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2020.08.30 Sunday

ちょっといい話に再会してーキャロル・スローンのジャズ・ボーカルー

 前稿の最後に「息切れしてしまいました」と書いたとおりです。本稿では、キャロル・スローンの音楽(ジャズ・ボーカル)について、特になんだかいい話だなあと感じたエピソードを紹介してみようと思っています。

 

 といいながらも、『風の谷のナウシカ』のラストをまだ少し引きずってもいます。もとより息切れは本当ですが、容量オーバーもあって、最後の部分「【追録】なぜナウシカは「約束の神殿」を破壊したのか」は「◉ナウシカは汚濁を排除した世界(庭)を去ることを決意した//◉墓所の主の言葉にナウシカは「否」を答えた」までで終わってしまい、予定していた残りを掲載できなかったのです。その部分「◉ついにナウシカはオーマの光で「人間の卵」破壊した」と「◉最後にナウシカは「生きねば……」という言葉を発した」を、下記に貼り付けさせてもらいました。

 

 赤坂憲雄著『ナウシカ考』の書評で、福岡伸一は、赤坂の結論を「ナウシカの物語は、黙示録ではなく、黙示録のプログラムを最終的に拒絶する反ー黙示録」なのだと受けとめ、そう書いています(福岡伸一「宮崎駿の苦悩や逡巡、透徹を追体験 名作を深く精緻に読み抜く論考」)。

 既に引用紹介しましたが、赤坂自身は川上弘美との対談の最後に、考察をさらに続けていくと発言しています。その発言を再録させてください。

 「 漫画版では、黙示録的な善悪の戦いが決着したわけではありませんね。

  とりあえず、旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊しまし

  たが、それをはたして全否定できるのか、ナウシカの選択は正しいのか。

  漫画版は我々に、改めて問いの立て直しを求めています。それをさらに考

  えていきたいとと思います。」

 赤坂は、漫画版の投げかけた謎である「黙示録的な善悪の戦いが決着したわけではない」という立場を表明し、ナウシカの選択が正しいのかそうでないのか、その判断をなお留保していると読むことができます。

 

 福岡が「大きな謎」とした結末について、ネット上で署名・無署名に関係なく、多くの論考が展開されていて、その深度に感心しました。正直なところ、私にはついていけないと情けなくもありました。

 その中で「杉本穂高」の署名入りの記事は、赤坂の『ナウシカ考』とスーザン・ネイピア著『ミヤザキワールド 宮崎駿の光と闇』の二冊を踏まえて手堅く考察していますので、参考のためにアップしておきます(「『風の谷のナウシカ』に表れる宮崎駿の矛盾とは? 『ミヤザキワールド』と『ナウシカ考』、2冊の書籍から考察」)。

 漫画版の結末について、赤坂の「人間の決定的勝利の挫折がむき出しになったものだ」という見方に対し、ネイピアが「過去への罪悪感と未来(少なくとも西洋的なテクノロジーがもたらす未来)への絶望感」と赤坂とは違う言葉で挫折を表現し、ナウシカ物語は「キリスト教的なものと東アジア的なものが対立し、最終的には東アジア的なアニミズムが勝利する物語」であると評していると紹介しています。

 そのうえで、次のとおり自身の見方を提示しています。

 「 漫画版『風の谷のナウシカ』とは西洋への憧れを抱いた宮崎氏が、失望

  や絶望を経て東アジア的アニミズムの思想への転換が如実にあらわれた作

  品であると言える。作中の言葉を借りれば、宮崎氏の思想が「破壊と慈悲

  の混沌」のように入り混じった作品なのではないだろうか。」

 このことはまた、立花隆が、ジブリの鈴木敏夫との対談で指摘する「この世界は簡単には善悪の図式ではまったく割り切れない構造をしている」「清いものと汚いものが混在しているのが、我々の世界である」、この二つのメッセージが『風の谷のナウシカ』7巻から強く発信されていて、その後の宮崎作品にも基調として反映されていると語っていることに通じているといえます。

 

