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2020.08.12 Wednesday

ピュシスとロゴスの間で生きる人間という存在にー漫画版「風の谷のナウシカ」を起点とする『コロナ新時代への提言2』をみてー(1)

 アツいアツいと詮方もないことを口に出して、さらに暑さがつのってしまう今日この頃です。<立秋>というほど季節外れの、実感のないことばはないと文句を言ってみてもはじまりません。

 濃い緑ばかりが目立つ大中遺跡公園で、ただひとつサルスベリの花が差し色となっています。そして、県立考古博物館南の狐狸ヶ池には、ふつうのスイレンのそばにもっと大きな円形の葉が浮かんでいます。

  サルスベリの花(大中遺跡公園内) [2020.7.29撮影、次も同じ]

  スイレンのそばに浮かんだ大きな円の緑葉(播磨町狐狸ヶ池) 

◈「見えない政治」という現実を前にー赤坂憲雄の手紙ー

 最初から、ちょっと重苦しくなりそうなことを紹介します。

 月刊PR誌『図書』で連載中の赤坂憲雄と藤原辰史の往復書簡が、8月号で13回目を迎えました。もとより公表を前提とした文章なのですが、親しみをもつ同士の手紙というだけで、その時一番心に引っかかっていることが心の高ぶりとともに素直に吐露されていて、興味深く読んでいます。

 前月7月号は、赤坂から藤原への手紙で、「見えない政治に抗うために」というタイトルでした。民俗学の赤坂は(といってもその枠にとどまらないが)、東北をフィールドとし、2011年の東日本大震災、福島原発事故の後、とりわけ福島に関わってきた方です。そして、コロナという災禍のなかで「見えない棄民政策が推し進められている」ことに、福島をめぐる一連の政治のありようと重ね合わせ、「この国の政治の基準線」になっていやしないのかと、「珍しく怒りに震えています」と書いています。

 赤坂は、震災後の福島の収められ方、つまり「難民から棄民へと、見えない政治のテーマはじつに巧妙に深められ浸透していった」という経験から、「見えない政治」を次のとおり定義的に表現しています。

 「 弱き者たちを棄てる、いたずらに時間をかけて疲弊させ曖昧にする、分

  断と対立を網の目のように張り巡らす、データを改竄し隠蔽する、被害を

  最小化し、被害者を不可視化する、そして、ついにだれ一人として責任だ

  けは取らない……。」

 この「見えない政治」は、水俣で時間をかけて作られたもので、「水俣から福島へ、そしてコロナ禍にあえぐ日本へ」と、まちがいなく繋がっているとし、赤坂は「なんと洗練されたマツリゴトの作法、いや手練手管であることか」と怒っているのです。

 この赤坂に応答した8月号の藤原の手紙には、次の一節があります。

 「 いつの時代も、「なかったことにする」権力は、「まあまあそこまでア

  ツくならなくても」という超越者のポーズを持ち出し、「抗い」を「暴

  動」に、「抵抗者」を「暴徒」に塗り替え、それを鎮圧していきます。カ

  ロリン・エムケが『憎しみに抗って』で述べているように、差別は、差別

  する側が毎日「憎しみ」を保つエネルギーを持ち得ないので構造化されて

  ゆく。」

 

 こうした赤坂、そして藤原の厳しい見方を、私は否定することはできないのです。社会の一員として私自身も共犯関係にあると自覚せざるを得ないのです。だから、ここでメモしておくことにしました。

 さらに、コロナは始まったばかりであり、「巧妙に身をひそめながら、あらたな意匠をまとった優生思想が顕われる気配にも、注意を怠るわけにはいきません」とも、赤坂は指摘しています。このような時期にもかかわらず、国会が閉じられたままで、最高責任者の顔が見えない状況は、いうまでもなく、「いたずらに時間をかけて疲弊させ曖昧にする」作法の一つなのです。

 では、こんな「社会的に強い上層の人々を露わに守ろうとする場面に次から次へと出喰わす」、こんな臆面もない政治の現実を前に、どうすればいいのか。赤坂は「あらたな抵抗の作法を、多様なかたちで組織してゆくしかありません」、「それぞれのフィールドからの思索だけが、将来に繋がってゆく糧になる」とし、次の予感を書きつけています。

 「 いずれ、東北というフィールドから、コロナ以後の社会に向けて動きだ

  すとき、じかに地域が世界へ繋がってゆくための知の作法や生き方を創ら

  ねばならない、それは可能だ、そんな予感だけはすでに、そこにありま

  す。」

 そんな予感などもてない私はどうすればいいのか。「見えない政治」に慣れて麻痺してしまわないこと、共犯関係にあることの自覚を忘れないこと、そして思考停止にならないように努めることしか残されていないようです。

