2020.09.19 Saturday

今、「寛容」ということー渡辺一夫の言葉からー

 うれしいニュース記事を読みました。現在、高校3年生の梅田明日佳さんが小学3年生から続けてきた10年間の「自学ノート」が単行本として出版されたのです(『毎日新聞』夕刊/2020.9.7「新聞は自学の窓」)。書名は『ぼくの『自学ノート』』(2020年7月刊/小学館)といいます。

 私が喜ばしいと言いたくなるのは、NHKドキュメンタリーとして全国放送された「ボクの自学ノート〜7年間の小さな大冒険」(2019年11月放送)をみて、当ブログで取り上げたことがあるからです(2019.12.15「「自学ノート」に励まされてーNHKスペシャル『ボクの自学ノートに〜7年間の小さな大冒険』ー」)。これ以外に何の関係もないのですから、ちょっと大げさなのですが、「明日佳さん、よかったね」そして明日佳さんのお母さんに「おめでとうございます」と申しあげたい気分なのです。

 ブログのタイトルに「励まされて」と入れたのは、ドキュメンタリーを見ていて、このブログはある意味で私にとっての「自学ノート」ではないかとの思いをもったからでもあります。

 

◈発熱してPCR検査を受けると想像するとー小国綾子の記事からー

 急に発熱して、新型コロナウイルスの感染が疑われ、PCR検査を受けるようなことになったらと仮定して、私なら、どんな反応をすることなるかを想像してみようと思います。

 まずは不安になります。そして感染することになった場面を探そうとするでしょうか。つまり犯人探しのようなことをしそうです。と同時に、感染していたら、誰かを感染させたりしていないか怖くなります。家人以外の濃厚接触者があっただろうかと指折りします。現実にはほとんどありませんが、自治会活動の関係などで限られた方と接することもあります。

 だんだんと不安が大きくなり、濃厚接触者が親しい人の場合は、「ごめん、PCR検査を受けることになったけれど、貴方は大丈夫か」と電話しそうです。でも、「親しい人」とはいえない濃厚接触者には、電話することはしないでしょう。というか、できなくて、検査結果を待とうとします。

 では、検査結果が陽性だったら、という仮定はさておき(ちょっと想像が届きません)、陰性だったとしたら、電話をかけた親しい人には報告し、電話しなかった人にはそのままということになるのかなと思っています。

 

 以上のような仮定が現実のものとなった経緯を、毎日新聞の小国綾子記者が「あした元気になあれ」というコラムに書いています(『毎日新聞』9月8日夕刊「コロナ疑惑に学んだこと」)。

 小国は、新型コロナウイルスの「感染者たたき」について、取材相手と話し込んだ翌日に、発熱して医療機関を受診してPCR検査を受けることになりました。そしてこの取材相手に「謝るべき話じゃないと頭で分かってるけど。でも、感染していたら本当にごめんなさい!」とメールしたとあります。

 この過程で、PCR検査の前日、3年の付き合いになるデイケアの女性スタッフから、「結果がどうあれ、そんなのどうでもいい!また一緒に過ごせるのをお待ちしています。」とのメールが入り、「胸を突かれ」、<コロナには誰もが感染しうる。病気や障害は謝るものではない>という信念をもって、「心の病を持つ人びとの居場所で働いている彼女らしい一言だった」と、小国は記しています。

 そして、この言葉の存在もあって「検査結果を待つ数日間、私の心はもう穏やかだった」とし、「検査は陰性だった」ことを小国は報告しています。

 今の社会では、「コロナ感染が「加害・被害」の文脈で語られ、感染者が加害者のようにバッシングされる」という現実があること(すべてではありませんが)を指摘したうえで、小国は記事を次のとおり結んでいます。

 「 「病気より世間が怖い」「職場の感染第1号になりたくないと多くの

  人々が口にせずにいられない社会は、誰にとっても生きづらい。「陽性で

  もいい。早く元気になって」と受け入れ合える社会でありたい。」

 

 小国の記事はよく分かりますし、そのとおりだと思っていますが、私だけでなく他者に対し「結果はどうあれ、そんなのどうでもいい!」という言葉を吐ける人はなかなかいないであろうということも否定できません。ここではむしろ、小国も書くとおり、こうした状況下では、私たちはふつう『ごめん』、『迷惑かけてごめんなさい』という感覚をもっていて、共有しているという厄介さを指摘しておきたいのです。

 このことが、バッシングの土壌としてはたらいている、巻き込まれやすいものとしている、ですから、私たちの誰もがまた、バッシングする立場に立ってしまう、言いすぎであればバッシングを許容する立場に身を置いてしまう可能性をもっていると、私は考えています。

 

◈極端な現象が象徴するものー中村文則の視点からー

 前項の小国の記事にある「感染者が加害者のようにバッシングされる」というような現実を、社会の病理として言葉にしようとした記事を読みました。<鈴木美穂>という書名入り、「作家・中村文則さんと考える」と付された記事です(『毎日新聞』夕刊8月26日付「「帰省警察」に「クラスターフェス」極端すぎませんか?」)。

 今次のコロナ禍において、「自粛警察」「マスク警察」「帰省警察」などの言葉で表現される<個人攻撃社会>というべき現象が生じていることを、どう理解すればいいのかを考えようとしています(一方の、同じく極端な現象である「クラスターフェス」「クラスターデモ」も論じていますが、本稿ではふれないでおきます)。

 

 作家の中村文則は、従前から「日本を覆う不吉な空気」というものを強く意識しており、それがコロナによってさらに「悪化のスピードを加速」させ、「ずっと進んでいた差別の感情」は増大し、「人々は互いに攻撃し合う」ようになっている、と診ているのです。今の感染者バッシングなども「そうしたギスギスした社会を象徴している」というわけです。

 だから、中村は、感染が判明した著名人が謝罪する風潮をよくないと断じています。つまり、「コロナウイルスに感染⇒感染した人が謝罪⇒感染が悪いという印象の植え付け⇒感染者への差別や攻撃を助長⇒人々は怖くて自分の症状を隠して、余計に感染が広がってしまう」、こうした連鎖のサークルが「悪循環の極み」だというのです。

 こうした「悪い方向へ行く社会」を、中村は心理学用語である「公正世界仮説」という概念を用いて説明できるとします。「公正世界仮説」とは「この世界は公正で安全であると思いたい心理」のことで、これが「行き過ぎる」と次のようになると指摘しています。

 「 何か被害が起きた時、それが社会構造や政策のせいだと不安になるの

  で、被害を受けた人に『あなたに落ち度があったのでは?』と思うように

  なる。つまり被害者批判に結びつく。新型コロナは誰もがかかり得る病だ

  とわかっているのに、感情的に感染者側に落ち度があったと思うことで安

  心し、かかった人を攻撃するようになる。」

 いずれにしても、前記した私たちの『ごめん』『迷惑かけてごめんなさい』という感覚自体が悪いわけではありませんが、こうした<行き過ぎた>「公正世界仮説」と結びついたりすると、被害者である感染者という個人を攻撃するという倒錯的な行動に転嫁しやすいという現実を直視しておく必要がありそうです。 

 こうした見方をしている中村は、コロナ終息後の社会を「悲観材料しかない」とみています。長期間にわたり中産階級を分解させ、格差を拡大してきた今の日本社会において、つまり格差社会においては長引くコロナを何とか耐えることは厳しいのではないかというのです。「ますます景気は落ち込み、社会はよどんでいく。差別や格差もこれまで以上に広がり、この『個人攻撃社会』は加速するでしょう」と予見しています。

 以上、中村は、長期的な社会構造の変化が根っ子にあって、いわゆる「分断と格差社会」という「ギスギスした社会」という基底があって、そんな社会が今次のコロナ禍によって覆われたとき、顕在化したのが感染者が加害者のようにバッシングされる<個人攻撃社会>であり、こうした社会的雰囲気の中で「自粛警察」「マイク警察」「帰省警察」なども登場したのだと考えていると、私は理解しました。今風の言葉で表現すると、もともとストレスフルな社会に、コロナというストレスが覆いかぶさったことで、さらに強くなったストレスをスルーないし反転させる反応として<個人攻撃社会>がいよいよ顕在化したということになるでしょうか。 

 現時点において、幸いにも、私の小さな狭い世界でこの<個人攻撃社会>を具体的に経験したり、見聞したりしたとはいえないのですが、中村の「公正世界仮説」に基づく診断を否定することはできません。とりわけ、「格差社会においては長引くコロナを何とか耐えることは難しいのではないか」ということは、私も強く意識していることです。そして、いつものように脳天気な立場かつ安全地帯からの発言という誹りを受けつつですが、深く憂慮しています。

 

 ちょっと補助線を引いてみましょう。

 この「公正世界仮説」は、当ブログでも紹介した「正常性バイアス」という言葉とも親近するニュアンスを感じています(2020.5.26「「解除」という空気感のなかで」)。永田和宏は、この「正常性バイアス」とは、「自分だけは大丈夫だろうと、根拠なく思う性癖である」あるいは「これしきのことで騒ぐなんてみっともないと高をくくる傾向と言ってもよい」とし、「誰もが多かれ少なかれ持っている」ものだと説明します。 

 「コロナには誰もが感染しうる」ことをわかっているのにも関わらず、どうして<行き過ぎた>というべき「公正世界仮説」や「正常性バイヤス」が具現化、顕在化してしまうのか、それは、広い視点、視野をもたせることのできない「分断と格差社会」にあって、いわば「自分だけ」を特別扱いしてしまう心性において共通しているのではないかと、私は理解したいと思っています。

 前者は被害者批判、被害を受けた人を攻撃することに結びつきますし、後者は自分だけは大丈夫と思い込むことにつながっていきます。

 いわば「公正世界」ではない現実の中で「公正世界」をどう求めていくのかという方向に思いや考えが向かうことなく、自分の中に閉じこもる、それはまたその場その時だけの自分を守ることでもあるのですが、こうした社会、世界の反映ではないかと思っています。

 

 もう一つの切り口として、「過激化する正義」という視点があります。

 毎日新聞の大治朋子記者の新著『歪んだ正義』(2020年月刊/毎日新聞社)について、本人へのインタビュー記事からのつまみ食いです(2020.8.24「毎日新聞・大治朋子専門記者に聞く」)。大治は、長く中東の紛争地での宗教対立の取材を続けてきた方であり、この本では、なぜ人は過激な正義にとりつかれ、暴走するのかというテーマが論じられているのだそうです。

 このインタビューのなかに「コロナ禍の自粛警察は「正義の鎧」」という項で、正義の過激化という視点から、「自粛警察」現象をとらえて、語っています。まさに中東の過激化プロセスの方は断片になり、失礼千万ですが、大治は、中東の過激化のプロセスの核を、「人間を突き動かすのは「ストーリー」」であり、「本人はこれでいける」と「大きな悪と戦う正義の聖戦士」というストーリーをつくり、その主人公になろうとする」と言葉にしています。

 そんな大治からみて、「自粛警察」は、次のような現象としてとらえています。大治の発言の全文です。

 「 見せかけのストレス対処法で、最もやっかいなのは正義の顔をした攻撃

  です。正しいことをいっているので周りは批判しにくいですし、本人は周

  りを叱りつけているので、ある意味で周囲からの意見が入りにくい「正義

  の鎧」を着ています。それは人を斬ると同時に、自分を孤立させるもので

  もあります。

   「自粛警察」は自分の正義、絶対的に正しい自分やそのグループと、絶

  対的に間違っている人たちとを、社会を二分して見下して攻撃していくシ

  ステムです。東北大学の大渕憲一名誉教授も、「攻撃しても周りの理解を

  得られるだろうと考え、今のような非常時においては、普通ならやり過ぎ

  と思われることも、歯止めが効かなくなる」と指摘しています。」

 「自粛警察」もまた、「大きな悪と戦う正義の聖戦士」というストーリーを自作し、行動に移しているのでしょうか。

 このことはまた、当ブログでも言及した藤原辰史さんの発言、つまり今の自粛警察が「ナチス時代の私服の民間監視員による相互監視、さらに進めば地域の住民同士による監視や、自分の頭のなかでの自主監視までエスカレートしていった様相」とどこか似ているように感じるという発言にも通じるものがあります(2020.8.23「ピュシスとロゴスの間に生きるという人間という存在にー漫画版『風の谷のナウシカ』を起点とする『コロナ新時代への提言2』をみてー(2・完)」)。

 

 以上のような病理現象の生じる社会の現実を、私たちはどのように直視し、どのような態度で生きるか、それが問われているのでしょう。

 本項の「中村正則と考える」という記事は、最後のところで、次のような安倍政権のコロナ対策への厳しい国民の評価にふれつつ、次の展望を示してもいます。

 「 一連のひどいコロナ対策は個々の命や財産に直結するため、さすがに無

  関心でいられなくなった。この政治への関心の高まりを一過性にとどめな

  いことが大切です。政治の荒廃は社会の荒廃につながる。政治を変えなけ

  れば社会は変わらない。そのことにさらに多くの人が気づくことになれ

  ば、日本の未来はいい方向へ変わっていくと思います。」

 この中村正則の発言として書かれた文章は、正論なのでしょう。でもこの文章を引用しながら、いささか絶望を感じるのは私だけではないでしょう。この記事が毎日新聞の夕刊に掲載されたその日(8月28日)に退陣表明した7年8ヵ月に及ぶ安倍内閣の支持率は反転して上昇し、この安倍内閣を全面的に継承する菅内閣が誕生します。今、多くのメディアは、批判的言辞を抑制し、政治的現実に対し、「視線誘導」の波動を、国民へ同調ないし増幅を求めて降り注いでいます。そして、私たち国民は、<行き過ぎた>「公正世界仮説」のように、ものの見事に「視線誘導」をされている状況なのです。

 絶望することは思うつぼなのでしょう。だから、簡単に絶望などしてはならないのです。政治批判を個人攻撃へと転嫁して済ませてしまう社会と世界という現実を直視することを止めてはなりません。それこそ、前記の『新コロナ時代への提言2』で藤原辰史が最後に発した発言、私たちに一番伝えたいメッセージとしての言葉、「思考停止してはいけない」「思考停止を絶対にしてはいけない」を、自分自身に向けて書きつけておくことにします。

 

 こうした生きづらいギスギスした社会的雰囲気のなかで、「不寛容な時代」という言葉が口をついて出てきます。

 次項では、戦中から戦後直後の時代状況のなかで、「寛容」と「不寛容」という問題を言葉にした渡辺一夫のエッセーについて紹介することにします。

 

◈「人間が機械になる」ということー渡辺一夫のエッセーを読み直してー

 おことわりから始めます。渡辺一夫のエッセーは、書かれてから70年前後の時を経ているものの、現代の人間の、日本の、世界の問題とアクチュアルに通底していることを確信しています。ですが、本稿では、さわりの紹介にとどまるという弁明をしておきたいのです。

 コロナが問題となる以前に、口笛文庫の棚に、なつかしい渡辺一夫という名前を発見して、小冊子の文庫であるトーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』(2017年8月刊/中公文庫)を手に入れていました。やっと先月から読み始めたのですが、ここで論じるほどの読み方はできていない状況なのです。ですから、渡辺の翻訳したトーマス・マンの「五つの証言」(ナチス時代の1930年代に書かれた)の方はあきらめ、本稿に直接関係する渡辺のエッセーからの引用により、次に向けて私自身への問題提起を整理しておくだけになります。

 

 渡辺一夫(1901-75)は学生時代に森有正(1911-76)とともに切実に読んでいた記憶があります。大江健三郎が師として敬愛していて、彼の文章を通じてのことだったか、その点ははっきりしませんが、渡辺の時代と社会と人間を問うた文章から(本丸であるらしいラブレーなどの翻訳書には近づけなかった)、何がしかの影響を受けたことは間違いなさそうです。

 ある方がブログで引用されていた、東大教授としてフランス文学を講じたというだけにとどまらない、渡辺一夫についての適確な紹介文(スーパーニッポニカ)の一部を、再引用しておきます。

 「 ラブレーやエラスムスの翻訳、研究、およびルネサンス・ユマニスム研

  究に画期的業績をあげる一方、太平洋戦争の前後を通じてユマニスムの根

  源に分け入ることによって得られた学識と透徹した批評眼をもって日本社

  会のゆがみを批判した。とくに寛容と平和と絶えざる自己検討の必要を説

  き、狂乱の時代に節操を堅持した知識人として若い世代に深い感銘を与え

  た。」

 

 ここで取り上げるのは、文庫の後半部に「寛容について」として掲載された四つの文章のうちの二つの短いエッセーです。

 ◉「人間は機械になることは避けられないものであろうか?」(1948年)

 ◉「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」(1951年)

 このようなタイトルはちょっとめずらしいもので、二つのエッセーとも「問い」=テーマが直截な疑問形でタイトルとして付けられています。

 前者は極東軍事裁判(東京裁判)の最中かつ米ソ対立の顕在化してきた時期、後者は前年に朝鮮戦争の勃発した翌年という時期、こうした時代状況のもとで書かれたものです。

 私の問題意識は、70年の時を経て、現在も同じ問いの前に立たされていると実感している者として、この問いにどう答えるのか、どう答えうるのかというところにあります。それを渡辺の文章から、探ってみようというわけです。

 渡辺の同時代と比べ、科学技術は、特に生命科学や、コンピーターサイエンスそしてAI(人工知能)という情報科学分野で特記すべき進展をみたのですが、典型的には時と場所を選ばずスマホに見入っている人びとの姿に「人間と機械の関係」における逆さまの関係を、私は感じています。一方、本稿で書いてきたとおり、直接の大規模な戦争という形ではないけれど、ますます「不寛容」が大手をふってのし歩いているような世界の、そして日本の現実とともに、「寛容」という存在の希薄化を、私は感じているのです。 

 こうした実感と渡辺の文章を十分にクロスさせる能力も余裕もありませんが、ともかくも私に残すべき問いを探しておきたいと思っています。

  トーマス・マン/渡辺一夫『五つの証言』 2017年8月刊/中公文庫

  同上の後半部「寛容について」の目次

 まず、前者の「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」の方です。ここで引用する渡辺の思想(人間観、世界観というべきか)というものがあって、後者の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という問いが生じるという関係にあります。

 渡辺は、人間は自分の作ったものの機械になりやすい(「制度」や「思想」も含めて)という現実を受けとめたうえで、それを必然のものとしてしまうことはできない、それに抗するのが研究してきた近代の精神を体現する自分の責任なのだと考えているといえます。

 

 この近代、つまりルネサンスに始まった近代において、「我々の思考行動の主題に「人間」を置いて」くれたことを体現するのは、ユマニスム=ヒューマニズムの精神だとし、次のとおり定義しています。

 「 ヒューマニズムとは、人間の機械化から人間を擁護する人間の思想であ

  る。割り切れない始末に困る人間性の認知を不断に持って、懸命にその解

  決を求め続ける精神である。」

 とりわけ後段の「割り切れない始末に困る人間性の認知を不断に持って」というのは、「寛容」という他者への態度と直結しているのではないでしょうか。このヒューマニズムの精神を喪失することは制度や思想の機械になることである」と、渡辺は断じています。

 そして、戦後の時代を生きる渡辺には、近代の延長線上にある20世紀において、「人間の微弱が事毎に暴露されるにつれ、人間は苦しまぎれに」、棄て去った神やイデオロギーの機械になろうとする傾向が顕著であり、この傾向は「機械文明による人間性の忘却によって」拍車がかけられつつあるとみています。現代とは、次のようなものかもしれないというのです。

 「 正に近代は、終末の時期に突進していると申せるのかもしれず、「モデ

  ルニスム」の洗礼を受けて、全く「新しい人間」になった人類は、もはや

  己が機械になったことなど考える必要もなく、生れ且つ死に、人生の幸福

  はそこにあるということかもしれない。」

 これが人間解放の結末であり、歴史的必然であるとすれば、自分の主張は「甘い甘い反動的言辞」ともなるだろうと断ったうえで、新しい「ルネサンスの到来の前の苛酷な「中世」とおそらく新しいルネサンスの誕生の犠牲となる巨大な破壊とを呪詛する」のだというのです(なんだか漫画版『風の谷のナウシカ』の世界のようです)。

