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2017.10.13 Friday

「僕の写真は自分が忘れたくないものを写したものだろう」ーRobert Frank:Books and Films,1947-2017 in Kobeー(2-)

(2-)からの続き〛

🔹 New York to Nova Scotia[2005/1986] ㊟[シュタイデル社刊行年/当初刊行年]

 大西洋岸に面しアメリカに接するカナダのノバスコシア州、1970年にその寒村であるマブーに居を構えたことはフランクにとって大きな転機であり、シェルターであったように感じます。ニューヨークとの行き来はフランクにとって創作のエネルギーになったにちがいありません。回顧展が開かれた1986年に出版されていた本を再刊したものです。

 写真は30点だけでそれ以外に1954年のグッゲンハイム財団への提案書など多くの文書が収録されています。ウォーカー・エバンスの助言をえたといわれる提案書のなかで、フランクは「帰化したひとりのアメリカ人が見つけたアメリカ合衆国で誕生し各地へ広がりつつある文明についての観察であり、その記録です」と書いています。あくまで提案書の中のことではありますが。

 

🔹 Come Again[2006/1991] ㊟[シュタイデル社刊行年/撮影年]

 1991年にレバノン内戦(1975-90)で壊滅したベイルートの下町の撮影を依頼されたフランクは、その仕事以外に自ら意志でポラロイドを使って撮影しました。それをコラージュした写真群をシュタイデル社が本にしました。

 破壊された町の風景は壊滅的な破壊という戦火のあとそのものであり、第二次世界大戦の集中的な空襲の跡を思い起こさせます。レバノンに引き続くアフガニスタン、イラク、パレスチナ、シリアへの想像力を要請しています。

 

🔹 Seven Stories[2009/  ー ]

 フランクは1972年からポラロイド写真を撮りはじめますが、この写真集はカラーのポラロイド写真を7点ずつ連続させて編集したものだそうです。フランクの人生において親しい(親しかった)、人物そして戸口、部屋、静物、日用品、食べ物が並べられています。

 組写真の右下の2枚が1枚の写真です。この2枚のポラロイド写真の左の方は室内にカフカの写真がおかれた室内を撮ったものです。右のフランクの写真は「Poto by Ayumi 2009」と後ほど登場する日本人女性が撮影したものであり、この写真集のデザインとしてフランクとシュタイデルに加え、Ayumiこと「A-CHAN」がクレジットされています。

 この三人は翌年の2010年から現在進行形のヴィジュアル・ダイアリーにおいてデザイン(企画・編集も)として連記されており、それを準備した写真集だということができるでしょう。

 

🔹 Pangnirtung[2011/1992] ㊟[シュタイデル社刊行年/撮影年]

 1992年、親友に誘われて北極圏のバングナータングを訪れ、5日間滞在を記録した写真集です。展覧会の解説文には人間不在でバングナータングを描き出していることを「感傷的にはならず、誠実さをとどめた」写真であると記されていました。『Valencia 1952』のところでメモした「写真撮影に対する姿勢」の反映なのでしょう。

 

◉第三部:時の流れの前に立ってー二人の伴走者とともにー

 2010年以降に刊行された第三部の写真集は全部で7冊、<目に見える日記(ヴィジュアル・ダイアリー)>と名付けられています。2013年の『Household Inventory Record』はもとはレディメードの写真集だったようで、それ以外の6冊は一つのボックスに入ることを意図された「美しい小型のペーパーバック」となっています。

 今回の展覧会でみていても、それぞれの画然とした区別が私にはつかないのです。70年代、写真に戻ってきたフランクは映画の制作で得た日記のような手法を用いています。手元に残された古い写真と最近撮りながら未公開である写真を組み合わせることによって、自分や親しい者の人生、フランクの世界、宇宙を再構成、再編集する方法です。

