攻撃

  です。正しいことをいっているので周りは批判しにくいですし、本人は周

  りを叱りつけているので、ある意味で周囲からの意見が入りにくい「正義

  の鎧」を着ています。それは人を斬ると同時に、自分を孤立させるもので

  もあります。

   「自粛警察」は自分の正義、絶対的に正しい自分やそのグループと、絶

  対的に間違っている人たちとを、社会を二分して見下して攻撃していくシ

  ステムです。東北大学の大渕憲一名誉教授も、「攻撃しても周りの理解を

  得られるだろうと考え、今のような非常時においては、普通ならやり過ぎ

  と思われることも、歯止めが効かなくなる」と指摘しています。」

 「自粛警察」もまた、「大きな悪と戦う正義の聖戦士」というストーリーを自作し、行動に移しているのでしょうか。

 このことはまた、当ブログでも言及した藤原辰史さんの発言、つまり今の自粛警察が「ナチス時代の私服の民間監視員による相互監視、さらに進めば地域の住民同士による監視や、自分の頭のなかでの自主監視までエスカレートしていった様相」とどこか似ているように感じるという発言にも通じるものがあります(2020.8.23「ピュシスとロゴスの間に生きるという人間という存在にー漫画版『風の谷のナウシカ』を起点とする『コロナ新時代への提言2』をみてー(2・完)」)。

 

 以上のような病理現象の生じる社会の現実を、私たちはどのように直視し、どのような態度で生きるか、それが問われているのでしょう。

 本項の「中村正則と考える」という記事は、最後のところで、次のような安倍政権のコロナ対策への厳しい国民の評価にふれつつ、次の展望を示してもいます。

 「 一連のひどいコロナ対策は個々の命や財産に直結するため、さすがに無

  関心でいられなくなった。この政治への関心の高まりを一過性にとどめな

  いことが大切です。政治の荒廃は社会の荒廃につながる。政治を変えなけ

  れば社会は変わらない。そのことにさらに多くの人が気づくことになれ

  ば、日本の未来はいい方向へ変わっていくと思います。」

 この中村正則の発言として書かれた文章は、正論なのでしょう。でもこの文章を引用しながら、いささか絶望を感じるのは私だけではないでしょう。この記事が毎日新聞の夕刊に掲載されたその日(8月28日)に退陣表明した7年8ヵ月に及ぶ安倍内閣の支持率は反転して上昇し、この安倍内閣を全面的に継承する菅内閣が誕生します。今、多くのメディアは、批判的言辞を抑制し、政治的現実に対し、「視線誘導」の波動を、国民へ同調ないし増幅を求めて降り注いでいます。そして、私たち国民は、<行き過ぎた>「公正世界仮説」のように、ものの見事に「視線誘導」をされている状況なのです。

 絶望することは思うつぼなのでしょう。だから、簡単に絶望などしてはならないのです。政治批判を個人攻撃へと転嫁して済ませてしまう社会と世界という現実を直視することを止めてはなりません。それこそ、前記の『新コロナ時代への提言2』で藤原辰史が最後に発した発言、私たちに一番伝えたいメッセージとしての言葉、「思考停止してはいけない」「思考停止を絶対にしてはいけない」を、自分自身に向けて書きつけておくことにします。

 

 こうした生きづらいギスギスした社会的雰囲気のなかで、「不寛容な時代」という言葉が口をついて出てきます。

 次項では、戦中から戦後直後の時代状況のなかで、「寛容」と「不寛容」という問題を言葉にした渡辺一夫のエッセーについて紹介することにします。

 

◈「人間が機械になる」ということー渡辺一夫のエッセーを読み直してー

 おことわりから始めます。渡辺一夫のエッセーは、書かれてから70年前後の時を経ているものの、現代の人間の、日本の、世界の問題とアクチュアルに通底していることを確信しています。ですが、本稿では、さわりの紹介にとどまるという弁明をしておきたいのです。