 そして、次のとおり「歴史的必然」論を否定しています。

 「 このような歴史的必然というものは、非人間的であり、人間を愛し人間

  のためにある一切の思想体系とは矛盾すべきものであるからであり、この

  愚劣な矛盾を避け得るものは、各々の人間であって、この矛盾の中に滑り

  こむのは、機械になった各々の人間に外ならないと思うからである。」

 次は、キリスト教のヒューマナイゼーションに関連した文章なのですが、各々の人間、渡辺自身に向けた励ましというべき責任論でもあります。

 「 自らの作ったものの機械となり奴隷となりやすい人間の弱小さに対する

  反省を、自らも行い他人に教え、ルネサンス期以来の人間の獲得したもの

  に対する責任を闡明する役を買わねばならない。」

 こうした姿勢こそ、渡辺一夫の自分を取りまく「不寛容」な世界への態度であったのでしょう。

 

 このエッセーの最後のところで、T先生の「日本人は皆本質的にニヒリストだよ」という言葉を起点に、次の印象深い文章が刻まれています。

 「 −−宿命とは、我々の意欲するものである。また、更にしばしば、我々

  が意欲し足りないものでもある。

   このロマン・ロランの言葉が正しく理解されない限り、すべてが自業自

  得でけりがつくかもしれないと思う。」

 そして、「私は、この日本的ニヒリズムの機械になるのもいけないと、自分に言いきかせるのである」と、「第二次大戦中、私は恥ずべき消極的傍観者だった」と書く渡辺は、こうしてエッセーを閉じています。

 この?マークの付いたタイトルの「回答」はと探すと、渡辺は明確に答えていないというべきですが、全体として避けられないことだけれど、私は避けるための懸命な努力をすると答えているのではないかと思っています。

 

 さて、もう一つの「寛容は自らを守るために不寛容に対し不寛容になるべきか」という短いエッセーの方です。こちらのタイトルの問いには、「人間が機械になることは避けられないものであろうか」と違い、明確な「回答」を次のとおり記しています。

 「 僕の結論は、極めて簡単である。寛容は自らを守るために不寛容に対し

  て不寛容たるべきでない、と。」

 この回答をサンドイッチするように、寛容が不寛容に対して不寛容にならざるを得ないことがあるという事実を指摘したうえで、しかし、だからといって、是認肯定することはできないという立場を、繰りかえし表明しているのです。少し長くなりますが、渡辺の人間観も現れているので、引用しておくことにします。まず、先の「回答」の前には、次の文章がおかれています。

 「 割り切れない、有限な人間として、切羽つまった場合に際し、いかなる

  寛容人といえども不寛容に対して不寛容にならざるを得ぬようなことがあ

  るであろう。

   しかし、 [㊟筆者が一行に入れました]

  このような場合は、実に情けない悲しい結末であって、これを原則として

  是認肯定する気持ちは僕にはないのである。そのうえ、不寛容に報いるに

  不寛容を以てした結果、双方の人間が逆上し、狂乱して、避けられたかも

  しれぬ犠牲をも避けられぬことになったり、(以下略)」

 先の「回答」のあと、次の文章が続きます。

 「 悲しい呪わしい人間的事実として、寛容が不寛容に対して不寛容になっ

  た例が幾多もあることを、また今後もあるであろうことをも、覚悟はして

  いる。

   しかし、 [㊟上に同じ]

  それは確かにいけないことであり、我々が皆で、こうした悲しく呪われた

  人間的事実の発生を阻止するように全力を尽くさねばならないし、こうし

  た事実を論理的にでも否定する人々の数を、一人でも増加せしめねばなら

  ぬと思う心には変わりがない。」

 カール・ホバーの「寛容のパラドックス」、すなわち「無制限の寛容は確実に寛容の消失に導く」、「不寛容を寛容すれば、不寛容が蔓延することを防ぐことはできないし、反対に不寛容を寛容しないと、自らが不寛容であることになってしまう」という非対称な構図を、渡辺がどう意識していたどうかわかりません。でも、少なくとも、このパラドックスを理解しつつ、渡辺は、以上のように明確な態度を示しているのです。

 

 では、どうしてこの結論に至るのかについて、渡辺は、人類の歴史から説き起こしています。個人間の争闘が法の名によって解決されるようになっていることや、嘘をついたり(今やトランプが登場する世界ですが)、殺人をしたりしてはいけないという契約は、「いつの間にか、我々のものになって」いたりすることからすれば(渡辺は彼らしく「人間は進歩するかどうかは、難しい問題であろうが」と書いたりしていますが)、寛容が不寛容に対して不寛容になってならぬという原則も、新しい契約として獲得されなければならないと、渡辺はいいます。不寛容の横行が残るとしても、その方向にすすんでいけるとすればと、次の展望を示しています。

 「 右のような契約が[㊟直前の「新しい契約」のことです]、ほんとうに人間の倫理

  として、しっかりと守られていくに従い、不寛容も必ず薄れていくもので

  あり、全く跡を断つことは、これまた人間的事実として、ないとしても、

  その力は著しく衰えるだろうと僕は思っている。恰も嘘言や殺人が、現在

  においては、日蔭者になっているのと同じように。」

 さらに同じ暴力を用いるとしても、寛容と不寛容の違いについて、次のとおり記しています。

 「 寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最

  低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから

  終りまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。」

 続けて、次の認識を示しています。

 「 今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、た

  だ説得と自己反省しかないのである。従って、寛容は不寛容に対する時、

  常に無力であり、敗れ去るものであるが、それは恰もジャングルのなかで

  人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。」

 ここでは、寛容の武器を「説得と自己反省」としていることに注目しておきましょう。特に「自己反省」ということを、渡辺が明記した趣旨に想像を働かせることが大切です。

 

 ここから渡辺は、今は寛容を説くキリスト教の歴史というものがローマ時代から、中世・ルネサンス時代には決して寛容なものではなかったことを、多くの人名をあげながら説明します。その内容は省略しますが、その検討から「寛容は寛容によってのみ護られるべきであり、決して不寛容によって護らるべきでないという気持ちを強められる」としたうえで、「ただ一つ心配なことは」として、不寛容の方が寛容よりも「はるかに魅力があり、「詩的」でもあり、生甲斐をも感じさせる場合も多い」ということであるとも書いています。続けて、それは「あたかも戦争のほうが、平和よりも楽であると同じように」と、戦争と平和との関係と比喩させています。

 そして、最後のところで、以下の文章を、前エッセーの人間と機械の関係を想起させる「歴史の教訓」として綴り、エッセーを閉じています。

 「 歴史の教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、そ

  れを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬよう務めることによ

  り、甫めて、人間の進展も幸福も、より少ない犠牲によって勝ち取られる

  だろうとということも考えられてよい筈である。歴史は繰返す、と言われ

  る。だからこそ、我々は用心せねばならないのである。しかし、歴史は繰

  返すと称して、聖バルトロメオの犠牲を何度も出すべきだと言う人がある

  ならば、またそういう人々の数が多いのであるならば、僕は何も言いたく

  ない。しかし、そんな筈はなかろう。そんな愚劣なことはある筈はなかろ

  う。また、そうであってはならないのである。」

 ここには、渡辺の「不寛容」という「人間的事実」に対する強い怒りとともに、祈りといってもいい感情が表出しています。

 このエッセーには追記があり、(1970)年とある(附記2)には、当時の学生運動が背景にあったのか、「自己批判」について、次の文章を残しています。

 「 「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」になり切れないし、「寛容」のな

  んたるかを知らぬ人は「自己批判」を他人に強要する。「自己批判」と

  は、自分でするものであり、他人から強制されるものでもないし、強制す

  るものでもない。」

 ここでは、「寛容の武器」としての「自己反省」を結び付けて理解しておきたいと思っています。

  [左] 渡辺一夫『フランス・ルネサンスの人々』 1964年8月刊/白水社

  [中] 渡辺一夫『人間と機械など』 1968年3月刊/講談社(思想との対話12)

  [右] 渡辺一夫『寛容について』  1972年1月刊/筑摩叢書

 本来は、ここで前記した小国綾子の、中村文則の、コロナ禍における「生きづらいギスギスした社会的現実」の諸相と、渡辺の「寛容」論を切り結びたいところですが、宿題とさせてもらいます。

 「寛容のパラドックス」という問題は、<デモクラシー><言論の自由><表現の自由><ヘイトスピーチ><SNS><移民・難民問題><テロリズム>、さらにコロナ禍の<監視社会>など、まさに現代の諸課題の前にも立ちはだかっているということができます。

 ここで、申し上げておきたいのは、今こそ「寛容」であることの意味を問い直すことが大切ではないかということです。そして、「寛容」へと向かう姿勢であり、態度というものは、前記した「自己反省」が伴走して初めて成り立つものであろうと思っています。

 それは、「思考停止してはならない」というメッセージと直につながっていると、私は考えています。

 

◈おわりにかえてー9月、喜瀬川にも小さなドラマがー

 それにしても、渡辺一夫の言葉、思想が、今の私にも何がしか残っている、染みついていることを感じて、驚きました。私は書いたことがありませんが、昔の日記を読み返して「こんなこと書いている」と思ったりすることと似ているかもしれません。

 前記した渡辺の「割り切れない始末に困る人間性」という人間観は、直近のブログのタイトルに用いた「ピュシスとロゴスの間に生きる人間」という人間観とも、今の私には何がしかのつながりのようなものが感じられるのです。

 秋雨前線の南下により、窓からは涼しい風が入ってきています。

 

 今次のコロナ禍によって変化したことに、これまでの一人サイクリング、ウォーキングだけでなく、スポーツクラブに通わなくなった家人と二人で歩く時間をもつようになったことがあります。天候やいずれかに用事のある日(これも少なくなりました)を除いて、ほぼ毎日、夕刻に二人で数千歩を歩いています。

 夏以降は日陰を探しながらということで、明姫幹線から喜瀬川の堤防道路を河口にある阿閇(あえ)漁港まで南下し(2.5劼らいか)、折り返して山電播磨町駅の地下通路を通り抜けて戻ってくるのが定番コースとなりました(所要時間70分くらい)。さすがに猛暑から脱したと感じられた日(9/12)に、カメラを持参して歩いたときの写真をアップさせてもらいます。

 とにかく喜瀬川をのぞきこむように歩いています。川の水位は海の干満によって河口から1勸幣紊両緡まで影響を受けますし(月齢はもとより1日という単位でも)、雨が降ったりすると川の様相、容貌はがらりと変化します。潮の満ちるときは、川は逆流しているようです。こうした変化は、川に生きる鳥や魚の活動にも影響を与えています。この夏の間中、私たちはそんな微細な変化を探しながら、歩いていたという実感があります。

 こんなことを書きながらですが、相変わらず鳥や魚の名前を知ろうとしないまま、今日はあそこにいるいない、見える見えない、飛んだ跳んだと言い合ったりしているだけのことなのです。

 

 鳥は、数種類が喜瀬川の住人です。名前のわからないまま、一番大きな鳥は喜瀬川の王様とか女王様とか呼んでいて、そのじっと川面を凝視するような姿が印象的です。それでいて、ついぞ川に首を突っ込んでいる光景はみたことがありません。もう少し小ぶりで真っ白な鳥も定番で、こちらはさかんに水面に嘴を立てていますが、私たちが声をあげたりすると、すぐに反応して飛び立ち、橋の下を低空航行します。

 いずれもサギ科の鳥だと思いますが、この二大定番以外にも、カモ科なのか、足を掻いて驚くほど速く泳ぐ鳥や、鵜なのでしょうか、水中に長時間もぐることのできる真っ黒な鳥もいます。

  喜瀬川の王様・女王様と呼ぶ鳥 [2020.9.12 喜瀬川河口付近で撮影、以下同じ]

  白いサギのような鳥

  カモのような鳥(泳ぐと速いです)

 魚は何種類いるのかよく分かりません。雨や潮の干満によって、水面の透明度が変化して、よく見える日もあれば、なかなか見えにくい日もあります。定番の大型魚は、海水の混じった汽水ということなのでしょうか、そのあたりには数種類いるように見えますが、海の魚として分類されるものかもしれません。圧倒的に多いのはライトグレーのボラ?的な魚です。その動きの変化がもたらす波紋によって、その存在がわかります。

 もちろん、大型魚だけでなく、魚体の感じられないほど小さい魚が凝集した形を維持しつつ、移動している様をよく見かけますし、もう少し大きな魚体が角度によって銀色に光る小魚もいるようです。

 でも、ハイライトは、水面からジャンプした魚に出会うことです。水の音でジャンプが感じられることはよくありますが、その方向を見てもすでに魚体は水に下りたあとが多いのです。ですから、この目で見ることができるのはごく限られています。

 次の写真の2枚目は、魚がジャンプしたタイミングでシャッターを押して撮影できたものです。その魚が三段跳びのように跳ねたからで、ポップ、ステップで気づいてそのあたりにカメラを向けたら、最後のジャンプに間に合ったというわけです。白く写っていますが、腹部だからでしょうか、ホントはこんなに真っ白い魚体を見たことはありません。でも、まあ、確かに跳んでいたのです。

  はっきり見えませんが、ボラ的な魚の群れ(最も多くみられる魚です)

  体長の何倍もの距離をジャンプする魚(後ろの円形の波紋部から跳びました)

 河口の阿閇(あえ)漁港に着きました。漁港は港の中の港で、その外は、さらに南の人工島に囲まれた東播磨港です。いつも定点観測のように港内の水面をしばし眺めることにしています。先ほどの魚のジャンプする姿や、めずらしいエイにもであったりもします。

 9月に入り日没が早くなっているものの、まだ午後6時前、太陽は雲に隠れていて、その雲間からの光が昭和40年代に海岸を埋め立てて建設された製鋼所へと注がれています。

 その場でもう30分ほど我慢していたら、もっとすばらしい夕景に出会えたでしょうが、引き返すのに30分以上要するものですから、暗くなってしまう前にと、私たちはすぐに踵を返しました。

  播磨町の阿閇漁港(漁船とプレジャーボートが係留)

  神戸製鋼所の高炉へ9月の夕陽が降り注ぐ

  同上を阿閇漁港の岸壁に降りて撮影しました

 

2020.09.07 Monday

猛暑の9月にー久保田万太郎の俳句とバリ島の記憶などー

 昨日(9/4)、3ヵ月ぶりの大学病院でした。前回の直後のブログで、大学病院と道一つを隔てた南側、港翔楠中学校の窓には「神戸大学病院の皆様/神戸を救う皆様の力に感謝!/コロナに負けずにがんばりましょう!」のメッセージが貼り出されていることを報告しましたが(2020.6.10「六甲の坂の途中にー「口笛文庫」のたたずまいー」の冒頭)、今もそのままです。3ヵ月前とのちがいは、前回は窓が開けられ、文字が半分しか読めなかったものが、今回は猛暑の中の授業でクーラーが稼働中のためか、メッセージ全文が確認できたところです。

 コロナ禍で病院の受診者が減少し、病院経営を圧迫しているという話をよく聞きますが、少なくとも私の受診する泌尿器科の待合はいつもと変わらぬ混み具合です。病棟と検査棟をつなぐ通路の壁には、バリ島で撮影された写真が展示されていました(普段から市民ギャラリー的に利用)。「大野亜紀子」と署名があり、10年前にバリを旅していて、一人のフランス人から写真の撮り方を教えられ、彼のように撮れるようになりたいと思ってから10年を経て、「思い入れの深いこの場所の写真を遂に展示できることになったことに感謝です」とありました。そして、大野さんは、今回の展示はバリの中でも自分が愛して止まない「ウブド」と「ギリ島」という2ヵ所の写真を集めたのだそうです。

 こうして展示されていた写真をぼんやりと眺めていたら、この病院で手術する一年前の2011年10月に、私も「ウブド」に数日滞在したことがよみがえってきました。ですから、本稿の後半では、ウブドで撮った写真を手元に残ったSDカードからチョイスして掲載させてもらおうと思っています。ちょうど9年前ということですっかり忘れていたのですが、こんなきっかけであの「ウブド」を追体験することになりました。

 

 検査数値はまずまず横ばい、さらに経過観察が続く、というありがたいけれど、どこか宙ぶらりんにされたような気持ちも抱えながら、この日も、神戸の街を1万歩超えで歩きました。まぎれもない熱帯のバリ島ウブドも、こんなに呆れた「猛暑」ではなかったぞと独り言ちながら、ただ生きてあることだけを確かめるように歩いていると、日陰を探して歩行していたはずなのに、だんだん夢遊病者になっていくような感覚がしてきました。

 あ、これって熱中症というもののそばにいるのかなと思い、デパートへ飛び込みました。

 以下には、大野さんの展示写真を撮った写真を、「まだ抜け出せていない」というウブドについての彼女の文章とともにアップしています。

  大野亜紀子のウブド写真  [2020.9.4/神大病院で撮影、以下同じ]

  上の写真に添えられた大野さんの「UBUD」についての文章

  大野さんのウブドの写真

  大野さんのウブドの写真

 

◈思わず笑ってしまうおかしな話ー林家木久扇の言葉ー

 「笑点」を思い浮かべる方もおられることでしょうが、82歳の林家木久扇さんを取材した記事を読みました(2020.9.1「コロナの時代 穏やかに過ごすには」/『毎日新聞』夕刊)。

 高座生活60周年の節目に記念公演を全国32カ所で行う予定がコロナ禍で全てダメになってとてもがっかりしたけれど、木久扇さんはすぐに「パッと切り替えた」と語っています。それは、「東京大空襲(1945年3月)を生き延びた人間」なんで、「生きているだけで得だと心底思っているから、難儀なことが迫ってきても、あまり驚かない」からだと答えています。

 

 今、木久扇さんが通う寄席の楽屋には、「お客さんをあまり笑わせないでください」という張り紙がしてあるということです。他にも「拍手をもらわないでください」と書いてあるものもあります。えっ、ウソでしょといいたくなる張り紙は、落語協会が飛沫感染を防止するために呼びかけている注意だそうで、ホントの話なのです。

 こんなブラックユーモアの世界に、木久扇さんは興味津々で、「コロナ禍で今みんな、ひたむきに一生懸命に生きようとしている」の中で、張り紙のような「おかしなことがいっぱい起きている」から、「ネタ拾いで忙しい毎日」をおくっているのだそうです。

 そして、最近、「転ばなくてもコロナとはこれいかに。感染してないのに新幹線と言うがごとし」という「とんち問答」で客を笑わせているとあります。

 

 この「何でもおもしろがって」という副タイトルが付けられた「宇田川恵」の署名入り記事は、次の文章で締めくくられています。

 「 病も老いもコロナ禍に遭遇した不運も、向き合い方次第で豊かさに変わ

  るかもしれない。」

 

◈「けはいの文学」を読んでー久保田万太郎の俳句ー

 江戸の雰囲気の残る落語の世界に身をおく木久扇さんに続いて、生粋の江戸っ子として「伝統的な江戸言葉」を駆使した(特に小説や劇作)という久保田万太郎(1889-1963)の俳句のことにふれてみようと思います。

 全く門外漢である私が<万太郎の俳句>を取り上げようとしたのは、月刊『図書』の今月号で、「俳人」とキャプションされた恩田侑布子という方の「けはいの文学ー久保田万太郎の俳句」という文章を読んで感じ入ったからです。「感じ入った」というのはいささか大げさになりますが、それほど見事な批評的紹介文だと感じたということです。

 最近、コロナ問題にとらわれていろんな資料なども手さぐりで読んだりしていて、どこか心のささくれのようなものを自覚することがあります。そんな私を、万太郎の俳句が別の世界に連れていってくれたという強い印象が残りました。けれども、最後のところで、今を生きる恩田の批評性が爆発しているとみることもできます。

 

 恩田は、万太郎の俳句を5つの小見出しのもとで、それぞれに自分の惹かれてきた俳句を計13句、それぞれを作句したときの万太郎の年齢を付して紹介しています。それは、万太郎俳句の代表作としてネットで読むことができる句群とほとんど重なっていませんでした。