 

◈『風の谷のナウシカ』を起点としてー『コロナ新時代への提言2』ー 

 本稿では、NHKBS1で8月1日に放送された『コロナ新時代への提言2』(8月13日再放送)(以下《提言2》と表記)を取り上げます。

 生物学者・福岡伸一、歴史学者・藤原辰史、そして美学者・伊藤亜紗という3人の識者が発言し、問題を提起しています。これを論じたいと思ったのは、当ブログでコロナに言及したさいに、ウイルスの本質、人間とウイルスの関係についてのコメントをごく簡単に紹介していましたが、福岡伸一は、この番組でその基底にあった生命観、自然観、それはとりもなおさず人間観、文明観でもあるところの考え方(思想というべきでしょうか)を吐露しており、その発言に大きな刺激をうけたからです。そして、どこまで理解できているのか心もたないけれど、私の共振のありかというものを探ってみたいからでもあります。

 福岡伸一に言及した当ブログは、以下のとおり。

  ◦2020.4.30「単純な生活ということ

            ーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー

  ◦2020.7.3「手がかりはどこに

                ーコロナ後の社会のありようをめぐってー 

  『コロナ新時代への提言2』の冒頭 2020.8.1放送/NHKBS1

 本論に入る前に言及しておきたいのは、この番組が宮崎駿監督による漫画版『風の谷のナウシカ』を起点とすることで成り立っているという点です。NHKの番組紹介をコンパクトにして要約すると以下のとおりです。

 「 『風の谷のナウシカ』のマスク姿の人々や猛毒をまきちらす腐海の描写

  は、コロナ危機に直面する現在の人類と符合する。3人の識者が、壮大な

  漫画版『ナウシカ』で描かれた数々の謎をひもときながら、コロナ後の世

  界や人間の行方について語る。文明化と自然との関係、潔癖主義や共生の

  もたらした悲劇、そして、負の歴史を繰りかえさないために人類が取るべ

  き選択とは?」

 このブログを読んでいただいている方は、映画『風の谷のナウシカ』を映画館でみていなくともテレビでみたことがあるのではないでしょうか。私もその一人で、スケールの大きいアニメーションが登場したなあと思いはしましたが、それ以上ではありませんでしたし、漫画版の存在も知りませんでした。

 漫画版は1982年2月から『アニメージュ』で連載が開始され、1年が経過したところで映画化のために一時中断し(映画版は1984年制作)、その後再開されて断続的に書き継がれ、1994年3月号で完結したものだそうです。今はこの足かけ10年に及ぶ漫画版は、全7巻にまとめられて出版されています。つまり、映画版はごく初期までの漫画版(全7巻でいうと1、2巻まで)がベースとなっており(そして、一種のハッピーエンドで終わります)、漫画版の方はそうではなくそこからまたナウシカが長い過酷な旅に出て予想もされない結末を迎えるのです。ウィキによると、宮崎駿は次のように述懐しているとのことです。

 「 作品の出発点になっている自分の考えを、自分で検証することになっ

  て、後半はこれはダメだという所に何度も突き当たらざるを得ないことの

  連続だったという。予定調和なユートピアを否定することになり、ぐちゃ

  ぐちゃになってしまったとも語る。体力的にも能力的に時間的にも限界

  で、何の喜びもないまま終わって、完結していない作品だと説明してい

  る。」

 この「予定調和なユートピアを否定する」ことは、この番組のカギともなっていますので、ご留意をお願いします。

  宮崎駿『風の谷のナウシカ』第2巻表紙

 このように宮崎本人は否定的な自己評価をしていますが、世評はとても高いもので、今も論じられています。前出の赤坂憲雄は昨年『ナウシカ考』(2019年11月刊/岩波書店)を上梓しています(私は読んでいません)。岩波の紹介には「多くの人に愛読されてきたこのマンガを、20余年の考察のもと、一篇の思想の書として徹底的に読み解く」とあります。

 川上弘美との対談で(「漫画版『風の谷のナウシカ』を赤坂憲雄、川上弘美が考察する」)、赤坂は、「84年に公開された映画では「エコロジーの戦士」と語られたナウシカですが、宮崎さんは漫画版で、そうしたナウシカ像をどんどん壊して、疾走していきます」と語っています。そして、「火の7日間戦争」(最終戦争)から1000年後のナウシカの世界は、高度に文明化した社会が破壊された世界で生態系そのものが変えられており、こんな「すべてが変えられている」ところからしか、出発できないという問いが突きつきられているとし、前記の「予定調和なユートピアを否定する」とも関係する、次のような発言をしています。

