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2018.12.26 Wednesday

3年ぶりの高校駅伝ー京都からフィレンツェへ<時代区分と、ルネサンスと>ー

 昨日(23日)、3年ぶりに全国高校駅伝のために京都へ出かけてきました。本稿では、そのミニレポートとともに、中途で終わったかたちの前稿(「「時代区分」と、「中世」「ルネサンス」の歴史的関係ージャック・ル=ゴフ『時代区分は本当に必要か?』ー」)を綴っていて感じたことを書きとめてみます。

 

 今回は、京阪出町柳駅を起点にしました。私たち二人の体力低下と増えすぎた観光客が心配材料となり、無理のない範囲で自転車を利用するためでした。京都駅からは地下鉄を乗り継ぎ、京阪三条から2駅目の出町柳駅で下りて、レンタサイクルを借りたのです。

 烏丸紫明通をめざし、河合橋から出町橋を渡ろうとすると、京都はこれというイメージとして染みついている風景が広がっていました。陽ざしがあって手袋がなくてもいい師走のまちです。当たり前のことが当たり前にあることのありがたさを思ったりして、年寄りくさいなと苦笑いです。

  出町橋上からの賀茂川、そして北山の風景

 今年の全国高校駅伝には、兵庫県から女子は須磨学園、男子は西脇工業が出場しました。兵庫県勢を応援するために京都まで出かけているわけでもありませんが、それでも地元は地元です。頑張ってくれたらいいなあという気持ちはもちろんあります。

 10時20分スタートの女子の部は、烏丸紫明の交差点でみました。もう少し紫明通を西へ入ったところを思ったのですが、すでに交通規制が引かれていました。南へちょっと先の鞍馬口に2区から3区への中継点があって、出場チームの関係者やファンの方が多く集まっているところです。ちょうど2区の選手たちは紫明通から烏丸通へ90度曲がって走っていきました。地区予選で全国1番のタイムで走り優勝候補である須磨学園はなかなかやってきてくれません。

 中州となっている部分に立っていた私たち二人を含む観戦者集団は、車の通らない道路の方へじりじりと踏み出していました。そして、全出場校58校が通り過ぎるまで、かつての毎日新聞の応援旗が配られなくなった今、声と拍手で応援しつづけるのです。

 2区から3区へ中継し、折り返し点でこちらへ戻ってくるのを待って、ぞろぞろと移動します。紫明通へ入ったところで待ちました。須磨学園がやってきましたが、10校以上が先行した後でした。どこまで追い上げることができるのか、写真を撮っている私は応援しにくいので、家人に一声かけてやってと頼みました。到着から、3区の全選手が通り過ぎるまで30分くらいのことなのです。レースの流れなどテレビに比べて全くわからないといっていいのに、現場には現場の面白さがあるというしかありません。

 最終的に、須磨学園は5位まで順位を押し上げましたが、予選のタイムを少しですが下回ることになったのは残念でした。優勝は予選のタイムより40秒以上縮めた鹿児島の神村学園でした。技能実習生問題ではありませんが、須磨学園より上位の4校のうち3校に外国人留学生がいてその力が好結果につながったといえるでしょう。でも、それはレースだけでなく、普段の練習から、速い選手といっしょに走ることによる好影響もあると言われています。

 本稿では、須磨学園と西脇工業の選手の写真だけをアップしておきます。

  全国高校駅伝女子の部2区:須磨学園の樽本つかさ選手 [2018.12.23/烏丸紫明交差点]  

  同上3区:須磨学園の荒井優奈選手 [紫明通]

 12時30分スタートの男子の部は、いつもの寺町丸太町ではなく、平行移動ですむ百万遍交差点あたりでみることにしました。昼食後、コーヒーでもと自転車を押しながら、百万遍交差点から、今出川通を銀閣寺の方へ向かいましたが、適当な店が見当たりません。昔々喫茶店があったと記憶しているところにもなく、ランチやケーキ中心のカフェと呼ぶのでしょうか、そんな店ばかりが並んでいます。コーヒーだけ飲むような店では生き残れないのかなと、改めて時の流れを感じました。

 そうこうしていると、銀閣寺交差点の近くまでやってきてしまい、私は古書店「善行堂」、家人はカフェで時間調整をしたのです。それこそ50年前にこの近くに下宿していた私は、友人Tに通りと疎水に挟まれた隙間にあった「文楽」という居酒屋に連れていってもらったなあとあたりを見回したりしましたが、もとより痕跡すらありません。