 もう一つだけ、無署名の記事ですが(「漫画版「風の谷のナウシカ」のラストについて」)、ナウシカは葛藤(矛盾を受け入れないといけないとしつつ、墓所の主という矛盾は否定しなければいけない)を受け入れて生きていく生き方を選択した、つまりロゴスの力を象徴する「墓所の主」を批判し、もっと原初的な生命を尊重して生きていくことを決断したと理解する論考があります(福岡の理解に近似しているのでしょう)。

 ニーチェのニヒリズム「自分の生きる価値が何ものかによって与えられることを否定して、生きることそのものを肯定していく生き方」に依拠して、ナウシカは前者の生きることに絶望するような「受動的ニヒリズム」に悩まされていたが、後者の生きることそのものを肯定するような「能動的ニヒリズム」に、最後は墓所の主と対峙するに至って目覚めたのだという見立てなのです。

 このパースペクティブは混濁する私にとって大変に魅力的なものです。漫画版の最後のコマにある「生きねば/……/……」(下記参照)は、「破壊と慈悲の混沌」であるナウシカが葛藤を抱えたままで選択した「生きること」への心の声であったのではないかと、私はひとまず思うことでナウシカから離れることにします。 

 

 以下が、前稿(2020.8.23「ピュシスとロゴスの間で生きる人間という存在にー漫画版「風の谷のナウシカ」を起点とする『コロナ新時代の提言2』をみてー(2・完)」)の最後に続いて掲載できなかった部分です。

 

◉ついにナウシカはオーマの光で「人間の卵」を破壊した

 墓所が破壊され断末魔の状態で、ナウシカとトルキアのヴ王がそれぞれ自問するようにつぶやきます。

  [p211] ナウ「……泣いているのです//卵が死ぬと……」

       ヴ王「たまご…⁉/清浄な世界にもどった時の人間の卵か?」

       ナウ「自分の罪深さにおののきます//私達のように凶暴ではなく

                おだやかでかしこい人間となるはずの卵です」

       ヴ王「そんなものは人間とはいえん……⁉」

  [p212] ヴ王「気に入ったぞ/お前は破壊と慈悲の混沌だ」

  [p212/再掲]  墓所の断末魔

 

◉最後にナウシカは「生きねば……」という言葉を発した

 墓所が破壊されたあと、ヴ王も亡くなり、ナウシカはその娘クシャナと言葉を交わし、出発を呼びかけます。

  [p223] クシャ「それはわたしとあなただけの秘密です//

           生きましょう/すべてをこの星にたくして/共に……」

  [p223]  ナウ「ハイ//さあみんな出発しましょう/どんなに苦しくとも」 

          誰の言葉でもなく(ナウシカなのでしょうが) 

                    「生きねば/……/……」

  [p223/最終のコマ全体]   左下に「おわり /1994.1.28」とあります。

     「クシャナは生涯代王にとどまり、決して王位につかなかった」

 

◈キャロル・スローンのこと知っていますかー心やすらぐ音楽とはー

 キャロル・スローンは1937年生まれのジャズの歌い手であり、今も現役最年長歌手として活躍中だそうです。

 この方のことをブログで書いておこうと思ったのは、今年の夏、その魅力を再発見したからです。というのは、半年前から故障して動かなくなっていたCDプレーヤー一体型のアンプの同型機種を、先月にネットオークションで格安に手に入れることができました。これと並行して、家のあちこちに散在していたCDを一つのラックに集約を図ったのですが、その過程でキャロル・スローンのCDを手に取ることができて長いこと聞いていないことに気づいたのです。

 それから1ヵ月、一番よく聞いていたのが(ただ耳元を流れていたということなのですが)、キャロル・スローンのボーカルなのです。後ほどジャズ歌手の世代論もしたいのですが、1960年代以降に登場した歌い手では、オランダのアン・バートン(1933-89)の次に愛聴していたのが、キャロル・スローンでした。しばらくぶりで聞いて、心地のいい歌に再会できた気分になったのです。