 コロナが問題となる以前に、口笛文庫の棚に、なつかしい渡辺一夫という名前を発見して、小冊子の文庫であるトーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』(2017年8月刊/中公文庫)を手に入れていました。やっと先月から読み始めたのですが、ここで論じるほどの読み方はできていない状況なのです。ですから、渡辺の翻訳したトーマス・マンの「五つの証言」(ナチス時代の1930年代に書かれた)の方はあきらめ、本稿に直接関係する渡辺のエッセーからの引用により、次に向けて私自身への問題提起を整理しておくだけになります。

 

 渡辺一夫(1901-75)は学生時代に森有正(1911-76)とともに切実に読んでいた記憶があります。大江健三郎が師として敬愛していて、彼の文章を通じてのことだったか、その点ははっきりしませんが、渡辺の時代と社会と人間を問うた文章から(本丸であるらしいラブレーなどの翻訳書には近づけなかった)、何がしかの影響を受けたことは間違いなさそうです。

 ある方がブログで引用されていた、東大教授としてフランス文学を講じたというだけにとどまらない、渡辺一夫についての適確な紹介文(スーパーニッポニカ)の一部を、再引用しておきます。

 「 ラブレーやエラスムスの翻訳、研究、およびルネサンス・ユマニスム研

  究に画期的業績をあげる一方、太平洋戦争の前後を通じてユマニスムの根

  源に分け入ることによって得られた学識と透徹した批評眼をもって日本社

  会のゆがみを批判した。とくに寛容と平和と絶えざる自己検討の必要を説

  き、狂乱の時代に節操を堅持した知識人として若い世代に深い感銘を与え

  た。」

 

 ここで取り上げるのは、文庫の後半部に「寛容について」として掲載された四つの文章のうちの二つの短いエッセーです。

 ◉「人間は機械になることは避けられないものであろうか?」(1948年)

 ◉「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」(1951年)

 このようなタイトルはちょっとめずらしいもので、二つのエッセーとも「問い」=テーマが直截な疑問形でタイトルとして付けられています。

 前者は極東軍事裁判(東京裁判)の最中かつ米ソ対立の顕在化してきた時期、後者は前年に朝鮮戦争の勃発した翌年という時期、こうした時代状況のもとで書かれたものです。

 私の問題意識は、70年の時を経て、現在も同じ問いの前に立たされていると実感している者として、この問いにどう答えるのか、どう答えうるのかというところにあります。それを渡辺の文章から、探ってみようというわけです。

 渡辺の同時代と比べ、科学技術は、特に生命科学や、コンピーターサイエンスそしてAI(人工知能)という情報科学分野で特記すべき進展をみたのですが、典型的には時と場所を選ばずスマホに見入っている人びとの姿に「人間と機械の関係」における逆さまの関係を、私は感じています。一方、本稿で書いてきたとおり、直接の大規模な戦争という形ではないけれど、ますます「不寛容」が大手をふってのし歩いているような世界の、そして日本の現実とともに、「寛容」という存在の希薄化を、私は感じているのです。 

 こうした実感と渡辺の文章を十分にクロスさせる能力も余裕もありませんが、ともかくも私に残すべき問いを探しておきたいと思っています。

  トーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』 2017年8月刊/中公文庫

  同上の後半部「寛容について」の目次

 まず、前者の「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」の方です。ここで引用する渡辺の思想(人間観、世界観というべきか)というものがあって、後者の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という問いが生じるという関係にあります。

 渡辺は、人間は自分の作ったものの機械になりやすい(「制度」や「思想」も含めて)という現実を受けとめたうえで、それを必然のものとしてしまうことはできない、それに抗するのが研究してきた近代の精神を体現する自分の責任なのだと考えているといえます。

 

 この近代、つまりルネサンスに始まった近代において、「我々の思考行動の主題に「人間」を置いて」くれたことを体現するのは、ユマニスム=ヒューマニズムの精神だとし、次のとおり定義しています。