 今回の展覧会のカタログ「ロバート・フランク特別号」にジョン・ファレルという方がヴィジュアル・ダイアリーに関する論文を寄せています。いずれの本にも共通して登場する被写体やシンボルとして「戸口や窓枠、空、海岸線」を挙げています。何度も繰り返されることによる視覚的な連続性が、「それぞれの本を別々にも、また全体でより大きく広がりのあるひとつの作品としても見られるように結びつけている」と指摘しています。

 そうした写真集から立ち上がってくるのは、やはり時の流れ、経過へのフランクの私的かつ詩的なアプローチです。フランクは時の流れに身をまかせることをよしとせず、少々大げさではありますが、その前に立って、「生きていることのありよう」を再構成、再編集しようとする写真家の魂、芸術家の魂なのだと、私は思っています。

 

 この7冊はいずれもシュタイデル社の初刊本であり、繰り返しますが、デザインは全て「ロバート・フランク、A-CHAN、ゲルハルト・シュタイデル」とクレジットされ、その共同作業で成立しています。伴走者というべき二人との信頼関係が、ヴィジュアル・ダイアリーというフランクのレイターワークを可能にしているのです。

 ここでは、A-CHANことヤマザキあゆみという写真家についてフランクとの関係を中心にメモしておきます。1978年生まれ、茨城の取手育ちのA-CHANは2006年に渡米し、翌2007年にアポなしで83歳のフランクをそのスタジオに訪ね、そこから親交を結び、アシスタントとして10年がたちます。弟子や長期のアシスタントをのぞまなかったフランクにとって稀有なことです。なお彼女自身もシュタイデル社から3冊の写真集を出版しています。

 以下は今年のインタビュー記事からです。フランクがニューヨークにいるときには2日に一度はスタジオを通い、掃除を含め片付けものをし、お昼にサンドイッチを食べてお茶にして、今日と明日から何ができると話すとあります。現在は、撮りっぱなしのコンタクトシートから「いいな」と思うものをプリントする作業をしているとのことです。新たな宝の発掘なのです。

 A-CHANは「もう高齢なので「毎年、最後かもしれない」という思いがあって10年続いたのかな。そうじゃなかったらここまで出来なかったかもしれませんね」と述懐しています。フランクはなかなか気難しくセンシティブな人ですが、「人としての魅力がすごくあるので。ユーモアがあって、沢山笑うんですよ」とも、フランクの人となりを語ってもいます。

 いずれにしても、フランクのそばでヴィジュアル・ダイアリーの写真のプリント、企画・編集、デザインを担う彼女の存在なくしては、第三部は生まれなかったといえます。フランクのアーカイブスという記憶の源泉を更新、拡張しつつ、高齢のフランクが写真に向かう刺激を与える存在となっています。

 

🔹 Household Inventory Record[2013/ ー  ]

 展覧会ではヴィジュアル・ダイアリーの1冊目2010年刊の『Tal Uf Tal Ab』より前に展示されていました。レディメイド写真集としてはもっと前の制作だったということかもしれません。組写真の右側は妻ジューン・リーフの加齢による顔貌の変化であり、1枚の写真は2010年よりだいぶ以前のフランク夫妻の姿です。これも時の流れということにつながります。

 

🔹 Tal Uf Tal Ab[2010/  ー  ]

 ヴィジュアル・ダイアリーの伴走者である二人、組写真の右下に片膝を立て座っているのがA-CHANです。1枚の写真はゲルハルト・シュタイデルです。

 シュタイデル社から写真集を出す写真家はドイツのゲッティンゲンに出かけてシュタイデルキャンプといわれる宿泊施設に泊まって本作りのために共同作業をします。でも高齢かつ特別のロバート・フランクにはゲルハルト・シュタイデルがニューヨークを訪れて三人で本作りをするとのことです。

 

🔹 You Would[2012/  ー ]

