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2020.04.24 Friday

同じ時間を生きている私たち、そして人類ー藤原辰史「パンデミックを生きる指針」などを通して拾遺できた言葉からー(2・完)

 「 すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現し

  たいのだろうか。」

 「 コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だか

  ら僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりに

  なってほしくないのかを。」

 イタリアの作家パオロ・ジョルダーノが、2020年3月20日付でイタリアの地元紙(ミラノ)に「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」のタイトルで寄稿したエッセーから抜き書きしました。

 冒頭の問いは、私が言葉にしたくてできなかった問いだと思いました。このエッセーは、イタリアで3月下旬に緊急出版され、日本でも4月24日に刊行予定の『コロナの時代の僕ら』(早川書房)のあとがきとなるとのことです。

 本稿では、この問いを、この問題意識を見失わないようにしつつ書きすすめたいと思っています(このジョルダーノの文章については後でふれます)。

 

 前稿((1))では、京都大人文研の藤原辰史准教授の「パンデミックを生きる指針」を中心に紹介しました。

 4月10日付の京都新聞によると、4月2日に公開されたこのテキストは、1週間に30万件超のアクセスがあったそうです。この反響の大きさに、藤原さん本人は「過去の歴史の声に耳を澄ませて『いたこ』のように伝えただけなのに」とし、「何より強調したかったのは、甘い希望を抱いてはいけない、という暗いメッセージ」なのにと驚いているということです。そして、「危機の時代、それぞれが自分なりに腹をくくる必要がある。生き方を考えるきっかけにしてもらえたのでは」と話していると、記事にはありました(2020.4.10付『京都新聞』「「負の声」と憎悪をめぐって」)。

 今は先が見えないけれど、ジョルダーノの「すべてが終わった時」の人間、社会、国家、世界について、前稿で述べたとおり、藤原さんは厳しい見通しを、大きな疑問と強い懸念とともに提示しています。すなわち、パンデミック下での基本的人権の制約が、ドイツのメルケル首相の語るように例外的でありつづけるかどうかについて、ウイルスに怯えて「認識を大きく変え」た人間がそうはさせないのではないかと、大いに疑問であるとし、「個別生体管理型の権威主義国家や自国中心主義的なナルシズム国家」がモデルになるかもしれないというのです。そして、国際的な協力や連帯よりも、現在も数多い自国中心主義に溺れる国家がリードするかのように、「世界の秩序と民主主義国家は本格的な衰退」を見せていくかもしれないと、ダークな予想を書き付けていました。

 もとより藤原さんのテキストは、パンデミックのもとで生きる人間の基本姿勢(生きる指針)について力強いメッセージを発していて、不安の中にいる人びとに大いに読まれているのでしょう。一方で、こうした重苦しい見通しを率直に描いているのも事実です。

 こんな藤原さんの見方は、今の世界における政治指導者の言動をメディアを通してみていて、私も共有していますが、彼の「生きる指針」とはジョルダーノの「今から(㊟パンデミックの最中から)、よく考えておくべきなのだ」と共振しているといえます。パンデミックのさなかを私たちはどう生きるのか、パンデミックの終わった後に、私たちはどう生きたいのか、どうありたいのかについて、私も思いを共有しておきたいのです。

 その第一歩として、ポスト・新型コロナウイルスの人間と世界に関する識者たちの言説を通して、私が拾遺できた言葉を、本稿にノートしておくことにしたいと考えたわけです。

 

◈コロナ禍の前に人類は「運命共同体」ー大澤真幸の問いかけからー

 社会学者、大澤真幸さんへの短いインタビュー記事から紹介します(2020.4.8付『朝日新聞』)。タイトルの「苦境の今こそ、人類の好機、大澤真幸さんが見つめる岐路」はまちがいとは思いませんが、私たちはどうしても好機=チャンスを活かして何かを<実現する><実現できる>というニュアンスとして受けとめがちです。そんなに大澤さんは楽観的ではないと、まずは申し上げて、その「岐路」という内容をみていくことにしましょう。

 

