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2020.09.07 Monday

猛暑の9月にー久保田万太郎の俳句とバリ島の記憶などー

 昨日(9/4)、3ヵ月ぶりの大学病院でした。前回の直後のブログで、大学病院と道一つを隔てた南側、港翔楠中学校の窓には「神戸大学病院の皆様/神戸を救う皆様の力に感謝!/コロナに負けずにがんばりましょう!」のメッセージが貼り出されていることを報告しましたが(2020.6.10「六甲の坂の途中にー「口笛文庫」のたたずまいー」の冒頭)、今もそのままです。3ヵ月前とのちがいは、前回は窓が開けられ、文字が半分しか読めなかったものが、今回は猛暑の中の授業でクーラーが稼働中のためか、メッセージ全文が確認できたところです。

 コロナ禍で病院の受診者が減少し、病院経営を圧迫しているという話をよく聞きますが、少なくとも私の受診する泌尿器科の待合はいつもと変わらぬ混み具合です。病棟と検査棟をつなぐ通路の壁には、バリ島で撮影された写真が展示されていました(普段から市民ギャラリー的に利用)。「大野亜紀子」と署名があり、10年前にバリを旅していて、一人のフランス人から写真の撮り方を教えられ、彼のように撮れるようになりたいと思ってから10年を経て、「思い入れの深いこの場所の写真を遂に展示できることになったことに感謝です」とありました。そして、大野さんは、今回の展示はバリの中でも自分が愛して止まない「ウブド」と「ギリ島」という2ヵ所の写真を集めたのだそうです。

 こうして展示されていた写真をぼんやりと眺めていたら、この病院で手術する一年前の2011年10月に、私も「ウブド」に数日滞在したことがよみがえってきました。ですから、本稿の後半では、ウブドで撮った写真を手元に残ったSDカードからチョイスして掲載させてもらおうと思っています。ちょうど9年前ということですっかり忘れていたのですが、こんなきっかけであの「ウブド」を追体験することになりました。

 

 検査数値はまずまず横ばい、さらに経過観察が続く、というありがたいけれど、どこか宙ぶらりんにされたような気持ちも抱えながら、この日も、神戸の街を1万歩超えで歩きました。まぎれもない熱帯のバリ島ウブドも、こんなに呆れた「猛暑」ではなかったぞと独り言ちながら、ただ生きてあることだけを確かめるように歩いていると、日陰を探して歩行していたはずなのに、だんだん夢遊病者になっていくような感覚がしてきました。

 あ、これって熱中症というもののそばにいるのかなと思い、デパートへ飛び込みました。

 以下には、大野さんの展示写真を撮った写真を、「まだ抜け出せていない」というウブドについての彼女の文章とともにアップしています。

  大野亜紀子のウブド写真  [2020.9.4/神大病院で撮影、以下同じ]

  上の写真に添えられた大野さんの「UBUD」についての文章

  大野さんのウブドの写真

  大野さんのウブドの写真

 

◈思わず笑ってしまうおかしな話ー林家木久扇の言葉ー

 「笑点」を思い浮かべる方もおられることでしょうが、82歳の林家木久扇さんを取材した記事を読みました(2020.9.1「コロナの時代 穏やかに過ごすには」/『毎日新聞』夕刊)。

 高座生活60周年の節目に記念公演を全国32カ所で行う予定がコロナ禍で全てダメになってとてもがっかりしたけれど、木久扇さんはすぐに「パッと切り替えた」と語っています。それは、「東京大空襲(1945年3月)を生き延びた人間」なんで、「生きているだけで得だと心底思っているから、難儀なことが迫ってきても、あまり驚かない」からだと答えています。

 

 今、木久扇さんが通う寄席の楽屋には、「お客さんをあまり笑わせないでください」という張り紙がしてあるということです。他にも「拍手をもらわないでください」と書いてあるものもあります。えっ、ウソでしょといいたくなる張り紙は、落語協会が飛沫感染を防止するために呼びかけている注意だそうで、ホントの話なのです。

 こんなブラックユーモアの世界に、木久扇さんは興味津々で、「コロナ禍で今みんな、ひたむきに一生懸命に生きようとしている」の中で、張り紙のような「おかしなことがいっぱい起きている」から、「ネタ拾いで忙しい毎日」をおくっているのだそうです。