 今年の西脇工業は苦戦が予想されていたとはいえ、地区予選のタイムは全国で9番目とそれなりのものでした。このあたりは3区の途中でこれから白川通を上っていくところ、そして国際会館前を折り返し、4区に中継して、白川通から今出川通へ右折してすぐのところに位置します。やはり厳しいもので、西脇工業の選手はなかなかやってきてくれませんでした。といっても10位を少しこえたくらいでしたので十分上位なのですが、かつての先頭争いでやってくる西脇工業の記憶が離れない私には、物足りないのです。

 

 ここで高校駅伝の車列を確認しておきましょう。まず広報車というバンが先頭でやって来て、選手が来ることを告げ、2分くらい間があってから、自衛隊車の総務車、続くてパトカー、レース全体を先導する白バイが2台並んできて、しばらくしてNHKの中継車、選手を先導する白バイ、そしてトップの選手が一団となって通ります。そして、全参加校の選手たちが次々と走ってきますが、その間にも少数のパトカー、白バイが挟まれています。最後尾の選手、そのすぐ後ろに2台の白バイと救急車、ラストの大会関係者のバンと続いて、終わりとなります。4区あたりになると、先頭の広報車から、最後尾の救急車とバンまで、10数分ぐらいの時間距離ができています。

 4区の西脇工業の選手に向かって、家人は「がんばれ」と大きな声をあげています(「西脇工業」の最終成績は13位で健闘に値するものでした)。最後尾の「小豆島中央」が通り過ぎ、交通規制のため20分以上は留め置おれていた市バスやタクシーがいっせいに動きだして、やっと我にかえったのです。

  全国高校駅伝男子の部3区:西脇工業の酒井亮太選手 [今出川通銀閣寺交差点西入る]

  同上4区:西脇工業の谷本勇陽選手

 近くに大文字山のみえるこの辺りは、吉田山の北ふもとにあたり、さすがに駅伝関係者の姿は少なく、地元の方が見学者の中心です。テレビをみていてタイミングをあわせて、先頭の広報車が通ってから通りに出てくる方々が大勢いました。ですから烏丸紫明とちがうのは、もっとゆったりとした空気が流れているところです。今年も若い子が元気で走ってはるなあ、いやはや年末がきてしまいましたなあと、近所の人同士で声をかわしているような雰囲気がするのです。

 3年前にレポートした際に(「ちょっとそこまでー師走の京都ー(1)」)、新聞社の応援旗がいつの間にか配られなくなっていたり、選手の体つきやユニホームが変わったりなど、気のついた変化のことを書きました。今回とくに目立っていたのは、カメラバックをもち望遠レンズを付けた一眼レフカメラを構える若い人の姿が多くなったことです。形容がよくありませんが、鉄道オタクの撮り鉄のような人たちなのかなと思ったりもしたのです。

  このような姿勢で写真を撮影している青年

 もう一つ驚いたことがあります。今出川通と吉田山の山麓の間に、石畳みがあって、その片側にいかにも昭和の長屋が残っていたことです。きっと50年前にもあったはずですが、気づくことなく、50年後の今回、初めて気づいたのです。この空間にどんな歴史が隠されているのでしょうか。

 結局、1時間半くらい滞在していた間に、「善行堂」に出入りを繰りかえし、2冊の古本を買ってしまいました(黒岩比佐子著『音のない記憶』、小沢信男著『本の立ち話』)。

  今出川通と吉田山の間にある石畳と長屋

 では帰ろうかとなったのですが、行列の途絶えることのない豆餅の「ふたば」を横目にしながら、桝形商店街に足を伸ばし、「九条ネギ」を買ったりしました。そして、近くの「コーヒーハウス マキ(coffee house maki)」という喫茶店に入ったのですが、奥は賀茂川べりにも面していて、とても雰囲気のある店です。今や「イノダコーヒー」や「スマート」がひとつの観光地のようになってしまった昨今、これは貴重な一軒だなあと言い合いました。

 午前中の晴れから一転し、小雨が降りはじめているなか、駅近くのレンタサイクルショップへ自転車を返却し、地下の京阪出町柳駅へと急ぎました。

 まあとにかく、3年ぶりに高校駅伝に出かけることができました。京都駅9時半着・16時半発、滞在8時間ではありましたが、こうして何とか元気で年の瀬の行事を重ねることができ、喜んでいます。

