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2018.08.05 Sunday

「行って帰ります」と「さようなら」ー美しい言葉はー

 先日、「行って帰ります」という言葉を初めて聞きました。『早坂暁を探してー桃井かおりの暁さん遍路ー』というテレビ番組(NHKBSプレミアム/8月1日放送)のなかで、早坂の故郷である愛媛の海岸に立つ桃井が、早坂から「行って帰ります」という言葉を教えられたと話すシーンに登場したのです。早坂は、「行って帰ります」には「無事に帰って来ます」というニュアンスがはっきり出るからいいのだと語っていたそうです。

 中国・四国地方(全域ではなさそうですが)の方言であるらしく、「行って帰ります」と言うと「行ってお帰り」と応えるなど、セットでも使われているようです。たしかに出かける側の思いと送り出す側の願いが響きあっている言葉ですね。今ではやはり使われることが減っているのでしょうか。

 早坂暁(1929-2017)は、戦中世代で海軍兵学校在学中に終戦、故郷へ戻る途中、被爆直後の広島の惨状を目撃したとあります。代表作とされる「夢千代日記」や「花へんろ」にもその影が色濃く反映されています。

 そんな早坂にとって、母をモデルとした「花へんろ」の静子にとっても、「行って帰ります」は、とても切実な言葉であったのです。

 この「行って帰ります」に反応したのも、毎日新聞の「鼎談 須賀敦子の世界」(2018年7月29日朝刊)で、「さようなら」という言葉が大きく取り上げられていたのを読んだからなのかもしれません。

 亡くなった直後に出版された『遠い朝の本たち』という本で、須賀敦子(1929-1998)は、中学生になったばかりの頃に、ン・モロー・リンドバーグが「さようなら」という異国の言葉についての深い思いを表現した文章を読んで、「自国の言葉を外から見るというはじめての経験に誘い込んでくれたのだった」と書いています(「葦の中の声」)。そして「アンの文章はあのとき私の肉体の一部になった」と須賀は回想していますが、そのことを鼎談で湯川豊はこれぞ「文章の「血肉化」なのだ」と評しており、これに応じた松山巖も「何度読んでも「なるほどな」と感じられる」と発言しています。

 1931年に大圏ルートの飛行調査中に、リンドバーク夫妻の飛行機は千島列島に不時着しましたが、なんとか葦の中から救出されます。そして、東京で大歓迎されたあと、横浜から船で出発するというときに見送りの人々から発せられた「さようなら」という言葉の意味を、あとで聞き知ったアンはあたらしい感動につつまれ、エッセーを書いたのでした。

 今、この文章は「サヨナラ」という題で『翼よ、北へ』(2002年刊/みすず書房)の一篇として収められています(私はもっていません)。翻訳者である中村妙子の訳(抜粋)は、以下のとおりですが、その「…(中略)…」の部分では、ドイツ語の「アウフ・ビーダーゼーエン」やフランス語の「オーボアル」㊟A、英語の「フェアウェル」㊟B、そして「グッドバイ」や「アディオス」㊟Cのことが取り上げられ、「サヨナラ」との違いに想いをはせたうえで、「けれども」以下の文章へと続きます。

 ㊟A: 日本語の<サヨナラ>は「またお会いしましょう」と別れの痛みをさき送り

    る言葉で言い替えてごまかそうとはしない。

 ㊟B: だが別れのその時のかけがえのなさはすり抜けて何も語らない。情感は隠さ

    れ、つたわる想いは僅かだ。

 ㊟C: 隠されてはいるがそこに確かに、ぬきがたくあるのは「忘れないでわたしはあ

    なたといることをーいつも見守っているいるから」。   

 「 「サヨナラ」を文字どおり訳すと、「そうならねばならないなら」とい

  う意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつ

  くしい言葉をわたしは知らない。…(中略)…けれども「サヨナラ」は言い

  すぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受け

  いれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそ

  かにくすぶっていたものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のよ

  うにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-by

  であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ-「サヨナラ」は。」

  