 CDといっても手持ちのたった3枚をとっかえひっかえしていただけことですが、手持ちのLPが6枚あって、そのライナー・ノーツを読んだりもしていて、ちょっといい話に再会できたことも後押ししてくれました。ネットでも登場したりしていることだし、今更ではないかと思いましたが、そんな話に反応したりする私の気分にも関係していますし、軽い気持ちで紹介するのもいいかなという気持ちになったのです。

 

 そんないい話の前に、事前知識として、キャロル・スローンは、1962年に24歳のとき2枚のLPを大手CBSソニーから出してメジャーデビューしますが、その後、14年近くもレコーディングの機会に恵まれず、やっと75年に自費出版の形でLP『SUBWAY TOKENS(サブウェイ・トークンズ)』を出すという長い不遇の時代があった人です。

 そして、ちょっといい話にも関係しますが、日本の熱心なファンたちのプッシュもあって、1977年40歳のときに初来日してから、82年、83年、84年と連続して来日しています。そのときのコンサートとレコーディングが大きな評判を呼んで、そのことがアメリカへ飛び火し、やっとアメリカでも再認識、再評価されて「押しも押されもしない存在」になっていったという珍しい経歴をもつジャズ歌手がキャロル・スローンなのです。

 私がLPとCdを入手してよく聞いていたのは、2000年代の10年余りの期間なのでしょう。だから、同時代に聞いていたのではなくて、キャロルが知る人ぞ知るシンガーと評価されてからのことです。当時の慰めだった寺島靖国などのジャズ本からキャロル・スローンを称揚する情報を導き手として、中古レコード屋さんで探して求めたのでしょう。そうして知ったジャズ歌手は数多かったのですが、その中で、60、70年代に登場した数少ない歌い手が、アン・バートンであり、キャロル・スローンでした。そして、その少し低目の温かいシャウトしない歌声に魅せられたのだと思っています。

 

 当ブログの「音楽」というカテゴリーの記事は11本しかありません。ジャズ歌手はジューン・クリスティ(1925-90)だけです(2016.1.31「再聴・歌と出会う(1)ージューン・クリスティー」)。その記事には、ジャズは学生のころからの大切な音楽だったけれど、ジャズ・ボーカルはずっと後になって聴き始めたということを書いています。そして、その理由めいたことを、「年を重ねて、仕事関係の書類や資料を読むことが毎日の中心となってしまっていた頃」に「50年代に活躍した多くの歌手のスタンダードがささくれ立った心にやすらぎを与えてくれると発見したところから始まっているように思う」と記しているのです。その系譜につながるけれど、もっとコンテンポラリーな感覚をもっていたのが、キャロル・スローンであり、アン・バートンです。

 仕事から離れて久しくなり、いよいよ音楽が遠のいていくように感じている現在からすると、ちょっと気恥しいことを書いているなと思ったりしますが、その時点の記憶を言葉にすると、そういうことだったのでしょう。ともあれ、下記には手持ちのキャロル・スローン名義のCDとLPの画像を並べています。録音時でいえば、1961年から1986年の25年間にわたり、24歳から49歳までのキャロル・スローンだということになります。

  『Out of the blue(アウト・オブ・ブルー)』 1961年録音/62年CBSソニー

  『As Time Goes By(時の過ぎゆくまま)』 1982年4月東京録音

  『バット・ノット・フォー・ミー』 1986年10月ニューヨーク録音

[左上] 『ソフィスケイティッド・レディ』   1977年11月東京録音

[右上] 『キャロル・シングス』      1978年11月ニューヨーク録音

[左下] 『キャロル・スローン・ライヴ ウィズ・ジョー・ピューマ』 1983年アメリカ録音

[右下] 『ア・ナイト・オブ・バラッド』  1984年5月18日東京録音

 ・LPはこの4枚の外、上記『アウト・オブ・ブルー』と下記『サブウェイ・トークン』が手持ち

 

◉ちょっといい話

 ちょっといい話は二つあります。前記の『サブウェイ・トークンズ』(自費出版らしい素っ気ないアルバム・ジャケットですが)というLPのライナーノーツに色川武大と大滝譲司が寄稿していますが、それぞれから一つずつということになります。

