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2020.04.30 Thursday

単純な生活ということーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー

 ああこれが「単純な生活」なのかと、ふと思ったりもしました。一、二行で今日は何をしたかが書けてしまう暮らしのことです。複雑なことなど、何も心当たりのない生活のことでしょうか。

 それこそ単純な私は、阿部昭の『単純な生活』(昭和57年2月刊/講談社)を引っ張り出し、また読み始めているのですが、まあ「単純」も悩ましいという話は、「行動変容」のこと、「ヴェネツィア」のことなどとあわせて、あとで報告することにします。

 

 ごく最近になって、クスノキの木の葉は、寿命が1年で春から初夏にかけて、短期間で入れ替わっていることを知りました。

 恥ずかしいことですが、クスノキが王様の大中遺跡公園で散歩やウォーキングと称して歩くようになってから数年、毎年、木の葉の色の変化を、まぶしい新緑を確かに眺めていたはずなのに、そんな毎年の木の葉の全入れ替えという可能性に思いが至りませんでした。「常緑高木」という分類は、ものみな変化、交代する生命の常識にとって例外であって、「落葉高木」のように1年サイクルではありえないと勝手に誤解していたのでしょう。

 先日、寺田池の堤防上を歩くと、「コロナの時期」として重苦しく記憶するであろう2020年にも、たしかに新緑の季節が始まっています。堰堤に立つクスノキは、すっかり薄緑の葉を全身にまとっていました。

 そんな寺田池周辺の保安林のかげで、鮮烈な黄色い五弁の花を、これまで名前だけ知っていたヤマブキが咲かせていました。家人とゆっくり散歩することが多くなった日々だからでしょうか、その存在に初めて気づくことができました。言われれば聞いたことがあると答える山吹色とはこんな色だったのか、年を重ねてきたのに、確かなことなど何もわかっていなかったのです。

 そんな寺田池の堰堤には、今も名前を知らないままのとんがり帽みたいな赤い花をのせた野草が大きな群落を作っています。きっと去年もこんな状態の時期があったはずなのに、見たといえる記憶がありません。忘れる忘れないというのではなく、気づく気づかないというレベルというべきでしょう。

 そして、ヤマブキと同じバラ科の八重桜が重たくて落下したいのをこらえるように、こんな4月下旬の時期まで咲き残っていることを、初めて気づいたように思ったりしました。

  クスノキの新緑(寺田池) [2020.4.25寺田池周辺で撮影/以下同じ]

  鮮烈な「山吹色」のヤマブキの花

  名前を知らないとんがリ帽状の赤い花をのせた野草の群落

  落下をたえている八重桜  [2020.4.26大中遺跡公園で撮影]

◈行動の変容ということー宮沢孝幸さんの新型コロナウイルス論ー

 今、あまり耳慣れない「行動変容」という言葉があふれています。

 そもそも人間の行動とは、外部環境条件で左右されていますし、個々人のレベルでは、その人の心身の条件で決まってくるというようなことは誰しも感じていることです。人の短い一生において、個々人自体の生存条件をはじめ外部や周辺の環境条件に大きな変化が起こったときには、何がしかの行動様式の変化、行動変容が生じることになります。このことは、天気予報による日々の服装変化から、もっと長期的な変化に至るまで、さらには個々人の性格という曖昧なものの変化まで、大変に内容的にも時間的にも幅広いものでしょう。そして、このことが一人一人の人間の条件としてある人の人生を形づくることになります。 

 従来の行動が変化するとき、自律的か他律的かという問題があります。たとえ外部条件の変化に応じた行動の変化であっても、自律的なものと受容できる変化の方が長続きすることは申すまでもありません。もちろん犯罪と刑罰のような特別な関係もありますし、事故・事件や災害に遭遇してしまったときの行動の変化という関係もありますが、総じて人間の自由という本質的なところに抵触してきますから、他律的よりは自律的な変化が好ましいといえます。

 こんな行動変容のことを言葉にしようとしたのは、もちろん新型コロナウイルス問題との関係ですが、大阪市が「十三市民病院」を新型コロナウイルスに感染した中等症の患者さんを専門的に受け入れる病院に指定したとの情報を知ったことも影響しています。

