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2016.02.21 Sunday

あるサイクリストの生と死ーマルコ・パンターニー

 そのサイクリストは2004年2月14日にイタリアのリエミのホテルで亡くなった。彼の名はマルコ・パンターニ(1970-2004)。死因ははじめ自殺とされたが、その後、コカインの常用によるオーバードースと発表された。
 パンターニはイタリアのロードレーサーの英雄で(イタリアではサッカーと並ぶスポーツ)、1998年には二大レースであるジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランスのダブル優勝を飾った。
 翌1999年のジロ・デ・イタリアで優勝をほぼ手中した日の翌朝に行われた血液検査で、パンターニのヘマトクリット値(血球の体積比:ほぼ赤血球に等しい)が52と高く、健康を保護するためとの理由でレースへの出場停止が決定された。
 この出来事をきっかけに、パンターニはドーピングのレッテルを貼られ、その渦に飲みこまれるなかで、カムバックを模索しながらも、数年後の死に向かって苦しく過酷な日々が続いていくことになったが、亡くなってから10年を経た現在もなおイタリアでは人気絶大であり、偶像化がすすんでいるようだ。
 
 そんなパンターニの生と死について既存の映像と新たなインタビューから編集構成された『パンターニ-海賊と呼ばれたサイクリスト-』というドキュメンタリー映画(2014年/英/ジェイムス・エルスキン監督)をみた(私のわかりにくい説明より<予告編>をみていただきたい)。
 映画自体は、答えを断定できない重たい問い(パンターニはなぜ死ななければならなかったのか)を前にして、スター選手の栄光と転落のストーリーが展開するもので、よくある良質のテレビ・ドキュメンタリーの域を出ていないといわざるをえないのかなと思う。それでも過去の数々のレースの映像は多くの自転車ロードレースのファンを喜ばせるだけでなく、孤高のクライマー、走る哲学者と呼ばれた男がイタリア中を熱狂させた現場(イタリア国内のテレビ視聴率が50%超に達した)に立ち会っているような気持ちにさせてくれた。
 この映画のテーマは、自転車レースのカリスマであったパンターニの生と死であり、もう一つのテーマは彼の死と切り離すことのできないドーピングの問題であるが、正直な感想として、この映画のドーピングに対する態度は不明確で、分かりにくいものであったと思う。
 それは1990年代のドーピングに対する社会的な態度(必ずしも厳しいとはいえなかったし、その後もドーピングは続けられていくのだ)を反映しているといえるが、現在の規制からドーピングの事実だけを糾弾して断裁するのではなく、ドーピング問題に端を発して精神の均衡を失っていく、誇り高く繊細な心の持ち主であった人間パンターニの「悲運、悲劇」というメインシナリオが映画全体を支配しているということなのだろう。

 映画をみたあとでネット上のいろんな情報を読んで知った事実(であろうという程度かもしれないが)を書いてみよう。
 1999年当時、赤血球の濃度を上げて、より多く酸素を体内に取り込むことによって、運動機能(特に持久力など)を高めるという手法は、現在は禁止されているEPO(エリスロポエチン)によるドーピングであるが、まだ禁止薬物の対象ではなく(検出する技術がなかった)、イタリアのロードレース界ではヘマトクリット値も規制の対象にはなっていなかった。したがって、パンターニに対する2回の裁判においても、証拠不十分で無罪とされたのである。
 では、なぜ1999年のレース中に出場停止とされたのかが「謎」だというのが、現在の一つの論調であり、さらにはドーピングの存在を事実としながらも、なお謎は「謎」のまま残るというのが、今回の映画などの態度である。映画のインタービューの中では「水を飲むだけでは勝てない」との発言もあったし、医師によるドーピングが日常化していたという報道映像が組み込まれ、組織的なドーピングの存在を強く示唆していた。
 2013年には、フランス上院のドーピング調査委員会によって、パンターニが優勝した1998年のツール・ド・フランスで採取した血液を再調査し、パンターニをはじめ2位の選手など16名の血液からEPOが検出されたという結果が公表された。
 今となっては、「謎」とは、ドーピングの有無というより、1999年のドーピングスキャンダルの裏にマフィアの影があったのではないかというのが疑惑らしいのだ。当時、サッカー賭博の全貌が明らかにされ、サッカー賭博に手を出せなくなったマフィアたちが自転車競技に巨額の賭博を持ち込み、パンターニの確実な勝利では大儲けができないため、パンターニを出場停止に追い込んだのではないか。パンターニのレースからの排除はマフィアの陰謀によるものではなかったのかというのである。
 また、パンターニの死因そのものも、コカインのオーバードースでなく他殺の可能性を家族は訴えており、2014年にリエミ検察庁によって再捜査が決定されたようだ(その後の動きは分からない)。