 パンデミックを招いた原因を、大澤さんは次のとおり語っています。

 「 『人新世(じんしんせい)』という言葉がある。人類の活動が地球環境を

  変える時代が訪れた、という意味です。人類の力が自然に対して強すぎ

  ため、気候変動で大災害が頻発する。それにより私たちはかえって、自然

  への自分たちの無力を思い知らされる逆説が生じている。今回のパンデミ

  ックも、私たちが自然の隅々まで開発の手を広げたことで、未知の病原体

  という『自然』から手ひどい逆襲を受けている。両者は同種の問題で

  す。」

 この見方を否定する政治指導者もいるわけですが、大澤さんは、こうした世界にあって現在の「多層的な封じ込め」というウイルス対策では限界があり、医療、経済、人々のメンタル面で崩壊が進みつつあると警告します。そして、『〇〇ファースト』はウイルスの脅威に通用しないのであり、「感染症に限らず、気候変動など、人類の持続可能性を左右する現代の大問題は『国民国家のレベルでは解決でぎず、国家のエゴイズムが問題を深刻化させる』という共通点がある」とし、だから人類の持続可能な生存には「国家を超える連帯」という道以外にないと結論づけています。

 すなわち解決には「地球レベルでの連帯が必要なのに、政策の決定権は相変わらず国民国家が握っている」という非対称性が、私たち、人類の前に立ちはだかっているというわけです。

 

 現状を見たら、「国家を超える連帯」といっても「絵に描いた餅」ではないかという問いかけに、大澤さんは、次の三点を指摘しています。

 第一は、気候変動と違ってウイルスによる感染はあっという間に広がりパンデミックとなったのであり、現在の「国際的な連帯」をめぐる「膠着状態を変える可能性がある」ことです。第二は、多くの著名人や政治家も感染するなど、「民主的で平等な危機」という一面があり、「その分、思い切った対策が進む可能性がある」ことです。そして、第三は、今回のパンデミックで、新たな未知の感染症のリスクを、つまり『人類レベルの危機』のリスクが日常と隣り合わせであることを「私たちは知ってしまった」ことで、「私たち自身の政治的選択や行動に大きな影響を与えるかもしれない」ことです。

 大澤さんは、現下のパンデミックでの環境条件を提起しており、現時点では、世界は「連帯」よりも「分断」に向かっているようにもみえるし、「危機的な状況ではかえって各国の利己的な動きが強まりかねない」ことに同意しつつも、次のメッセージを発しています。

 「 ポジティブな道とネガティブな道、どちらに進むかという岐路に私たち

  は立っています。

   (中略)

   人間は『まだなんとかなる』と思っているうちは、従来の行動パターン

  を破れない。破局へのリアリティーが高まり、絶望的と思える時にこそ、

  思い切ったことができる。この苦境を好機に変えなくては、と強く思いま

  す。」

 この「強く思う」とは大澤さんの、さらにいえば私たちの願望、期待といえますが、その拠り所をめぐってのメッセージだと、私は理解しています。

 

 以上の大澤さんの見方を、希望的な観測に過ぎないと断じてしまうこともできますが、ここからパンデミックとその後の世界を視野に入れて、二つのキーワードを抽出しておくことにしたいのです。

 「岐路」と「国を超えた連帯」です。現時点では、何も決まっていない、これからの私たちの人類の選択だという前提での「岐路」であり、そして同じ前提のもとで、現在の主潮流である自国中心主義を超えた「国を超えた連帯」の可能性ということです。

 このことを意識しながら、引き続いて識者たちの言葉に耳を傾けていくことにします。

 

◈選択を迫られているーEテレ『緊急対談 パンデミックが変える世界』からー

 去る4月11日にNHKEテレで『緊急対談 パンデミックが変える世界ー海外の知性が語る展望』が放送されました。道傳愛子キャスターが、経済学者・思想家のジャック・アタリ(4.1収録)、政治学者のイアン・ブレマー(4.2)そして歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ(4.7)の三人にそれぞれインタービューして番組としています。意図があるのでしょうが、番組では、ブレマー、ハラリ、アタリの順に編集されていました。

 番組のHPによると、「都市の封鎖や大量死が連日報じられている今、人類は大きなチャレンジを突きつけられている。世界はどう変わるか。人類は今後どこへ向かうのか」、世界のオピニオンリーダーたちに「徹底的に尋ねていく緊急特番」とあります。 

 なお、以下において番組の中で彼らの発した言葉としてメモするものは、私が画像から聞き取ったもので、ちょっと正確性に問題があるかもしれないことをお断りしておきます。

 