 ここでは、まず、その小見出しごとに恩田の一文を添えて俳句だけを列記しておくことにします。恩田の言葉の切れ端だけで味わうことは難しいかもしれませんが、そうさせてもらいます。

◉絖(ぬめ)のひかり

 「万太郎はひかりのうつろいをとらえる天性の詩人でした。//季物そのもの

  ではなく、うつろうあたりのけはいを絖のように掬いとっています。」

   鶯に人は落ちめが大事かな        56歳

 

   ふりしきる雨はかなむや櫻餅       33~37歳  

 

   新涼の身にそふ灯影ありにけり      36歳

 

◉短歌的叙情の止揚

 「万太郎の俳句の水脈にはこの短歌的叙情がひそんでいます。//短歌の叙情

  を俳句の冷静さで止揚したしないがあればこそ、王朝由来の叙情を俳句と

  いう定型に注ぎこめたのです。」

   しらぎくの夕影ふくみそめしかな     40歳

   

   双六の賽に雪の気かよいけり       38~45歳

 

   夏じほの音たかく訃のいたりけり     59歳

      ㊟「六世尾上菊五郎の訃、到る」との前書付き

 

◉稚気のままに

 「おとなの俳句の名匠が子ども心を失わなかったのもおもしろいことで

  す。//子どもらしい匂いやかな稚気を持ち続けることもまた、非凡な才

  能でしょう。」

   さびしさは木をつむあそびつもる雪    36歳

 

   時計屋の時計春の夜どれがほんと     48~52歳

 

◉彽佪趣味への反発

 「万太郎は、漱石の「彽佪趣味」や、「ホトトギス」の虚子の「客観写生・

  花鳥諷詠」に反発を感じていました。//彽佪趣味にアンチ近代を装う倒錯

  した近代の知性を見、そこにエリート臭をかぎあてても何もふしぎではな

  かったのです。」

   人情のほろびしおでん煮えにけり     56歳

 

   ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪  62歳

 

◉かげを慕いて

 「万太郎は恋句の名手でもあります。//おぼろに美を感じる感性はモンスー

  ン域のもの。日本の風土を象徴するしめやかな恋です。」

   さる方にさる人すめるおぼろかな     46歳

 

   わが胸にすむ人ひとり冬の海       56歳

 

   たよるとはたよらるるとは芒かな     67歳

 

 恩田は、最後にもう一つ小見出し「文学の沃土から」をおいて、万太郎俳句を総括するとともに、現代とクロスさせようとしています。

 万太郎俳句の源を、恩田は次のように評しています。

 「 万太郎の俳句は絖のふうあいの奥に厳しい文学精神が息づいていまし

  た。彽佪趣味や花鳥諷詠という、禅味俳句の石を終生抱こうとはしません

  でした。//万太郎は俳句という桶から俳句を汲んだのではありません。文

  学の大いなる泉から俳句を汲んだのです。」

 「俳句という桶から俳句を汲んだのでは」ないという恩田の言葉は、とても説得的に、私のように俳句に縁遠い者にも鋭く響きました。それこそ全く知らない恩田の俳句にも通じるものなのかもしれません。

 

 そして、コロナ禍のもとで生きる私たちに向け、「万太郎の俳句は日本語の洗練の極み」と結論づけつつ、次のメッセージを送っています。

 「 近代の個人主義とは根を違える万太郎の俳句は、分断と格差社会の現代

  に新たなひかりを放ちましょう。なぜならそれは最も親密で馴染みふかい

  在所を奪われた人間の望郷の歌であり、感情と古典にしっとりと根ざした

  ものだからです。」

 最後の一文で、恩田は、冒頭においた<鶯に人は落ちめが大事かな>を念頭に、こんな問いを万太郎に発しています。

 「 かれははたして<鶯には落ちめが大事かな>と、つぶやくことをゆる

  してくれるでしょうか。」

 

 この一文をどう解釈することが正当なのか私には分かりません。

 冒頭の句<鶯に人は落ちめが大事かな>を、恩田は「おもしろいと思いながらもいま一つわからなかった」けれど、「足もとからみずからの来し方を低くつぶやいている」万太郎に思い至ったそうです。「文学では早くから檜舞台に立ったものの、家庭生活は不幸だった」万太郎が、「老いの坂を迎えて、落魄の日々をなつかしみ、あわれみ、いたわ」っている姿に、恩田は「鶯の声のあかるみにこころのうるおいが溶けこんでい」ると受けとめているようです。

 ですから、今の心のささくれやすくなる状況のもとにあって、こんな句をつぶやいて、そこに「こころのうるおい」を失くすことなくやっていこうよというメッセージを込めようということかもしれませんね。

 恩田の真意を汲みとれたわけではありませんが、私としては、「本当に大切なものは何か」という問いの前に立たされた人間の集団である<国>というものを思い浮かべました。さらに言えば、成長信仰の囚人である現代の日本社会へのアンチテーゼ、たとえばポストコロナで少し紹介した広井良典の「成熟社会」論的な社会のありよう(「分散型システム」への転換もその一つ)へのメッセージを感じたりもしました(2020.7.3手がかりはどこにーコロナ後の社会のありようをめぐってー」)。

 つまり、それは恩田のいう「分断と格差の現代」へ放つ「新たなひかり」の基軸のようなものを、私はこんなことにも感じているということにほかならないのでしょう。

 さらに最近のブログと絡めていえば、福岡伸一のいう「ロゴス的に走りすぎたことが破綻して、ピュシスの逆襲を受けた」という事態を前にした私たちのあるべき態度に通じるものであり、恩田は万太郎の「人は落ちめが大事」から「国は落ちめが大事」へと想像を飛ばしたと理解することもできそうです。

 

◈こんなに暑くなかったーバリ島ウブドの残照ー

 バリ島のウブドへ旅したのは、9年前、2011年10月初めのことでした。どうしてバリ島のウブドだったのか、よく覚えていません。

 当ブログでもふれたとおり、海外旅行など想定したことのなかった私たちが、退職後のインターバル期間に(2009年5月)、イタリア旅行したことにより、海外旅行のバリアがなくなり、というより、すっかり「はまってしまった」のです(2017.1.12「曇りのち晴れ・ナポリ(その2)ーシチリア・ナポリ紀行(6・完)ー」の最後のところ)。その後の第二の勤務先は休暇取得の制約は少なかったのですが、それでも長期の休暇ははばかられて、短期で行けるアジア各地への旅行を続けていたのです。今から振りかえると、ベトナムのハノイを皮切りに、台湾の台北、香港、マレーシアのペナン島と続き、その最後の場所がインドネシアのバリ島のウブドだったということになります。

 今の年金生活からすると、あきれた所業というほかありませんが、ありがたいことでしたというのが、いつわりのない感想です。

 

 ウブドは、赤道直下にあるバリ島の内陸部にある「バリ芸能・芸術の中心地」です。そんな言葉に魅かれもしつつ、ホテルの改装記念という理由で3泊も4泊も同額という格安滞在旅行を選択したということを思い出しました。ですから、それまでの3泊ではなく、4泊6日の旅でした。

 何をしていたのか、SDカードを開いてみると、ウブドのホテルへ着いた日の翌日の午前中に、パッケージされた近隣の観光地めぐりに参加した後は、自分たちのペースで動いています。目立つのは、ホテルの無料アクティビティであるライス・バディ・トレッキングと北部へのサイクリングツアー、それに白サギの終結地であるプトゥル村ツアーというものにも参加しています。いずれも参加者は私たちだけでした(ホテルの宿泊客たちはどうしていたのか)。夜には三夜続けて、自分たちでチケットを買ってバリダンスの鑑賞に出かけています。私たちにしては忙しそうですが、それ以外は、広大なホテルの敷地内や、ホテルの車で送迎してくれるウブドの街中をぶらぶらとしていたということになります。

 病院の廊下で出会った大野亜紀子さんの「ウブドには人を虜にして離さない魔力がある」という言葉を私は使うことができませんが、本稿では、テーマごとに、簡単なコメント付きで、写真をアップし。記憶の更新や復活を試みることにします。

 

◉熱帯林とライスフィールド

 ウブドの記憶は、何よりも風土環境です。もちろん自然環境もありますが、巨大な火山からの水を利用して広がる水田の美しさです(東京都の2.5倍ほどの面積のバリ島には、3142mのアグン山や2276mのバトゥカウ山などの高山もそびえています)。ライステラスと呼ばれる棚田へは行けなかったのですが、トレッキングやサイクリングでも見事な水田景観に出会うことができました。年に4回、米を収穫できるということだったと思いますが、地域によって収穫時期がばらばらで、刈り取ったばかりの水田も見られました。

 熱帯林の方は、巨大な樹木で構成されるものは見ていませんが、六甲山とは全く植生の違うヤシなどの熱帯林に守られるように水田が広がっている様子に驚きました。ホテルの敷地の片側もそうなのですが、ウブドは渓谷が多く、その斜面には、濃い緑の熱帯林が広がっていました。

 遠くの山影はバトゥカウ山<10.9> [以下はすべて2011.10.6~9にウブドで撮影したもの]

  これぞライスフィールド<10/9サイクリング>

  熱帯林に囲まれた谷筋のライスフィールド<10/9>

  トレッキング中の尾根道から見た熱帯林<10/7>

  ホテルから見えた熱帯林<10/9>

 

◉水田と水路

 乾季だったせいもあって、そんなに湿度が高くなく、朝夕は涼しく感じたくらいです。例えば、今の関西地方の猛暑より、ずっと過ごしやすい気候であったと記憶しています。

 農民が水田で作業するのは、朝夕に限られているようでした。直射日光の強い真昼に農作業する姿を見たことはありません。水田には、ニワトリやアヒルが放し飼いされていました。

 何より水田の耕作と景観を支えているのは、豊富な水であり、その水の流れる水路です。水田の脇をあふれんばかりに水の流れる光景は、たとえば日本の私の住む地域とは違います。水路にはコンクリートがあまり使われていないようです。そして、バリ・ヒンドゥー教と呼ばれる信仰の篤いバリ島には、街路もそうなのですが、水田脇の畦にも稲の神に捧げる祠があったり、お供えがおかれていたりします。

 街中でも見かけますが、農村部では女性が頭に物を乗せて運ぶ姿によく出会いました。何よりせかせか歩きする人を見たことがなかったなあと思います。

  朝早くホテル近くの水田とニワトリ<10/6>

  トレッキング中に見た豊かな水の流れる水路<10/7>

  神への捧げものなのか?<10/7>

  あぜ道にも花の供え物が<10/7>

  こういう姿をよく見かけました<10/7>

  朝9時頃だったでしょうか<10/7>

 

◉ウブドの街路

 ウブドの街中は、道幅の狭い街路をクルマもバイクも走っていますが、それでもゆったり、のんびりという印象が残っています。朝夕は地元の方も活動していますが、昼間に歩いているのはほぼ外国人観光客です。市場の中に入ったらまた印象が違っていたかもしれませんが、まさに表層をふらふら歩いていたという記憶だけなのです。

 サッカー場の前の小学校では、制服をきちんと着た子どもたちが遊んでいましたし、店の前の街路には、水田のあぜ道に供えられる小さな花の供物がおかれていました。カフェと呼びたいオープンテラスには、店員さんは別にして、外国人観光客、それも白人系の方しか見かけることがありませんでした。近いからでしょうか、どうもオーストラリアの方が多いと聞きました。地元の人といえば、タクシーの客待ちで談笑する男たちの印象が強いのです。そして、夕刻になると、バイクが増え始め、街路に沿った数知れぬ食堂が準備をととのえて、客を待ちます。

 脇道に入ると、いい感じの小路も多くあります。少なくとも私たちの歩いたときは、観光客とすれ違うことはなく、ガムランが聞こえてくることもなく、ごく静かなものでした。何より、これが南国というのでしょうか、存在感のある赤い花が咲いている小路というのが、私の記憶として残っています。

 ウブドの街といっても、市街地はごく限られており、ほんの一歩出ると、田園風景が連続して広がっているのです。

  トレッキングから街中に戻ってきた頃の市場前?<10/7>

  サッカー場の前にある小学校の校庭をのぞくと<10/8>

  モンキー・フォレスト通りの店舗前(供え物を道端に)<10/8>

  私たちも二度訪ねた昼下がりのカフェ「ノマド」<10/9> 

  夕刻のデウ・シタ通り<10/7>

  昼下がりの小路<10/8>

  小路で出会った赤い花<10/8>

 

◉ウブドの彫像

 石の彫像が多い、不勉強でどうしようもありませんが、バリ・ヒンドゥーと関係のある神々の姿なのでしょうか、そんな印象が残っています。

 ウブドの代表的な美術館であるプリ・ルキサン美術館とネカ美術館に足を運んだ写真がありましたが、展示された作品をほとんど撮影していないのです。撮影禁止ではなかったと思いますが、残っていないのです。残っているのは、美術館の中庭で出会った石の彫像を撮った写真なのです。ヒンドゥーなのか土着なのかわかりませんが、石を彫って神にささげるという行為がごく身近にあったことがわかります。衣服を着た姿の彫像も多く、人びとと宗教の距離感が近いということなのでしょうか。

 一番上の写真は、11世紀頃に作られた寺院遺跡であるゴア・ガジャ(洞窟寺院として有名)で撮ったもので、大きな岩の一部に彫られた跡の残る彫像です。これで完成なのか、途中なのか、わかりませんが、緑のコケを身にまとっています。

 一番下は、写真中、唯一の木彫で、プリ・ルキサン美術館内で撮影したものです。古いものではなさそうですが、母子像でしょうか。ちょっとしたユーモアが感じられていい作品です。

  大きな岩に彫られた小さな彫像(ゴア・ガジャの敷地内)<10/6>

  ハスの咲く池の中の彫像(プリ・ルキサン美術館)<10/7>

  笑っているみたいな石の彫像(ネカ美術館の入り口)<10/9>

  門扉の前にも二体の彫像が<10/9>

  珍しい木彫作品(プリ・ルキサン美術館)<10/7> 

 

◉ウブドの伝統舞踊

 ウブドの旅のハイライトは、バリ舞踊でした。旅の行き先をウブドに決めたとき、ホテルが郊外で、街中には自分の足で歩いていけないことがわかりました。普段の旅なら、街中にあるホテルに泊まり、夕刻にはぶらぶらと歩いて飲食の場所を探すのが通例なのです。それができないので、夜はバリダンスの公演に行くことに決めたのです(その前後に街中で食事する)。

 事前に結構勉強したのですが、全くといっていいほど、覚えていません。夜になってホテルに到着する出発日を除き、残る3日間連続して出かけました。手元に残っていたパンフレットによると、1日目はパンチャ・アルタ、2日目はティルタ・サリ、3日目はタマン・カジャ、という3つのグループの公演でした。前2グループは、通常のというべきでしょうか、青銅器打楽器をオーケストラと称されるガムランの調べとともに、数演目のダンスが繰り広げられるものです。3日目は、ケチャで、100人以上の男性によるコーラス「チャ」が打楽器の替わりとなって、ラーマヤナ物語が演じられるものでした。

 さて、感想といっても、ここで言葉にできる自信がありません。同じ観光客相手といっても、イタリアでの観光客相手の演奏会とはちょっと違っていた、強いインパクトをもって迫ってくるものを感じたということはできそうです。やはり圧倒されてある種の興奮状態に高められてゆくパワーを感じていた、その意味で楽しむことができたといえます。

 下記には、3つの公演から2枚ずつ写真をアップしています。一番下の写真は、ケチャの公演が終わったあと、<サンシャン・ジャラン>というトランス・ダンスを馬の人形を持って火の輪の中で演じた踊り手が、トランス状態から醒めたのでしょうか、多くの客が席を離れた後、放心している様子を撮ったものです。

  レゴン・クラトン(パンチャ・アルタ舞踊団)<10/6>

    ガムランの演奏(パンチャ・アルタ舞踊団)<10/6>

  女装の男性によるクビャール・トロンポン(ティルタ・サリ舞踊団)<10/7>

    バロンダンス(ティルタ・サリ舞踊団)<10/7>

  ケチャによるラーマヤナ物語(タマン・カジャ舞踊団)<10/8>

  サンシャン・ジャランを踊った後の放心状態(タマン・カジャ舞踊団)<10/8>

 

◉ホテルのこと

 ホテルは、ウブドの街中からすると、北東の郊外に所在していました。東側は谷になっていて、部屋からは熱帯林の斜面が見えました。毎朝、霧というのか、靄っていましたが、陽が上ると消えてしまいます。

 ホテルの記憶は、木久扇さんのところに登場した「ブラック・ユーモア」ということになります。夜に到着した日は、ホテル内のオープンエアのレストランで夕食をいただくことのできるパッケージとなっていました。私たちは、朝5時起きのフライトで疲れたけれど、割りと涼しいねと言いながら、食事していたのですが、最後にちょっとした事件があったのです。

 「HAPPY HONEY MOON」と記されたケーキが登場したのです。それこそ、えっ、ウソでしょとなって、私たちはそうではない、何かの間違いではないか、他の客と取り違えているのではないか、と説明したつもりです。「旅行社からの連絡が「ハネムーナー」でした」と答えているようでしたが、らちがあきません。結局、仕方ないかとなって、おなか一杯だったのに、少し口に運んだことを覚えています。

 私たちにも、ウソのようなホントの話があったということで、ウブドの旅を終えることとします。

  朝靄にかすむホテル東側斜面の熱帯林<10/8>

  滞在中、私以外に泳いでいる人を見なかったホテルのプール<10/9>  

  「ウソでしょ」のハネムーン・ケーキ<10/5>

 

 以上、バリ島ウブドの写真ばかりが多くなってしまったことになりますが、ここで閉じることにします。それにしても、コロナ禍は、バリ島への観光客を激減させているでしょうし、その影響の深刻さは想像がつかないほどです。こうして訪れたことのあるアジア各地、特に観光依存度の高いペナン島も心配です。香港は別の意味でもさらに深刻な情勢が続いています。

 そう思うと、能天気なブログになってしまいました。

 

 この間、安倍首相の退陣表明もありましたが、新型コロナウイルスの新規感染者数の減少傾向もあって、「異常」の「日常」化がいよいよ進行している気がしています。オオカミ少年化といってもいいのかもしれません。あまり驚かなくなりました。そうでなければやっておれないよということもありますが、これでいいのでしょうか。異常な「日常」はやはり「異常」なのであり、「異常」であることを忘れてしまうことはあってならないと考えています。

 そして、万太郎の俳句「鶯に人は落ちめが大事かな」を大切にしたいと思っています。

 

2020.08.23 Sunday

ピュシスとロゴスの間で生きる人間という存在にー漫画版「風の谷のナウシカ」を起点とする『コロナ新時代への提言2』をみてー(2・完)

 もう一度、漫画版『風の谷のナウシカ 7』(1995年1月初版発行/徳間書店アニメージュ・コミックス・ワイド版)を読み直しました。謎だらけであった前回より視界が開けたと書きたいところですが、相変わらず心もたないのです。でも、このナウシカの物語を起点とする『コロナ新時代への提言2』(以下《提言2》と表記)での福岡伸一の発言は、当たり前ですが、福岡によるひとつの見方(福岡のナウシカ論)を反映したものであることを確認できたと感じています。

 後半にあたる本稿では、ひき続き《提言2》での発言を紹介するとともに、その発言の根っ子にあるものを補足する観点から、漫画版の画像と言葉についても追補的なかたちで紹介してみたいと思っています。

  宮崎駿『風の谷のナウシカ』第7巻表紙

 前稿((1))において、ピュシス(自然)とロゴス(言葉・論理)の相克関係にある人間にとって「理想的に語られることの多い「共生」といっても矛盾だらけのものだ」という福岡伸一の言葉を紹介しました。

 そんな福岡の「ウイルスと人間は共に進化し合う関係」との見方を導入として、人類と感染症との関係について「共生」が求められているとする山本太郎長崎大学熱帯医学研究所教授の考え方を、先行する当ブログ(2020.7.23「ディスタンスというものー映画『コロンバス』に寄せてー」)で紹介しました。その際、山本は「共生といっても、もちろん完全な共生ではなく、私たちにとって「心地よいとはいえない妥協の産物としての共生かもしれない」」としていることも付記していました。