 そして、最近、「転ばなくてもコロナとはこれいかに。感染してないのに新幹線と言うがごとし」という「とんち問答」で客を笑わせているとあります。

 

 この「何でもおもしろがって」という副タイトルが付けられた「宇田川恵」の署名入り記事は、次の文章で締めくくられています。

 「 病も老いもコロナ禍に遭遇した不運も、向き合い方次第で豊かさに変わ

  るかもしれない。」

 

◈「けはいの文学」を読んでー久保田万太郎の俳句ー

 江戸の雰囲気の残る落語の世界に身をおく木久扇さんに続いて、生粋の江戸っ子として「伝統的な江戸言葉」を駆使した(特に小説や劇作)という久保田万太郎(1889-1963)の俳句のことにふれてみようと思います。

 全く門外漢である私が<万太郎の俳句>を取り上げようとしたのは、月刊『図書』の今月号で、「俳人」とキャプションされた恩田侑布子という方の「けはいの文学ー久保田万太郎の俳句」という文章を読んで感じ入ったからです。「感じ入った」というのはいささか大げさになりますが、それほど見事な批評的紹介文だと感じたということです。

 最近、コロナ問題にとらわれていろんな資料なども手さぐりで読んだりしていて、どこか心のささくれのようなものを自覚することがあります。そんな私を、万太郎の俳句が別の世界に連れていってくれたという強い印象が残りました。けれども、最後のところで、今を生きる恩田の批評性が爆発しているとみることもできます。

 

 恩田は、万太郎の俳句を5つの小見出しのもとで、それぞれに自分の惹かれてきた俳句を計13句、それぞれを作句したときの万太郎の年齢を付して紹介しています。それは、万太郎俳句の代表作としてネットで読むことができる句群とほとんど重なっていませんでした。

 ここでは、まず、その小見出しごとに恩田の一文を添えて俳句だけを列記しておくことにします。恩田の言葉の切れ端だけで味わうことは難しいかもしれませんが、そうさせてもらいます。

◉絖(ぬめ)のひかり

 「万太郎はひかりのうつろいをとらえる天性の詩人でした。//季物そのもの

  ではなく、うつろうあたりのけはいを絖のように掬いとっています。」

   鶯に人は落ちめが大事かな        56歳

 

   ふりしきる雨はかなむや櫻餅       33~37歳  

 

   新涼の身にそふ灯影ありにけり      36歳

 

◉短歌的叙情の止揚

 「万太郎の俳句の水脈にはこの短歌的叙情がひそんでいます。//短歌の叙情

  を俳句の冷静さで止揚したしないがあればこそ、王朝由来の叙情を俳句と

  いう定型に注ぎこめたのです。」

   しらぎくの夕影ふくみそめしかな     40歳

   

   双六の賽に雪の気かよいけり       38~45歳

 

   夏じほの音たかく訃のいたりけり     59歳

      ㊟「六世尾上菊五郎の訃、到る」との前書付き

 

◉稚気のままに

 「おとなの俳句の名匠が子ども心を失わなかったのもおもしろいことで

  す。//子どもらしい匂いやかな稚気を持ち続けることもまた、非凡な才

  能でしょう。」

   さびしさは木をつむあそびつもる雪    36歳

 

   時計屋の時計春の夜どれがほんと     48~52歳

 

◉彽佪趣味への反発

 「万太郎は、漱石の「彽佪趣味」や、「ホトトギス」の虚子の「客観写生・

  花鳥諷詠」に反発を感じていました。//彽佪趣味にアンチ近代を装う倒錯

  した近代の知性を見、そこにエリート臭をかぎあてても何もふしぎではな

  かったのです。」

   人情のほろびしおでん煮えにけり     56歳

 

   ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪  62歳

 

◉かげを慕いて

 「万太郎は恋句の名手でもあります。//おぼろに美を感じる感性はモンスー

  ン域のもの。日本の風土を象徴するしめやかな恋です。」

   さる方にさる人すめるおぼろかな     46歳

 

   わが胸にすむ人ひとり冬の海       56歳

 

   たよるとはたよらるるとは芒かな     67歳

 