 組写真の上段には、アレン・ギンズバーグら旧友たちが登場し、1枚の写真は美術家である妻ジューン・リーフの近影なのでしょう、フランクとの二人の関係も謎めいています。美術家のジューンはノバスコシアの小屋でも一日中仕事ができるけれど、自分は写真だからニューヨークも必要だと語っています。 

 展覧会の解説文では、新旧の作品が入念に編集されており「過去の経験がフランクの現在を強固なものにし、彼の人生は本作りによって記録されるだけでなく、形づくられていることが示唆されている」とあります。本作りによって<フランクの人生が形づくられている>とはヴィジュアル・ダイアリーの制作が現在のフランクの人生そのものだということになります。

 

🔹 Park/Sleep[2013/  ー ]

 組写真の上段、二個のドーナツの並ぶ写真を左右に2枚並べたのは抽象版画のようです。まったく同じなのかと、じっと見入ってしまいました。人物にかぎらず、日用品や外国みやげで買った人形もよく登場しますが、フランクにとって、自分であった過去と自分である現在をつなぐものかもしれません。

 

🔹 Partida[2014/  ー ]

 1枚の写真はよく登場しているA-CHANの肖像です。フランクとの信頼関係が現れています。

 組写真の方では輝く青空と白い雲の写真が3枚並べられています。微妙に雲は動いているようです。このことをジョン・ファレルは「「ヴィジュアル・ダイアリー」で繰り返される、時の流れという概念を強調する」と解しています。下段左は「自由の女神像」なのでしょうか。20世紀初頭、ヨーロッパからの移民は自由の女神像の近くにあるマンハッタン沖のエリス島に集められ、審査を受けていました。フランクの頃はどうだったのでしょう。

 

🔹 Was haben wir gesehen/What we have seen[2016/ ー ]

 組写真の下段の右は息子パブロの肖像です。フランクは手書きで「PABLO」と記しています。その左は1枚の写真でもある白髪ではないフランクとアレン・ギンズバーグの姿です。この2枚の写真が並べられている意図、意味は何かあるのでしょうか。

 ドキュメンタリー映画の巨匠であるジョナス・メカスはフランクの映画処女作にしてビートニクの象徴的作品である1959年『Pull My Daisy』に寄せた文章で、「これほど純粋かつ無邪気で、面白みと真実があり、簡潔に日常をとらえた映画は他にない」と激賞しています。映画から60年近くが経過し、ヴィジュアル・ダイアリーも「簡潔な日常」の描写という点で共通しており、そこに過去を関与させることによって、時の流れが意識されることになります。

 

🔹 Leon of Juda[2017/  ー ]

 ヴィジュアル・ダイアリーの最新刊です。組写真の上段の右、「LEON OF JUDA」と印字されたライオンの写真を写したものです。サバンナの草原に孤立したたずむ「裏切者のライオン」なのでしょうか。

 1枚の写真は、ノバスコシアのマブーの古い家です。大西洋に面しています。1970年からこの小屋はニューヨークとは別の拠点となっています。そのもつ意味は後でふれることにしますが、ニューヨークでの暮らしとのバランサーであり、フランクの芸術活動に不可欠な土地となっています。

 

おわりにー写真家とは何者かー

 図像ばかりが多くなりましたが、今回の展覧会で展示された全23冊の写真集を駆け足で紹介しました。ロバート・フランクという写真家と彼の写真について何か書いて終えたいと思います。

 前記したようにフランクは『ライフ』の「ピクチャー・ストーリー」のことを「はじまりと終わりのある、あのいまいましいストーリーってやつ」と徹底的に嫌っていました。そんなフランクからすれば、終わりに「まとめたい」という私のたくらみなど笑い飛ばしたことでしょう。

 

 それにしても、そんな予定調和の説明を嫌うフランクが、70年代以降、神話化された過去の作品を否定するような新たな写真技法を自らの方法として血肉化したのはどうしてか。あんなにも嫌っていたはずの言葉の手書き書き込みなどを駆使したことをどう理解したらいいのか。コラージュした写真と言葉の不協和音とか、視覚を撹乱するような暴力的な表現とか、そんなことさえ感じてしまうのです。