 ここでは、その後、山本の『感染症と文明ー共生への道』(2011年6月刊/岩波新書)を斜め読みしましたので、山本が必要だとする「共生」の背景をもう少し補足しておくことします。

 山本は、感染症と人類の関係について「適応の限界」、「過ぎた適応の副作用」という視点を強調します。このようなことは社会文化的適用にもみられるとし、「狩猟がうまく行きすぎると生態系のバランスは崩れる」「牧畜がうまく行きすぎでも牧草地は荒廃する」を例にあげつつ、「病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた「適応」といえなくはないだろうか」と、次のとおり問題を提起しています。

 「 感染症の根絶は、過去に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対し中立化す

  る。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものになる可能性

  がある。」

 そして、ミシシッピー川や黄河の洪水対策としての堤防の嵩上げをどこまでも続けることができないのと同様に、「感染症のない社会をつくろうとする努力は、努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるかもしれない」と、山本は説明しています。だから「大惨事を保全しないためには、「共生」の考え方が必要になる」とし、次のような結論を述べています。

 「 重要なことは、いつの時点においても、達成された適応は、決して「心

  地よいとはいえない」妥協の産物で、どんな適応も完全に最終的なもので

  ありえないということを理解することだろう。心地よい適応は、次の悲

  の始まりに過ぎないのだからる」

 以上から、「21世紀には、「共生」に基づく医学や感染症学の構築が求められている」が、そのためのコスト、「共生のコスト」を必要とすると、山本は注意を喚起します。喩えると「ミシシッピ川における堤防建設以前の例年程度の洪水」といったものかもしれないが、現代の医学は、致死性を有する感染症を見過ごすことはできず、もてる手段を用いて対処しようとすることになります。この「共生」と「適応」の方向が相反するという問題について、山本は、「こうした問題に対処するための処方箋を、今の私はもっていない」としたうえで、次の結語で、この新書を締めくくっています。

 「 どちらか一方が正解だとは思えない。適応に完全なものがないように、

  共生もおそらくは「心地よいとはいえない」妥協の産物として、模索され

  なくてはならないものかもしれない。そして、それは、21世紀を生きる私

  たちにとっての大きな挑戦ともなるのである。」

 このような山本の「共生」の捉え方は、《提言2》における福岡の「共生」「共存」についての発言と近しい関係にあると思いませんか。私は、そう考えています。

 

 あえて、一言付け加えると、山本の「共生」と「適応」の関係性は、福岡のピュシスとロゴスの関係性に似ているともいえそうです。山本の「適応」はロゴスの力に負うところが大きいですし、「共生」の方はピュシス、生命といってもいいのでしょうが、その本質から離れていないというイメージなのです。

 

◈『コロナ新時代への提言2』が提起したこと

           −福岡伸一の発言を中心として−(2-2)

 前稿では、福岡の「コロナ問題が問いかけるもの」「ピュシスとロゴスというキーワード、その間にある存在としての人間」、そして伊藤亜紗の「「利他性」の本質」、さらに福岡の「ウイルスの営みの利他性」と、こんな小見出しを付して、二人の発言を紹介しました。

 ここでは、もう一人の提言者である歴史学者・藤原辰史の発言から紹介を始めます。なお、ここでの藤原の発言は、本年4月にアップした当ブログ(「同じ時間を生きている私たち、そして人類ー藤原辰史「パンデミックを生きる指針」などを通して拾遺できた言葉からー(1)(2・完)」)と深く関係していることは申し上げるまでもありません。

 

◉歴史から今のコロナ問題が見えてくるー藤原辰史の発言 

 歴史という視点から、藤原辰史は、スペイン風邪をはじめ感染症との関係で私たち人間の犯してしまいがちな失敗の背景や原因を探っていきます。そして、現下のコロナ問題から見えてくる私たちの「危うさ」を確認し、私たちにとって今、心に刻んでおかなければならないことを指摘しているのです。

 「パンデミックを生きる指針」という広く反響を得た文章の冒頭「人間は、目の前の輪郭のはっきりした危機よりも、遠くの輪郭のぼやけた希望にすがりたくなる癖がある。私もまた、その傾向を持つ人間のひとりである」というナレーションを受けるように、藤原は、現在のさまざまな経済危機と感染するリスクというなかで国民が不安にかられているような時期には、私たちはとても分かりやすく単純なメッセージを求めてしまうものだといいます。

 例えば、1914年に始まった第一次大戦の終結時期をその年のクリスマス前にはと公式に発言したり(実際は1918年にやっと終結しました)、アジア太平洋戦争時のわが国でも実際は敗退していたのに「転進」という言葉で発表したりするなど、過去の歴史は、非常時において為政者や権力者の発するあいまいな言葉に人々がふとすがってしまいがちであることを教えているというのです。だから、コロナ禍の現在においても、そんなわかりやすくうっとりにするような言葉に警戒を続けていかなければならないのだと警鐘を鳴らします。

 後ほどナチ時代のことに言及するからでしょうか、《提言2》には唐突に「人種主義」という言葉が登場します。人種主義にはいつも甘いメッセージが組み込まれていて、つまり設定として「あなたは正しいのだ」ということが前提になっています。このことが大変に危険なのは、正しいあなたというものを点検する自分が消えてしまうことだといいます。本来は自分たちの頭で考え、これは敗退なんだ、撤退なんだということで、次の新しい方策を考えていかなければならないのだけれど、構造の回転のなかに巻き込まれてしまうというのです。やはり自分の頭で、それを点検し続けなければならないことを教えてくれたのが、今回の新型コロナウイルスなのだと、藤原は発言しています。

  番組内の藤原辰史  峭渋い硫鹽召亡き込まれてしまう/それを点検し続けなければならない」

 もう一つ、コロナ下での問題を、まるで戦争のように勝ち負けの判断をするようになっていないだろうかと、安倍総理、トランプ大統領の映像を背景に、そんな問いを投げかけ、歴史をふりかえると戦争が私たちの間に排除を生んできたと説いています。

 つまり勝ち負けという大きな目標は強い力を発揮し、勝つためならいろんな犠牲を払ったりすることが日常的なことだという状態になります。太平洋戦争時には、勝ちというものに対し、少しでも足を引っ張るような人たちを「非国民」と呼んで決めつけ排除したりしました。今、たとえば魔女狩りのように、感染地域や医療従事者に向かって攻撃的な言葉を集中して投げつけたりすることが起きています。いわゆる自粛警察というもので思い浮かぶのは、ナチ時代の私服の民間監視員による相互監視であり、さらに進めば地域の住民同士による監視や、自分の頭のなかでの自主監視までエスカレートしていった様相と、どこか似ているように感じると、その「危うさ」を指摘しています。

 

 さらに、藤原は、封鎖の2カ月間にわたり毎日の状況を日記を綴って公開を続けた中国の武漢在住の作家である方方の言葉「(文明国家であるあるかどうかの)基準はただ一つしかない/それは弱者に接する態度である」に心打たれたとし、藤原は今のコロナ禍の問題と絡めて語ります。

 パンデミックがどこにしわ寄せがいくのかについて、方方が先の言葉で明らかにしてくれたし、今回、私たちが今日までどこに目をつぶってきたのか、食肉工場での感染拡大やごみ処理問題を例に挙げながら、藤原は私たちが何に支えられているのか、その現実が見えてきたというのです。

 そして、藤原は、コロナ禍で厳しい状況(生きることが苦しくなったり、生活することが困難になったり)に陥った人たちが、そのとき、それでも何とか生きていけそうだと思える社会こそが、文明国家であるはずなのに、いつの間にか物質に囲まれていることが文明国家の基準だと思うようになってしまったといいます。今や、私たちの生活というものが、本当の意味で深いところから問い直されているのではないかと問題提起しているのです。

  番組内に登場した中国の作家である方方の写真 

  「(文明国家であるとかどうかの)基準は/ただ一つしかない/それは弱者に接する態度である」

  番組内の藤原辰史◆

  「文明国家の基準/生きていけそうと思えることか/モノに囲まれていることか」

 前記の方方の武漢日記の日本版は、『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』のタイトルで、来月9月9日に河出書房新社から刊行されるとのことです。中国でははじめはネット上で公開されていましたが、政府当局の検閲によって削除されたり、ネットユーザーによる集中攻撃を受けたりするなか、アカウントを変えたりしながら、不当な攻撃に反発するように日記は続けられたのだそうです。当然のことながらという言葉を使ってしまいますが、中国においては、単行本としての刊行の目処は立っていません。

 なお、前記の「文明国家の基準」についての文章は、2月24日の日記に登場したそうですが、藤原の「パンデミックを生きる指針」からフルバージョンを再引用しておきます。

 「 一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、ク

  ルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学

  技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントがで

  きるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のも

  のを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ

  一つしかない。それは弱者に接する態度である。」

 

 続いて、藤原は、福岡の問いにも答えるような形で、「共生」や「潔癖主義」というある意味で美しい言葉にひそむ闇というものを、ナチ時代の歴史から解剖していきます。

 

◉潔癖主義の闇を乗り越えるためにはー藤原辰史の発言◆

 前稿の最後のところ、「ウイルスの「利他性」」についての福岡の発言に続いて、《提言2》は漫画版『風の谷のナウシカ』の図像を用いつつ(下記はその一部)、「人類と腐海の「共生」は可能なのだろうか」という問いに続いて、「「共生」という美しい言葉で人びとを導き世界を変えた政党、それがナチスだ」というナレーションが流れます。

  番組内の映像  ナウシカは腐海の秘密にふれます

          「きっと腐海そのものがこの世界を浄化するために生まれたのよ」

  番組内の映像  ナウシカは自分も含めた現人類の秘密にも気づきます

          「私たちが汚れそのものだとしたら……」

 藤原は、ナチ時代の1933年には動物保護法、35年には植物保護法が成立し、これを農学者のトップとして先導したのがコンラート・マイヤーだと切り出します。マイヤーの、ナチ政権のめざす農業の理念とは自然との「共生」を重視した減農薬、有機肥料のサスティナブルな方向性のもので、今の私たちの考え方とも近いものであったと、藤原は説明します。

 でも、その農業には動植物との共生は含まれていたけれど、他民族との共生は含まれていなかった、つまり自然との共生をめざす農業であったが、マイヤーの頭の中には、アーリア人以外の人間とは共存できないという人種主義がふつうに共存していたのだと指摘します。こうしてユダヤ人などが虐殺されますが、それがガス殺、つまり消毒に用いる薬品によってガス殺していたわけで、ある何かを象徴しているようだと、藤原は述べています。

 

 この負の歴史が伝えるものは、潔癖主義の恐ろしさだとし、藤原はブロイエルという研究者がナチスのことを「清潔の帝国」と呼び、清潔志向に取りつかれた政治集団だと評したことを紹介します。

 このように無駄とか、邪魔などを一斉に消したくなるということは、20世紀に起こっていたことだとし、人間の人間に対する潔癖なクレンジング、また人間の人間以外の生物に対する潔癖なクレンジングは、両方がリンクして進められてきたのだと、藤原は補足します。

 そして、こうして潔癖主義にみんなが走ってしまう、潔癖主義は、いつも感染しやすいものであり、感染というなかで自分の行動の幅がだんだんと狭まっていくと、藤原は発言し、潔癖主義というものの危険性を指摘しています。

  番組内の藤原辰史 「潔癖主義は感染する」

 続いて「潔癖主義は止められるだろうか」というナレーションを受け、私個人の考えと断ったうえで、福岡は、行きすぎた消毒文化というものはかえって生きている「生命体」としての私たち、ピュシスとしての生命にとって害作用を及ぼすと考えていると語ります。

 そして、もともと私たちは不潔な生物であり、さまざまなものを受け取り、出したりしているのだが、ある種の潔癖主義が暴走しないようにするためにはどうすればいいのでしょうかと、画面ごしに、福岡は藤原に問います。

 

 この福岡の問いに対し、藤原は、現代の農業テクノロジーの問題から語り出します。純粋なモノ、清潔なモノを志向する風潮は農業にも及んであり、培養肉というような屠殺というステップを外してキレイな肉を提供するテクノロジーが展開されはじめており、食べ物や農業もキレイなモノとして私たちが消費するという志向の高まりを指摘します。

 だがしかしと、福岡の人間観に賛意を表しつつ、藤原は、そもそも人間は穢れと清潔を両方持つ存在であり、食べ物に象徴されるように、口から摂取しお尻から出す、口は上水道につながり、お尻は下水道とつながっており、いわば上水と下水の間(はざま)にあるのが人間の定義だと説明します。そして、現在のキレイすぎる人間観を見直していくことが、今回のコロナ問題で私たちが見つけていかなければならない人間観だというのです。

 ですから、人間と人間にしても、人間と自然にしても、そんな簡単に共生できるものではないという地点に立つことが、この悪循環から逃れるポイントだと思いますと、藤原は福岡の問いに答えています。

 

 ここで付言しておくと、前段の「悪循環」とは、上水と下水の間にある、清潔さと穢れを併せ持つ人間存在の現実から乖離して、そのような人間が歯止めなく清潔を、潔癖に求めていくことにより生じてくる状態のことを指していると、私は理解しています。

  番組内の藤原辰史ぁ 崗綽紊伐漆紊隆(はざま)にあるのが人間」

 さて、ここからが《提言2》のハイライトというべき部分になります。

 番組冒頭で、福岡は、コロナ禍の現在、読み直したい本として漫画版『風の谷のナウシカ』をあげ、このナウシカ物語の最大の謎である「ナウシカはなぜ《約束の神殿》を破壊したのか」という問いに答えようとすることで、人類の文明の行く末をとらえ直したいとしていたところです。

 なお、《約束の神殿》とは、前稿においても記載したとおり、宮崎駿自身が《予定調和のユートピア》、福岡が《人類再生のために密かに準備されていた約束の場所》、赤坂が《旧人類のプロミングした未来のシナリオ》と、それぞれ表現しているところです。

 以下では、番組のために漫画版の映像化された図像を前段と後段に分けて掲載し、それぞれのナレーションを紹介したうえで、藤原の最後の発言、そして福岡の総括的な発言を紹介します。

 

 まず、藤原の最後の発言前に5枚の図像を並べ、ナレーションで補足します。前記の《約束の神殿》は漫画版で「墓所」と呼ばれていますが、その前にナウシカがたどり着いた「庭」(この場所も《約束の神殿》の一部だと私は理解しようと思います)の場面ということになります。

 (図)で、ナウシカは相棒である小動物テトを埋葬しています。そこに庭の主が登場して導かれます。そこは理想郷のような場所で((図)、(図))、穢れの一切ない世界でした。でも、ふとナウシカはテトの死を忘れかけている自分におそれおののくのです(図)。この庭は、ナウシカを墓所へ行かせないように足止めするためのワナでした。そこは、死の悲しみや不安すら排除された、穢れのない世界であり、ナウシカは違和感を覚えました。

 (図)で、ナウシカの声、ナレーションの島本須美の声で、図像のセリフ「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては、何も見えないのではないかと……」が流れます。そして、ナレーションで、ナウシカは汚濁を排除した世界では、人は生きられないとさとる、というところで、藤原の発言へ移行します。

 なお、ナウシカはこの庭の主に別れを告げ、墓所へと出発します。 

 番組内の映像[図] ナウシカが死んだテトを埋葬します

  番組内の映像[図] その庭には滅びたはずの木や草がありました

  番組内の映像[図] ナウシカは「安らかな世界」を感じます

  番組内の映像[図]  ナウシカはテトの死を忘れていたことにおののきます

  番組内の映像[図]  ナウシカは庭の主に問います

       「世界を清浄と汚濁に分けてしまっては何も見えないのではないかと……」

 藤原は、少なくとも、上記の一連の映像を見て、発言しています。漫画版ナウシカの7巻を読んだのかどうかはわかりませんが、彼なら目を通しているようにも思います。

 これって(上記の映像のこと)今の私たちそのもの、私たち自身、むしろ、決定的に、穢された世界を生きていかざるをえないのであり、どのように折り合りながら、ノイズと共に生き続けていくのかということを考えさせられたと、藤原は反応します。ナウシカのいう、完璧なキレイすぎる生態・調和の世界を私たちが夢見てしまう、このことはものすごくディストピアだと私は思うと続けています。

 そして、自分の違和感に正直になることは(ナウシカのように)、これからの社会を考えていこうとするとき、他者との関係で、葛藤やすれ違いも生じることだろうけれども、そんな対立を対立としてしっかりと受けとめ、そこからヒントを得て、新しい社会においてこんなこともありうるかなというところを見つけていくということではないかとします。 

 最後に、テレビの前の私たちに一番伝えたいというメッセージということでしょうか(ディレクターに促されたのかもしれませんが)、ポツリと、でも確信をもって、藤原は、「思考停止してはいけない」ということ、「思考停止を絶対にしてはいけない」と発言しています。

  番組内の藤原辰史ァ  峪弭幼篁澆靴討呂い韻覆ぁ

 以上、藤原の発言は、パンデミックを生きる私たちに過去の歴史から学ぶべきことを伝えようとしたということになります。それは私たちのパンデミック下における現状のありよう、例えば権威者の言葉に踊らされがちで、相互監視的に排除に同調してしまったり、極端な潔癖主義に一斉に走りそうになってしまう、またそれでいて一番しわ寄せがいく弱者の現実を見ようとはしていない、そんな私たちが忘れてはならないことを、私たちに問うているといえます。そして、こうした現状に抗するためには、自分の頭で点検し続けること、また思考停止しないことというように、私たちがコミットする主体であり続けることを求めていると、私は感じました。

 最後の清潔と穢れの人間観、清浄と汚濁の世界観というべき部分は、《提言2》という番組全体が福岡の考え方を中心軸に、起点と終点、言い換えると、問いと答えという関係として構成されている以上、藤原の発言がわかりにくくなったという感は否めません。でも、それこそ思考停止を拒む藤原の発言は、福岡の発言を補強的に支え、共振する関係にあるといえます。

 

◉ピュシスとロゴスの間にある人間が覚えておかなければならないこと

                        ー福岡伸一の発言ぁ

 最後に《提言2》を締めくくる福岡の総括的な発言は、下記の漫画版からの映像のあと、3分を超えて続きます。

 冒頭で提示した「大きな謎」について、福岡は正面から答えようとしています。もちろん、ある種のカタルシスはありますが、注意しなければならないのは、絶対視してはいけないということです。最後に、福岡は私たちへさらなる問いを投げかけたのだと理解しておいた方がいいのかもしれません。

 

 この漫画版からの映像は、次の言葉とともに流れます。

 (図)でナウシカの向かった墓所が示され、ナレーションは「ナウシカは墓所にたどり着く。そこはかつての人類が汚濁をなくそうと超高度な文明を残した場所。不老不死すら可能とする文明。」

 そして、「ナウシカは墓所の主に問う」というナレーションに続いて、映像のナウシカのセリフがナウシカの声で流れます。ここでも書いておきましょう。「生きることは変わることだ/王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう/腐海も共に生きるだろう……」(図)。「だがお前は変われない/組みこまれた予定があるだけだ/死を否定しているから……」(図)