 というのは、十三市民病院のことを(現在の所在地とは違って淀川沿いにありました)、私にとって行動変容という概念と密接に結びつけられた存在として長く思い込んできたからです。当ブログで何度も書いてしまったとおり(2016.7.23「ホントウの誕生日」など)、大学4回生の卒業直前に診断された慢性肝炎で、就職の内定を取り消し、1973年5月から丸7ヵ月間の入院生活を、十三市民病院でおくったのです。それから10年余を経て再発状態となり、それから20年近くにわたり、そんな病名と付き合うことになりました。発症してから20数年間は直接的にウイルスを叩く治療薬がなく、ただ安静にしていることが唯一の対症療法でした。

 ですから、行動変容という言葉を聞いたとき、真っ先に浮かんだのは、このことでした。本当は、もっと深いところで私の行動を決定づけた、たとえば幼年期の外部環境や家族関係や心身状況はあったかもしれませんが、自意識にとりつかれていたのかもしれない青年期に診断を下された、ある意味でレッテルを貼られた病気、病名は(当時はまだC型肝炎ウイルスは発見されていませんでした)、その後の生きる姿勢と行動に大きく影響したことはまちがいありません。それがどのような行動変容を起こしてきたのか、当ブログにおいて露呈してしまっているということもできます。

 もちろんそんなレッテルから離脱した10数年前にも、具体の行動変化は起こったわけですが(飲酒や旅行の開始とか)、どうも基底の部分は変化したまま、いわば習い性となったように感じています(変化前と比べられなくなっているということもありますが)。

 

 さて、話が逸れてしまったみたいですが、今次の新型コロナウイルスという問題です。

 この地球規模の外部条件の変化に対峙している現在、私たちの行動は、どのように変容するでしょうか。私は、自分の行動の変化を「贅沢な自粛」と呼んでいますが、本来の意味で自粛することが制約なく可能という条件下にあるということです。前述の文脈でいえば、自律的な変化が可能な状況といえます。

 そんな私は、そうではない人びともたくさんいること、そんな自粛とだけいって済ましておれない条件下にある人びとの存在を意識しています。たとえば不要不急などではなく、社会的に必要な仕事に従事している人びと、そんな中には過重労働で現場崩壊という事態に苦しんでいる人びと、また、仕事の激減と喪失、雇い止め、解雇から倒産、事業の閉鎖などに直面している人びと、それが網の目のようにつながっていることから、いろんなケースが報告されています。こうした人びとは、予期していなかった負の打撃が生活を一変させ、自粛とは違う次元で根本的な行動の変容が迫られていることでしょう。

 なんたるパラドックス、軽々に行動の変容、外出自粛、ステイホーム、接触の8割削減という行動制限の強化だけを語っていてもいいのでしょうか。前稿で記したとおり、これだけ地球規模の協力関係が必要なときにもかかわらず、有事の国家的なエゴイズムの傾向が強まっているようにさえ感じられる現下の八方ふさがり的なパラドックスと、広い意味で同根だといえます。

 

 ここで紹介しておきたいのは、宮沢孝幸京大ウイルス・再生医科学研究所准教授が発信した提言です。3月28日から、あの「『うつさんこと』に意識を集中する」「危険なことわからんやつは、とっとと感染しちまえ」などの命令調で行動変容をツイッターで呼びかけて話題となったウイルス学者です。

 そして、4月23日には、新型コロナウイルス対策について、「ゼロリスク」ではなく「100分の1にリスクを減らす」ための具体的な処方箋を列記した一覧を作成し、提唱しています。下記の写真のとおり、日々ウイルスと実験で接している専門家として(実験で使うウイルスに感染していては仕事にならないので、防ぐ方法はわかっている)、私たちが行動パターンを変化させるポイントを列記しているものです。つまり私たち一人一人が自律的に選択できる行動様式の変化、行動変容が、感染拡大の防止につながる、合理的な行動をしようと呼びかけているわけです。その意味で実践性の高い内容です。

 この提言の実践力にフォーカスして紹介している記事が多いのですが、ここで注意しなければならないのは、宮沢准教授は、自粛推進派ではない(今の自粛を否定しているわけではないが、非合理な対応には限界がある、合理的な対応のコンセンサスを見出すべきとの認識なのです)と公言していることと、年単位で行動変容を続けていく必要があると考えているところです。