 「 漫画版では、黙示録的な善悪の戦いが決着したわけではありませんね。

  とりあえず、旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊しまし

  たが、それをはたして全否定できるのか。ナウシカの選択は正しいのか。

  漫画版は我々に、改めて問いの立て直しを求めています。それをさらに考

  えていきたいと思います。」

 

 私自身は漫画版の存在すら知らなかったわけですが、今回、娘のおいていった全7巻を手に取ることができました。そして、第1、2、3巻と、先の「予定調和なユートピアを否定する」最終第7巻を読みました(だから第4、5巻は目を通していません)。

 ファンタジーへの想像力の欠ける私には、宮崎自身の「ぐちゃぐちゃになってしまった」という表現がぴったりで謎ばかりが残ったというのが偽りのない感想であり、いい加減なままなのですが、本論へ入っていくことにします。

 

◈『コロナ新時代への提言2』が提起したこと

           ー福岡伸一の発言を中心としてー(2-1)

 それでは、福岡伸一が中心になりますが、3人の言葉をできるだけ拾いながら、この《提言2》が提起していることを言語化してみたいと思います。

 といいながらですが、テレビでの発言を正確にメモする能力がほぼありませんので、繰り返し確かめることにしますが、不完全、不十分であることをお断りしておきます。

 なお、同番組のナレーションは、36年前の映画版「風の谷のナウシカ」でナウシカの声役で出演した島本須美が担当しています(なんと声が若い)。 

 

◉コロナ問題が問いかけるものー福岡伸一の発言 

 福岡伸一の問いかけから、番組は始まります。

 冒頭、福岡は、現下のコロナ問題が我々に問いかけたのは、「生命とは何か」「自然とはいったい何か」であるとしたうえで、「共生」というものは理想的なものとして語られることが多いけれど、矛盾だらけのものだ(その意味はだんだんと明確になっていくはずですが)と指摘します。

 続けて、3月からロックダウンで閉じ込められ、そのまま滞在しているニューヨークで、2020年7月9日という日付の付されたビデオ映像に登場した福岡は、コロナ問題の現在、読み直してみたい本として宮崎駿監督の漫画版『風の谷のナウシカ』をあげます。

 そして、前項で言及した映画版と漫画版の違いにふれたうえで、漫画版の最後のところ(第7巻)、ナウシカは失われたはずの墓所(赤坂の『ナウシカ考』を書評した福岡は「人類再生のために密かに準備されていた約束の場所」と表現しています)を発見したにもかかわず、その約束の神殿を破壊して去ってしまうことは大きな謎として読む人の心に深く突きささると語ります。

 この『風の谷のナウシカ』の最後の部分、前記川上対談での赤坂の言葉では「旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊した」というナウシカの物語の大きな謎の部分から、福岡は、コロナ禍が人類の文明を揺るがせている現在にあって、私たち人間、人類の文明の行く末というものをとらえ直すことにしたいと、まず基本の方向を提起しているのです。

  番組内の福岡伸一  崋然とは何か」「生命とは何か」

 誤解をおそれずに補助線を引いておくことにします。

 ナウシカが破壊したもの、繰り返すことになりますが、宮崎自身の「予定調和なユートピア」、赤坂の「旧人類のプログラミングした未来へのシナリオ」、福岡の「人類再生のために密かに準備されていた約束の場所」とは何か、現代もそうであるように「人間が科学・技術を手段として行き着いた先にある人類文明の究極の世界」というイメージであると、私は言葉にしておきたいと思います。

 では、この「人類文明の究極の世界」というものが、現下のコロナ問題における「生命とは何か」「自然とは何か」という問いとどのように関係するのかが、次項で明らかになっていきます。

 

◉ピュシス(自然)とロゴス(言葉)というキーワード、

          その間にある存在としての人間ー福岡伸一の発言◆

 ナウシカの物語の大きな謎を読み解くキーワードとして、福岡は、ピュシス(自然)とロゴス(言葉)、ピュシス対ロゴスだと強調しています。「対」だということに注意しておきましょう。そして、これが私たちの文明社会のなかの人間、人類をとらえ直すうえで重要な言葉であるといいます。

 では、ピュシス対ロゴスとはどういうことなのか。福岡は以下のとおり説明しています。

 私たち人間の生命もまた他の生物と同様にありのままの自然(ピュシス)として存在しており、一回かぎりで本来はアンコントローラーなもの、制御不能なものだとします。しかし、同時にまた、人間は生物のなかで唯一、その一歩外へ踏み出した存在であり、つまり遺伝子の掟(「産めよ増やせよ」)から自由になれた存在でもあって、そのことによって一人一人の生命が基本的人権の基礎になるとの考え方に到達したのだと説きます。どうして、このことが人間だけに可能となったのか、それはロゴス(言葉、論理)というものを人間が持ったからであり、その結果として、今のような文明社会を築くことができたのだと説きます。