  「コーヒーハウス マキ」内のシャンデリア風の照明器具  

  河合橋近くの高野川に飛来したサギとそれを見守る親子連れ

 

🔹ル=ゴフの「時間区分と、中世、ルネサンスの歴史関係」についての感想

 前稿は、フィレンツェのことを振りかえった際に、池上俊一の『フィレンツェ』の記述からル=ゴフの著作の存在を知って読んでみたことから始まりました。その紹介がこの本の要約と引用だけの尻切れで終わっていましたので、ささやかな感想ですが、追加しておくことにします。

 

 今回のブログの流れと、京都とフィレンツェの関係は偶然の産物というしかありませんが、ちょっとこじつけてみたい気持ちもないわけではありません。

 当ブログ(「ちょっとそこまでー師走の京都ー(2)」)において、外国人観光客の多いことをとらえて「今や京都はフィレンツェのようになってきているよう」だとし、その共通点が「市民、町衆を中核とする自治の文化が底流にあることや、職人を中心とする高度なものづくりネットワークが発達していること」などにあるのではないかとしていたのです。

 そして、前記のフィレンツェに関するブログ(「クーポラが見える街でー池上俊一『フィレンツェ-比類なき文化都市の歴史』をきっかけにー(3・完)」)においても、フィレンツェ人の「傲岸なまでの自意識」という負のメンタリティと、井上章一の『京都ぎらい』で特記していた京都の市中に住む人びとの感情、いわば京都人のいささか厄介な「洛中的中華思想」が、<特別の誇り>という点で近しいものがあるのではないかと書いたりもしました。

 

 京都からフィレンツェへという、ことさらのようなこじつけはやめにして、感想の方に移ります。

 まずル=ゴフが『時代区分は本当に必要か?-連続性と不連続性を再考する』で提示した「結論」のようなものを、繰りかえしになりますが、再確認しておきたいのです。

 具体の事例である「中世」と「ルネサンス」の歴史的関係について、ル=ゴフの結論は、時代区分への視線も踏まえ、「ルネサンスとは、長い中世に含まれる最後の再生」だとし、次の表現を用いて定義しています。

 「 今日の伝統的な歴史学が特別の時代としてあつかうルネサンスとは、私

   の目には長い中世に含まれる最後の小時代にほかならない。」

 「歴史の断絶は稀であ」り、「変化はある程度の幅のなかで起こり、大規模であることもそうでないこともある」としたうえで、「長い中世」という時代概念と、フィレンツェを代表格とする「ルネサンス」は変化ではあるが根本的な変化とは言えず、中世とルネサンスの断絶はみられないと、前記のとおり伝統的な歴史学に対し、異論を提起しているのです。

 

 一方、「時代区分」の方ですが、「時代区分」は長い過去という時間を支配するために人間が発明したものであり、「人為であり、それゆえ自然でもなければ、永久不変でもない」としたうえで、「客観的現実に対応している必要」、つまり「歴史を科学たらしめるような要素」を条件としつつ、次の結論を導いています。

 「 歴史の時代区分を保つことは可能であり、私は保たなければいけないの

  だと思う。」

 この結論は、フェルナン・ブローデルの「長期持続」の概念と対立するものではなく、生きた対象としての歴史は「連続性と不連続性を組み合わせることが必要になる」が、「長期持続」と「時代区分」を結びつけることで可能となるとします。また「グローバル化」という世界的な現実を前にして、「時代区分」は「限られた文明領域(㊟ルゴフの場合は西洋=ヨーロッパ)しか適用できない」ものであり、「グローバル化とは、そのあとにこれら(㊟文明領域それぞれの「時代区分」のこと)のまとまりのあいだの関係を見つけることだ」と主張しているのです。

 最終頁でル=ゴフは「時代区分のおかげで、人類がどんなふうに組織され進化していくのかが明らかになるのである」と、論考を締めくくっています。

  ジャック・ル=ゴフの顔写真 なかなかの面構えの方でした

 <感想>というしかないレベルで私が受けとめたものは、次のとおりです。

 前記のル=ゴフの結論とは逆に、「時代区分」の方からです。その結論は、私には、当たり前のことのように理解でき、真っ当なものというか、ごく穏当で常識的なものと感じました。ですから、なるほどと確認できることはたくさんあったけれど、あっというような驚きはありませんでした。