   『SUBWAY TOKENS(サブウェイ・トークンズ)』 1975年アメリカ録音

 それで、色川武大(阿佐田哲也)(1929-89)のこと、ご記憶にあるでしょうか。本名と( )内の筆名を使い分けていた作家で、亡くなる直前の『狂人日記』を私は同時代に読んだ記憶があります。何より自伝的小説『麻雀放浪記』で人気を博しました。

 このライナー・ノーツは、「現役のジャズヴォーカルの世界で、好きな歌手を一人だけあげよ、といわれたら私はすぐに、キャロル・スローン、と答えるだろう」との一文から始まっています。

 1977年10月、キャロル・スローンがニューヨーク・ジャズカルテットのシンガー(メインではない)として初来日したとき、アメリカでの過小評価に「怒りに近いものを感じていた」色川は、友人でジャズ狂の大滝譲司と組んで、滞日中の10月16日に「彼女をひと晩招いて、キャロルを聴く小パーティ」を「ごくプライベートに知友を」呼んでひらいたのだそうです。

 「当夜、キャロルのできはすばらしく、というより乗りに乗って、3時間近く、打ち合わせなしに歌いまくってくれた」のです。そして、私たちが差し出すギャラを、「今夜はとても嬉しいからいいよ」と、「どうしても受けとらなかった」とあります。次は「自分で堂々とギャラを受け取れる歌手になっているからね」と言ったのだそうです。

 このパーティに参加した和田誠(1936-2019)は、キャロルの二枚のLPを抱えてきていて、「それを見たキャロルが、あっと声を出すほど嬉しい表情をしたことを覚えている」と、色川は記しています。

 それからのキャロル・スローンは、色川がこのライナー・ノーツを書いた初来日から5年後の1982年にはアメリカでも押しも押されもしない存在になっていたのです。色川は「私もなんだか他人事でなく嬉しい」と、素直に喜びを表現しています。

 

 このライナー・ノーツに、色川が寄せたキャロル・スローンのジャズヴォーカルについての評言を、私には表現できそうもないので引用しておきます。

 「 彼女の唄の大きな特長は、音程のよさ、そして音のひとつひとつを選定

  してくる感覚の鋭さであろう。こんなにソフィステケイテドな歌手を私は

  知らない。彼女は実にユニークで、大胆に原曲を唄い変えるけれども、聴

  くと、あ、この曲に一番ふさわしい衣装を着せているな、と思う。同時に

  テクだけでない、暖かい唄心がみなぎっているのである。」

 そのとおりなのでしょうが、私は「暖かい唄心」に傾斜して、その美質を意識しています。そこは「ひんやりとした唄心」と感じたりもするアン・バートンとの特質の差異を感じているのです。

 

 付録として、和田誠の描いた阿佐田哲也の似顔絵をアップしておきます。昨年亡くなった名イラストレーターの和田には、映画の名せりふを集めた『お楽しみはこれからだ』シリーズでも楽しまさせてもらいましたが、1984年に阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を初めて監督として映画化しています。

  和田誠描画「阿佐田哲也氏」 『和田誠肖像画集 PEOPLE2』(1977年初版)所収

 

◉ちょっといい話

 もう一つは、大滝譲司のライナー・ノーツの方にあるいい話で、『サブウェイ・トークンズ』に収録の二曲がオスカー・ピーターソンに捧げられていますが、そのわけのことです。

 60年代の初め頃、キャロル・スローンがまだ20代前半であった頃ということになりますが、オスカーのトリオがニューヨークのヴィレッジヴァンガードに出演していたとき、ちょうどその向かい側のクラブでキャロルは歌っていました。ある夜、オスカーはその店へやってきて、キャロルに美しいバラード『マイ・シップ』をリスエストしたのだそうです。キャロルは大張り切りで、「メロディーを大フェイクして」唄いました。「終わってオスカーを見ると、まるで無表情」、それからも毎晩やってきて、同じ『マイ・シップ』をリスエストしますが、キャロルの歌唱に相変わらず無表情を崩すことがなかったそうです。キャロルは「私の歌が楽しそうではない彼を見て私は当惑の度が増すばかり」でした。