 恩田は、最後にもう一つ小見出し「文学の沃土から」をおいて、万太郎俳句を総括するとともに、現代とクロスさせようとしています。

 万太郎俳句の源を、恩田は次のように評しています。

 「 万太郎の俳句は絖のふうあいの奥に厳しい文学精神が息づいていまし

  た。彽佪趣味や花鳥諷詠という、禅味俳句の石を終生抱こうとはしません

  でした。//万太郎は俳句という桶から俳句を汲んだのではありません。文

  学の大いなる泉から俳句を汲んだのです。」

 「俳句という桶から俳句を汲んだのでは」ないという恩田の言葉は、とても説得的に、私のように俳句に縁遠い者にも鋭く響きました。それこそ全く知らない恩田の俳句にも通じるものなのかもしれません。

 

 そして、コロナ禍のもとで生きる私たちに向け、「万太郎の俳句は日本語の洗練の極み」と結論づけつつ、次のメッセージを送っています。

 「 近代の個人主義とは根を違える万太郎の俳句は、分断と格差社会の現代

  に新たなひかりを放ちましょう。なぜならそれは最も親密で馴染みふかい

  在所を奪われた人間の望郷の歌であり、感情と古典にしっとりと根ざした

  ものだからです。」

 最後の一文で、恩田は、冒頭においた<鶯に人は落ちめが大事かな>を念頭に、こんな問いを万太郎に発しています。

 「 かれははたして<鶯には落ちめが大事かな>と、つぶやくことをゆる

  してくれるでしょうか。」

 

 この一文をどう解釈することが正当なのか私には分かりません。

 冒頭の句<鶯に人は落ちめが大事かな>を、恩田は「おもしろいと思いながらもいま一つわからなかった」けれど、「足もとからみずからの来し方を低くつぶやいている」万太郎に思い至ったそうです。「文学では早くから檜舞台に立ったものの、家庭生活は不幸だった」万太郎が、「老いの坂を迎えて、落魄の日々をなつかしみ、あわれみ、いたわ」っている姿に、恩田は「鶯の声のあかるみにこころのうるおいが溶けこんでい」ると受けとめているようです。

 ですから、今の心のささくれやすくなる状況のもとにあって、こんな句をつぶやいて、そこに「こころのうるおい」を失くすことなくやっていこうよというメッセージを込めようということかもしれませんね。

 恩田の真意を汲みとれたわけではありませんが、私としては、「本当に大切なものは何か」という問いの前に立たされた人間の集団である<国>というものを思い浮かべました。さらに言えば、成長信仰の囚人である現代の日本社会へのアンチテーゼ、たとえばポストコロナで少し紹介した広井良典の「成熟社会」論的な社会のありよう(「分散型システム」への転換もその一つ)へのメッセージを感じたりもしました(2020.7.3手がかりはどこにーコロナ後の社会のありようをめぐってー」)。

 つまり、それは恩田のいう「分断と格差の現代」へ放つ「新たなひかり」の基軸のようなものを、私はこんなことにも感じているということにほかならないのでしょう。

 さらに最近のブログと絡めていえば、福岡伸一のいう「ロゴス的に走りすぎたことが破綻して、ピュシスの逆襲を受けた」という事態を前にした私たちのあるべき態度に通じるものであり、恩田は万太郎の「人は落ちめが大事」から「国は落ちめが大事」へと想像を飛ばしたと理解することもできそうです。

 

◈こんなに暑くなかったーバリ島ウブドの残照ー

 バリ島のウブドへ旅したのは、9年前、2011年10月初めのことでした。どうしてバリ島のウブドだったのか、よく覚えていません。

 当ブログでもふれたとおり、海外旅行など想定したことのなかった私たちが、退職後のインターバル期間に(2009年5月)、イタリア旅行したことにより、海外旅行のバリアがなくなり、というより、すっかり「はまってしまった」のです(2017.1.12「曇りのち晴れ・ナポリ(その2)ーシチリア・ナポリ紀行(6・完)ー」の最後のところ)。その後の第二の勤務先は休暇取得の制約は少なかったのですが、それでも長期の休暇ははばかられて、短期で行けるアジア各地への旅行を続けていたのです。今から振りかえると、ベトナムのハノイを皮切りに、台湾の台北、香港、マレーシアのペナン島と続き、その最後の場所がインドネシアのバリ島のウブドだったということになります。