 このウイルスとの付き合いは長くなりそうだから、そして強い行動制限をいつまでも続けることができずに、短期の行動制限の強化と解除を繰り返すような事態にならないようにするためには、何よりも一人一人の行動パターンを変化させることが、そして、その状態を持続することが大切だというわけです。もとより現下のタイミングでは、行動制限が必要ですが、それだけでは上手くいかないとの認識に立っての提言なのです。

 この前提には、新型コロナウイルスの危険性についての評価がありそうですが(ウイルス学的には特別に恐れるようなウイルスではないというような(今は聞く耳をもたれていないようだけれど))、宮沢准教授は、今の高齢化社会にあっても、一人一人の行動変容があれば、年代に関係なく一律的に外出や接触を限りなく遮断するような行動制限をいたずらに強化することに合理性はないのではないかと主張されているものと、私は理解しました。

 まさしく「正しくおそれる」「正当にこわがる」ということです。そのうえで、自律的な行動変容を合理的に実行して、封鎖にまで行動制限をエスカレートしてしまって社会へのダメージを極大化することにならないようにしようというわけです。パニックにならないで一人一人が知識と胆力をもって行動変容を持続できれば「封鎖」など必要としないはずだということなのでしょう。

 私の理解は中途半端を免れませんが、宮沢さんと藤井聡京大教授(この方の意見に私はすべて同意するものではありませんが)との対談のユーチューブを参考にアップしておきます。ウイルスと長く付き合ってきた宮沢准教授、決してエキセントリックでなくバランスのとれた彼の説明と意見に耳を傾けていただければと思っています。

 ◉「コロナ対談:我々は新型コロナからは逃げられないから〜知識と胆力さ

   えあれば「封鎖」は必要なし〜」(第1部)//(第2部)

  宮沢孝幸京大准教授の感染防止注意事項 (2020.4.23配信)

  同上

 

◈人が消えて水の底が見えるようになってーヴェネツィアのTV放送からー

 NHKBS1で4月19日放送の「そして街から人が消えた〜封鎖都市・ベネチア〜」をみて、胸塞がる思いをもたれた方も多くあったのではないでしょうか。私もその一人です。

 昨年11月の高潮(最高187cmに達した)からの復活を宣言するカーニバルが2月8日に開幕しましたが(期間は18日間)、これをNHKのクルーが取材していたのです。ところが、元の企画は姿をかえて、新型コロナウイルスの感染拡大にのみ込まれて、観光客であふれていた街から人影が消えることになったヴェネツィアの今を伝えるドキュメンタリーになりました。

 

 当ブログをはじめるきっかけになったのが、2015年に常勤の仕事から離れた直後に訪れたヴェネツィアのことを書いておきたいということでした。2009年に実質初めての海外旅行で訪れて最も印象深かったヴェネツィアの街を再訪して、その魔力のようなものに魅せられたというわけです。

 ですから、当ブログのカテゴリーとしてわざわざ「ヴェネツィア」を設定して今に至っています。5回シリーズからなる旅行記は、旅の記録というにはゴツゴツしすぎのメモになっていますが、私にとっては愛着があるのです。

 二度目のヴェネツィアでは4泊しましたが、ヴァポレットに乗船して行ったり来たりしていただけでしたし、サンマルコ広場のような超観光地を避けてもいました。だから、5月のヴェネツィアの街は、大混雑の観光地としてではなく、水と建築物と船のおりなす光景として記憶されています。

 

 さて、このヴェネツィアの街を撮影したテレビ番組から、あっという間に忍び寄ってきた目に見えない新型コロナウイルスとの関係をメモしておきます(イタリア全土の[感染者//死亡者数]で表記しています)。

 2月8日、今年もカーニバルが開幕しました[ 3// 0]。これに関わるヴェネツィアの人たちの高揚感が伝わってきます。2月9日、手漕ぎボートの水上パレード、2月15日、マリア祭の開催[ 3// 0]。この1週間で感染者数に変化なし。2月21日、マスク姿の観光客の増加をカメラは捉えています[20// 1]。翌2月22日、カーニバルのハイライトである仮面舞踏会の開催[77// 2]。

 そして、翌2月23日、サンマルコ広場での仮面・仮装のコンテストの開催[146// 3]。その当日、突然、翌日からのカーニバルの中止が発表。残りの会期は2日でした。1979年に180年ぶりに復活してから、カーニバルの中止は初めてでした。2月24日、カーニバルの片付けが始まり、同時に街全体の消毒作業が行われました[229// 9]。