 墓所の主の声「お前は危険な闇だ/生命は光だ!!」。これに対し、ナウシカ「ちがう/いのちは闇の中のまたたく光だ!!」(図)。

 ナレーションで「そして、ナウシカは墓所を破壊」(図)。

 続けて、「ナウシカの決断をどう捉えるべきなのか。/コロナ新時代を我々はどう生きるべきなのか」と、問いを投げかけます。

  番組内の映像[図] シュアの地にある巨大な墓所

  番組内の映像[図] ナウシカは墓所の主と対峙します 本文参照

  番組内の映像[図] 本文参照

  番組内の映像[図] 本文参照

  番組内の映像[図] 墓所は破壊されます

 この問いに、福岡伸一は、次のように答えます。ここでは、福岡の発言をできるだけ忠実に再現しておくことにします。

 「 私は、「パワーを求めないことが真のパワーだ」ということを、ナウシ

  カが発見したんじゃないかと思いました。

   パワーとは権力や武力のことですが、人間の文明というのは、人間が言

  葉、論理、あるいはある種の虚構をロゴスによって発見したことによって

  発展してきました。ですから、ロゴスの本質は、論理だし、効率性、生産

  性、そしてアルゴリズムによって達成する最適解ですよね、これは、まさ

  に我々、今の社会がAIを使って求めようとしている方向です。そして、こ

  のことが行き着く先は、完全に制御された我々の暮らし、究極のロゴスの

  神殿なわけです。それは、ピュシスとしての我々の生命の在り方を完全

  損なってしまうものでもあるわけです。

   ですから、計画された社会、制御された経済、あるいは完全にコントロ

  ールなものとして成り立っている文明というものを、ナウシカは、本来の

  ピュシスの在り方とは違うということで、これはもう一度やり直すべきで

  はないということで、(墓所を)破壊したと、私は思います。」 

 以上は、前者の「ナウシカの決断をどう捉えるべきなのか」に対する福岡の回答ということになります。

  番組内の福岡伸一ぁ 屮淵Ε轡は本来のピュシスではないと破壊したのではないか」

 「 人間は愚かですから、やはり同じ過ちを繰り返してきましたし、これか

  らも繰り返すと思います。やっぱり歴史から学んだ教訓というものが活か

  されるとすれば、それはですね、ロゴス的に走りすぎたことが破綻して、

  ピュシスの逆襲を受けたようなことが、過去に何度もあり、そのことをや

  はり思い出して、ロゴス的に行きすぎた制圧のやり方は破綻してピュシス

  があぶり出されてくることを覚えておかなくてはならないことにつながっ

  てくると思います。」

 これが、後者の「コロナ新時代を我々はどう生きるべきなのか」についての福岡の発言ということになります。

  番組内の福岡伸一ァ 屮蹈乾硬に行き過ぎた制圧はピュシスがあぶり出されてくる」

 そして、この最後の福岡の発言とともに《提言2》はエンドとなります。

 エンディングの映像は、漫画版の図像が使われており、ナウシカの声でセリフ私達の生命は風や音のようなもの……/生まれ ひびきあい//消えていく」(図)が静かに語られ、フェイドアウトします。

  番組内の映像  本文参照

 

 お付き合い下さった皆様は、この《提言2》の最後におかれた福岡の総括的発言をどのように読まれましたか。漫画版ナウシカを、特に最終7巻を読まれていない場合は、本稿でも前提となる説明を省いてきたこともあって、「これって何」ということになったかもしれません。この7巻を二回読んだつもりの私ですが、適切な短文で補足して理解を助けることができないのです。

 私自身は、前者の発言を、それこそ逆説的ではありますが、ロゴス、論理上、説得的なものと受けとめました、一方、後者の発言については不充足感というか、最後にもう一度福岡に謎かけされたような思いも残りました。

 

 この福岡の発言、ナウシカの物語への福岡の読みの根底にあるのは、現代の文明への批判です。とりわけ、「アルゴリズムによって達成する最適解」に象徴される「今の社会がAIを使って求めようとする方向」に対する深い懐疑があります。ロゴス一辺倒で走ることを止めない現代文明の行く末へのおそれのようにも感じます。

 そして、福岡の懐疑の根っ子には、番組冒頭の問いである「生命とは何か」「自然とはいったい何か」に対する福岡の到達点というべき、生命観、自然観があり、人間の生命もまた自然の一部を構成する存在であること、つまり人間とはピュシスとロゴスの間で生きる存在、なんとか折り合いながら生きる存在であるという人間観があるといえます。

 ナウシカの世界は、最終戦争から1000年後の世界であり、いわば現代文明の行き着く先ともいうべき、高度に文明化した社会が破壊された後の世界なのです。破滅の危機に立った高度な文明は、人類を含むすべての生命(生物)を遺伝子操作して変えることによって、いつの日か腐海が浄化した後に人類が再生するための核(人間の卵)を墓所として残したというのが物語の構造です。そこには前記のナレーションにある「かつての人類が汚濁をなくそうと超高度な文明を残した場所。不老不死すら可能とする文明」を再生するブログラムが集約された場所でした。

 この「高度に文明化された世界」とは、福岡にとって、繰りかえしますが、現代の人間文明がロゴスの力で向かっていった先にありうる世界であったのです。福岡が懐疑する文明が行き着いた先の世界が、崩壊の危機に直面し、後代に残した、福岡の言葉を使えば《人類再生のために密かに準備されていた約束の場所》すなわち「究極のロゴスの神殿」なのです。

 そして、そのとき再生されるべき人間のビジョンに、ナウシカは、生命のある人間を発見できずに生命を喪失した人間のようなものをみたのだといえます。ですから、この墓所の謎に直面したナウシカは、福岡の言葉でいえば「本来のピュシスの在り方と違うということで」、墓所のブログラムによる再生を否定し(「もう一度やり直すべきではない」)、墓所を破壊したと、福岡は解釈した、読み解いた、言葉が軽いのであれば、自らの生命観、自然観、人間観と深く共鳴するものとして、「ナウシカの決断」を受けとめたということができます。

 これは前者への福岡の回答ですが、それはまた、ぐるっと一回りして、冒頭の「生命とは何か」「自然とは何か」という地点に戻ってくるということもできます。

 

 いたずらに言葉を重ねてしまいました。

 後者、すなわち「コロナ新時代を我々はどう生きるべきか」についての福岡の発言は、不充足感があると書きましたが、それは「ロゴス的に走りすぎたことが破綻して、ピュシスの逆襲を受けたようなことが、過去に何度もあり」という具体事例について、確信がもてないからです。

 例えば、藤原の発言にあったナチスによるユダヤ人等の虐殺とか、人間の諸活動を起因とする地球温暖化のとどまることを知らない進行だとか、人間のコントロールできない原子力利用の結果としての福島原発の事故とか、いろいろと想定できますし、カタカナ表記のヒロシマ、ナガサキもそうかもしれませんが、どうなのでしょうか。番組全体からすると、理解できるはずだということになりますが、具体の事例に言及しなかったことは(福岡は言及したが、番組の構成上、カットされたということかもしれません)、少し不親切ではなかったかと、私は思いました。

 そしてまた、では私たちはどう生きるべきかについて、福岡は十分な言葉を与えることのないままで締めくくったのではないかという不充足感もありました。でも、これはむしろ、福岡が、《提言2》が、現下のパンデミック(コロナ新時代)を生きる我々に対し、ロゴスの力によって成り立っている現代の文明の行く末について、本当にこれでいいのでしょうかと謎かけ、というか問題提起したのだと考えることもできます。

 私はそう受けとめることにしたいと思います。

 

 もう一つだけ、言葉遊びになるかもしれませんが、付記しておきます。

 「〇〇すぎた(過ぎた)」という言葉が、福岡と藤原の発言に頻発しています。それだけでなく本稿の最初に記した山本太郎長崎大教授も「共生」との関係で「適応」に関して使っています。

 福岡の最後の発言には「ロゴス的に走りすぎた」「ロゴス的に行きすぎた制圧」、そして藤原への質問にも「行きすぎた消毒文化」と表現されていました。藤原には「完璧なキレイすぎる生態・調和の世界」「現在のキレイすぎる人間観」もありました。山本には「過ぎた適応」として「うまく行きすぎた」が使われています。

 ここで申し上げておきたいのは、この「〇〇すぎた(過ぎた)」は、あるべき加減を超えたとか、極端とかということになりますが、それは「共生」「共存」という状態にとって最大の難関になるということです。藤原の「潔癖主義の闇という問題」(「潔癖すぎる」などといいますが)、福岡の「ピュシスとしての生命という問題」において、また山本の「感染症との共生という問題」において、「〇〇すぎる」状態はその実現を阻む方向性だということです。

 福岡が述べているとおり共生は矛盾だらけの困難なものですが、当ブログでも引用した山本の「私たちヒトは、微生物との複雑な混合物以外のなにものでもないのかもしれない。そうした「私」が、同じような複雑なマクロ(自然)の生態系に守られて生きている(生かされている)。それが、人の存在なのであろう」という地点に立つことが、「〇〇すぎた」ことに陥らないようにするキーではないか、そして心地よいとはいえない妥協の産物である「共生」への道ではないかと、私は考えています。

 人間は人間だけの世界で生きることができないのですから(地球上に人間だけの世界は想定できない)、完璧に消毒されたキレイな世界で生命は生命たりえないと、私も思っています。

 

◈あわりにならないけれど

 すいません。息切れしてしまいました。漫画版のナウシカを補足的に紹介するなかで、《提言2》の発言を、もっと掘り下げようと思ったのですが、やはり私には無理でした。

 いずれにしても、福岡伸一の問いのおかげで、漫画版『風の谷のナウシカ』の世界に初めて少しふれることができたことを感謝しています。

 

【追録】なぜナウシカは「約束の神殿」を破壊したのか

            ー『風の谷のナウシカ』7巻から少し補足してー

 前記のように、説明抜きですが、ナウシカの7巻から気になった画像を拾遺し、《提言2》で使われた映像の前後に並べています。なお、7巻の掲載ページ数を付記しています。

ナウシカは汚濁を排除した世界(庭)を去ることを決意した

  [p130/再掲] そして「永い間、疑問でした」と庭の主に問います。

  [p132/再掲] ナウシカは自分の生命観を言葉にします。

         このページが《提言2》のエンディングで使われたものです。  

     [p132] 生態系も生命も作り変えられた事実に戦慄します。

     [p133] ナウシカは真実を確かめようと墓所へ行こうとします。

      「この庭は墓所の貯蔵庫です……/中心ではありません」

     [p172] ナウシカは墓所への途中、自分の生命観を再確認し、「ちがう」と叫びます。

 

墓所の主の言葉にナウシカは「否」と答えた

      [p195] ナウシカは、墓所の主と対峙します。

      墓所の主は、今は永い浄化の時で、やがて再生の時が来ると語ります。 

     [p196] 墓所の主は「世界の再建に力を貸してくれ」とナウシカに呼びかけます。

     [p196] 墓所の主の呼びかけに、ナウシカは「否!!」と拒絶します。

     [p198] ナウシカは「あくまであざむくのか」と迫ります。

      「私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私達のものだ

       /生命は生命の力で生きている」

      [p198/再掲] 《提言2》にも登場する図像が2枚続きます。

     [p198/再掲] ナウシカは墓所の主に真実を語れと迫ります。

     [p199] 墓所の主は「旧世界の墓標であり、同時に新しい世界への希望だ」と説きます。

     [p200] ナウシカは、墓所を作った人達が「清浄と汚濁こそ生命だということに」を

      なぜ気づかなかったのだろうと自問します。

    [p201] 墓所の主は「娘よ、お前は再生への努力を放棄して人類を滅びるにまかせるというか?」

      とナウシカに迫ります。

     [p201/再掲] 「人類はわたしなしでは滅びる」「それは虚無だ」と言う墓所の主に対し、

         ナウシカは「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」と返します。

      [p202] ナウシカは「すべては闇から生まれ闇に帰る」「お前達も

       闇に帰るがよい!!」と言い放ちます。

                  【終:(1)へ/(2・完)】

 

2020.08.12 Wednesday

ピュシスとロゴスの間で生きる人間という存在にー漫画版「風の谷のナウシカ」を起点とする『コロナ新時代への提言2』をみてー(1)

 アツいアツいと詮方もないことを口に出して、さらに暑さがつのってしまう今日この頃です。<立秋>というほど季節外れの、実感のないことばはないと文句を言ってみてもはじまりません。

 濃い緑ばかりが目立つ大中遺跡公園で、ただひとつサルスベリの花が差し色となっています。そして、県立考古博物館南の狐狸ヶ池には、ふつうのスイレンのそばにもっと大きな円形の葉が浮かんでいます。

  サルスベリの花(大中遺跡公園内) [2020.7.29撮影、次も同じ]

  スイレンのそばに浮かんだ大きな円の緑葉(播磨町狐狸ヶ池) 

◈「見えない政治」という現実を前にー赤坂憲雄の手紙ー

 最初から、ちょっと重苦しくなりそうなことを紹介します。

 月刊PR誌『図書』で連載中の赤坂憲雄と藤原辰史の往復書簡が、8月号で13回目を迎えました。もとより公表を前提とした文章なのですが、親しみをもつ同士の手紙というだけで、その時一番心に引っかかっていることが心の高ぶりとともに素直に吐露されていて、興味深く読んでいます。

 前月7月号は、赤坂から藤原への手紙で、「見えない政治に抗うために」というタイトルでした。民俗学の赤坂は(といってもその枠にとどまらないが)、東北をフィールドとし、2011年の東日本大震災、福島原発事故の後、とりわけ福島に関わってきた方です。そして、コロナという災禍のなかで「見えない棄民政策が推し進められている」ことに、福島をめぐる一連の政治のありようと重ね合わせ、「この国の政治の基準線」になっていやしないのかと、「珍しく怒りに震えています」と書いています。

 赤坂は、震災後の福島の収められ方、つまり「難民から棄民へと、見えない政治のテーマはじつに巧妙に深められ浸透していった」という経験から、「見えない政治」を次のとおり定義的に表現しています。

 「 弱き者たちを棄てる、いたずらに時間をかけて疲弊させ曖昧にする、分

  断と対立を網の目のように張り巡らす、データを改竄し隠蔽する、被害を

  最小化し、被害者を不可視化する、そして、ついにだれ一人として責任だ

  けは取らない……。」

 この「見えない政治」は、水俣で時間をかけて作られたもので、「水俣から福島へ、そしてコロナ禍にあえぐ日本へ」と、まちがいなく繋がっているとし、赤坂は「なんと洗練されたマツリゴトの作法、いや手練手管であることか」と怒っているのです。

 この赤坂に応答した8月号の藤原の手紙には、次の一節があります。

 「 いつの時代も、「なかったことにする」権力は、「まあまあそこまでア

  ツくならなくても」という超越者のポーズを持ち出し、「抗い」を「暴

  動」に、「抵抗者」を「暴徒」に塗り替え、それを鎮圧していきます。カ

  ロリン・エムケが『憎しみに抗って』で述べているように、差別は、差別

  する側が毎日「憎しみ」を保つエネルギーを持ち得ないので構造化されて

  ゆく。」

 

 こうした赤坂、そして藤原の厳しい見方を、私は否定することはできないのです。社会の一員として私自身も共犯関係にあると自覚せざるを得ないのです。だから、ここでメモしておくことにしました。

 さらに、コロナは始まったばかりであり、「巧妙に身をひそめながら、あらたな意匠をまとった優生思想が顕われる気配にも、注意を怠るわけにはいきません」とも、赤坂は指摘しています。このような時期にもかかわらず、国会が閉じられたままで、最高責任者の顔が見えない状況は、いうまでもなく、「いたずらに時間をかけて疲弊させ曖昧にする」作法の一つなのです。

 では、こんな「社会的に強い上層の人々を露わに守ろうとする場面に次から次へと出喰わす」、こんな臆面もない政治の現実を前に、どうすればいいのか。赤坂は「あらたな抵抗の作法を、多様なかたちで組織してゆくしかありません」、「それぞれのフィールドからの思索だけが、将来に繋がってゆく糧になる」とし、次の予感を書きつけています。

 「 いずれ、東北というフィールドから、コロナ以後の社会に向けて動きだ

  すとき、じかに地域が世界へ繋がってゆくための知の作法や生き方を創ら

  ねばならない、それは可能だ、そんな予感だけはすでに、そこにありま

  す。」

 そんな予感などもてない私はどうすればいいのか。「見えない政治」に慣れて麻痺してしまわないこと、共犯関係にあることの自覚を忘れないこと、そして思考停止にならないように努めることしか残されていないようです。

 

◈『風の谷のナウシカ』を起点としてー『コロナ新時代への提言2』ー 

 本稿では、NHKBS1で8月1日に放送された『コロナ新時代への提言2』(8月13日再放送)(以下《提言2》と表記)を取り上げます。

 生物学者・福岡伸一、歴史学者・藤原辰史、そして美学者・伊藤亜紗という3人の識者が発言し、問題を提起しています。これを論じたいと思ったのは、当ブログでコロナに言及したさいに、ウイルスの本質、人間とウイルスの関係についてのコメントをごく簡単に紹介していましたが、福岡伸一は、この番組でその基底にあった生命観、自然観、それはとりもなおさず人間観、文明観でもあるところの考え方(思想というべきでしょうか)を吐露しており、その発言に大きな刺激をうけたからです。そして、どこまで理解できているのか心もたないけれど、私の共振のありかというものを探ってみたいからでもあります。

 福岡伸一に言及した当ブログは、以下のとおり。

  ◦2020.4.30「単純な生活ということ

            ーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー

  ◦2020.7.3「手がかりはどこに

                ーコロナ後の社会のありようをめぐってー 

  『コロナ新時代への提言2』の冒頭 2020.8.1放送/NHKBS1

 本論に入る前に言及しておきたいのは、この番組が宮崎駿監督による漫画版『風の谷のナウシカ』を起点とすることで成り立っているという点です。NHKの番組紹介をコンパクトにして要約すると以下のとおりです。

 「 『風の谷のナウシカ』のマスク姿の人々や猛毒をまきちらす腐海の描写

  は、コロナ危機に直面する現在の人類と符合する。3人の識者が、壮大な

  漫画版『ナウシカ』で描かれた数々の謎をひもときながら、コロナ後の世

  界や人間の行方について語る。文明化と自然との関係、潔癖主義や共生の

  もたらした悲劇、そして、負の歴史を繰りかえさないために人類が取るべ

  き選択とは?」

 このブログを読んでいただいている方は、映画『風の谷のナウシカ』を映画館でみていなくともテレビでみたことがあるのではないでしょうか。私もその一人で、スケールの大きいアニメーションが登場したなあと思いはしましたが、それ以上ではありませんでしたし、漫画版の存在も知りませんでした。

 漫画版は1982年2月から『アニメージュ』で連載が開始され、1年が経過したところで映画化のために一時中断し(映画版は1984年制作)、その後再開されて断続的に書き継がれ、1994年3月号で完結したものだそうです。今はこの足かけ10年に及ぶ漫画版は、全7巻にまとめられて出版されています。つまり、映画版はごく初期までの漫画版(全7巻でいうと1、2巻まで)がベースとなっており(そして、一種のハッピーエンドで終わります)、漫画版の方はそうではなくそこからまたナウシカが長い過酷な旅に出て予想もされない結末を迎えるのです。ウィキによると、宮崎駿は次のように述懐しているとのことです。

 「 作品の出発点になっている自分の考えを、自分で検証することになっ

  て、後半はこれはダメだという所に何度も突き当たらざるを得ないことの

  連続だったという。予定調和なユートピアを否定することになり、ぐちゃ

  ぐちゃになってしまったとも語る。体力的にも能力的に時間的にも限界

  で、何の喜びもないまま終わって、完結していない作品だと説明してい

  る。」

 この「予定調和なユートピアを否定する」ことは、この番組のカギともなっていますので、ご留意をお願いします。

  宮崎駿『風の谷のナウシカ』第2巻表紙

 このように宮崎本人は否定的な自己評価をしていますが、世評はとても高いもので、今も論じられています。前出の赤坂憲雄は昨年『ナウシカ考』(2019年11月刊/岩波書店)を上梓しています(私は読んでいません)。岩波の紹介には「多くの人に愛読されてきたこのマンガを、20余年の考察のもと、一篇の思想の書として徹底的に読み解く」とあります。

 川上弘美との対談で(「漫画版『風の谷のナウシカ』を赤坂憲雄、川上弘美が考察する」)、赤坂は、「84年に公開された映画では「エコロジーの戦士」と語られたナウシカですが、宮崎さんは漫画版で、そうしたナウシカ像をどんどん壊して、疾走していきます」と語っています。そして、「火の7日間戦争」(最終戦争)から1000年後のナウシカの世界は、高度に文明化した社会が破壊された世界で生態系そのものが変えられており、こんな「すべてが変えられている」ところからしか、出発できないという問いが突きつきられているとし、前記の「予定調和なユートピアを否定する」とも関係する、次のような発言をしています。