 「 ヒューマニズムとは、人間の機械化から人間を擁護する人間の思想であ

  る。割り切れない始末に困る人間性の認知を不断に持って、懸命にその解

  決を求め続ける精神である。」

 とりわけ後段の「割り切れない始末に困る人間性の認知を不断に持って」というのは、「寛容」という他者への態度と直結しているのではないでしょうか。このヒューマニズムの精神を喪失することは制度や思想の機械になることである」と、渡辺は断じています。

 そして、戦後の時代を生きる渡辺には、近代の延長線上にある20世紀において、「人間の微弱が事毎に暴露されるにつれ、人間は苦しまぎれに」、棄て去った神やイデオロギーの機械になろうとする傾向が顕著であり、この傾向は「機械文明による人間性の忘却によって」拍車がかけられつつあるとみています。現代とは、次のようなものかもしれないというのです。

 「 正に近代は、終末の時期に突進していると申せるのかもしれず、「モデ

  ルニスム」の洗礼を受けて、全く「新しい人間」になった人類は、もはや

  己が機械になったことなど考える必要もなく、生れ且つ死に、人生の幸福

  はそこにあるということかもしれない。」

 これが人間解放の結末であり、歴史的必然であるとすれば、自分の主張は「甘い甘い反動的言辞」ともなるだろうと断ったうえで、新しい「ルネサンスの到来の前の苛酷な「中世」とおそらく新しいルネサンスの誕生の犠牲となる巨大な破壊とを呪詛する」のだというのです(なんだか漫画版『風の谷のナウシカ』の世界のようです)。

 そして、次のとおり「歴史的必然」論を否定しています。

 「 このような歴史的必然というものは、非人間的であり、人間を愛し人間

  のためにある一切の思想体系とは矛盾すべきものであるからであり、この

  愚劣な矛盾を避け得るものは、各々の人間であって、この矛盾の中に滑り

  こむのは、機械になった各々の人間に外ならないと思うからである。」

 次は、キリスト教のヒューマナイゼーションに関連した文章なのですが、各々の人間、渡辺自身に向けた励ましというべき責任論でもあります。

 「 自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さに対する

  反省を、自らも行い他人に教え、ルネサンス期以来の人間の獲得したもの

  に対する責任を闡明する役を買わねばならない。」

 こうした姿勢こそ、渡辺一夫の自分を取りまく「不寛容」な世界への態度であったのでしょう。

 

 このエッセーの最後のところで、T先生の「日本人は皆本質的にニヒリストだよ」という言葉を起点に、次の印象深い文章が刻まれています。

 「 −−宿命とは、我々の意欲するものである。また、更にしばしば、我々

  が意欲し足りないものでもある。

   このロマン・ロランの言葉が正しく理解されない限り、すべてが自業自

  得でけりがつくかもしれないと思う。」

 そして、「私は、この日本的ニヒリズムの機械になるのもいけないと、自分に言いきかせるのである」と、「第二次大戦中、私は恥ずべき消極的傍観者だった」と書く渡辺は、こうしてエッセーを閉じています。

 この?マークの付いたタイトルの「回答」はと探すと、渡辺は明確に答えていないというべきですが、全体として避けられないことだけれど、私は避けるための懸命な努力をすると答えているのではないかと思っています。

 

 さて、もう一つの「寛容は自らを守るために不寛容に対し不寛容になるべきか」という短いエッセーの方です。こちらのタイトルの問いには、「人間が機械になることは避けられないものであろうか」と違い、明確な「回答」を次のとおり記しています。

 「 僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために不寛容に対し

  て不寛容たるべきでない、と。」

 この回答をサンドイッチするように、寛容が不寛容に対して不寛容にならざるを得ないことがあるという事実を指摘したうえで、しかし、だからといって、是認肯定することはできないという立場を、繰りかえし表明しているのです。少し長くなりますが、渡辺の人間観も現れているので、引用しておくことにします。まず、先の「回答」の前には、次の文章がおかれています。