 今の年金生活からすると、あきれた所業というほかありませんが、ありがたいことでしたというのが、いつわりのない感想です。

 

 ウブドは、赤道直下にあるバリ島の内陸部にある「バリ芸能・芸術の中心地」です。そんな言葉に魅かれもしつつ、ホテルの改装記念という理由で3泊も4泊も同額という格安滞在旅行を選択したということを思い出しました。ですから、それまでの3泊ではなく、4泊6日の旅でした。

 何をしていたのか、SDカードを開いてみると、ウブドのホテルへ着いた日の翌日の午前中に、パッケージされた近隣の観光地めぐりに参加した後は、自分たちのペースで動いています。目立つのは、ホテルの無料アクティビティであるライス・バディ・トレッキングと北部へのサイクリングツアー、それに白サギの終結地であるプトゥル村ツアーというものにも参加しています。いずれも参加者は私たちだけでした(ホテルの宿泊客たちはどうしていたのか)。夜には三夜続けて、自分たちでチケットを買ってバリダンスの鑑賞に出かけています。私たちにしては忙しそうですが、それ以外は、広大なホテルの敷地内や、ホテルの車で送迎してくれるウブドの街中をぶらぶらとしていたということになります。

 病院の廊下で出会った大野亜紀子さんの「ウブドには人を虜にして離さない魔力がある」という言葉を私は使うことができませんが、本稿では、テーマごとに、簡単なコメント付きで、写真をアップし。記憶の更新や復活を試みることにします。

 

◉熱帯林とライスフィールド

 ウブドの記憶は、何よりも風土環境です。もちろん自然環境もありますが、巨大な火山からの水を利用して広がる水田の美しさです(東京都の2.5倍ほどの面積のバリ島には、3142mのアグン山や2276mのバトゥカウ山などの高山もそびえています)。ライステラスと呼ばれる棚田へは行けなかったのですが、トレッキングやサイクリングでも見事な水田景観に出会うことができました。年に4回、米を収穫できるということだったと思いますが、地域によって収穫時期がばらばらで、刈り取ったばかりの水田も見られました。

 熱帯林の方は、巨大な樹木で構成されるものは見ていませんが、六甲山とは全く植生の違うヤシなどの熱帯林に守られるように水田が広がっている様子に驚きました。ホテルの敷地の片側もそうなのですが、ウブドは渓谷が多く、その斜面には、濃い緑の熱帯林が広がっていました。

 遠くの山影はバトゥカウ山<10.9> [以下はすべて2011.10.6~9にウブドで撮影したもの]

  これぞライスフィールド<10/9サイクリング>

  熱帯林に囲まれた谷筋のライスフィールド<10/9>

  トレッキング中の尾根道から見た熱帯林<10/7>

  ホテルから見えた熱帯林<10/9>

 

◉水田と水路

 乾季だったせいもあって、そんなに湿度が高くなく、朝夕は涼しく感じたくらいです。例えば、今の関西地方の猛暑より、ずっと過ごしやすい気候であったと記憶しています。

 農民が水田で作業するのは、朝夕に限られているようでした。直射日光の強い真昼に農作業する姿を見たことはありません。水田には、ニワトリやアヒルが放し飼いされていました。

 何より水田の耕作と景観を支えているのは、豊富な水であり、その水の流れる水路です。水田の脇をあふれんばかりに水の流れる光景は、たとえば日本の私の住む地域とは違います。水路にはコンクリートがあまり使われていないようです。そして、バリ・ヒンドゥー教と呼ばれる信仰の篤いバリ島には、街路もそうなのですが、水田脇の畦にも稲の神に捧げる祠があったり、お供えがおかれていたりします。

 街中でも見かけますが、農村部では女性が頭に物を乗せて運ぶ姿によく出会いました。何よりせかせか歩きする人を見たことがなかったなあと思います。

  朝早くホテル近くの水田とニワトリ<10/6>

  トレッキング中に見た豊かな水の流れる水路<10/7>

  神への捧げものなのか?<10/7>

  あぜ道にも花の供え物が<10/7>

  こういう姿をよく見かけました<10/7>

  朝9時頃だったでしょうか<10/7>

 