 「 漫画版では、黙示録的な善悪の戦いが決着したわけではありませんね。

  とりあえず、旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊しまし

  たが、それをはたして全否定できるのか。ナウシカの選択は正しいのか。

  漫画版は我々に、改めて問いの立て直しを求めています。それをさらに考

  えていきたいと思います。」

 

 私自身は漫画版の存在すら知らなかったわけですが、今回、娘のおいていった全7巻を手に取ることができました。そして、第1、2、3巻と、先の「予定調和なユートピアを否定する」最終第7巻を読みました(だから第4、5巻は目を通していません)。

 ファンタジーへの想像力の欠ける私には、宮崎自身の「ぐちゃぐちゃになってしまった」という表現がぴったりで謎ばかりが残ったというのが偽りのない感想であり、いい加減なままなのですが、本論へ入っていくことにします。

 

◈『コロナ新時代への提言2』が提起したこと

           ー福岡伸一の発言を中心としてー(2-1)

 それでは、福岡伸一が中心になりますが、3人の言葉をできるだけ拾いながら、この《提言2》が提起していることを言語化してみたいと思います。

 といいながらですが、テレビでの発言を正確にメモする能力がほぼありませんので、繰り返し確かめることにしますが、不完全、不十分であることをお断りしておきます。

 なお、同番組のナレーションは、36年前の映画版「風の谷のナウシカ」でナウシカの声役で出演した島本須美が担当しています(なんと声が若い)。 

 

◉コロナ問題が問いかけるものー福岡伸一の発言 

 福岡伸一の問いかけから、番組は始まります。

 冒頭、福岡は、現下のコロナ問題が我々に問いかけたのは、「生命とは何か」「自然とはいったい何か」であるとしたうえで、「共生」というものは理想的なものとして語られることが多いけれど、矛盾だらけのものだ(その意味はだんだんと明確になっていくはずですが)と指摘します。

 続けて、3月からロックダウンで閉じ込められ、そのまま滞在しているニューヨークで、2020年7月9日という日付の付されたビデオ映像に登場した福岡は、コロナ問題の現在、読み直してみたい本として宮崎駿監督の漫画版『風の谷のナウシカ』をあげます。

 そして、前項で言及した映画版と漫画版の違いにふれたうえで、漫画版の最後のところ(第7巻)、ナウシカは失われたはずの墓所(赤坂の『ナウシカ考』を書評した福岡は「人類再生のために密かに準備されていた約束の場所」と表現しています)を発見したにもかかわず、その約束の神殿を破壊して去ってしまうことは大きな謎として読む人の心に深く突きささると語ります。

 この『風の谷のナウシカ』の最後の部分、前記川上対談での赤坂の言葉では「旧人類のプログラミングした未来へのシナリオを破壊した」というナウシカの物語の大きな謎の部分から、福岡は、コロナ禍が人類の文明を揺るがせている現在にあって、私たち人間、人類の文明の行く末というものをとらえ直すことにしたいと、まず基本の方向を提起しているのです。

  番組内の福岡伸一  崋然とは何か」「生命とは何か」

 誤解をおそれずに補助線を引いておくことにします。

 ナウシカが破壊したもの、繰り返すことになりますが、宮崎自身の「予定調和なユートピア」、赤坂の「旧人類のプログラミングした未来へのシナリオ」、福岡の「人類再生のために密かに準備されていた約束の場所」とは何か、現代もそうであるように「人間が科学・技術を手段として行き着いた先にある人類文明の究極の世界」というイメージであると、私は言葉にしておきたいと思います。

 では、この「人類文明の究極の世界」というものが、現下のコロナ問題における「生命とは何か」「自然とは何か」という問いとどのように関係するのかが、次項で明らかになっていきます。

 

◉ピュシス(自然)とロゴス(言葉)というキーワード、

          その間にある存在としての人間ー福岡伸一の発言◆

 ナウシカの物語の大きな謎を読み解くキーワードとして、福岡は、ピュシス(自然)とロゴス(言葉)、ピュシス対ロゴスだと強調しています。「対」だということに注意しておきましょう。そして、これが私たちの文明社会のなかの人間、人類をとらえ直すうえで重要な言葉であるといいます。

 では、ピュシス対ロゴスとはどういうことなのか。福岡は以下のとおり説明しています。

 私たち人間の生命もまた他の生物と同様にありのままの自然(ピュシス)として存在しており、一回かぎりで本来はアンコントローラーなもの、制御不能なものだとします。しかし、同時にまた、人間は生物のなかで唯一、その一歩外へ踏み出した存在であり、つまり遺伝子の掟(「産めよ増やせよ」)から自由になれた存在でもあって、そのことによって一人一人の生命が基本的人権の基礎になるとの考え方に到達したのだと説きます。どうして、このことが人間だけに可能となったのか、それはロゴス(言葉、論理)というものを人間が持ったからであり、その結果として、今のような文明社会を築くことができたのだと説きます。

 しかし、ナウシカは、行きすぎた文明(ロゴスによって行き着いた先の文明社会)を破壊しました。生命とは何か、自然とは何かが問われているコロナ問題の現在、福岡は、われわれのロゴスのあり方が岐路に立たされているという実感をいだいているのです。

 つまりロゴスを持った人間は、制度、社会、文明を築き、さまざまな問題をかかえながらも発展してきたといえますが、福岡は、人間とは完全にロゴス化された社会で生きることもできないし、完全にピュシスの波にもまれて生きることもできない存在であると考えているのです。ですから、人間という存在は、ピュシスとロゴスの間で、つまり両者の間でうまく生きていくしかないのであり、これが本当の意味で自然や環境との共存ということだといいます。

  番組内の福岡伸一◆ 屮團絅轡垢肇蹈乾垢隆屬農犬る人間」

 くどいですが、私の理解をメモします。

 前記の書評の冒頭で、福岡は赤坂の論考を「人類史における、ロゴス(論理)とピュシス(自然)の相克を考え抜いているようだ」と評しており、福岡自身が人類のありようをロゴス対ピュシスという関係において理解していることが示されています。人間、人類はピュシスとロゴスの間で生きる、うまく生きるしかない存在であり(相克の関係にあるピュシスとロゴスの間で折り合いながら生存していくというイメージでしょう)、ここにコロナ問題を考えるカギがあるというわけです。

 この人間・人類観が、理想的に語られることの多い「共生」といっても矛盾だらけのものだという福岡の発言になったのであり、前段の「本当の意味で自然や環境の共存ということだ」になったわけです。ウイルスとの「共生」「共存」といってもきれいごとですまないのは、ロゴス対ピュシスという相克のなかでしか、人間は生きることができないからだと、福岡は強調していると理解しておきましょう。

 

 繰り返しの冗漫を承知で書くとすれば、現下のコロナ問題はロゴスとピュシスの相克を顕在化させているのではないかという問いを、ロゴスの力で築いてきた文明社会に生きる人間、人類に、とりもなおさず我々に投げかけているのではないか、このように福岡は考えていると、私は理解しています。

 そして、あえて少し結論を先取りすれば、福岡は、行き過ぎたロゴス(全能として)がピュシスとしての生命でもある人間を損なうおそれがあるのではないかとし、コロナ問題、人間とウイルスの関係をロゴスの力で全てを解決することなどできないと考えているのです。

 なお、前項でナウシカが破壊した世界を私の言葉で「人間が科学・技術を手段として行き着いた先にある究極の世界」としましたが、この「科学・技術を手段として」を「ロゴスの力によって」と置き換えることで、福岡の問題意識はよりクリアになるといえます。

 

◉「利他性」の本質ー伊藤亜紗の発言ー

 コロナ問題で浮かび上がる排除、差別というものをやめ、共生の道を歩むことができるかという問いに対し、伊藤亜紗は、「利他性」の重要性を指摘しつつも、一見いい感じの行動だけれどそれほど利他的になっていないというところからこの問題を考えることがヒントになるとします。

 吃音をもつ伊藤は、発語しようとする際、身体がコントロールのきかないピュシスであることを思い知る、つまりピュシスとロゴスのぶつかり合い、たたかいのようなものをいつも実地に感じていると語ります。そして、ナウシカは聞き上手で、周囲の人間が嫌がる王蟲も排除することなく「この子」と語りかけ、みんなで生きようとする人であり、勝手に想像したり、思い込みで一方的に判断しない存在として、排除なき共生を体現しているとします。

 伊藤は、前段のそれほど利他的になっていない事例として、全盲になってから10年くらいの女性から聞いた話を紹介しています。その女性は、伊藤に、毎日がはとバスツアーに乗っている感じだと普段の生活を表現し、自分で時間がかかっても周りを直接感覚したいし、認識したいけれど、介助者のよかれと思う言葉や行為(もちろんありがたいことでもあるが)によって自分の自由な感覚が窮屈になってしまうことも多いと話したのだそうです。これは障害者という役割を演じさせられるということであり、困っているときに助けるという「利他」が、むしろ本人のためになっていないのであり、「利他」の本質というものは、むしろ待つことや自分の中にスペースをつくること、相手をコントロールしないことにあるのではないかと、伊藤は強調します。

  番組内の伊藤亜紗  岼豸いい感じの行動 利他的ではない?」

 そして、ボードに「足し算の時間/引き算の時間」と書き、今の私たちは「引き算の時間」、つまり決まった予定の時間から逆算してせわしく暮らしているのではないかと問いを発します。ロゴスによって人間が引き算の時間を生きるようになった、これは産業革命後に均一の時間(例えば、時間給⇒置きかえ可能な人間としての画一化)として現れたのだと説明し、いわば文明の<進歩>によって一般化した引き算の時間から、はみ出した存在として「障害者という概念」が登場したのだと鋭く指摘しています。

 だから、人間も自然であり、身体の多様性というものを踏まえることで、世界の別の顔がみえてくるのではないかと語っています。

  番組内の伊藤亜紗◆ 崑し算の時間 引き算の時間」

 この伊藤の発言を受けて、福岡は、現在のステイホーム、三密の回避という直接の身体性への制約とはロゴスでピュシスが制限されることであり、生命にとって危険なことだと考えるがどうかと、伊藤に問います。

 この間、学生たちは、リモートの映像で互いの顔がよく見えているにもかかわらず、とにかく「さみしい」という反応をしてくると、伊藤は紹介し、「触覚」というものの変化が大きいのではないか、「触れる」という自分を相手に預けるという行為がないことが影響しているからではないかとします。そのうえで、たとえリモートで言葉だけのコミュニケーションという制約があっても、言葉にも相手に触る(さわる)、相手に触れる(ふれる)ということはあるはずで、そのためには一方向に押しつけたりしない、一緒につくっていく態度というものが大事なポイントになるのではないかと発言しています。

 

◉ウイルスの営みの利他性ー福岡伸一の発言ー

 福岡伸一のウイルス論のさわりは、前記のとおり当ブログでもふれてきましたが、《提言2》のなかでも、伊藤の利他性にかかる発言を受けるような形で、「人もウイルスもありのままの多様な自然、ピュシスとして見つめたとき、新しい世界が見えてくる」というナレーションに続き、福岡は発言しています。これも繰り返しになりますが、メモしておきます。

 ウイルスの利他性には二つあると、福岡は説明しています。一つは宿主の遺伝子情報を水平に広げる働きで、ふつうの生命は親から子、子から孫へと垂直にしか情報は伝達しないけれど、ウイルスは種Aから種Bへ宿主を乗り換えるとき、遺伝子もちぎれてAからBに引き渡すことにより、情報を水平に広げているとします。二つは宿主の免疫システムに何らかの刺激を与えて調整する働きで、例えば腸内細菌でも小腸や大腸で宿主の栄養をかすめとるだけでなく宿主の免疫を調整しているというのです

 このようにウイルスの営みこそが利他的だという福岡は、本来、ウイルスは我々の生命の一部であり、友だちでもあり、無数に存在しているが、このうちごく一部のウイルスが宿主を発熱させたり免疫を揺るがして病気を出現させたりしているとします。現在の新型コロナウイルスは、これもロゴスによってたまたま発見されたりしているわけで、これからも新しいウイルスに人類はどんどん出会っていくことになるといいます。

 だから、特定のウイルスを征圧したり、撲滅したり、打ち勝つことはできないし、そういったことを求めるべきではないと説きます。しかも、アルゴリズムや、データサイエンスや、そうしたロゴスの力によって完全に征圧することは不可能であると私は思いますと発言して、このパートを締めくくります。

  番組内の福岡伸一 「ロゴスの力でウイルスを完全に征圧することは不可能」

 このような福岡のウイルスについての見方、考え方というものを、他の生物学者、ウイルス学者たちがどう評価しているのかについて、私は無知なのです。でも、この考え方というものが、前記した福岡のピュシスとロゴスの相克を基底とした人間観、生命観、文明観と呼応しあっていることは、直感的に理解することができます。

 つまり人間という存在がロゴスだけで存在できるのではなく、ありのままの自然、ピュシスでもあるのだから、ロゴスの力だけでコロナウイルス問題を完全に解決しよう、支配しようとするなら、それは人間の生命に反することになるのだと、福岡は言いたいのでしょう。

 

 以上を前半として、後半の次稿では、藤原辰史の歴史社会に関わる発言を紹介するとともに、第7巻をもう一度読んで、前記のナウシカの否定した世界を掘り下げ、福岡の総括的な発言を考えてみることにしたいと思っています。

                        【続く:(1)/(2・完)へ】

【お願い】後半である次稿(2・完)と併せて読んでいただくとありがたいです。

 

 

2020.07.03 Friday

手がかりはどこに、コロナ後の社会のありようをめぐってー広井良典の分散社会論を中心にー

 昨日(6/28)、地域の神社の草刈り清掃に参加しました。例年は5月末に当番制で行っていましたが、今年はコロナ問題があって中止となり、1ヵ月遅れで有志による実施となりました。曇っていてまだ助かったのですが、マスクを付けて作業していた方は私を含めて一人もいない状況でした。夏という季節にマスクを付けて作業することは、あまり現実的とはいえません。

 当ブログをのぞいてくださった皆様方は、「新しい生活様式」にどう対応されているでしょうか。屋外はもとより、空調のない屋内であっても、強度のある身体的な活動を伴うような場合、マスクの装着はもとより、ディスタンスの確保もなかなか難しいと実感しました。

 この「新しい生活様式」(兵庫県は「ひょうごスタイル」と呼んでいます)とは、「コロナと共生する社会」に向け、再開された社会経済活動における感染防止対策のガイドラインということになります。長い射程で経済を見つめてきた水野和夫法政大学教授は「感染症対策よりも経済を重視する姿勢が透けてみえる」との感想をもらしたうえで、次の見方を示しています(2020.5.18『毎日新聞』「シリーズ 疫病と人間」)。

 「 本来あるべき「新しい生活様式」とは「より遠く、より速く」そして

  「もっと多く」を求めず、「より近く、よりゆっくり」する生活様式に改

  めることである。そうしなければ、いつ感染するかもしれないと明日を心

  配して生きていかなければならない。」

 この「より近く、よりゆっくり」の実践可能な環境にある私のような者が、再び、学校へ通い出した子どもたち、テレワークや休業から職場に戻った親たち、そんな元の日常へ回帰しはじめた人びとへ「ちょっと立ち止まって」的な発言することは(もっともっと多様な状況の皆さんがおられますが)、公平を欠くことかもしれないけれど、続けたいと思うのです。

 本稿では、この言葉を手がかりとして、コロナ問題が提起した地球環境への負荷、グローバル化、大都市集中、格差と分断などの諸課題を前に、コロナ後の社会のありようをめぐる議論の中から、広井良典らの主張する「分散型システム」への転換という考え方について紹介を試みることにします。

 もちろん、私はコロナ以前から、この考え方の方向性を望ましいものと思っていますし、そうであってもらいたいと願っています。ただ実現可能性を前にすると、ハードルの高さを意識せざるをえませんが、今回のパンデミックによってより明確な選択肢として可視化されたといえるのではないでしょうか。

 イタリア人作家 パオロ・ジョルダーノの言葉にあった「いったい何に元どおりになってほしくないのかを」(2020.4.24「同じ時間を生きている私たち、そして人類ー藤原辰史「パンデミックを生きる指針」などを通して拾遺できた言葉からー(2・完)」の冒頭引用文)という問いを受けとめて案出されるポスト・コロナの社会のありようとして重要な提起ではないかと、私は理解したいと考えているのです。

 

 いつもの大中遺跡周辺ではなく、久しぶりに寺田池の周回遊歩道を歩くと、大輪のハスの花が咲いていました。6月になって7月が近づくと、咲いている花の種類が少なくなりますが、気づかないうちに季節はめぐっています。

  ハスの花が咲き出して(寺田池) [2020.6.28撮影]

 

◈ウイルスと人間は共に進化し合う関係ー再びの福岡伸一ー

 先に(4月上旬)ウイルスの本質を教えてくれた福岡伸一が、「コロナ共存「生命哲学」必要」とのタイトルの文章で取り上られていました(2020.6.15『毎日新聞』夕刊)。ニューヨークで客員研究員をしている福岡は、春休みを過ごして帰国予定であったが、現地での感染爆発で足止めされ、新聞掲載時には引き続き現地に滞在しているとのことです。

 前半は、先に紹介した内容と重なっています(2020.4.30「単純な生活ということーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー」の<おわりに>部分)。「ウイルスが現れたのは高等生物が登場した後」であり、「ウイルスは元々、私たち高等生物のゲノムの一部が外へ飛び出した」もので、時に私たちに脅威をもたらすけれども、「ウイルスは私たちの生命の不可避的な一部であるがゆえに、根絶したり撲滅したりすることはできない」、すなわちウイルスと人間は共存していくしかないと説明しています。

 そして「長期的にはインフルエンザと同様、このウイルスと共存する社会になる」と予見しますが、「来夏に延期された東京オリンピックまでにワクチンや特効薬がすぐにも完成し、霧が晴れたようにコロナ問題が解消する」という見通しには疑問を呈しています。こうしたワクチン等の開発は世界的な競争の様相を呈していますが、安全性の確認には長い時間を要するとして、政治的、経済的なものを紛れ込ませないことに必要なのが「生命哲学」であると強調しています。

 この福岡の「動的平衡」につながる生命哲学について私の理解は不十分ですが、福岡は新型ウイルスの教訓として「生命にとっての「多様性」の重要さ」を挙げており、「進化は決して強いものが生き残るのではなく、多様性を内包する種が生き残ってきた」と指摘しています。現代に生きる私たちは、最も身近にある自然というべき自分自身の生命を含め、「自然」をコントロールできると過信してきたことが今回のパンデミックを招いたとの認識を持っているようです。だからこそ、新型コロナウイルスへの対応として、「生命を守るという御旗の下に」、「生命哲学から見て、多様性や自由が管理され続けるのは望ましくない在り方」ではないかと問題を提起しているのです。

 ここでは、ウイルスと人間の関係性の根幹にかかる福岡の言葉を引用しておき、次に進むことにします。

 「 ウイルスに打ち勝ったり、消去したりすることはできません。それは無

  益な闘いです。長い進化の過程で、遺伝する情報は親から子へ垂直方向し

  か伝わらないが、ウイルスは遺伝子を水平に運ぶという有用性があるから

  こそ、今も存在している。その中のごく一部が病気をもたらすわけで、長

  い目で見ると、人間に免疫を与えてきました。ウイルスとは共に進化し合

  う関係にあるのです。」

 

◈盲点を突くコロナウイルスー「シリーズ 疫病と人間」からー

 毎日新聞には「シリーズ 疫病と人間」の総タイトルで、これまでのところ4月28日の山極寿一から6月28日の出口治夫に至る9人の識者の文章が掲載されてきました。理解できなかったものも、ピンとこなかったものも、反発を感じたものもありましたが、ここでは、後述する広井良典の分散型社会論、成熟社会論に関連すると思われる三人の論考を紹介しておくことにします。

 都合のいいところだけを切り出して紹介することは、誤解を招きやすくなりますが、このことも踏まえてお目通しいただければと思っています。

◉都市の歴史は資本の歴史ー水野和夫ー

 前記した経済学者である水野和夫の「新しい生活様式」についての言葉は、やはり同シリーズのものです。

 当該論考の冒頭で、水野は「新型コロナウイルスが人類に突き付けているのは、これからも「より多く」を追求することが進歩であり、文明社会であると信じ続けるか否かの選択である」と提示します。すなわち「都市の歴史は資本の歴史」でもあり、「都市に集積の利益がもたらされ、都市が資本を生み出す」という関係にあったとします。今回のウイルスは都市を直撃したのであり、いわば「集積のメリットが一転デメリット」へと変わったのだと、水野は認識しているようです。