 ある夜、とうとうキャロルは、この歌に飽き、「もう歌に色づけして尾ひれをつけたりせず、ただ単純にあっさりと」歌いました。するとオスカーは「満面に笑みを浮かべ、暖かい拍手をくれた」のです。 

 このことを、キャロル・スローンは、次のとおり述懐し、このアルバムの曲を捧げたわけを語っています。

 「 後になって私は彼が何を言おうとしていたのかがわかりました。歌手は

  カッコよく歌おうと、すぐ歌をくずし、曲げて歌うが、もっと自分を押さ

  えなければいけない。『マイ・シップ』『カッテイジ・フォー・セール』

  『アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユウ』のようなすばらしい曲を誰

  がメロディーを変えて聴きたいと思うでしょうか。こういう曲は、書かれ

  たそのままで完璧なのです。私は教わったことがキチンと私自身のことに

  なっていることを望み、この曲をオスカーに捧げます。」

 大滝は「日本人のジャズ歌手と称している面々に、耳をかっぽじいて聞いてもらいたい言葉だ」と続けていますが、今はどうなのでしょう。

  『シェークスピア・フェスティバルのオスカー・ピーターソン』 1956年録音

   真ん中がピアノを弾くオスカーピーターソン

 前記の色川のキャロル・スローンのヴォーカルについての評言にもあったとおり、キャロルのフェイクとかスキャットとか、それはそれで楽しくて素晴らしいのですが、私は、単純にあっさりと歌われた唄に「暖かい唄心」が最も感じられて心地いいのです。使い古された比喩で言うと、足し算の洋食と引き算の和食というか、あまり崩さないストレートな歌唱に日本人の嗜好があらわれているのかもしれません。

 文化論に及びそうですが、やめておきましょう。

 

 以上、えっ、どこがいい話なのと言われそうです。ある人にとって「ちょっといい話」は他者にとってどうでもいい話なのです。たとえば家人にとってもそうでしょう。私にとっては、音楽に関係する少しほっこりするようなエピソードなんですと申し上げるしかありません。

 

◉仕方がないことだけれどー50年代と60年代の落差ー

 ジャズ、とりわけジャズ・ヴォーカルの世界は、アメリカの音楽市場では、50年代に最高潮の隆盛期を経て、60年代には急に反転転落し、一気に縮小しました。メインストリームから滑り落ちたジャズ・ヴォーカルは、キャロル・スローンの事例にもあるように、いわゆるレコード会社からアルバムがぱったりと出ないという状況に陥ったのはまちがいなさそうです。

 上記の写真にある1984年に日本で録音された『ア・ナイト・オブ・バラッド』のライナーノーツで、大滝譲司は、音楽市場がロックに占領されてしまったからだとし、キャロル・スローンをはじめ「1960年以降に絶頂期を迎えたジャズ歌手及びジャズ系歌手は不幸だった」と、無念の気持ちを言葉にしています。レコード・ビジネスは、ロックが商売になるとすれば、「音楽の質やすぐれた歌手などより利益に目を向け」たのだというのです。そんな60年代のジャズ・ヴォーカル受難の時代を、次のとおり表現しています。

 「 60年代以前にすでに一家を成していたグレート・ソング・スタイリスト

  たちは、それでもまだ輝かしき時代に築いた名声で活動のチャンスがあっ

  たが、¨若手たち¨にはまさに悪夢と苦難の時代だった。キャロル・スロー

  ンはその代表格といえる。」

 されど、「そんな中でキャロルは自分を見失うことなく自分の道を歩いてきた」と、大滝はキャロル・スローンを称えているのです。

 

 音楽ビジネスというものの影響は、確かに大きなものだったといえます。日本でも同じ傾向であったといえますが、その規模、山の高さが違いますし、アメリカのスタンダードに相当する歌謡曲の全盛期でマイナーであったジャズは影響を受けつつも、マイナーとしてのしぶとさが日本のジャズファンにはあったということができます。そんな目利きのファンたちは、キャロル・スローンを見落としたりしなかったということが、私の心に灯った前記の「ちょっといい話」なのです。