 「 割り切れない、有限な人間として、切羽つまった場合に際し、いかなる

  寛容人といえども不寛容に対して不寛容にならざるを得ぬようなことがあ

  るであろう。

   しかし、 [㊟筆者が一行に入れました]

  このような場合は、実に情けない悲しい結末であって、これを原則として

  是認肯定する気持ちは僕にはないのである。そのうえ、不寛容に報いるに

  不寛容を以てした結果、双方の人間が逆上し、狂乱して、避けられたかも

  しれぬ犠牲をも避けられぬことになったり、(以下略)」

 先の「回答」のあと、次の文章が続きます。

 「 悲しい呪わしい人間的事実として、寛容が不寛容に対して不寛容になっ

  た例が幾多もあることを、また今後もあるであろうことをも、覚悟はして

  いる。

   しかし、 [㊟上に同じ]

  それは確かにいけないことであり、我々が皆で、こうした悲しく呪われた

  人間的事実の発生を阻止するように全力を尽くさねばならないし、こうし

  た事実を論理的にでも否定する人々の数を、一人でも増加せしめねばなら

  ぬと思う心には変わりがない。」

 カール・ホバーの「寛容のパラドックス」、すなわち「無制限の寛容は確実に寛容の消失に導く」、「不寛容を寛容すれば、不寛容が蔓延することを防ぐことはできないし、反対に不寛容を寛容しないと、自らが不寛容であることになってしまう」という非対称な構図を、渡辺がどう意識していたどうかわかりません。でも、少なくとも、このパラドックスを理解しつつ、渡辺は、以上のように明確な態度を示しているのです。

 

 では、どうしてこの結論に至るのかについて、渡辺は、人類の歴史から説き起こしています。個人間の争闘が法の名によって解決されるようになっていることや、嘘をついたり(今やトランプが登場する世界ですが)、殺人をしたりしてはいけないという契約は、「いつの間にか、我々のものになって」いたりすることからすれば(渡辺は彼らしく「人間は進歩するかどうかは、難しい問題であろうが」と書いたりしていますが)、寛容が不寛容に対して不寛容になってならぬという原則も、新しい契約として獲得されなければならないと、渡辺はいいます。不寛容の横行が残るとしても、その方向にすすんでいけるとすればと、次の展望を示しています。

 「 右のような契約が[㊟直前の「新しい契約」のことです]、ほんとうに人間の倫理

  として、しっかりと守られていくに従い、不寛容も必ず薄れていくもので

  あり、全く跡を断つことは、これまた人間的事実として、ないとしても、

  その力は著しく衰えるだろうと僕は思っている。恰も嘘言や殺人が、現在

  においては、日蔭者になっているのと同じように。」

 さらに同じ暴力を用いるとしても、寛容と不寛容の違いについて、次のとおり記しています。

 「 寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最

  低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから

  終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。」

 続けて、次の認識を示しています。

 「 今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、た

  だ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、

  常に無力であり、敗れ去るものであるが、それは恰もジャングルのなかで

  人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。」

 ここでは、寛容の武器を「説得と自己反省」としていることに注目しておきましょう。特に「自己反省」ということを、渡辺が明記した趣旨に想像を働かせることが大切です。

 

 ここから渡辺は、今は寛容を説くキリスト教の歴史というものがローマ時代から、中世・ルネサンス時代には決して寛容なものではなかったことを、多くの人名をあげながら説明します。その内容は省略しますが、その検討から「寛容は寛容によってのみ護られるべきであり、決して不寛容によって護らるべきでないという気持ちを強められる」としたうえで、「ただ一つ心配なことは」として、不寛容の方が寛容よりも「はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせる場合も多い」ということであるとも書いています。続けて、それは「あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように」と、戦争と平和との関係と比喩させています。