 しかし、ナウシカは、行きすぎた文明(ロゴスによって行き着いた先の文明社会)を破壊しました。生命とは何か、自然とは何かが問われているコロナ問題の現在、福岡は、われわれのロゴスのあり方が岐路に立たされているという実感をいだいているのです。

 つまりロゴスを持った人間は、制度、社会、文明を築き、さまざまな問題をかかえながらも発展してきたといえますが、福岡は、人間とは完全にロゴス化された社会で生きることもできないし、完全にピュシスの波にもまれて生きることもできない存在であると考えているのです。ですから、人間という存在は、ピュシスとロゴスの間で、つまり両者の間でうまく生きていくしかないのであり、これが本当の意味で自然や環境との共存ということだといいます。

  番組内の福岡伸一◆ 屮團絅轡垢肇蹈乾垢隆屬農犬る人間」

 くどいですが、私の理解をメモします。

 前記の書評の冒頭で、福岡は赤坂の論考を「人類史における、ロゴス(論理)とピュシス(自然)の相克を考え抜いているようだ」と評しており、福岡自身が人類のありようをロゴス対ピュシスという関係において理解していることが示されています。人間、人類はピュシスとロゴスの間で生きる、うまく生きるしかない存在であり(相克の関係にあるピュシスとロゴスの間で折り合いながら生存していくというイメージでしょう)、ここにコロナ問題を考えるカギがあるというわけです。

 この人間・人類観が、理想的に語られることの多い「共生」といっても矛盾だらけのものだという福岡の発言になったのであり、前段の「本当の意味で自然や環境の共存ということだ」になったわけです。ウイルスとの「共生」「共存」といってもきれいごとですまないのは、ロゴス対ピュシスという相克のなかでしか、人間は生きることができないからだと、福岡は強調していると理解しておきましょう。

 

 繰り返しの冗漫を承知で書くとすれば、現下のコロナ問題はロゴスとピュシスの相克を顕在化させているのではないかという問いを、ロゴスの力で築いてきた文明社会に生きる人間、人類に、とりもなおさず我々に投げかけているのではないか、このように福岡は考えていると、私は理解しています。

 そして、あえて少し結論を先取りすれば、福岡は、行き過ぎたロゴス(全能として)がピュシスとしての生命でもある人間を損なうおそれがあるのではないかとし、コロナ問題、人間とウイルスの関係をロゴスの力で全てを解決することなどできないと考えているのです。

 なお、前項でナウシカが破壊した世界を私の言葉で「人間が科学・技術を手段として行き着いた先にある究極の世界」としましたが、この「科学・技術を手段として」を「ロゴスの力によって」と置き換えることで、福岡の問題意識はよりクリアになるといえます。

 

◉「利他性」の本質ー伊藤亜紗の発言ー

 コロナ問題で浮かび上がる排除、差別というものをやめ、共生の道を歩むことができるかという問いに対し、伊藤亜紗は、「利他性」の重要性を指摘しつつも、一見いい感じの行動だけれどそれほど利他的になっていないというところからこの問題を考えることがヒントになるとします。

 吃音をもつ伊藤は、発語しようとする際、身体がコントロールのきかないピュシスであることを思い知る、つまりピュシスとロゴスのぶつかり合い、たたかいのようなものをいつも実地に感じていると語ります。そして、ナウシカは聞き上手で、周囲の人間が嫌がる王蟲も排除することなく「この子」と語りかけ、みんなで生きようとする人であり、勝手に想像したり、思い込みで一方的に判断しない存在として、排除なき共生を体現しているとします。

 伊藤は、前段のそれほど利他的になっていない事例として、全盲になってから10年くらいの女性から聞いた話を紹介しています。その女性は、伊藤に、毎日がはとバスツアーに乗っている感じだと普段の生活を表現し、自分で時間がかかっても周りを直接感覚したいし、認識したいけれど、介助者のよかれと思う言葉や行為(もちろんありがたいことでもあるが)によって自分の自由な感覚が窮屈になってしまうことも多いと話したのだそうです。これは障害者という役割を演じさせられるということであり、困っているときに助けるという「利他」が、むしろ本人のためになっていないのであり、「利他」の本質というものは、むしろ待つことや自分の中にスペースをつくること、相手をコントロールしないことにあるのではないかと、伊藤は強調します。