 この1時間番組の最後に、道傳キャスターは次のとおり締めのナレーションしています。

  私たちが同じ時間を生きていることを、これほど実感したインタビュー

  はありませんでした。

   通底していたのは、今人類の未来を左右する重要な選択を迫られている

  という確信です。

   パンデミックに立ち向かうことは、あるべき未来を私たち自身がたぐり

  寄せることなのです。

 この番組を総括する言葉、たとえば「私たちが同じ時間を生きていること」を実感するとは、「私たち」という言葉が「人類」に飛躍直結するというパンデミックの時期を生きる特質を示しており、ですから本稿のタイトルにも使っているというわけです。また、「人類の未来を左右する重要な選択を迫られている」というのは、前記した大澤さんの語る「岐路」に相当するものですし、全体として大澤さんのインタビュー記事と問題意識をほぼ共有していると申し上げても間違いないことでしょう。

 

 ここでは、三人のうち、慎重な言葉づかいではありますが「重要な選択を迫られている」ことを、明快に提示したハラリの発言を中心に紹介することにします。

 と、その前に、ブレマーとアタリの発言の概略をみておきましょう。

 まず、イアン・ブレマーですが、今次のパンデミックは指導者なき世界で最初に経験する困難であり、先進国は対応できたとしても、発展途上国が大変に厳しいことになると警鐘を鳴らしていました。

 そして、最後のところで、次の興味深く、かつおそろしくなるような発言をしていました。

 「 しかし(㊟2000.9.11テロ時とはちがって)、今日、人びとはアパートの

  中に安全を求めているのです。人間性が奪われています。

   人間は社会的動物です。つながりが必要です。スクリーン上の仮想現実

  では、不可能です。

   宇宙ステーションで1年間過ごした宇宙飛行士の精神的ダメージはひど

  いものであったことを覚えています。

   それと同じことが今起ころうとしており、個人レベルで対処していかな

  くてはならないのです。」

 こんな趣旨だと思いますが、社会的動物たる人間が、社会的距離をとった暮らしを長く続けることの、限界なり、非人間性というものを指摘しているということなのでしょう。

 

 2009年の著書でパンデミックの脅威を予言していたと紹介されたジャック・アタリは、最悪のシナリオとして、2008年をはるかにしのぐ経済的危機、失業、インフレ、ポピュリストによる政府の誕生、そんな暗黒の時代の到来とともに、連帯のルールが破られる危険性が極めて高いことを指摘しています。

 しかし、パンデミックという困難を前にして、私たちはもっとバランスのよい連帯を必要としているのだとし、今はそのためのチャンスに変えるべきだというのが、アタリの基本姿勢です。

 このために「利他主義」への転換を広く呼びかけていることを問われたアタリは、次のように説明するのです。

 「 「他者のために生きる」という人間の本質に立ちかえなければならな

  い。

   協力は競争よりも価値があり、人類は一つであると理解すべきである。

   利他主義という現実への転換こそが人類のサバイバルを先導する。」

 こうして「無私の聖人」と呼ばれることもあるらしいアタリのポジティブな楽観主義はどこからくるのかと尋ねられたアタリ本人は、「ポジティズムはオプティシズム(楽観主義)とは異なる」と否定したうえで、「いえいえ利他主義は合理的な利己主義」であり、「利他的であることが自己利益につながる」のだと説明します。

 パンデミックを望んでいるわけではないが、パンデミックになってしまった現在、前述のとおり、これをチャンスとして生かすしかないとし、長期的には<命の産業><ポジティブ経済>のように「経済を新しい方向に設定しなおす」必要があると述べていました。

 最後に、アタリは次のような趣旨の発言をしています。

 「 人類は未来について考える力がとても乏しく、また忘れっぽくもありま

  すし、元に戻ってもしまいます。人類が今そのような弱さを持たないよう

  願っています。私たち全員が、次の世代の利益を大切にする方向に向かう

  必要があります。それがカギです。」

 

 今回のインタビューを通して、アタリは人類をして「利他主義」の方向へ向かわせるダイナモを、起動させる力を、パンデミックという事態にみているのではないかといえます。ですから、アタリの「利他主義」は、このような危機の時代に直面した人類が、そこからの脱出をめざし、「合理的な利己主義」として採用すべき普遍的な哲学として呼びかけているのではないかと、私は感じました。