 それから2週間余をへた3月8日、イタリア北部の都市がロックダウン(封鎖)され、ヴェネツィアも対象とされたのです[7375//366]。そして、人影のなくなった、空っぽの街をとらえた映像とともに、カーニバルの主催者側の二人や、仮面職人の父娘へのインタビューで締めくくられました。

 あまりに唐突な終結に戸惑い、虚脱感のなかで、彼らは一様に、次のヴェネツィアをたぐり寄せていこうとしているようでした。そこには、ヴェネツィアは何度も悲劇を繰り返し(主にペストです)、それを乗り越えて、復活してきたこと、今回もそうなることへの願いと決意のメッセージが込められています。

 

 このテレビ・ドキュメンタリーのあと、ほぼ人影の消えたヴェネツィアの街は、住民も驚く変化があらわれたと報じられています。濁っていた運河が透き通り、水の底が見えるようになったのです。ヴェネツィアの運河の様子を、封鎖の前後に上空から撮影した衛星画像をアップしておきます(「CNN:宇宙から見たベネチア運河」)。

 イタリアでは、5月からの封鎖の段階的解除が議論されているようですが、どのように街が復活していくのかを、遠くから見守っていくしかありません。

 下記には、2015年にヴェネツィアで撮影した写真から、人の姿の見えるヴェネツィアの映像とともに、1576年にヴェネツィアの住人の四分の一がペストに奪われたことで建立されることなったレデントーレ教会をアップしています。

 須賀敦子さんは、このパッラーディオの設計したレデントーレ教会が、とりわけ広々したジュデッカ運河の対岸に、ほぼ正面から眺められる位置に立つ姿をことのほか好まれたようです。当ブログでも引用した文章を再掲しておきます(2016,2.25「水の上に人間がきずいた不思議ーヴェネツィア(3)ー」【補足:レデントーレ教会と須賀敦子さん】)。

 「 この教会が再度ヴェネツィアを襲ったペストの終焉を願って、《レデン

  トーレ=人類の罪をあがなうキリスト》に捧げられ、建立されたのは16世

  紀後半である。運河の正面を広場に見立て、静かに流れる水面をへだてて

  見るときだけ、この建築の真の量感がつたわるという非凡なアイディアを

  編み出したパッラーディオは、竣工後[㊟着工後のまちがいか?]わずか4年

  で、内陸都市ヴィチェンツァで生涯を終えている。」

  大運河と走り回るモーターボート [2015.5.17〜21、ヴェネツィアで撮影/以下同じ]

  ㊟写真画面上をクリックすると画像が拡大されます

  満員鈴なりのヴァポレットとゴンドラ(乗船中のヴァポレットから)  

  バールも満員

  アカデミア橋の上にも多くの観光客がいて

 対岸のサン・マルコ辺り(サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から)

  朝のレデントーレ教会(ジュデッカ運河を挟んでザッテレ河岸から)   

 

◈変化のない生活と単純な生活とー阿部昭の言葉からー

 本稿の冒頭で、「これが「単純な生活」なのかと、ふと思ったりした」と書きました。これは嘘ではありませんが、阿部昭の『単純な生活』を読み始めると、「単純な生活」も単純にいかないものだという感想しか出てきません。

 私が「単純な生活」だと思ったというのは、結局のところ、今の現況を変化のない生活、変化の少ない生活だと思って、それを「単純な生活」という言葉に置きかえただけのことでしょう。つまり今日一日の生活を「朝起きて、朝食をとって………」と書くとすると、毎日ほぼ同じ文章を繰りかえすことになるなあと、笑ってしまったのです。

 

 私の「単純な生活」状態は、今に始まったことではなく、「仕事」をしなくなってからの延長線上にあることであり、今回のコロナウイルスで「変わり映えのない暮らし」の度合いが少し深まったから、出てきた言葉だったのかもしれません。

 さらに、この世は仕事をしている人たちで回してもらっているとの感覚から抜けきれなくて、そこに参与していない自分に引け目とか負い目を感じたりしてきていて、今回のことでその思いが増幅したから、自分を揶揄する意味で「単純な生活」という言葉が思わずとび出したということも考えられます。

 

 阿部昭は、小説『単純な生活』の冒頭部分で、外へ出かける仕事ではなく作家という在宅の仕事であり、「一年のほとんどをこんな海辺の町に逼塞して、変化のない毎日を送っている私のような人間にしてからが、単純な生活からとっくに見はなされている」と、入り口のところで「単純な生活」の成立を否定してかかっています。ではどうして、小説のタイトルに「単純な生活」を選んだのかについて、次のとおり述べています。