 そして、最後のところで、以下の文章を、前エッセーの人間と機械の関係を想起させる「歴史の教訓」として綴り、エッセーを閉じています。

 「 歴史の教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、そ

  れを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬよう務めることによ

  り、甫めて、人間の進展も幸福も、より少ない犠牲によって勝ち取られる

  だろうとということも考えられてよい筈である。歴史は繰返す、と言われ

  る。だからこそ、我々は用心せねばならないのである。しかし、歴史は繰

  返すと称して、聖バルトロメオの犠牲を何度も出すべきだと言う人がある

  ならば、またそういう人々の数が多いのであるならば、僕は何も言いたく

  ない。しかし、そんな筈はなかろう。そんな愚劣なことはある筈はなかろ

  う。また、そうであってはならないのである。」

 ここには、渡辺の「不寛容」という「人間的事実」に対する強い怒りとともに、祈りといってもいい感情が表出しています。

 このエッセーには追記があり、(1970)年とある(附記2)には、当時の学生運動が背景にあったのか、「自己批判」について、次の文章を残しています。

 「 「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」になり切れないし、「寛容」のな

  んたるかを知らぬ人は「自己批判」を他人に強要する。「自己批判」と

  は、自分でするものであり、他人から強制されるものでもないし、強制す

  るものでもない。」

 ここでは、「寛容の武器」としての「自己反省」を結び付けて理解しておきたいと思っています。

  [左] 渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』 1964年8月刊/白水社

  [中] 渡辺一夫『人間と機械など』 1968年3月刊/講談社(思想との対話12)

  [右] 渡辺一夫『寛容について』  1972年1月刊/筑摩叢書

 本来は、ここで前記した小国綾子の、中村文則の、コロナ禍における「生きづらいギスギスした社会的現実」の諸相と、渡辺の「寛容」論を切り結びたいところですが、宿題とさせてもらいます。

 「寛容のパラドックス」という問題は、<デモクラシー><言論の自由><表現の自由><ヘイトスピーチ><SNS><移民・難民問題><テロリズム>、さらにコロナ禍の<監視社会>など、まさに現代の諸課題の前にも立ちはだかっているということができます。

 ここで、申し上げておきたいのは、今こそ「寛容」であることの意味を問い直すことが大切ではないかということです。そして、「寛容」へと向かう姿勢であり、態度というものは、前記した「自己反省」が伴走して初めて成り立つものであろうと思っています。

 それは、「思考停止してはならない」というメッセージと直につながっていると、私は考えています。

 

◈おわりにかえてー9月、喜瀬川にも小さなドラマがー

 それにしても、渡辺一夫の言葉、思想が、今の私にも何がしか残っている、染みついていることを感じて、驚きました。私は書いたことがありませんが、昔の日記を読み返して「こんなこと書いている」と思ったりすることと似ているかもしれません。

 前記した渡辺の「割り切れない始末に困る人間性」という人間観は、直近のブログのタイトルに用いた「ピュシスとロゴスの間に生きる人間」という人間観とも、今の私には何がしかのつながりのようなものが感じられるのです。

 秋雨前線の南下により、窓からは涼しい風が入ってきています。

 

 今次のコロナ禍によって変化したことに、これまでの一人サイクリング、ウォーキングだけでなく、スポーツクラブに通わなくなった家人と二人で歩く時間をもつようになったことがあります。天候やいずれかに用事のある日(これも少なくなりました)を除いて、ほぼ毎日、夕刻に二人で数千歩を歩いています。

 夏以降は日陰を探しながらということで、明姫幹線から喜瀬川の堤防道路を河口にある阿閇(あえ)漁港まで南下し(2.5劼らいか)、折り返して山電播磨町駅の地下通路を通り抜けて戻ってくるのが定番コースとなりました(所要時間70分くらい)。さすがに猛暑から脱したと感じられた日(9/12)に、カメラを持参して歩いたときの写真をアップさせてもらいます。