 本稿の導入部でフランクの写真の「スタイルは変化したものの基盤は変わりがないのではないか」という飯沢さんの考え方を紹介しました。その主張の正当性を否定できる何かが私にあるわけではありませんが、腑に落ちきらないような噛みきれない思いがなお残ります。

 

 飯沢さんは、写真の歴史という視点から、20世紀の写真は独自の表現メディアとして自立するために「言葉による゙説明゙や゙解釈゙」から距離をおいて「いかにその純粋性を保っていくか」が大命題であったとします。そして『The Americans』までのフランクは「その命題を極限まで追い求め、最終的な回答を出そう」とした一人だったというのです。その通りでしょう。

 でも70年代以降、それに逆行したようにみえるのはどうしてなのか。そのことを、飯沢さんはフランクのコラージュ作品に刻みこまれた「言葉の群れ」がはたして「゙説明゙や゙解釈゙」なのか、そうではないのではないかと、1974年に娘のアンドレアの事故死に直面したフランクの写真群を前に、次のように提起するのです。

 「 これらはほとんど叫び、うめき声、呪いや祝福の文句に近いものであ

      る。゙解釈゙ではなく、ぶつぶつとつぶやく自問自答の声である。」

 そしてフランクの写真の言葉について、アレン・ギンズバーグの「短く寂しい、誠実に感傷に満ちた詩ー文字・合図・標語」を引用し、飯沢さんはこう結論しています。

 「 アレン・ギンズバーグの言葉ほど、彼の写真からあふれ、ほとばしり

  出る゙声゙の正体を的確に見抜いたものはほかにない。」

 フランクの写真に記されているのが、゙言葉゙というより゙声゙なんだというのはうなづけるところです。

 

 本稿に飯沢さん以外でもう一人登場してもらったジョン・ファレルは、飯沢さんが前提とするフランクの写真にみられる70年代以降のスタイルの変化について、その背景を次のように論じています。

 「 フランクの70年代以降の美学を生み出したのは、ブリーカー・ストリー

  ト(㊟ニューヨークのスタジオ兼住居の所在地)からノバスコシア州の田舎へと居場所

  が大きく変わったこと、さらには私生活でいくつもの悲劇に見舞われたこ

  とだろう。」

 特に息子パブロとの関係がこじれ、ぎくしゃくしていた頃の映画や写真から、次のことも記しています。

 「 この頃、フランクが映画と写真の制作に用いた日記のような手法は、そ

  の後の作品にもはっきり見て取れる。」

 その手法が、さまざまなバリエーションも広げつつ、本稿で区分した第二部から第三部へと続いていくわけです。そしてある種の危機的な状況にあって、身辺だけでなく神話化された自分に対しても、フランクば声゙を発せざるをえなかったということに注目したいと思います。

 

 繰り返します。以上の意見も踏まえれば、写真のスタイルは変化したけれど写真家フランクの基盤は変わっていないという飯沢さんの主張につながってくることになります。その基盤とは「彼が求めているのは彼自身が経験した(経験しつつある)生の総体を、肉声のなまなましさを保ち続けながら組織していく方法論」だということです。表象の明らかな不連続性という現象面に対し、その基盤の連続性について少しは理解できそうな気持ちになってきました。

 ここで何かを加えるとすれば、時代の状況、フランクが深く交流したビートニクの人たちを生み出した時代の背景、例えばビートニクの詩人たちはオーラル、口誦を重視していましたし、一方で美術においてもポロックなどの抽象表現主義の新しい潮流が出現していました。フランクはこうした鋭敏に時代と反応する人びとから、とりわけ映画の制作を通じて感得できたことを、写真という分野における新たな表現方法(思えば編集も含めると写真ほどフレキシビリティがあるものはない)として、70年代のフランク自身の生の危機的状況において反映させることができた人ではないかと申しあげたいのです。