 「当たり前のことと理解」というのが曲者かもしれません。ル=ゴフという大歴史家が最後の著作に選んだテーマなのですから、私の理解が短絡かつ矮小であり、もっと広く深い何かが含意されているのかもしれないとおそれています。たとえば「長期持続」という概念との結びつきを構想するなかで、「連続性と不連続性を組み合わせる」ことによる歴史の見方とも関連させつつ、持続する時代のなかに大変化と小変化の質と量を析出することによって、「時代区分」に二層性のようなものを導入しているのかもしれません。だから、「ルネサンス」を「長い中世」における「小時代」と規定することが可能になるのかなとも考えたりもしました。

 そこには「時代区分」が人間の発明であって、「時代区分はより柔軟に用いなければならない。人が「歴史の時代区分」をはじめて以来欠けていたのは、その柔軟さなのだ」とするル=ゴフの真骨頂があるということもできます。

 

 ル=ゴフは「時代区分」を「人類の本質的な問題のひとつ」である「地上の時間の支配」に起点をおいて説明しています。私が反応したのは前稿の冒頭に書きとめた「時間の支配」についてです。私にとって「噛み切れない言葉」だとしましたが、どう感じられるでしょうか。「時間を支配する」という主体的な変化より、私などは「時間に支配される」とか「時間に追われる」とか、どちらかといえば、主客の逆転した状態で用いることが多いのです。そこには「時間感覚」の彼我の違い、<時の流れ>というものを重視する文化的な背景があるのかもしれません。「時間を管理する」といいながら、「時間に管理されている」という感覚が、サラリーマン仕事から私のなかに染みついてしまっているのでしょう。私には「支配」というよりも「把握」とか「管理」という言葉の方が近しいように感じました。

 ル=ゴフの文章のなかで気づいた一文に(前稿でも引用していますが)、「歴史家は、時間をーみずからがその支配下にあるところの時間をー支配しなければならない」があります。この文章に続いて「時間は変化するものであるから、歴史家にとって時代区分は不可欠な道具となる」とあるのですが、ル=ゴフもやはり人間にとって「時間の支配と被支配」という二面的な、表裏の関係を踏まえて議論しているものともいえます。

 こう書いていると、歴史家であるル=ゴフが「時間区分」というものをいい加減に使うことを諫めつつ(根拠となる客観的現実に対応しない<時代区分>で歴史を弄ぶというような)、歴史家の責任と心構えを訴えたかったのではないかと思ったりもしてきました。

 

 次に、「中世」と「ルネサンス」の歴史的な関係についての方です。

 私の印象では、こちらの方もなるほどだけれど、軽々にそうだという判断などできないと感じました。碩学であるル=ゴフの結論の背景には、「中世」、「ルネサンス」にかかる、個別具体の事象を含め、膨大な学識の蓄積があって、伝統的な歴史学への異論が可能になったのです。「中世」は「闇の時代」とはいえないと断ずる基準、「ルネサンス」は確かに「再生」だが、根本的な変化ではなく「特別な時代」とはいえないという基準、基準などという言葉では表現できないようなル=ゴフの深い視線がこうした判断を下したのだと想像できます。そのような基盤をもたない私が、能天気に「分かりました」という言葉を発することなど躊躇せざるをえないということです。

 この小著においても、ル=ゴフは各分野ごとの専門的知見を幅広く取捨選択したうえで、その当否を論じていますが、私には個別具体の記述内容に理解できないところが多くあったのです。大歴史家というル=ゴフによる探求の誠実性と深度は翻訳文からも伝わってきますが、たとえ私のようなものにも理解のトビラが開かれているにしても、保留すべきだと思っているのです。

 ただ、この本で「中世」と「ルネサンス」という概念の成り立ちを学ぶと、少なくとも<伝統的な歴史学>の結論のような考え方を無条件で受け入れることはできないということだけは「分かりました」ということになりました。

 

 繰りかえしますが、池上俊一は『フィレンツェ』の<あとがき>で「本書を書き上げて、私はますますルゴフ説に賛同したくなってきた」と書いていました。この文に続けて「ルネサンス人が否定しようとした「中世」とは、「ルネサンス」自身の半身を指していたのだから」として閉じているのです。

 池上の「賛同したくなってきた」とは、「フィレンツェ史」を綴ってきた者として、ルネサンスが偉大で特別な時代であることを貶めることにつながる考え方に諸手をあげて賛同することはしたくないけれど、やはりル=ゴフ説を否定できないし、賛同せざるを得ないような気持ちになってきたということなのでしょうか。