 このエッセーの魅力をいろんな人に話してきたという須賀は、60代になって、遠い記憶をもとに、アンの文章が語りかけて血肉化した内容を、次のように書いています。

 「 さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、も

  ともと「そうならねばならぬのなら」いう意味だとそのとき私は教えられ

  た。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だ

  ろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて

  人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だ

  ろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。そ

  れなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのな

  ら、とあきらめの言葉を口にするのだ。」

 そして、須賀は、アンのなかで「別れ」ということばが、「神とともに」から「そうならねばならぬのなら」というあきらめの言葉に変わったのは、<あの事件>を境としているのではないかと推定しています。<あの事件>とは、「さようなら」「サヨナラ」に出会った1931年とこのエッセーが発表された1935年の間、つまり1932年に1歳半の長男チャーリーが子供部屋からさらわれて惨殺されるという恐ろしい事件のことです。

 

 鼎談で「何度読んでも「なるほどな」と感じられる」と発言した松山巖は、その直前に、英語のグッドバイは「神はなんじとともにあれ」だが、「さようなら」は「わけがあるのであれば、ここで別れなくてはならない」という意味で、グッドバイと全く違うと、須賀の記憶に即した説明を加えています。

 私がどうしてなのだろうと感じたのは、「さようなら」に、アンが「このようにうつくしい言葉を知らない」「言葉にしないGood-by」だとしているのに対し、須賀は「なんという美しいあきらめの表現だろう」というように、「さようなら」が「別れにのぞん」で口にする「あきらめの言葉」だと、記憶していることです。そんな須賀は、「当時は誘拐事件についても私自身、無知だったうえ、あきらめ、ということが美徳とはとても思えない年頃でもあったのだが」と、本人の文章に書きもしているのではありますが。

 もとより須賀の理解、解釈に誤りがあると思っているわけではありません(須賀はそう血肉化させているわけですから)。でも、どうして「さようなら」を「美しいあきらめの表現」と、「あきらめ」という言葉を使って、中学生になったばかりの須賀がアンの文章を肉体の一部として記憶したのか、そこに不思議を感じるのです。

  須賀敦子著『遠い朝の本たち』 1998年7月刊/筑摩書房

 どうでもいいことにこだわっているようです。

 本稿で書いておきたかったのは、最近、「行って帰ります」という聞いたことも口にしたこともない言葉と、あまり口にしなくなったように感じている「さようなら」という言葉のそれぞれが内包するところを気づかせてもらって、いずれも人間の真情から生まれた「美しい言葉」に出会った、再会したという実感を得たということなのです。

 だから、二つの言葉の差異を並べ立てようとは思いませんが、もう少しだけ考えてみることにします。

 

 「行って帰ります」と「さようなら」は、いずれも「別れ」に際しての言葉だといえばそうだといえます。「戻る」「再会を期す」という点では、「行って帰ります」はその意味が言葉のうちに、「帰ります」「お帰り」として直接存在しています。これに対し、「さようなら」には、アンが感じたように「またお会いしましょう」を意味する言葉はなく、「別れの痛みを先送りする言葉でごまかそうとはしない」といえるのかもしれません。

 そのニュアンスには時間的、空間的な違いがあるといえばあります。「行って帰ります」の<別れ>は、一時的というか、短期間で、近距離で離れる状態を想定しますが、「さようなら」は、長期間で、遠距離で離れるという、少なくとも今の私はそんなニュアンスの違いを感じます。どうかすると、今、誰かに面と向かって「さようなら」を言うときは、長期間にとどまらず、永遠にということさえ感じられるのです。

 もとより戦争末期に海軍兵学校へ向かう早坂と、母親である静子が、「行って帰ります」「行ってお帰り」と簡単に応答できないような世間があったものと思いますが、二人は心の声として、そう応答したものと思います。それは短期間で近距離でもなかったのですから、ニュアンスの差など、現在に生きる者としての私の感覚にすぎないということにもなるでしょう。

 