 そこにこそ、繰り返しますが「生の総体を、肉声のなまなましさを保ち続けながら組織していく方法論」としての連続性というフランクの変わらない姿勢のもとで、個々の写真の不連続性となって立ち現れてきたということができそうです。

 

 未解決のままで終わりましょう。

 こうしたスタイルの変化に私がこだわるのは、率直に書くと、第一部の写真はやはり素晴らしいと感じる一方で、第二部と第三部の写真自体を第一部と同じような視点から素晴らしいと感じることができないからです。私にとって第一部は無条件、第二部と第三部は条件付きということになります。

 もとよりフランクの伝記的な事実、生涯の軌跡を知識として得たり、ここで紹介したような文章を読んだりしますと、第二部と第三部の写真をなるほどそうかと感じることはできます。ともあれ写真家ロバート・フランクを知ろうとしたとき、第二部と第三部を捨象してしまうことは勿体ないことですし、第二部と第三部から第一部を見ることも大切なことだといえます。

 いずれにしても、これがロバート・フランクの写真総体への私の感想ですから、それはまた写真を見る人としての私の限界だと申しあげておくことにいたしましょう。

  『The Americans』からです 確かに無条件です

 

 最後に、飯沢さんの「写真家とは何者か」についてふれておきます。

 『フォトグラファーズ』の巻頭におかれた「ロバート・フランク 写真家であるためにー序文にかえてー」は、そんな基本的な問いかけからはじまります。飯沢さんは、曖昧で不確かなものと断ったうえで写真家に「写真によって「生かされる」者」という定義を仮に与えておくことにしようというのです。この定義を次のように説明します。

 「 写真という行為をぎりぎりまで突きつめて考えていくと、写真を撮影す

  る行為、あるいはその結果として生み出されてくる写真そのものが、撮影

  者その人の生と分かちがたく結びついている状況を見ないわけにはいかな

  くなる。写真を撮影することで彼らは生き続けるための力を手に入れ、逆

  に彼らの生にまとわりついた感情やエネルギーの束が投げ入れられること

  で、写真はそれを見る者を刺し貫くような輝きを帯びる。そのような相互

  作用を、自らの生の過程でいやおうなしに体現している者こそ、写真家の

  名にふさわしいのではないか。」

 長い引用になりました。本稿を書いてきた今、これはロバート・フランクそのもののことを書いていると申しあげるしかありませんね。

 飯沢さんは、写真家を「写真によって「生かされる」者」と定義するにあたり、フランクが「その典型、というより最も突出した存在」であり、「写真家という存在の原型(プロトタイプ)というべき姿」が見えてくると考え、40名に及ぶ写真家を論じた本の巻頭においたのです。

 

 ロバート・フランクという写真家に関する映画をみると、90歳をこえた今も、その変わらないことにびっくりします。「くしゃくしゃの帽子に、色あせたネルシャツ」の恰好、それは移民や労働者のファッションです。辛辣な物言いのあと、A-CHANのいうチャーミングな笑顔があらわれます。

 飯沢さんの定義どおりの写真家として継続することは神話化されているからこそ想像外の困難がともないますが、ロバート・フランクは「写真によって「生かされる」者」であり続けた写真家なのだということがわかります。

 そこに「第一部」と「第二部・第三部」の一見した違い、落差を乗りこえる核になる真実があるような気持ちがしてきました。

 

 今回の展覧会において、ロバート・フランクという私にとって未知な写真家に出会え、フランクの写真と人生について、そして写真家と写真なるものについても、考える機会をいただきました。開催に尽力された方々に感謝したいと思っています。

                   【終:(1)  (2-)  (2-)】

2018.09.24 Monday

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  • 2018.02.26 Monday 06:49
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60代後半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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