 こうしたアタリの発言は、あまりにも楽天的だとする批判もありますが、前述した大澤さん、そして次に記述するハラリとそう遠くないところにいます。三人とも今回のパンデミックはいずれ乗り越えられるであろうが、大澤さんの「岐路」と「好機」、そしてハラリの「分かれ道」と「重要な選択」とも通底しているわけで、世界は危険性に満ち、その行方は今から予定調和的に約束されたものではないと評価している点において、重なり合っていることを指摘しておきたいと思います。

 

 さて、三人目、1976年生まれのユヴァル・ノア・ハラリです。このイスラエルの歴史学者は、過去の歴史も踏まえながら、今回のパンデミックに対する大きな見取り図を整理して提示しようとしていました。ここには明快な処方箋が示されているわけではなく、今後の議論を進めていくうえで基盤となる素材を提供しているのではないかと、私は感じました。このテレビ番組だけでなく、朝日新聞デジタルに掲載された「コロナ危機、ハラリ氏の視座「敵は心の中の悪魔」」というインタビュー記事(2020.4.15付)も参照しながら紹介してみることにします。

 ハラリは、今や世界はウイルスの脅威に対し、医療だけでなく政治においても重大局面を迎えている「分かれ道」だとし、最大の敵はウイルスでなく、人間の心の中にある「悪魔」であり、これを防ぐことができれば、危機は乗り越えられるという基本のメッセージを発信しています。一方で、ハラリにとって自らの価値に沿う方向、つまり「民主主義の機能発揮と国際協調の進展」へ至る道は平たんではなく大変に険しく危ういとのメッセージを同時に出しているのです。

 

 番組インタビューの冒頭で、まさに「分かれ道にさしかかっている」という状況について、ハラリは次の言葉を与えていました。

 「 パンデミックは民主主義にとって挑戦であり、重要な選択が迫られてい

  る。

   こうした危機の時期にあって、歴史の変化が加速化する時代に突入しよ

  うとしている。

   次の2、3ヵ月の間に私たちは世界を根底から変える壮大な社会的、政治

  的な実験を行うことになる。」

 では、何が政治にとって重大な局面なのかについて、ハラリは新聞インタビューで三点の選択肢をあげて説明しています。一つは、国際的な連帯で危機を乗り切るのか、国家的な孤立主義の道を選ぶのかということです。二つは、すべての権力を独裁者か新たな独裁者に預けてしまうか、他方で民主的な制度を維持し、権力に対するチェック&バランスを重視する道を選ぶかです。そして、三つは、経済についての政治判断であり、大企業を救済するのか、小さなレストランや理髪店を助けるのかという選択肢もあるとします。

 こうした三つの例を見ても、すべてにおいて決まった答えはなく、政治に選択が委ねられるのであり、このことを、ハラリは「政治の重大局面」だといいたいのでしょう。そして、現時点では、中国を視野に入れてのことか、「独裁と民主主義が生む結果に明白な差はない」ようであるが、「長い目で見ると民主主義の方が危機にうまく対応できる」と述べているのです。冷静な言葉使いを保ちながらも、独裁制(いわゆる現下の権威主義政治も含まれるのでしょうが)の一方向性よりも、民主政の双方向性が、結局危機対応においても優位であると、説明を加えています。

 そして、「国境封鎖とグローバル化は矛盾しない」としたうえで、国際的な協調、協力、連帯関係が構築されることを、最重要と位置づけて強く提言しています。「人類はもはや米国に頼ることはできない」のですから、パンデミックという世界が同時に共通するリスクに立たされている中で「異なる国々の集合的なリーダーシップ」が必要だと訴えています。先進国が持ちこたえたとしても、発展途上国の一部の破綻は世界同時の不安定化に直結している状況のもとで、「国を超えた連帯」の不可避性を説いているのです。

 

 このように「危機の中で、社会は速いスピードで変わる可能性がある」とするハラリは、今、世界でどんな変化が起きているかについて、「よい兆候」と「悪い変化」について言葉にしています。新聞インタビューの記事の方から引用しておきます。