 「 残念ながら、単純な生活などは、いまの私には夢でしかない。こんなふ

  うに生きられたらという願望でしかない。それにもかかわらず、私はこの

  題名を選んだ。いや、私が選んだというより、題名のほうが向こうから

  やって来て私をつかまえたのである。」

 そして、「われわれにはいつだってもっと単純に生きられたらという気持ちがあるのだということを思い出していただきたい」と読者に訴えて、いや言い訳してから、「単純な生活」を綴っていきます。

 小説にはめずらしい「あとがき」において、次の文章で「単純な生活」を小説として書く意味のようなものを記しています。

 「 私は自分の書くものも自然に任せたい。即ち、悠然と反復交代を繰返す

  昼と夜、春夏秋冬、山川草木、禽獣虫魚の営みを眺めながら、いわば模倣

  しながら人間の生活について書きたい。それは元来われわれの文学が最も

  よく知っている筆法の一つであり、私もここで私流にやってみたのであ

  る。」

 <自然の営みを模倣しながら人間の生活について書く>ということか、大変に魅力的ですが、その前段でこんな文章論めいたものをおいているのです。

 「 もっとも、朝起きてから夜寝るまでを書くといっても、文字通りその一

  部始終をそっくりそのまま書けるものではない。何をどう書くにせよ、そ

  もそも書くということがおよそ単純素朴な行為からは遠い。文章というも

  のは、沈黙も一つの表現たり得るこの人生において、にも拘らずあえて書

  かれるものではないか。」

 

 胸にドシンときます。こんな駄文を綴っていること、阿部の言う「にも拘らずあえて書かれる」のが文章だというのなら、とりあえず書いてみようと書いているだけの私自身のところに戻ってきて、胸にこたえます。

 このことは横においておくとし、「単純」という言葉の正体のようなものはとても「単純」とはいえませんが、その骨格を、複雑ではない、無駄の少ない、自然に逆らわない、だから自然の中の人間の本質に沿ったものと理解しておきたいと思います。でも、こうした意味で、夜中に起きたりしている私の反自然的な生活実態からすると、「単純な生活」ははるか遠くにあるといわなければならないのです。

 ホントウの「単純な生活」は、たんなる形態というより「足るを知る」というような心のあり方と関係していて、私にとって願いであり、憧れです。バカは死ななきゃ治らないと申し上げるしかありません。

 

 かつてよく読んでいた作家阿部昭(1934-89)の文章を、仕事から離れたら読み返したいと長く願ってきましたが、まだ果たせていません(2017.11.10「『思泳雑記』の二年、そして三年目へ)。昨夏は、阿部の子どもを核とする短編小説群を実際に読んでみて(そんなに時間はかかりません)、やはりすごいやと思って、ブログに書こうとして頓挫しました。

 凡人が文学に親しむためには、ブログに結びつけようなどと邪念をもっていては、本当に楽しむことができないと思い知ったのです。

 こんなときこそ、読み返したいものを手に取ることにしたいものです。

 

◈おわりにー「命」と「いのち」ー

 何を書きたかったのか、よくあるとおり見失いそうになりながらですが、本稿にピリオドを打つことにします。

 

 よくメディアにも登場する生物学者の福岡伸一さんが「ウイルスは撲滅できない」とのタイトルでウイルスの本質を書いた短文を紹介しておきます(2020.4.6付『朝日新聞』デジタル)。

 ウイルスは「自己複製しているだけの利己的な存在」ではなく、むしろ「利他的な存在」であり、その宿主の細胞内に感染する(入り込む)ときの挙動は「宿主側が極めて積極的にウイルスを招き入れているとさえいえる」ようにみえるのだといいます。それはどうしてなのか、福岡さんはウイルスの起源について思いをはせると「自ずと解けてくる」とし、次の文章で続けています。

 「 ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえ

  ば、そうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイ

  ルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとし

  て、つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、ま

  た、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。な

  ぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速して

  くれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。し

  かしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては

  種を超えてさえ伝達できる。」

 ですから、ウイルスは、「ときに宿主に病気をもたらし、死をもたらす」こともあるが、「生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった」といい、最後に次の文章でタイトルの「ウイルスは撲滅できない」を説明しています。