 とにかく喜瀬川をのぞきこむように歩いています。川の水位は海の干満によって河口から1勸幣紊両緡まで影響を受けますし(月齢はもとより1日という単位でも)、雨が降ったりすると川の様相、容貌はがらりと変化します。潮の満ちるときは、川は逆流しているようです。こうした変化は、川に生きる鳥や魚の活動にも影響を与えています。この夏の間中、私たちはそんな微細な変化を探しながら、歩いていたという実感があります。

 こんなことを書きながらですが、相変わらず鳥や魚の名前を知ろうとしないまま、今日はあそこにいるいない、見える見えない、飛んだ跳んだと言い合ったりしているだけのことなのです。

 

 鳥は、数種類が喜瀬川の住人です。名前のわからないまま、一番大きな鳥は喜瀬川の王様とか女王様とか呼んでいて、そのじっと川面を凝視するような姿が印象的です。それでいて、ついぞ川に首を突っ込んでいる光景はみたことがありません。もう少し小ぶりで真っ白な鳥も定番で、こちらはさかんに水面に嘴を立てていますが、私たちが声をあげたりすると、すぐに反応して飛び立ち、橋の下を低空航行します。

 いずれもサギ科の鳥だと思いますが、この二大定番以外にも、カモ科なのか、足を掻いて驚くほど速く泳ぐ鳥や、鵜なのでしょうか、水中に長時間もぐることのできる真っ黒な鳥もいます。

  喜瀬川の王様・女王様と呼ぶ鳥 [2020.9.12 喜瀬川河口付近で撮影、以下同じ]

  白いサギのような鳥

  カモのような鳥(泳ぐと速いです)

 魚は何種類いるのかよく分かりません。雨や潮の干満によって、水面の透明度が変化して、よく見える日もあれば、なかなか見えにくい日もあります。定番の大型魚は、海水の混じった汽水ということなのでしょうか、そのあたりには数種類いるように見えますが、海の魚として分類されるものかもしれません。圧倒的に多いのはライトグレーのボラ?的な魚です。その動きの変化がもたらす波紋によって、その存在がわかります。

 もちろん、大型魚だけでなく、魚体の感じられないほど小さい魚が凝集した形を維持しつつ、移動している様をよく見かけますし、もう少し大きな魚体が角度によって銀色に光る小魚もいるようです。

 でも、ハイライトは、水面からジャンプした魚に出会うことです。水の音でジャンプが感じられることはよくありますが、その方向を見てもすでに魚体は水に下りたあとが多いのです。ですから、この目で見ることができるのはごく限られています。

 次の写真の2枚目は、魚がジャンプしたタイミングでシャッターを押して撮影できたものです。その魚が三段跳びのように跳ねたからで、ポップ、ステップで気づいてそのあたりにカメラを向けたら、最後のジャンプに間に合ったというわけです。白く写っていますが、腹部だからでしょうか、ホントはこんなに真っ白い魚体を見たことはありません。でも、まあ、確かに跳んでいたのです。

  はっきり見えませんが、ボラ的な魚の群れ(最も多くみられる魚です)

  体長の何倍もの距離をジャンプする魚(後ろの円形の波紋部から跳びました)

 河口の阿閇(あえ)漁港に着きました。漁港は港の中の港で、その外は、さらに南の人工島に囲まれた東播磨港です。いつも定点観測のように港内の水面をしばし眺めることにしています。先ほどの魚のジャンプする姿や、めずらしいエイにもであったりもします。

 9月に入り日没が早くなっているものの、まだ午後6時前、太陽は雲に隠れていて、その雲間からの光が昭和40年代に海岸を埋め立てて建設された製鋼所へと注がれています。

 その場でもう30分ほど我慢していたら、もっとすばらしい夕景に出会えたでしょうが、引き返すのに30分以上要するものですから、暗くなってしまう前にと、私たちはすぐに踵を返しました。

  播磨町の阿閇漁港(漁船とプレジャーボートが係留)

  神戸製鋼所の高炉へ9月の夕陽が降り注ぐ

  同上を阿閇漁港の岸壁に降りて撮影しました

 

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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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