  番組内の伊藤亜紗  岼豸いい感じの行動 利他的ではない?」

 そして、ボードに「足し算の時間/引き算の時間」と書き、今の私たちは「引き算の時間」、つまり決まった予定の時間から逆算してせわしく暮らしているのではないかと問いを発します。ロゴスによって人間が引き算の時間を生きるようになった、これは産業革命後に均一の時間(例えば、時間給⇒置きかえ可能な人間としての画一化)として現れたのだと説明し、いわば文明の<進歩>によって一般化した引き算の時間から、はみ出した存在として「障害者という概念」が登場したのだと鋭く指摘しています。

 だから、人間も自然であり、身体の多様性というものを踏まえることで、世界の別の顔がみえてくるのではないかと語っています。

  番組内の伊藤亜紗◆ 崑し算の時間 引き算の時間」

 この伊藤の発言を受けて、福岡は、現在のステイホーム、三密の回避という直接の身体性への制約とはロゴスでピュシスが制限されることであり、生命にとって危険なことだと考えるがどうかと、伊藤に問います。

 この間、学生たちは、リモートの映像で互いの顔がよく見えているにもかかわらず、とにかく「さみしい」という反応をしてくると、伊藤は紹介し、「触覚」というものの変化が大きいのではないか、「触れる」という自分を相手に預けるという行為がないことが影響しているからではないかとします。そのうえで、たとえリモートで言葉だけのコミュニケーションという制約があっても、言葉にも相手に触る(さわる)、相手に触れる(ふれる)ということはあるはずで、そのためには一方向に押しつけたりしない、一緒につくっていく態度というものが大事なポイントになるのではないかと発言しています。

 

◉ウイルスの営みの利他性ー福岡伸一の発言ー

 福岡伸一のウイルス論のさわりは、前記のとおり当ブログでもふれてきましたが、《提言2》のなかでも、伊藤の利他性にかかる発言を受けるような形で、「人もウイルスもありのままの多様な自然、ピュシスとして見つめたとき、新しい世界が見えてくる」というナレーションに続き、福岡は発言しています。これも繰り返しになりますが、メモしておきます。

 ウイルスの利他性には二つあると、福岡は説明しています。一つは宿主の遺伝子情報を水平に広げる働きで、ふつうの生命は親から子、子から孫へと垂直にしか情報は伝達しないけれど、ウイルスは種Aから種Bへ宿主を乗り換えるとき、遺伝子もちぎれてAからBに引き渡すことにより、情報を水平に広げているとします。二つは宿主の免疫システムに何らかの刺激を与えて調整する働きで、例えば腸内細菌でも小腸や大腸で宿主の栄養をかすめとるだけでなく宿主の免疫を調整しているというのです

 このようにウイルスの営みこそが利他的だという福岡は、本来、ウイルスは我々の生命の一部であり、友だちでもあり、無数に存在しているが、このうちごく一部のウイルスが宿主を発熱させたり免疫を揺るがして病気を出現させたりしているとします。現在の新型コロナウイルスは、これもロゴスによってたまたま発見されたりしているわけで、これからも新しいウイルスに人類はどんどん出会っていくことになるといいます。

 だから、特定のウイルスを征圧したり、撲滅したり、打ち勝つことはできないし、そういったことを求めるべきではないと説きます。しかも、アルゴリズムや、データサイエンスや、そうしたロゴスの力によって完全に征圧することは不可能であると私は思いますと発言して、このパートを締めくくります。

  番組内の福岡伸一 「ロゴスの力でウイルスを完全に征圧することは不可能」

 このような福岡のウイルスについての見方、考え方というものを、他の生物学者、ウイルス学者たちがどう評価しているのかについて、私は無知なのです。でも、この考え方というものが、前記した福岡のピュシスとロゴスの相克を基底とした人間観、生命観、文明観と呼応しあっていることは、直感的に理解することができます。

 つまり人間という存在がロゴスだけで存在できるのではなく、ありのままの自然、ピュシスでもあるのだから、ロゴスの力だけでコロナウイルス問題を完全に解決しよう、支配しようとするなら、それは人間の生命に反することになるのだと、福岡は言いたいのでしょう。

 

 以上を前半として、後半の次稿では、藤原辰史の歴史社会に関わる発言を紹介するとともに、第7巻をもう一度読んで、前記のナウシカの否定した世界を掘り下げ、福岡の総括的な発言を考えてみることにしたいと思っています。

                        【続く:(1)/(2・完)へ】

【お願い】後半である次稿(2・完)と併せて読んでいただくとありがたいです。

 

 

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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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