 いずれも「別れ」の言葉で、ニュアンスにそれなりの差異はあったとしても、その言葉に込められた人間の真情には近いものがあります。「さようなら」についてアンが結論として書いている「言葉にしないGood-byであり、心をこめて手を握る暖かさなのだ」からすれば、「行って帰ります」も「さようなら」も、人間の真情を表現する言葉として、その真情の距離において、そんなに差異などないのだともいえます。

 こう書いてしまえば、「さようなら」は、神なき私にとっては「グッドバイ」と全く違うものではないということもできますが、すべての感情がこもってはいても「それ自体は何も語らない」ところにこそ「さようなら」の偉大さはあるということでしょうか。そこに「美」を感じるような精神文化のあり方にこそ、もっと意識的にならないといけないのでしょうか。

 

 「さようなら」「サヨナラ」は使わなくなったなあと感じられていませんか。ふだんの自分を意識しても、「さようなら」を発語していることはほとんどありません。若いころにはもっと使っていましたが、今は「それではどうも」「じゃー(ほな)また」「ありがとう、お元気で」などが代替しています。

 その原因を逐一考えることはしないでおきますが、私たちを取りまく家族・親戚・近隣関係、もっと広く人間関係や社会関係、交通手段や通信連絡手段の多様化・高速化・即時化など、そんなあり様の変化を反映しているのにちがいないのでしょう。

 こう書いてくると、「さようなら」をあまり使わなくなったのは、須賀の記憶に託すとすれば、なかなか「あきらめ」という心のおき方を許そうとしない現代社会を映しているのかもしれないと思ったりもしました。この社会は、別れの歌はうたわれてはいても、<別れのその時のかけがえのなさ>というものを失っているともいえそうです。

 

 思えば、須賀敦子は早坂暁と同じ1929年生まれです。私より20年ほど前に生まれた二人から、新たに「行って帰ります」との出会いと、もっと大切な言葉であった「さようなら」との再会という機会をもらうことができました。

 『遠い朝の本たち』にはアン・モロー・リンドバーグの次にアントワヌ・ド・サンテグジュペリのことが書いてありますが(「星と地球のあいだで」)、その最後に引用されたサンテグジュペリの言葉が、今の私には真実として重く感じられてならないのです。

 「 大切なのは、どこかを指して行くことなので、到着することではないの

  だ、というのも、死、以外に到着というものはあり得ないのだから。」

 

【追記】

 谷川俊太郎には、もう一つの「さようなら」という詩があることを見つけました。

 既知の「さようなら」は、当ブログ(「ホントウの誕生日」)でも引用したことのある2007年刊の『私』の一篇で、自らの死に際して「私の肝臓さんよ さよならだ/腎臓さん膵臓さんともお別れだ」という呼びかけから始まる詩です。

 今回、見つけた「さようなら」は、1988年の『はだか』にある同じ題名の詩です。ここには<別れのその時のかけがえのなさ>がありそうに思えるのです。これを引用するのと併せて、歌としてうたわれているユーチューブを貼っておくことにします。

 

     さようなら

 

  ぼくはもういかなきゃなんない

  すぐいかなきゃなんない

  どこへいくのかわからないけど

  さくらなみきのしたをとおって

  おおどおりをしんごうでわたって

  いつもながめてるやまをめじるしに

  ひとりでいかなきゃなんない

  どうしてなのかしらないけど

  おかあさんごめんなさい

  おとうさんにやさしくしてあげて

  ぼくすききらいいわずになんでもたべる

  ほんもいまよりたくさんよむとおもう

  よるになったらほしをみる

  ひるはいろんなひととはなしをする

  そしてきっといちばんすきなものをみつける

  みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

  だからとおくにいてもさびしくないよ

  ぼくもういかなきゃなんない

 

 🔹『さようなら』(作曲 谷川賢作) DiVa/2017.6.20 

 

  真夏の夕刻(県立考古博物館の展望塔) [2018.8.4撮影、以下同じ] 

  咲きはじめたサルスベリの花(大中遺跡公園内)  

  

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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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