 「 よい兆候は、世界中の人びとが専門家の声に耳を傾け始めていることで

  す。科学者たちをエリートだと非難してきたポピュリスト政治家たちも科

  学的な指導に従いつつあります。危機が去っても、その重要性を記憶する

  ことが大切です。気候変動問題でも、専門家の声を聞くようになってほし

  いと思います。」

 「 悪い変化も起きます。我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は

  心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取ら

  れると、人々は互いに憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し

  始める。これを機にかねもうけを狙うビジネスがはびこり、無知によって

  ばかげた陰謀論を信じるようになる。これらが最大の危険です。」

 そして、次のとおり続けています。

 「 我々はそれを防ぐことができます。この危機のさなか、憎しみより連帯

  を示すのです。強欲に金もうけをするのではなく、寛大に人を助ける。陰

  謀論を信じ込むのではなく、科学や責任あるメディアへの信頼を高める。

  それが実現できれば、危機を乗り越えられるだけでなく、その後の世界を

  よりよいものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手

  前に立っているのです。」

 テレビインタビューにおいても、ハラリは、最後の部分は同趣旨の発言、パンデミックで多くの人間が亡くなるけれど、私たち人類が重要な選択を誤ることがなければ、「私たち人類はウイルスだけでなく、自分たちの内側に潜む悪魔を打ち破ったのだ。後になって考えれば、人類にとって悪くない時期であったとなることだろう」との趣旨の発言をしていました。

 

 屋上屋ですが、もう少し補足します。2020年3月15日刊「TIME」誌に寄稿した「人類はコロナウイルスといかに闘うべきかー今こそグローバルな信頼と団結を」において、ハラリは冒頭で「感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ」としたうえで、最後の文章を次のとおり結びます。

 「 今回の危機の現段階では、決定的な戦いは人類そのものの中で起こる。

  もしこの感染症の大流行が人間の間の不和と不信を募らせるなら、それは

  このウイルスにとって最大の勝利となるだろう。人間どうしが争えば、ウ

  イルスは倍増する。対照的に、もしこの大流行からより緊密な国際協力が

  生じれば、それは新型コロナウイルスに対する勝利だけでなく、将来現れ

  るあらゆる病原体に対しての勝利ともなることだろう。」

 この結論的な文章に先だち、昨今の「アメリカは利害関係しか念頭にないことを全世界に明確に示し」たこともあって、今や「外国人嫌悪と孤立主義と不信が、ほとんどの国際システムの特徴」となっていることを指摘しています。しかし、「信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、この種の大流行にくり返し見舞われる可能性が高い」としたうえで、「あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい」と、ストレートな物言いで、「緊密な国際協力」の重要性を訴えています。

 

 以上、当方の読みのレベルが低いからなのか、ハラリの論考も図式的な整理だけなのか、不十分な紹介になったと残念に思っていたら、もう一つの別の文章に出会いました。イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙に2020年3月20日付で寄稿した「新型コロナウイルス後の世界ーこの嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる」との長大なタイトルをもつテキストです。このタイトルがすべてを語っている文章を読んで、今人類に迫られている重要な選択の中身が、もう少しだけ分かったような気になりました。

 人類は今、グローバルな危機に直面しており、「今後数週間に人々や政府が下す決定は、今後何年にもわたって世の中が進む方向を定めるだろう」、「医療制度だけでなく、経済や政治や文化の行方をも決めることになる」という文章から始まります。それは、「今後、多くの短期的な緊急措置が生活の一部となる」、「一時的措置は非常事態の後まで続くという悪しき傾向がある」からであり、だからこそ、「自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ」とし、「嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすかについても、自問する必要がある」と述べています。

 そして、「この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている」と、ハラリは次の2つを明記しています。

 「 第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、という

  もの。

   第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな

  団結か、というものだ。

 前述した新聞インタビューで、ハラリは三点の選択肢を説明していますが、上記の「第2の選択」はその1点目と同趣旨であり、他方「第1の選択」の方は、その2点目に相当するものの、新しいテクノロジーを活用した「監視」の問題に着目した具体的な内容となっています。

 「第1の選択」の方は、どのレベルで読み取れたのか自信がありませんが、報じられている中国の監視社会を、さらに進めたような新しいテクノロジーを活用する「一般大衆監視ツール」を採用をめぐる選択のことです。ハラリは、「プライバシーか健康か」という選択の設定は誤りであり(「健康」となってしまう)、両方を享受できる仕組みもあるとし、最近の韓国や台湾やシンガポールでの成果の存在を注意喚起しています。つまり、「自発的に情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ」というのです。そして、次の基本方向を言葉にしています。