 映画においては、その「謎」「疑惑」は両親のインタビューなどからも引き出されているが、もちろん真実はこれだという結論は提示できていないし、本人の口が閉ざされてしまっている以上、出せるものでもない。
 その中では母親が語ったこと、息子がプロチーム入りが決まった前夜に「自転車選手になりたくない」と訴えたという場面がどうも収まりきれないのだ。正確ではないが、「マフィア」という言葉もあったように記憶するが、勝つためにやらなければならないこと、同時に負けるためにやらなければならないこと、そんな中にマフィアの賭けもドーピングもあったのではないかと想像させるものなのである。
 当時の組織的なドーピングの存在を強く示唆している一方で、突出した才能であったパンターニ(1998年ツール・ド・フランスのドーピング(後でも出てくるフェスティナ事件)が問題になったときにこれに反対する選手側のスポークスマン役を引き受けていた)がスケープゴートにされたのではないか、でもそれは「謎」のまま残されているというのが映画の問題提起であり、結論ともなっている。

 前記のフェスティナ事件とは、ツール・ド・フランスに出場していたフェスティナのチームカーから大量の禁止薬物が発見され、チーム全体がツールから除外されたものだ。このチームの一員で一人だけアンチドーピングを貫いたクリストフ・バッソンスに関する記事(「ドーピングという闇の力に屈しなかった男、クリストフ・バッソンス〜なぜ正しきが責められ引退にまで追い込まれたのか?」2013年)を読むと、問題の根深さがよく理解できる。
 長くなるのでネットで読んでいただければと思うが、当時のフランスのスポーツ大臣が「ドーピングに対して戦っているあなたに対して刃を向ける、このスポーツ自体がおかしい」とバッソンスに書簡を送ったが、記者はこう結論づけている。
  「 しかしよく考えてみれば、この大臣の言葉さえも無きものにするほ
   ど、スポーツ団体のみならず、製薬業界、スポンサーなど大きな後ろ盾
   があったからこそ、ドーピング問題が長年まかり通っていたことを痛感
   させられる。」
 
◇併せて栗村修さんという方の文章も読んでみていただきたい(「どうしてこんなに自転車レースではドーピングが出てくるの?」)
 
 ドーピング問題は、スポーツだけでなく、強くありたいとか美しくありたいとか賢くありたいとか健康でいたいとか、人間の根源的な欲望と切り離すことはできないが、国家や営利組織等と結びつくとき欲望は奇形化、肥大化し、バッソンスに対するような転倒した集団的な論理がまかり通ってしまう。
 現在もロシアの陸上競技が問題となっているが、過去のソ連や東ドイツなど、大リーグも含めて、ドーピングの影はスポーツ界を色濃く覆っている。
 ドーピングの方法は先進的な医療やトレーニング理論と結びつき、それを規制する側が検査方法などで追いかけているのが現在の構図であり、スポーツが社会化という営利化(プロ化として現われやすい)が進めば進むほど、その圧力は巧妙化しているのが現代なのであろう。
 それは金融工学が正当な経済的行為と認められてしまう、最近のマイナス金利もそうかもしれないが、こんな奇形化・転倒化する現代社会に通じるものだ。それでもドーピング問題は公正なルール化という建前を前面に立てて対策が講じられようとしていることが、私には興味深いし、わずかにでも期待をつないでいきたいと思う。
 世界平和というときの「正義」の議論と同じく、ドーピング問題においても、正義の在りかは普遍性を有しているのであろうか。