 かくして、池上もまた最終判断を留保しているのだといえます。

 

 もう一人、澤井繁男の『ルネサンス再入門 複数形の文化』にもふれておきます。この書で、澤井は「ルネサンス」に関して4つの史観を紹介しています。ルネサンスは「近代の始まり?、中世の稔り?」という課題に対応し、前者は「断絶史観」、後者は「連続史観」という2つの史観のほか、二択ではないとでもいうように「過渡期史観」と「複数主義史観」を追加しています。

 このなかで、澤井はルネサンスのなかに中世的要素と近代的要素の両方が共存しているとする「複数主義史観」の立場に立つと言明しています。で、ルネサンスは「中世」「近代」のいずれに属するのか、それに澤井は答えていないように読めるのです。ルネサンスは中世と近代の諸要素が共生する時代と捉えるということは、一見、ル=ゴフ説に近しいともいえますが、結局、中世でなく、近代でもない、独立した「特別な時代」ということになってしまうのではないでしょうか。なお、澤井は同書のあとがきにかえて、ル=ゴフの『時代区分は本当に必要か?』について書評していますが、この中でもル=ゴフ説への賛否を明確にしていないように(池上と同様に避けているともいえます)、私には読めました。

 池上、澤井の両氏はルネサンス期を専門とする学者ですが、伝統的な歴史学への異論であるル=ゴフ説に二人とも態度を鮮明にできていないのです。ということは、それだけ伝統的な歴史学の存在が強固だともいえますし、同時に現代人にとっても引き続きルネサンスが偉大で魅力的な時代と捉えられているともいえます。

 この「ルネサンス」と「中世」「近代」の関係は、やはり軽々にあつかうことができない問題、さらにそれぞれの論者の立脚点を崩しかねないような問いを孕んでいるのかもしれないと、私にはそう感じられたのです。

 

 もっといろいろと感想をもったはずですが、言葉になりません。

 「今の時代は云々」というように「時代」という言葉は「期間」「年代」などの意味でもよく使われています。このような使い方を否定するものではありませんが、ル=ゴフが問題とする「時代区分」は歴史学の領域におけるものだということを忘れてはならないのでしょう。そして、時代区分と歴史家、歴史との関係について、ル=ゴフは次の言葉を残しています。

 「 時代区分によって、歴史家はひとつの時間観を形にするとともに、過去

      についてのある連続した包括的なイメージを明らかにする。このイメージ

  こそ最終的に「歴史」と呼ばれるようになったものにほかならない。」

 うむぅぅなるほどです。

 今回の紹介をきっかけに、ル=ゴフの「時代区分」論に呼応するような、西洋=ヨーロッパではない日本(北東アジアという領域も想定できるのでしょうか)の「時代区分」、「時代区分」論への興味がかきたてられたのは申し上げるまでもありません。

 

コメント
takaginotamagoさん、コメントありがとうございます。
特に土倉さんの名前「九三」を「久三」と誤って表記していることをご指摘いただきありがとうございます。早速、訂正できました。
「夢二」という店には通うまではいきませんが、何度か足を運んだ記憶があります。
  • パンテオンの穴
  • 2019.01.04 Friday 18:58
先ほどのコメント、本来ならば12月31日の「大みそかに」の記事に付すべきところを、誤ってコチラに記してしまいました。コメント内容の通りが悪くなり、申し訳ございません。
それから、パンテオンの穴さまの記事中の土倉さんのお名前の用字ですが、「九」ですのでご確認くださいませ。
  • takaginotamago
  • 2019.01.04 Friday 17:48
はじめまして。
故土倉九三氏のことで少し調べたいことがあり、検索でコチラにたどり着きました。
酔うと一升瓶を振り回すとかいった荒っぽいところがあると伝え聞いていましたが、「立ち話」からは噂とはまた別の一面が浮かんできました。ありがとうございました。
ひとつ前の記事に書かれていた銀閣寺道の「文楽」、懐かしい店ですね。文楽の近くで、今出川通を南側に入ったあたりに鯨の美味かった「夢二」という店がありましたが、’80年代のはじめに再訪したらなくなっていました。出町の「マキ」は、イノダの本店のような観光地にはなって欲しくないですね。また、おじゃまいたします。
  • takaginotamago
  • 2019.01.04 Friday 11:01
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プロフィール
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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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