◉ウブドの街路

 ウブドの街中は、道幅の狭い街路をクルマもバイクも走っていますが、それでもゆったり、のんびりという印象が残っています。朝夕は地元の方も活動していますが、昼間に歩いているのはほぼ外国人観光客です。市場の中に入ったらまた印象が違っていたかもしれませんが、まさに表層をふらふら歩いていたという記憶だけなのです。

 サッカー場の前の小学校では、制服をきちんと着た子どもたちが遊んでいましたし、店の前の街路には、水田のあぜ道に供えられる小さな花の供物がおかれていました。カフェと呼びたいオープンテラスには、店員さんは別にして、外国人観光客、それも白人系の方しか見かけることがありませんでした。近いからでしょうか、どうもオーストラリアの方が多いと聞きました。地元の人といえば、タクシーの客待ちで談笑する男たちの印象が強いのです。そして、夕刻になると、バイクが増え始め、街路に沿った数知れぬ食堂が準備をととのえて、客を待ちます。

 脇道に入ると、いい感じの小路も多くあります。少なくとも私たちの歩いたときは、観光客とすれ違うことはなく、ガムランが聞こえてくることもなく、ごく静かなものでした。何より、これが南国というのでしょうか、存在感のある赤い花が咲いている小路というのが、私の記憶として残っています。

 ウブドの街といっても、市街地はごく限られており、ほんの一歩出ると、田園風景が連続して広がっているのです。

  トレッキングから街中に戻ってきた頃の市場前?<10/7>

  サッカー場の前にある小学校の校庭をのぞくと<10/8>

  モンキー・フォレスト通りの店舗前(供え物を道端に)<10/8>

  私たちも二度訪ねた昼下がりのカフェ「ノマド」<10/9> 

  夕刻のデウ・シタ通り<10/7>

  昼下がりの小路<10/8>

  小路で出会った赤い花<10/8>

 

◉ウブドの彫像

 石の彫像が多い、不勉強でどうしようもありませんが、バリ・ヒンドゥーと関係のある神々の姿なのでしょうか、そんな印象が残っています。

 ウブドの代表的な美術館であるプリ・ルキサン美術館とネカ美術館に足を運んだ写真がありましたが、展示された作品をほとんど撮影していないのです。撮影禁止ではなかったと思いますが、残っていないのです。残っているのは、美術館の中庭で出会った石の彫像を撮った写真なのです。ヒンドゥーなのか土着なのかわかりませんが、石を彫って神にささげるという行為がごく身近にあったことがわかります。衣服を着た姿の彫像も多く、人びとと宗教の距離感が近いということなのでしょうか。

 一番上の写真は、11世紀頃に作られた寺院遺跡であるゴア・ガジャ(洞窟寺院として有名)で撮ったもので、大きな岩の一部に彫られた跡の残る彫像です。これで完成なのか、途中なのか、わかりませんが、緑のコケを身にまとっています。

 一番下は、写真中、唯一の木彫で、プリ・ルキサン美術館内で撮影したものです。古いものではなさそうですが、母子像でしょうか。ちょっとしたユーモアが感じられていい作品です。

  大きな岩に彫られた小さな彫像(ゴア・ガジャの敷地内)<10/6>

  ハスの咲く池の中の彫像(プリ・ルキサン美術館)<10/7>

  笑っているみたいな石の彫像(ネカ美術館の入り口)<10/9>

  門扉の前にも二体の彫像が<10/9>

  珍しい木彫作品(プリ・ルキサン美術館)<10/7> 

 

◉ウブドの伝統舞踊

 ウブドの旅のハイライトは、バリ舞踊でした。旅の行き先をウブドに決めたとき、ホテルが郊外で、街中には自分の足で歩いていけないことがわかりました。普段の旅なら、街中にあるホテルに泊まり、夕刻にはぶらぶらと歩いて飲食の場所を探すのが通例なのです。それができないので、夜はバリダンスの公演に行くことに決めたのです(その前後に街中で食事する)。