 この「より多く」を追求することで、21世紀にたどり着いたのは「絶望するほどの二極化した世界」、すなわち富の集中だとし、日本の場合は企業に富が集中している現実を前にしていると説きます。ですから、新形コロナウイルスからの「出口戦略」として、膨大な内部留保を抱え込む企業に対し「減資132兆円」を迫れとする、いわば現代の資本主義の根本的な転換を主張しているのです。そして新たな「入り口戦略」を象徴するフレーズとして、「より遠く、より早く」「もっと多く」という現代の資本主義を特徴づける性格の対極である「より近く、よりゆっくり」を提言しているといえます。

 「新しい生活様式」による現実が「より近く、よりゆっくり」という性格を選択することなしに、「「より多く」を追求することが進歩であり、文明社会である」というドグマの転換は実現しないと主張されていると、私は理解しているのです。

 後述する「都市集中型」から「地方分散型」への転換という広井の命題は、水野の文明社会論、資本主義論ほどドラスチックとはいえないものの、変化の方向性を共有する関係にあるものと考えています。

 

◉二つの懸念からー山極寿一ー

 シリーズの最初の一篇(4月28日付)、霊長類学者・人類学者である山極寿一の論考です。

 アフリカでのエボラウイルスの経験から(ゴリラとチンパンジーの集合性の違いが感染に反映)、今回の新型コロナウイルスへと展開し、過去の感染症と比べ、「はるかに巧妙になっている」ことを強調しています。そして、最後の方で二つの懸念を提起し、私たちに求められることを提言しています。

 一つは、現時点では「ウイルスの感染を防ぐには人と人の接触を避けるか、複数の人が触れるような共有物を排除するしかない」が(「新しい生活様式」にもダイレクトに反映されている)、このことは「人類が進化と文明の歴史を通じて育て上げてきた人のつながりを断ち切ることに等しい」ことになります。つまり「人間の根源的な欲求を押しつぶす」ことであり、「この分断によって社会に共感力が失われる」ことが最も懸念すべきだと、山極は考えます。

 感染を避けるために、コミュニケーションと人間同士の関係が変化する可能性があり、他者と分断されてしまうと幸福な社会は築けないこととなり、国家や文化というレベルでの分断は不寛容を招くことになるのではないかとし、次のことを提言しています。

 「 そんな事態を招かないよう、多くの人と国境を越えて連絡を取り合い、

  地球規模の新たな連帯を模索すべきであろう。」

 もう一つの懸念は、「コロナ後に各国が猛烈な経済復興対策を取り、それがこれまで以上に地球の崩壊を招くこと」であると、山極は述べています。近年のウイルス感染症の原因は「自然破壊によって野生動物との接触を加速したこと」にあるのだから、こうした大がかりな経済活動によってさらなる新たな脅威をもたらす可能性があると警鐘を鳴らしています。

 そして、次の文章で締めくくっています。

 「 今私たちに必要なことは、グローバルな地球と国の動きと、私たち自身

  の身近な暮らしの双方で、人間にとって大切なことは何かということを

  じっくりと考えることである。コロナ後に、それが決定的な効果を生むだ

  ろうと思う。」

 コロナのずっと以前から日本で確実に到来する人口減少社会の社会構想として成熟社会論を提言してきた広井の所論は、山極の締めくくりの文章とも呼応していると、私は考えています。

 なお、言語コミュニケーションが分断されやすい状況下にあって音楽というものの機能を重視した山極の考え方については、先のブログ(2020.6.7「ちょっと足を伸ばしてー的形の海辺にー」)で簡単にふれています。

 

◉人間の一人芝居だー池澤夏樹ー

 三人目は、最近の掲載(6月21日付)、作家の池澤夏樹の論考です。

 「今、世界の人々が向き合っているのは「人は人に対して感染源である」という状況である」という警句のような言葉から始まります。今私たちの生きている世界の現実はいかにして成ったのか、池澤はシニカルなユーモアを込めて綴っていきます。その結果、目の前にあるのは、昭和から平成へと「新製品を買って喜ぶことを何より優先してきた」国民が浮かれている間に、「資本の側はどんどんとグローバル化し、国家がコントロールできないものに育ってしまった」世界だと表現しています。

 ウイルスはそれぞれの国の弱点を突くとし、日本でいえば)賃腓蔑未旅餾帖↓⊇仞故┐猟祺爾罰亮造平邑の減少、37%という低い食料自給率(「他の国からの供給が止まれば我々はあっさり飢える」)だとし、次のことを念押ししています。

 「 政治家も財界人も目先の利を追うばかりで遠い先を見ていなかった。国

  民もそれでいいと思って浮かれていた。」

 今の世界の指導者たちを寸評したうえで「民主主義の尺度で測れば今世紀に入って世界は劣化の方向に動いてきた」とし、これからの世界を「我々は別の時代に入ろうとしている。そこは荒野であるらしい」とし、ホモ・サピエンスたる私たちへ次の現実を突きつけます。

 「 文化によって自然を改造して自分たちに都合がいいように仕立て直し

  た。それが行きすぎて、温暖化を招き、遺伝子を壊す放射性物質を撒き散

  らし、多くの種を絶滅に追い込んでいる。」

 そして、こんな見方はできないかと提示したうえで自ら否定してみせるという「一人芝居」を演じてみせ、次の文章を書きつけています。

 「 ヒトと自然が対峙するという構図も考えられる。では震災・津波やパン

  デミックはヒトの増長に対する抑制の機能なのか。いや、自然にそんなバ

  ランス感覚はない。いつか起こるはずのことが今起こっただけすべては

  ヒトの、人間の、一人芝居だ。」

 このような突き放した感慨を述べつつ、最後には、フォークナーのノーベル賞受賞スピーチの「私は人間の終焉を信じない」を引用したりもしています。

 レトリカルな文章だけれども、池澤は、この度し難い人間どもという覚めた自己否定の一方で、私たちに目覚めよと最後の「人間には魂があり、共感と犠牲と忍耐を担うだけの精神があるからだ」というフォークナーの言葉を引用しているのであろうと、私には感じられたのです。

 近未来のあるべき社会構造として分散型システムを構想する広井の所論の前提として、前記の戦後の高度成長路線の行き着いた結果として(それはそれで成功したといえるのですが)、今日の弱点である´↓がキーワードとなっていることは申し上げるまでもありません。

 

◈分散型システムへの転換は可能かー広井良典の所論からー

 広井良典(京都大学こころの未来センター教授)は、今次のパンデミックは「時代の大きな構造的な変化を象徴的する出来事になる」とみています。新型コロナという非常に強い外圧によって、その必要性は感じていてもなかなか実現しなかったものに、多くの人びとが気づき始めたと感じているというのです。ですから、「ポスト・コロナの時代こそ、これまでの価値観や行動を変えて新しい成熟社会にかじを切るべきだ」と提言しています(2020.5.15「ポスト・コロナ時代こそ 成熟社会にかじを切れ」NHK特設サイト)。

 このインタビュー記事は、現在の広井の考え方をうまく集約できていますので、この本稿の紹介での総論としてメモを試みておくことにします。

 

 新型コロナウイルスの感染拡大が、いわゆる過密都市、人口が大規模に集中しているところで進んでいることを指摘したうえで、広井は、一辺倒というべき資本主義の拡大成長路線とともに、過度な「グローバル化の負の側面が非常にはっきり出た」とします。「分散型システム」としての性格をもつドイツや北欧の国々を念頭におきつつ、今回のコロナ禍はこうした社会の方が強いということも明らかにしたと評価し、過度なグローバル化を抑え、ローカライゼーションという方向が重要になる、つまり「ローカルな経済循環や共生を志向し、そこからナショナル、グローバルへと積み上げていく社会」構造が重要だというのです。

 だから、今は危機だが、むしろチャンスと見て、東京の一極集中の是正について議論されてもなかなか具体的な動きとならなかったという事実も視野に入れつつ、一極集中の社会構造や価値観からの根本的な転換をめざし、「本来なされるべき改革や社会の変化を、いろんな形で進めていく契機とすべきではないか」と、広井は主張しています。

 これを後押しする一つの証左として、後述するAIを活用したシュミレーションの結果、すなわち日本社会の未来(2050年前後)への持続可能性にとって、東京一極集中という「都市集中型」か「地方分散型」かの分岐がいちばん大きな意味をもつことが分かったとし、そして、結果として望ましい方向と選択されるべきは「地方分散型」の方であったことを報告しています。

 そのためには、「地域内においてヒト・モノ・カネが循環し、そこに雇用やコミュニティ=つながりも生まれるような経済の在り方」である「コミュニティ経済」、つまり地域循環の経済が重要であると、広井は強調しています。

 

 コロナ以前からの広井の基本スタンスとして確認しておきたいのは、戦後の高度成長とともに急膨張した人口が減少に転じていく今の日本社会、こうした人口減少社会を悲観的なものとして捉えていないということであり、これまでのように経済的な豊かさだけを追求しても、結果的には豊かになれないのが今の日本だとみていることです。こうした前提に立って、「新しい成熟社会へかじを切れ」と主張しているわけで、インタービューの最後に、広井は、昭和と平成の帰結として目の前にある令和という時代に求められる「分散型システムの社会」のイメージを、次のとおり描いてみせています。

 「 令和という時代はそういうもの(㊟昭和と平成の拡大成長路線)を根本的に見

  直していく必要があります。新しい成熟社会の豊かさの方向にかじを切る

  時代です。山登りに例えると、ゴールをみんなで目指す時代から、一応頂

  上まで来たのだから、あとはそれぞれが、自由に創造性を伸ばし、自分の

  人生をデザインしていく。そういう方向に転換していくべきです。下りは

  360度開かれています。それが結果的に、経済や生産性にもプラスになり

  個人が自由な人生を歩めるようになるのではないでしょうか。」

 ここだけ読むと、いささか都合のいい飛躍ではないか、こんなバラ色の調子のよい未来社会などあるわけないよと否定したくもなりますが、後述する部分も読んでいただきたいと願っています。

 こうした「新しい成熟社会の豊かさ」のポジティブなイメージについて、前記した三人の識者の論考と関連づけるとすると、水野の「より近く、よりゆっくり」という生活スタイルとの関連は明らかですし、池澤のいう「目先の利を追って浮かれていた」という価値意識を転換しない限り、こうした地平を切り開くことができないということができます。さらに山極の「グローバルな地球と国の動きと、私たちの身近な暮らしの双方で、人間にとって大切なことは何かということを、じっくり考える」ということは、「新しい成熟社会の豊かさ」を体現する人間にとって大前提といえるものでしょう。

 

 ポスト・コロナで一つの想定されるトレンドについてメモしておきます。 

 ヤフーCSOで慶大教授の安宅和人という方が、今次の自粛生活で気づいたことを、「開疎」という造語で表現しています(2020.6.9『毎日新聞』掲載/「職住一体 郊外へ分散」)。

 「開疎」とは「開いてまばらな」ことであり、コロナ後のこの先、職場も働き方も「開疎」、つまり「開いてまばらな方へ向かうベクトルが働いている」ということのようです。この「開疎」を、安宅は自著で、日本の近未来として提示したのだそうです。リモートワーク、テレワークの浸透・拡充や職場の過密性の軽減(「島」を中心とした配置から、席をバラバラにしたコックピット型の座席配置へ)などが前提にあるようです。

 直感だとしつつ、安宅は次のような見方をしています。

 「 「この開疎の流れは、まず首都圏や地方の主要都市で起きると思いま

  す。」その方向性は単に都市での職住一体だけでなく、中心市街地から郊

  外へという流れも示しているそうだ。もちろんすぐに集中から分散へ変わ

  るのは難しい。それでも「ひとつの運動」として人々は分散に向かう。」

 こうした見方は、近い未来において「都市集中型」か「地方分散型」かに選択・分岐する局面があるという広井の所論と通じるものがあるといえます。

 

◉人口減少社会と重なってー戦後の政策展開「3つのステップ」ー

 広井の研究の原点には、現在の日本における「人口減少は果たして本当に社会にとってマイナスなのか」という問い直しがあります。

 わが国の人口は、下記の「日本の総人口の長期的トレンド」をご覧いただくと、2008年の1億2800万人でピークを迎え、2011年からは減少の一途をたどっており、現在の出生率が続けば、2050年過ぎには1億人を切り、さらに減少が続きます。

 この人口曲線で見ると、今は頂点を過ぎたばかりで、広井は「いってみればジェットコースターが落下するとば口にいるようなもの」と比喩しています。だから、「私たちはまさにターニングポイントにいる」「令和は人口減少がいよいよ本格化していく時代である」とし、広井は、次の文章を続けています。

 「 空間的にも、人の移動という意味でも、あるいは意識のうえでも、全て

  が東京に向かって流れていった人口増加時代から、いままさに人口減少時

  代に入っていくということは、これまでと逆の流れが進んでいくと考えら

  れます。」

 

 古くからの人口を振り返れば、長い間、横ばいで推移してきて、江戸時代に入り若干人口は増えたものの、3000万人程度に落ち着いて再び横ばいとなり、明治時代を迎え、急激な増加が始まりました。太平洋戦争時に一時的な減少があったものの、戦後は再び爆発的に増加してきたわけです。「歴史的に見れば人口が右肩上がりに上昇してきたこの100年間は、むしろ特殊な時代でした」と、広井は、大局的に見ればそうなると語っています。

 もちろん広井は、このままの人口減少によって、若者が少なく高齢者が多い社会構造が続くとさまざまな問題に発展するという認識は共有しているわけですが、どんな手を打っても今すぐ急激に上昇することは想定できないのだから、「出生率が緩やかに上昇し、やがて人口が下げ止まって横ばいになる時代を目指しつつ、当面は人口が減少していくことを前提に社会を考えるべき」だと述べています。このような考え方を前提とした「人口減少社会」なのであり、それが成長社会の先にある「ポスト成長社会」「成熟社会」であることが、広井の所論のベースになっているのです。

 したがって、今の日本の人口減少を問い直すと、将来の日本にとって大きな問題であるけれど、人口増加時代の価値観(「人口も経済も際限なく拡大・成長するはずだ」)から人口減少を悲観的にとらえてしまうことは、さらに社会的なひずみ、弱点を大きくすることにつながっていくと、広井は警告しているといえます。つまり、人口減少を一律的にネガティブとして捉えるのではなく、一定の人口減少を前提としつつ、希望のありかを探りつつ持続可能な社会構造を構想(デザイン)していこうというのが、広井教授の呼びかけであり、主張であると、私は理解したいと思っています。

 そして、前段でやや驚いてなんと「バラ色の調子のよい未来社会」なのかとコメントした広井の発言内容は、人口減少時代の新たな価値観をもつ人間が、持続可能な社会構造としての「新しい成熟社会の豊かさ」を求めていく基本的な姿勢を、「希望」を込めて表現したものだと感じています。

 では、このように人口減少社会にも希望はあるとする広井は、同時にまた、現在の日本社会は「持続可能性」において危機的といわざるを得ない状況だとし、その背景には、大きく3つの問題(重要ないし象徴的な事柄)があると説明しています。

 一つ目は「財政」で、膨大な借金を将来世代につけ回ししている状況にあることです。このことは世代間継承性における持続可能性の危機を意味します。

 二つ目は「格差拡大と人口減少」であり、90年代半ばから生活保護世帯ないし貧困世帯の割合が急速に増加している状況にあることです。若年層の雇用や生活が不安定であることは、未婚化・晩婚化の要因ともなり、さらに出生率の低下、人口減少の加速化の大きな背景となっています。

 三つ目は、広井らしい視点である「コミュニティやつながりの希薄化」であり、国際比較調査では、家族や集団を超えた社会的なつながりが、先進諸国で日本が一番低くなっています。いわば社会的に孤立している人間が多くなっているのです。

 これら三つの問題意識を踏まえ、次項で紹介する将来シュミレーションは実施されたのです。

 

 このシュミレーションを説明する前に、こうした社会構造を生み出してきたともいえる戦後の日本の政策展開について、広井の3段階論でふり返っておくことします(2018.5.27「ムラとマチを捨ててきた日本の未来はやっぱり「地方分散」にあり」/現代ビジネス)。

 まず「第一ステップ:いわゆる高度成長期(1950〜70年代ーー¨ムラ¨を捨てる政策)」だとします。この時期は「工業化」一辺倒の政策がとられたのであり、農業や農村の優先順位は大幅に下げられ、「農村から都市への人口の大移動」が進行していきました。

 ですから、この時期は農村部の社会減が最も多かった時期で、近年の人口減は次のことに留意しておく必要があるとしています。

 「 近年地方都市や農村部の人口減少が著しいのは、最近の社会減が主要因

  ではなく、むしろ高度成長期に農村部に残った人たちが高齢化し、近時に

  至って自然減が顕著になっているからなのだ。」

 この時期から食糧自給率は一貫して低下していったことは言うまでもありませんし、この時期に農村部の持続可能性は大きく損なわれたといえます。

 続く「第二ステップ:1980-90年代頃ーー¨マチ¨を捨てる政策」で、「アメリカ・モデル」と呼ぶべき都市・地域経済のあり方(「自動車ー道路中心の都市・地域モデル」)が政策面でも全面的に導入された時期だと、広井は説明しています。

 このことにより、第一ステップの時期にはまだかなりの賑わいをみせていた地方の中小都市の中心部は完全に空洞化が進むことになったのであり、このことは政策がうまく行かなかったからではなく、むしろ国の政策の帰結といえるのではないかとし、広井は「¨マチ¨を捨てる政策」と呼んでいるのです。

 そして、現在に至る「第三ステップ:2000年代ないし2010年代以降ーー転換の兆し?」だと広井は表現しており、「かなりの希望を込めて言えば、以上のような流れとは異なる新たな潮流と政策転換の兆しが見られつつある」と、期待を込めた見方を示しています。

 たとえば、高齢化の進展に伴う「買物難民」問題への対応として商店街の見直し、過度な低密度化の問題が顕在化し、若い世代の間にもローカル志向・地元志向の拡がりなどを、その兆しととらえる一方で、現状を次のとおり評価しています。

 「 (「ローカルな経済循環から出発してナショナル、グローバルへと積み

  上げていく」という広井の考え方とは違って)、いわゆるアベノミックス

  など、むしろ「グローバル経済から出発してナショナル、ローカルへと

  降りていく」という逆の発想の政策志向がなお強く、現在は政策の転換

  期ないし分水嶺というべきかもしれない。」

 コピーの「?」はそのような意味なのでしょう。

 以上の現在の日本の姿と問題を把握したうえで、次項のシュミレーション結果を考えていくことにします。

 

◉持続可能性をめぐるAIを活用したシュミレーション

       ー「都市集中型」から「地方分散型」への転換ー

 前記したとおりにわが国の持続可能性は危うい状況にあるのではないかという問題意識から、広井ら4名の研究者グループは、AIを活用した将来シュミレーションを実施し、その結果を2017年9月に公表しています(詳細は「AI活用により、持続可能な日本の将来に向けた政策を提言」を参照)。

 この研究のメインテーマは「2050年、日本は持続可能か?」であり、「現在とこれからの日本社会にとって重要と思われる人口、高齢化、GDPといった149の社会的要因をピックアップして、その因果関連モデルを」構築したとのことです。その後、AIを用いたシュミレーションにより、2018年から2052年までの35年間の期間にわたる約2万通りの未来シナリオ予測を行いました。そして、まず23のシナリオ・グループに分類したうえで、最終的に6つのグループに分類したとのことです(その分類のために/邑、∈眄・社会保障、E垰圈γ楼茵↓ご超・資源の4つの局面の持続可能性と、⒜雇用、⒝格差、⒞健康、⒟幸福という4つの領域に注目しています)。