 「 かくしてウイルスは私たちの生命の不可避的な一部であるがゆえに、そ

  れを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、こ

  れからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。」

 私にとっては、目からうろこでした。特にウイルスは高等生物が登場したあと、はじめて登場したということ、もともと遺伝子の一部だったことなど、たんに不勉強だったことになりますが、とても腑に落ちた感じがしています。

 このタイミングで「ウイルスは撲滅できない」というタイトルはいささか刺激的ではありますが、具体の政策にとっても基礎の基礎となる認識だと直感しました。これから起きる諸過程を議論する際に不可避な認識であり、ある意味で、この一文を書いた福岡さんの姿勢を大切にしたいと思ったのです。

 

 最後に、「命」と「いのち」という、漢字の「命」とひらがなの「いのち」についての発言を紹介しておくことにします。

 メディアにも登場する中島岳志さんと若松英輔さん、そして世田谷区長の保坂展人さんの鼎談から、当該部分を抜き出してメモします(2020.4.7『論座』「緊急提言!「命」とともに「いのち」を守れ」)。

 中島さんは、次のとおり説明します。

 「 私は、漢字の「命」とひらがなの「いのち」とを、少し違う意味で使い

  分けています。つまり、漢字の「命」は、身体が生きているか死んでいる

  かという、生命そのものの問題。この「命」が非常に重要なものであるこ

  とはいうまでもありませんが、実はそれを超えたところにもう一つ「いの

  ち」というものがあるのではないか。それは身体の生死だけでなく、人間

  の自由や尊厳といったものも含み込んだ存在ではないかと考えているので

  す。」

 「 もちろん、この問題では命自体が大変な危機に置かれているわけですか

  ら、それを守ることは非常に重要つか最優先なのですが、それだけではい

  けない。同時に、命の延長線上にあるいのちを守るということが、特に行

  政の立場においては非常に重要だと思うのです。」

 こうした中島さんの発言を受けとめるように、若松さんは次のとおり発言します。

 「 私も、今回の新型コロナウイルスの問題においては、命だけでなく「い

  のち」のことを考えるのが非常に重要だと思っています。自分と自分の愛

  する人たち、そしてそこにつながる「すべてのいのち」をどう大事に守っ

  ていくか。そのことが今問われていると感じます。」

 そして、若松は、「命」は単独で存在するが、「いのち」はそうではないとし、次のように補足しています。

 「 いのちというのは、「つながる」ことを本性とするものだと思います。

  「つながる」力は、とても不思議です。自己と他者をつなぎながら、自己

  と他者をそれぞれかけがえのない存在と感じさせる。信頼、情愛、希望

  は、ここにしか生まれない。ここには真の自由も生まれるわけです。」

 こうした「命」と「いのち」に象徴的にあらわれる問題の存在に、今回の事態は気づかせてくれた、くれることになると、私は思っています。

 たとえば、少しかたいけれど、芸術文化という存在に関連して話題となったドイツのグリュッタース文化相の「アーティストは必要不可欠だけでなく、生命維持に必要なのだ。特に今は。」という発言とも共振しています。ここで邦訳されて使っている「生命維持」は、中島と若松なら、「いのちの維持」ということになるでしょう。

 こうした感覚を失わないことがパニックにならないことにつながり、長いマラソンで疲弊してしまわないビタミンにもなるものだと、私は考えています。

 

【追録】

 ヴェネツィアの写真を追録させてもらいます。

 前記した旅行記で(2016.2.13「水の上に人間がきずいた不思議ーヴェネツィア(2)ー」)、<ヴェネツィアの魔力>について書いています。ヴェネツィアの街という空間体験があまりにも特異であるからこそ、非現実と紙一重であり、本当に現実だったのかという感慨に囚われてしまうことがあるというのです。だから、それを確かめるために、もう一度訪れたくなるというのが、<ヴェネツィアの魔力>ではなかろうかと記しています。

  早朝の大運河(アカデミア橋の上から)

  朝のヴァポレットは空いていて

  大運河から立ち上がる建築物(乗船中のヴァポレットから)

  現代彫刻と大運河(ペギー・グッゲンハイム美術館のテラスから)

  街中にはりめぐらされた小運河

  ジュデッカ運河と大運河が合流して(サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から)

  早朝のジュデッカ運河に陽がさして(ザッテレ河岸から)

 

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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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