 事前に結構勉強したのですが、全くといっていいほど、覚えていません。夜になってホテルに到着する出発日を除き、残る3日間連続して出かけました。手元に残っていたパンフレットによると、1日目はパンチャ・アルタ、2日目はティルタ・サリ、3日目はタマン・カジャ、という3つのグループの公演でした。前2グループは、通常のというべきでしょうか、青銅器打楽器をオーケストラと称されるガムランの調べとともに、数演目のダンスが繰り広げられるものです。3日目は、ケチャで、100人以上の男性によるコーラス「チャ」が打楽器の替わりとなって、ラーマヤナ物語が演じられるものでした。

 さて、感想といっても、ここで言葉にできる自信がありません。同じ観光客相手といっても、イタリアでの観光客相手の演奏会とはちょっと違っていた、強いインパクトをもって迫ってくるものを感じたということはできそうです。やはり圧倒されてある種の興奮状態に高められてゆくパワーを感じていた、その意味で楽しむことができたといえます。

 下記には、3つの公演から2枚ずつ写真をアップしています。一番下の写真は、ケチャの公演が終わったあと、<サンシャン・ジャラン>というトランス・ダンスを馬の人形を持って火の輪の中で演じた踊り手が、トランス状態から醒めたのでしょうか、多くの客が席を離れた後、放心している様子を撮ったものです。

  レゴン・クラトン(パンチャ・アルタ舞踊団)<10/6>

    ガムランの演奏(パンチャ・アルタ舞踊団)<10/6>

  女装の男性によるクビャール・トロンポン(ティルタ・サリ舞踊団)<10/7>

    バロンダンス(ティルタ・サリ舞踊団)<10/7>

  ケチャによるラーマヤナ物語(タマン・カジャ舞踊団)<10/8>

  サンシャン・ジャランを踊った後の放心状態(タマン・カジャ舞踊団)<10/8>

 

◉ホテルのこと

 ホテルは、ウブドの街中からすると、北東の郊外に所在していました。東側は谷になっていて、部屋からは熱帯林の斜面が見えました。毎朝、霧というのか、靄っていましたが、陽が上ると消えてしまいます。

 ホテルの記憶は、木久扇さんのところに登場した「ブラック・ユーモア」ということになります。夜に到着した日は、ホテル内のオープンエアのレストランで夕食をいただくことのできるパッケージとなっていました。私たちは、朝5時起きのフライトで疲れたけれど、割りと涼しいねと言いながら、食事していたのですが、最後にちょっとした事件があったのです。

 「HAPPY HONEY MOON」と記されたケーキが登場したのです。それこそ、えっ、ウソでしょとなって、私たちはそうではない、何かの間違いではないか、他の客と取り違えているのではないか、と説明したつもりです。「旅行社からの連絡が「ハネムーナー」でした」と答えているようでしたが、らちがあきません。結局、仕方ないかとなって、おなか一杯だったのに、少し口に運んだことを覚えています。

 私たちにも、ウソのようなホントの話があったということで、ウブドの旅を終えることとします。

  朝靄にかすむホテル東側斜面の熱帯林<10/8>

  滞在中、私以外に泳いでいる人を見なかったホテルのプール<10/9>  

  「ウソでしょ」のハネムーン・ケーキ<10/5>

 

 以上、バリ島ウブドの写真ばかりが多くなってしまったことになりますが、ここで閉じることにします。それにしても、コロナ禍は、バリ島への観光客を激減させているでしょうし、その影響の深刻さは想像がつかないほどです。こうして訪れたことのあるアジア各地、特に観光依存度の高いペナン島も心配です。香港は別の意味でもさらに深刻な情勢が続いています。

 そう思うと、能天気なブログになってしまいました。

 

 この間、安倍首相の退陣表明もありましたが、新型コロナウイルスの新規感染者数の減少傾向もあって、「異常」の「日常」化がいよいよ進行している気がしています。オオカミ少年化といってもいいのかもしれません。あまり驚かなくなりました。そうでなければやっておれないよということもありますが、これでいいのでしょうか。異常な「日常」はやはり「異常」なのであり、「異常」であることを忘れてしまうことはあってならないと考えています。

 そして、万太郎の俳句「鶯に人は落ちめが大事かな」を大切にしたいと思っています。

 

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  • 2020.09.25 Friday 11:00
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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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