 「 新しいテクノロジーも絶対に活用すべきだが、それは国民の権利を拡大

  するテクノロジーでなくてはならない。私は自分の体温と血圧をモニタリ

  ングすることには大賛成だとはいえ、そのデータは全能の政府を生み出す

  ために使われることがあってはならない。むしろ、そのデータのおかげで

  私は、より適切な情報に基づいた個人的選択をしたり、政府に責任をもっ

  て決定を下させるようにしたりできてしかるべきなのだ。」

 かくして、「新型コロナウイルスの大流行は公民権の一大試金石なのだ」として、正しい選択の重要性を訴えているのです。付言すれば、誤った選択は、藤原さんがテキストで今後の国家モデルになるかもしれないと明記していた「個別生体管理型の権威国家」に直結していくことになります。

 一方の「第2の選択」は前記の紹介とほぼ一致していますので、最後の文章のみを引用しておきます。

 「 人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、

  グローバルな団結の道を選ぶのか?もし不和を選んだら、今回の危機が長

  引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くこ

  とになるだろう。逆に、もしグローバルな団結を選べば、それは新型コロ

  ナウイルスに対する勝利だけでなく、21世紀に人類を襲いかねない、未

  のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。

 もとより、「第1の選択」と「第2の選択」は深く関係しあっていることは申し上げるまでもないことです。同時によき方向を選択できないと、とりわけ「第1の選択」を誤ることとなった場合は、成り立たない関係にあるのです。

 かくして、行きつ戻りつの紹介となってしまったハラリの言説ですが、本稿の冒頭で引用したジョルダーノの「僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」「いったい何に元どおりになってほしくないのか」という問いと、私からするととても若い次世代の担い手二人が深いところで共振しているかのように感じています。

 

 本稿では、前稿の藤原辰史「パンデミックを生きる指針」も視野に入れながら、大澤真幸、アタリ、ハラリと、彼らの言葉を拾遺してきました。私の粗雑な頭では、どうもいずれも大変に近い位置と視角から、この危機の時代とその後の世界を読み解こうしていていると感じました。確かに藤原さんは、後者の三人と違って、もっと日常レベルに降りてこの時代への立ち向かい方を論じている点に、実践性というべきか、そこに特質がありますが、大澤、アタリ、ハラリはおそろしく近似した、共通した基盤に立った発言だと理解しました。

 このあたりのことは後述に回すとして、続いて、イタリア人作家パオロ・ジョルダーノのエッセイを紹介することにします。

 

◈今感じていることを忘れないーイタリア人作家ジョルダーノの言葉からー

 ここでは、冒頭に記した3月20日付で地元紙に掲載されたという「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」とのタイトルのエッセーを、4月13日付『毎日新聞』夕刊で藤原章生記者による「いま考えることを忘れまい」という記事も参照しながら、簡単に紹介しておくことにします。

 数年という長い時間をかけて一つの小説を発表するタイプの作家だというジョルダーノが、パンデミックのさなかに緊急出版した理由を、新聞記事は、本人の言葉として、次のとおり伝えています。

 「 感染が広がり混乱した人々を鎮めたかったのが一つ。もう一つは、疫病

  と地球環境の関係など、僕が考えたことを多くの人に伝え、今後も議論を

  続けてほしいと思ったからです。」

 だから、「いまは科学的実証を待つよりも、自宅でこもる中でわいてきた「直感」をさらすことが大事だと思ったようだ」とあります。

 

 では、エッセーの方です。

 2月から3月にかけての30日間、「まさかの事態」が繰り返えされてきたとし、さらに「まさかの事態」は長く居座るつもりでいるはずだと、次の思いにかられていることを記しています。

 「 僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミック

  が僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上

  がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなるだろ

  う。もしも今すぐそれを記憶にとどめぬ限りは。」

 普段であれば、「あまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために」書くのだとし、冒頭の引用「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」と続きます。だから、「僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく」とします。

 そして、「僕は忘れたくない。」から始まる短文を10段落並べています。トップの「僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。……」から始まり、展開していきますが、ここでは最後の三つ、8、9、10段落を引用します。

 「 僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事

  実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、

  僕らの軽率な消費行動にこそあることを。」

 「 僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的

  に準備不足で、科学に疎かったことを。」

 「 僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的

  でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もな

  かったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すら

  ろくに励ませなかったことを。」

 新聞記事では、8番目の環境破壊の問題が、このあとがきとなるエッセーではなく、本編からの引用によって、ウイルスを巣から引っ張り出したのは「僕たち」であり、「全人類」であり、その原因は「温暖化による気候変動だ」とのジョルダーノの自説が展開されていることを紹介しています。

 