 パンターニに戻ろう。糸井重里さん主宰の『ほぼ日刊イトイ新聞』があるが、そこにイタリアの著名なスポーツジャーナリスト(辛口批評で有名らしい)、フランコ・ロッシさんという方が一時「フランコさんのイタリア通信」を寄せていた。
 パンターニの亡くなる前年2003年6月30日付でフランコさんは「がんばれマルコ!!」を寄稿している。往年の偉大なチャンピオンが「もはやかつてのようではない自分に気付く時、自身の人間性さえ失って出口の見つからない迷宮に入りこんでしまう、ということが実際に起こります」とし、それが今のパンターニであり、「いまイタリアは、自分自身を失ったひとりのチャンピオンのために同情と悲しみに包まれています」と報告する。
 そしてジャーナリストとしてパンターニの情報を把握したうえで「マルコの名前を忘れないで」として、次のように彼の窮状を記している。
  「 生きることに病むということは、よりよい明日をイメージできなくな
   ることです。その病がマルコ・パンターニを押し倒し、彼をパニックに
   陥れました。
    イタリアで誰よりも愛された、この自転車チャンピオンは完璧に落ち
   込み、何か気持ちを高揚させてくれるものに頼って、事を解決しようと
   したのでしょう。」

 こうしてコカイン中毒になってしまったパンターニを友人たちが精神的なケアのできる病院に入れたとし、こう呼びかける。
  「 彼が勝利の栄光や名声や富を賭けて自転車を漕ぐ日は、二度と戻って
   はこないでしょう。
    でも、生きる喜びは勝利や名声や富だけではありません。彼がそれら
   から解放されて、「生きる喜び」を本当に味わえる日が早く戻ってくる
   ことを、僕は祈っています。
    がんばれ、マルコ!!」

 この記事の配信から8ヵ月も経たないうちに、翌2004年のバレンタイン・ディの夜にマルコ・パンターニは亡くなった。

 彼が亡くなったすぐ後に、フランコさんは「さよなら、マルコ・パンターニ」との一文を寄せ、パンターニが自殺したとし、誰も彼の死に「自分は無罪だと言える人はひとりもいない思いに僕らはたどりつきました。そして、後悔と悲しみに八つ裂きにされて、イタリア中が泣きました。」と書いている。
 1998年のダブルツール勝利の翌1999年のことを、「なにがただしかったんだろう。なにがまちがっていたんだろう」と自問する。 
  「 ところがその1年後、彼はドーピング検査で陽性と判定されます。そ
   して、その時まで彼をさんざん利用し、私腹をたっぷり肥やしたであろ
   う人々が手のひらを返したように態度を変えます。彼こそは自転車競技
   界のみならず、スポーツ界、いや世界の諸悪の根源だとさえ言って、マ
   ルコを突き上げました。でも、本当に彼だけの責任だったのでしょう
   か?
    マルコのおかげで素晴らしい感動を得た多くの人々が、彼の死に失望
   して泣くのを僕は目の当たりにしました。彼がひとりぼっちになった時
   に、なにも助けてあげられなかったことを、恥ずかしく思い、後悔し、
   悲しみに引き裂かれている人々を、僕は知っています。」

 
 この映画と同じくうまくまとまりがつかない。
 かつてかすかにその名前を聞いた覚えのあるマルコ・パンターニの生と死は
、パンターニの姿に深く感動した自分に失望したくないための集合的なファン心理、それを誘導してしまうメディアの欲望、いい時ははなばなしく持ち上げ、わるい時は徹底的に排除してしまうことの結果ではなかったかと思う。いうまでもなく、今のわが国でもよくみられる風景でもある。
 私としては、天与の才能に気付いた少年時代から、自転車を走らせ、誰もが厳しく感じる山登
りを得意とし、急坂をダンシングしながら急坂でないように一気に駆け上がり、どうしてと問われると「少しでも早く苦しみから解放されたいから」と答えていたサイクリストの一生として、その鋭利な風貌とともに記憶しておこう。
 一方、ドーピング問題は戦争や平和の問題と同じように、人間の根源的な欲望と切り離すことができないだけに容易ではないけれど、「正義」の基盤のもとに繰り返し愚直に追及していくしかなさそうなのである。「長年まかり通っていた」ドーピングは、けれど今も続いており、完全な解決はできないとしても、公正なルールをもとめ、されど続けていく。それが何より大切なことだ。
 

 


  


 


 

 
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  • 2017.03.27 Monday 19:07
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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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