 でも、日本でのキャロル発見が具体化したのは、どん底だった60年代ではなく、やはり持ち直しの兆しのみえた70年代、それも後半であったことを忘れてはなりますまい。そして、外野のそのまた外野の私は、それから30年近くも遅れてキャロル・スローンに出会ったことになります。

 さて、半世紀を経たネット時代の現在、音楽ビジネスの変貌も著しいと想像しますが、どうなのでしょう。旧態依然の私などとはちがって、どんなふうに音楽に、音楽ソースに接することが多くなっているのでしょうか(新譜のレコード・CDショップは成り立たない状況のようです)。現実を知る努力もしようとしないままで、私はすぐに仕方がないことだけれどになってしまいますが、かつてのキャロル・スローンのような才能ある若手の育っていける環境がいよいよ厳しくなっていそうで、そのことを何よりおそれます。

 それにしても、音楽の世界の様変わりは、それはコマーシャルの世界にとどまらないようにみえますが、やはり社会と世界の様変わりと直接関係していると、感じざるをえませんね。

 

 最後に、キャロル・スローンの歌唱を三曲、いずれも音質に問題がありますが、ユーチューブを貼り付けておくことにします。

 一曲目は、1961年録音の前記『アウト・オブ・ブルー』から「The More I See You(ザ・モア・アイ・シー・ユー)」です。24歳のキャロル・スローンは、若い時からキャロル・スローン以外の何者でもなかったというしかありません。

 二曲目は、1982年録音の『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』からタイトル曲の「As Time Goes By(アズ・タイム・ゴーズ・バイ)」です。この曲を録音した日の1982年8月29日のその夜に、キャロルはイングリッド・バークマンの死を聞いたとあります。最後の語り「Louis,I think this is the the beginning of a beautiful friendship(ルイ、これは美しい友情の始まりだ)」は映画『カサブランカ』からの名セリフです。

 三曲目は、さらに年輪を重ねたキャロル・スローンのライブ映像で、オスカー・ピーターソンがリクエストしていた「My Ship(マイ・シップ)」です。「Never Never Land」に続いて後半にこの曲が登場しますが、オスカーの教えを忘れていないストレートアヘッドな名唄と申せましょう。歌い終えたキャロルの笑顔が物語っています。

 

 ◈「The More I See You(ザ・モア・アイ・シー・ユー)」

           (作詞:マック・ゴードン/作曲:ハリー・ウォーレン)

 

 ◈「As Time Goes By(アズ・タイム・ゴーズ・バイ)」

           (作詞・作曲:ハーマン・ハプフェルド)

 

 ◈「My Ship(マイ・シップ)」

           (作詞:アイラ・ガーシュイン/作曲:クルト・ワイル)

 

 当ブログと直接関係しませんが、手近に「As Time Goes By」があったものですから

 

 

 

コメント
zaminulさん、コメントありがとうございます。
貴殿のブログを拝見すると、ホント現役のジャズ聴きですね。それに比べると、私は引退同然です。
アイリーン・クラールは、アン・バートンの関係で聴き始めたことがあります。この方も同じ60,70年代に評価されたことを失念していました。好ましい歌い手であることは確かですが、私の狭い容量に残っているのが、アン・バートンとキャロル・スローンということになります(クラールとバートンは歌への情熱が「青い炎」という感じで似ています)。
クラールの初来日はスローンと同じ1977年であったことに気づきました。そして、翌1978年には亡くなってしまったのですね。
  • パンテオンの穴
  • 2020.09.01 Tuesday 08:54
コンバンワ。キャロル・スローンとピーターソンの逸話を伺って、YOUTUBEのマイシップを聴くと、思わずニヤリとしてしまいます。とても素敵なお話。
改めて、素晴らしい歌い手だなぁと実感しました。また、若かりし頃の彼女も、もう既に完成されているような端正さがあり、見直しました。
ところで、パンテオンの穴様は、アイリー・クラールはお好きでしょうか。
よかったら、聴いてみてください。https://zawinul.hatenablog.com/entry/2020/05/16/202744
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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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