 この短いエッセーは、このあと、現在、敷かれている制限措置の見通しにふれ、「もっとも可能性の高いシナリオは、条件付きの日常と警戒が交互する日々だ」としつつ、「そんな暮らしもやがて終わりを迎え」、「そして、復興が始まるだろう」と続きます。

 そして、支配階級は、肩をたたき合って、お互いを褒め讃える一方で、「僕らはきっとぼんやりしてしまって」、忘却が始まるにちがいないとします。だからこうするだと、次の言葉を続けます。

 「 もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考

  えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のため

  に、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道

  的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済シス

  テムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変え

  るべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらな

  い。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そう

  した物事はひとつとして実現できない。

 念を押すような言葉で、エッセーを締めくくっています。

 「 家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を

  助けよう。死者を悼み、弔おう。でも、今のうちから、あとのことを想像

  しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないため

  に。

 ジョルダーノのメッセージは、あとを追うように緊急事態宣言下にあって先の見通しが難しい日々をおくる私たちの胸に迫ってきます。誰に頼まれもしないのに、こんな愚ともつかない作業が日々の中心になってしまっている私には、なんだか励ましをもらっている錯覚さえしてしまいます。

 前記したハラリがフィナンシャルタイムズ紙に寄稿した「この嵐はやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる」は、ハラリの言説を長々と紹介してきたこともあって、ジョルダーノの静かだが決然と発する声に、地中海の東方からハラリが鋭く応答したもののように感じられてならなかったのです。

 

◈おわりに

 最近、見たり読んだりしたものの中から、「現下のパンデミックとパンデミック後の世界」への認識と見通し(立ち向かい方とその行方)について、識者たちの言説から私が拾遺できた言葉を紹介しました。

 何かまとめのような感想をと思うのですが、整理がつきません。ここに登場してもらった藤原、大澤、アタリ、ハラリ、そしてジョルダーノを含め、共通していることは、今回のパンデミックという事態が短時間に地球規模の、つまり「人類」の危機となっているという実感の迫真性です。したがって、彼らがその地点から思考していることは、「彼ら」はもとより、「私」「私たち」という層にとどまることを困難にし、「私たち人類」「人類」が主語となって発語することとつながっています。別に「私」「私たち」を喪失しているのではなく、「私」が感じる、考えることが、「世界」や「人類」に違和感もなく関係してくるような感覚なのです。

 私が、彼らの言説を選択したということは、藤原さんが言う「いたこ」のような言葉を私が欲していたことになります。ここで取り上げたのは、私を刺激し、私にうなづかせるものを有する言説だということになりますから、私がスクリーニングしたものであり、だから、驚くほど近似した、共通する基盤を持った「言葉」として受けとめたことは当たり前だということになるのかもしれません。

 

 ここで具体的な言葉として繰りかえしませんが、識者たちの言葉から、パンデミック前の世界の現実というもの、そこに生じたパンデミックが発する世界への深い衝撃、その立ち向かい方の困難性と危険性、そこから露呈してくる重要な課題のよき選択への模索、そのために必要な世界と人類のある種の跳躍への期待、というものを、私は少しは聞き取ることができたと思っています。

 そして、読みにくいであろう当ブログを読んでくださった方々も、多くの言葉が共振して重なり合っていることを感じていただけたのではないかと願っています。

 

 本文でも繰り返したように、世界と人類の、そして私たちのあるべき方向、さらに、そのためのよき選択の方向は共有できたとしても、現時点で、よき方向に向かうことは何の保証もないし、むしろ逆方向の危険に満ちていると申し上げなければならないと、藤原辰史さんと同じように、私は考えています。危機を好機とする、ピンチをチャンスにする、こんな言葉を発することは容易ですが、識者たちの言葉においても、私を十分に説得させる言葉があったわけではないことを確認しておきます。

 そんな奇跡のような処方箋が容易に転がっているなら、誰も考えることなどしないでしょう。問題は、私にもどってきます。ジョルダーノの「まずは進んでみなければ、そうした物事はひとつとして実現しない」という言葉が、出発点であり、真理というべきでしょう。くどいですが、緊急特番のナレーションのラスト「パンデミックに立ち向かうことは、あるべき未来を私たち自身がたぐり寄せることなのです」と、心にとどめておくことにします。

 このようなことを思いながら(2020.4.24朝)、二回にわたる「同じ時間を生きている、そして人類」を終えることにします。

                        【終:(1)へ/(2・完)】

 

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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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