 こうしたシュミレーションの結果は、下記の要約のとおりですが、広井による説明(重視すべき具体の政策は省略しますが)で補足しておきます(2018.5.26「2050年まで日本は持つのか?AIが示す「破綻と存続のシナリオ」」/現代ビジネス)。

 (1) 2050年に向けた未来シナリオとして主に「都市集中型」と「地方分散

  型」のグループに区分される。「地方分散型」シナリオの方が「都市集

  型」シナリオに比べ、相対的に持続可能性に優れており、「健康、格差、

  幸福等」の観点からは「地方分散型」が望ましい。

 (2) 8〜10年後までに「都市集中型」か「地方分散型」かを選択して必要な政

  策を実行すべきである。すなわち今から8〜10年程度後に、「都市集中

  型」シナリオと「地方分散型」シナリオとの分岐が発生し、以降は両シナ

  リオが再び交わることがないからである。

 (3) 持続可能な「地方分散型」シナリオの実現には、約17〜20年後まで継続

  的な政策実行が必要である。なお「地方分散型」シナリオにおいて、地域

  内の経済循環が十分に機能しないと財政や環境が極度に悪化し、(2)で述べ

  た分岐の後にやがて持続不能となる可能性がある。

 以上のシュミレーション結果について、広井は「私自身にとってある意味で予想外だった」としており、次のコメントを続けています。

 「 今回のシュミレーションが示したのは、日本全体の持続可能性を図って

  いくうえで、「都市集中」ーーとりわけその象徴としての東京への一極集

  中ーーか「地方分散」かという分岐ないし対立軸が、もっとも本質的な分

  岐点ないし選択肢であるという内容だった。

   言い換えれば、日本全体の持続可能性を考えていくうえで、ヒト・モ

  ノ・カネができる限り地域内で循環するような「分散型の社会システム」

  に転換していくことが、決定的な意味をもつということが示されたという

  点である。」

 なお、広井は、AIやその関連技術はなお発展途上であり、今回のシュミレーションも「初発的な段階にとどまり、一つの視点を提示したにとどまっている」と注記しています(試行錯誤の段階で引き続き深化させていく)。

 このシュミレーションから3年後、2020年のパンデミックに直面して、広井は「少々驚いた点がある」とし、それは「新型コロナを通じて浮かび上がった課題」がここ数年行なってきた「日本社会の未来に関するシュミレーションの内容と大きくつながる内容だったことである」と述べています。パンデミックや、その後に展望される「アフター・コロナ」の社会を予言していたかのような関連が見られたというのです(2020.5.29「コロナ後、日本はどうなるか?地方分散型への転換と「生命」の時代」/現代ビジネス)。

 「 一言でいえばそれは「都市集中型」から「分散型システム」への転換と

  いう点だ。」

 

◉「分散型システム」の意味

         −科学・技術の大きな流れを俯瞰して−

 最後に「地方分散型」「分散型の社会システム」の意味するところについて、前掲の文書から補足的な説明をしておきます。

 国土の空間的構造という面からいえば、ドイツのような「多極集中」だとして、次のとおりコメントしています。

 「 「多極集中」とは、中小都市や町村を含めて多くの「極」となる都市・

  地域が国土の中に広く分布しており、かつそうした極となる場所にはある

  程度集約的で中心部が賑わっているような姿を指している。」

 なお、この際、注意しておくべきは、現在進んでいるのは「東京一極集中」ではなく、首都圏並みに人口増加率の高い札幌、仙台、広島、福岡等を含めた「少極集中」と呼ぶべき事態であるとし、「多極集中」はその対となる国土構造としてイメージされています。

 

 こうした国土構造だけではなく、「分散型の社会システム」は「実はもっと広い意味を含んでいる」と、広井は次の二つを示しています。

 (1) 「働き方あるいは職場―家庭の関係性における「分散型システム」」で

  あり、従来より自由で弾力的な働き方ができ、仕事と家庭、子育てなどが

  両立しやすい社会の在り方のことです。

 (2) 「住む場所あるいは都市ー地方の関係性における「分散型システム」

  であり、ローカルな場所にいても大都市圏とのコミュニケーションや協

  働、連携がしやすく、オフィスや仕事場の地域的配置も「分散型」である

  ような社会の姿のことです。

 こうした働き方やライフスタイルは今回の新型コロナへ対応する動きが背景にありますが、最終的に最も重要なことは「それが個人の「幸福」にとってプラスの意味をもちうることだ」と強調しているところが特徴的です。

 

 さらに、科学技術の基本コンセプトの移り行きから、現在を「情報から生命へ」であるとし、今後は「生命」が基本になっていくという把握が重要だと強調しています。つまり科学は「この世界に存在する諸事物のうち、より複雑で根源的な現象」へと展開してきており、これからの行き着く先が未解明な領域を多く残す「生命」(生命現象だけでなく「ライフ」という言葉にある社会的な次元を含めたもの)だというわけです。

 そして、新形コロナ問題と絡めて、下記の図を全体的な展望として整理しつつ、次のとおり締めくくっています。

 「 新形コロナウイルスの感染拡大には、いわゆる格差や貧困といった社会

  的要因や都市環境の劣化が深く関わっており、しかも「グローバル化」の

  急速な背景とも密接な関係にある。

   「分散型システム」というテーマを含め、今回のパンデミックは、そう

  した広い視野と長い時間軸において把握されるべき事象なのである。

   新型コロナをめぐる展開を契機に考えていくべきは、私たちが生きるこ

  れからの時代の大きな展望なのだ。」

 

◈おわりにー花の少ない季節にー

 コロナ以前から、私は現下のアベノミックスを含め、いわゆる拡大成長路線の思想を転換すべきだという考え方を有してきたわけで、広井の所論のベースについても同感していました。今回、表層的ですが、コロナ後を視野に入れて紹介を試みても、その立場に変わりはありませんし、そうありたい、そうあってほしいと願う気持ちがより切実に強くなったと思っています。ただ、改めて、実現可能性という点で、分散型システムのための政策の束はなお少数派かつ異端派であるという現実に立つと、高い山を実感しているといわなければなりません。ブレークスルーがあるとすれば、それは広井のいうここ数年という時間しか残されていないのでしょう。

 こうして書いてみますと、広井の「分散型システム」「新しい成熟社会」は、直近のブログ(2020.6.24「忘れやすいことを忘れないためには)の冒頭でふれた宇沢弘文の社会的共通資本という考え方と、農業・農村のこと一つを取り上げても、その未来性と根源性において親和的であると確信できたと考えています。

 

 少し前になってしまいましたが、花の写真をアップさせてもらいます。

  アジサイのブルー(寺田池の保安林内) [2020.6.28撮影、以下寺田池は同日]

  クチナシの白い花(播磨町喜瀬川沿い) [2020.6.23撮影]

  ネズミモチが気になって(寺田池近く) 

  雨後に咲く大輪のハスの花(寺田池)

 

2020.05.26 Tuesday

「解除」という空気感のなかで

 日曜日(5/24)の昼頃、自宅の開け放たれた窓からも、子供たちの声は聞こえてきません。もちろん公園に出かけると、その姿をよく見かけていますが、ここには届いてきません。週明けには、登校日が設定され、その翌週の6月1日から小中学校が再開される予定だそうです。

 私たちの自治会は1200戸と今は図体が大きいのですが、それは最近のことなのです。といっても、ここ40数年の間に広い田園空間が段々と宅地に開発され、昭和40年代は100戸に満たなかった地域がこんな戸数規模に膨らみました。そして、私たちの住む旧市街と呼びたいコアな居住地は、高齢化が進行し、子供たちの数もグーンと減ってしまったというのが実情なのです。だから、このたびの休校や外出自粛だけが原因ではなく、もともと子供たちの声が聞けるのは、登下校時くらいだということになります。

 

 先日(5/21)、関西3府県は、緊急事態宣言の対象区域(特定警戒都道府県)から解除されました。4月7日に指定されてから、46日ぶりということになります。一部を除いて休業要請が解除されたことに伴い、確実に変化があらわれてきますが、どうも以前と同じということにはならないでしょう。「贅沢な自粛」というほかない私たちのような者は、水面下から少し顔を出して、様子を伺っていると申し上げるのがいいのでしょうか、そんな感じがしています。それはどうも私たちだけではなさそうです。

 もとより、これで新型コロナウイルスとのお付き合いが終わった、あるいは共存できる状態になったと信じる理由をもてないからで、「感染拡大の第2波」にどう備えるかという、短い中休み、よく言えば小康状態の時期だと受けとめているからです。ですから、「新しい生活様式」と名付けられた感染予防のスタイルを試みつつ、当面は手さぐり状態が続きます。

 レベルの違いは別として、専門家にしても、後追いで一定の解釈はできたとしても、手さぐりということに変わりはなく、確実に未来を予測することはある前提条件のもとに確率の範囲内でしかできないのではないでしょうか。

 今の私自身にありそうな、安堵というより「そしてコロナは続く」という疲れと不安のようなものを探ろうとして、当ブログを読んでくださる方にとって書いても詮方のないことを書いてしまったようです。俳句、短歌の添削のように、劇的にレベルアップする、そんなことは神頼みというべきで期待してはいけないのでしょう。

 

 俳句の添削に思いが跳んだのは、「プレバト」の夏井いつき先生のこともありますが、昨日、池内紀編『尾崎放哉句集』(2007年7月刊/岩波文庫)を手にして池内の解説を読んでいたからです。

  口あけぬ蜆淋しや

  口あけぬ蜆死んでゐる

 尾崎放哉(1885-1926)が、小豆島で亡くなる年(大正15年)の秀句とされている作品です。放哉は上段の<もとの句>を詠みましたが、師にあたる荻原井泉水(1884-1976)が「淋しや」を「死んでゐる」と添削したとあります。「とたんに淡い叙情句が厳しい死の造型になった」と、池内さんは記しています。

 同じく死を前にした、放哉といえば、という句をもう2つだけ。

  咳をしても一人

  入れものが無い両手で受ける

 この時期の放哉の俳句を「すべてが末期の目で見てとった心象風景であった」とする池内は、「相手が死を生きているのを承知の上で、師が二人三脚を買って出た」と説明しています。時制の断絶というべき美学が際立ちます。

 そして、井泉水が放哉の原句を添削した句を3つばかり並べておきます。

  いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞

  お粥をすする音のふたをする

  一つ二つ蛍見てたずね来りし

 これら放哉の<もと句>を、井泉水は、次とおり添削しました。

  壁の新聞の女はいつも泣いて居る

  お粥煮えてくる音の鍋ふた

  一つ二つ蛍見てたづぬる家 

 井泉水は尾崎の一年上、一高俳句会のメンバーとして知り合っています。なんとも不思議な二人の関係ですが、尾崎の死が1926年、半世紀のち1976年に井泉水は亡くなり、それから20年後の1996年に、取り壊されようとした井泉水の物置小屋から、放哉の句稿は発見されたのだそうです。

 こうして眠り続けてきた、今、耳に覚えのある放哉の俳句は、70年の放浪の旅から奇跡的に生還をはたしたことから、私たちの手元に残りました。

  池内紀編『尾崎放哉句集』 2007年7月刊/岩波文庫

 現下のパンデミックの時代において、こんな二人三脚的かつ超越的な添削者という存在、つまりそんな都合のよいリーダーを期待してはならないと強調しておきたいのです。そして、不安の時代は、無謬性をおびた権威的な指導者を招き入れやすいことは歴史の教えるところですが、この操作された情報の洪水の中で、私たち一人一人が正しい知識をできるだけもち、誤謬を正しながらさらに対処していくしかないことをかみしめておきたいと思うのです。

 このような意味で、本稿では、最近のコロナ関連情報で気になったことを、もう少しメモしておくことにします。

 

◈正常性バイアスということー永田和宏からのメッセージー

 細胞生物学者にして歌人である永田和宏は、ウイルス学の専門家ではないが無責任な放言にならないように注意しつつ発言することは大切だと断ったうえで、今次のパンデミックに関連して「正常性バイアス」のことを書いています(2020.4.26、27付『京都新聞』「パンデミックには正しい知識こそ」)。

 前稿(「個人の記憶というものー閻連科のメッセージからー」)で全体性に回収されない<個人としての記憶をもつこと>の重要性についてふれましたが、永田和宏についても当ブログ(2018.9.2「8月の終わりは夏の終わりー永田和宏「記憶する歌」ー」)でやはり「記憶」ということに関連して書いたことがあります。永田が自分の若い頃からの数千首の短歌に「私の時間が残っている」ことのありがたさ、つまり作歌当時の記憶がまざまざと立ち上がりリアルに感じなおすことができることを「私の時間に錘を付けるということなんだ」と言及していることを紹介しました。こうしたはたらきをもつ短歌とは「事実の説明を犠牲にして、感情の核を抽出するものだと言えるだろう」との永田の発言を、私もなるほどと感じたのです。

 

 長い前置きになりましたが、この「正常性バイアス」という言葉は、いつもよくあることですが、聞いたことはあるけれど説明せよと言われても自信がない言葉のひとつでした。永田は、斎藤茂吉が長崎医専の教授であった大正8年(1919)の暮れにスペイン風邪に罹患して長く苦しんだ時の歌を引用しながら論じています。この正常性バイアスとは、「誰もが多かれ少なかれ持っている」ものだが、「自分だけは大丈夫だろうと、根拠なく思う性癖である」あるいは「これしきのことでに騒ぐなんてみっともないと、高をくくる傾向と言ってもいい」と、永田は説明しています。

 そして、<しかし>としたうえで、次のとおり注意喚起しています。

 「 このような<疫病>の流行に関しては、この<正常性バイアス>が感染拡

  大の最大の原因になる。あなたがACE2タンパク質(㊟)を持っている限り、

  あなたも間違いなく、感染した世界の250万人の人と同じ確率で感染す

  る。そう思うことがまず大切である。」

  ㊟ 細胞の表面にあるコロナウイルスレセプターですべての人にある

    このタンパク質が、なぜウイルスの標的として利用されているかは不明 

 この永田の書いた文章を知ったのは、山中伸弥教授の「新型コロナウイルス情報発信」サイトに連続して掲載されている黒木登志夫(山中は「私の尊敬する癌研究者」と紹介しています)の「コロナウイルス通信」(5月12日)でふれてあったからです(のちほど再登場してもらいます)。

 黒木先生は友人だという「永田先生は、あなたがACE2をもっている限り、世界の250万人と同じ確率でコロナに感染し、流行に一役買ってしまうと警告しています」と念を押しつつ、さらに下記の斎藤茂吉がスペイン風邪に罹ったときの短歌資料を追録しています。

  スペイン風邪罹患時の斎藤茂吉の短歌等

 このような「正常性バイアス」は私自身にも確かにあることを感じています。そのうえでということになりますが、「正しくおそれる」「正当にこわがる」という言葉との関係に思いが及びます。

 「正しい知識」というものにも限界がありますし、どこまでいっても不確実性が消去できないことを考えあわせますと、良性と悪性に区分できると仮定すれば、良性の「正常性バイアス」というものは人類に染み付いた生きる知恵のようなものかもしれないと思ったりしました。

 変なことを書いていますが、良性の「正常性バイアス」とは、当ブログ(「単純な生活からーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー)で紹介した宮沢孝幸京大准教授の説く自律的な行動変容の前提である「知識と胆力」の「胆力」に通じるところがあるのではないかと、私は感想をもったのです。

 

◈更新された山中教授の「5つの提言」

 前記した山中伸弥教授の「新型コロナウイルス情報発信」サイトには、当ブログでも二度ほど紹介したように、「5つの提言」が掲載されています。最初は3月31日付、4月9日付の更新に続き、4月22日付で再更新されてきましたが、5月14日付で全面的な更新が行われています(「5つの提言」)。

 お読みいただければそれでいいのです。以下では、自分のために確認する意味で少しメモしておくことにします。今回(5月14日付)の「5つの提言」は、感染者が減少し、緊急事態宣言が解除されるという時点において、何が必要なのかを提言しようとしたものです。

 「提言1 対策はこれからが本番。賢い行動を粘り強く続けよう。」で、最近のように新規感染者数の減少が見られても「油断大敵」だとし、「ウイルスの勢いが少し弱まっている時期に今こそ、次の波に備えた準備を整える必要があります」としています。

 このベースに立ち、「提言2 国民全員が日常を見直し、人と人の接触を減らそう」と訴えています。この「提言2」のなかで、提言の3、4、5となる3つの対策「・感染者の同定と隔離」「・医療と介護体制の整備」「・ワクチンと治療薬の開発と大量製造」がポイントとなることを提言しています。したがって、「提言2」が肝ということになりますが、<基本再生産指数>という言葉は使わないで「R=2.5」の説明からつなげていきます。したがって、感染者数を横ばいにとどめるためには「人と人の接触を4割にする、すなわち6割減にする必要がある(=1-1/2.5)」というわけです。ですから、「国民全員が自ら生活を見直し、人との接触を6割減に維持する心構えが必要です」としたうえで、6割減の長期的持続は経済への影響が甚大であり、「6割減ではなく、5割、4割と社会・経済活動の制限を緩和するために」は、前記の3つの対策の実行が必要不可欠であるという構造になっています。

 「提言4 医療や介護従事者を守ろう」「提言5 ワクチンと治療薬の開発・大量製造を推進しよう」は、従来から継続する提言(ポイントの重点化と明確化が図られています)と理解しますが、「提言3 感染者の同定・隔離システムを充実させよう」は同じく継続的、延長的な内容も含むものの、こうした3つの具体的な対策のトップにおかれていることが、私の目を引きました。

 「提言3」の全文を引用しておきます。

 「 誰が感染しているかわからない状況でRを1程度にするためには、国民

  全体が人と人との接触を6割減らす必要があります。しかし、感染者を同

  定・隔離することによりRを効率よく減らすことが出来ます。R=2.5の

  時、10名の感染者から25名の2次感染者が生まれます。しかし、10名の

  うち4名を同定し隔離することにより2次感染を予防すると、残り6名から

  15名への2次感染がおこります。Rは1.5に減ることになります。クラス

  ター対策の重要性は効率的にRを減らすことであると言い換えることが出

  来ます。PCRや抗原検査を拡充することにより感染者を見出す割合を増や

  すことが出来ます。感染者の多くは、入院の必要のない軽症や無症状の方

  です。これらの方を快適、安心に隔離することのできる宿泊施設の体制強

  化も必須です。」㊟太字は筆者がいれたものです

 今回の「5つの提言」は、緊急事態宣言が解除されていくなかで、感染の拡大を抑制しつつ社会経済活動も緩和していくためには「Rを効率よく減らす」という柱を立てて整理されたのでしょうから、当然の結論だと理解していいのでしょうか。

 確かに、医療の対策が重症、中等症患者のための医療の確保に力点がおかれてきたし、今もその整備が第2波に向けて最大の課題であると私は認識しています。ですから、「提言4」の前に位置づけられた「提言3」に少し戸惑い、驚いたのかもしれません。

 私としては、「提言3」が軽んじられている状況への警鐘として、そして、PCR検査等の充実強化(感染者の早期の<同定>)とその陽性者(入院を必要としない)への対応(早期の<隔離>)という対策こそ感染拡大を抑止する要諦であると強調しているものと、つまり「提言4」のためには、「提言3」の実行が大前提という関係にあるからだと理解しておきたいと思っています。

 加えるなら、「新しい生活様式」「ニューノーマル」という形の感染予防の協力体制について、山中教授なりの評価(効果に限界がある?折角の実践協力効果も一つのクラスターの発生によって減じられてしまうというような)が根底にあるのかもしれないと想像することもできそうです。

 いずれにしても、ネームバリューということもあってメディアによく登場されていますが、多忙にもかかわらず、科学者として責任をはたそうとされている山中教授の姿勢に、私だけでなく多くの方が信頼を寄せています。

 

◈「予防対策の本質」と「集団免疫閾値」のことなど

 以下も、山中教授のサイト(「専門家、書籍から学ぶ」にアップ)で紹介され、その発言が掲載されている三人の学者の文章から、印象に残ったところをメモしておくことにします。

◉「予防対策の本質」など−川村孝京都大学名誉教授−

 まず、今年の3月まで京大健康科学センター所長であった川村孝が、新型コロナウイルス対策を「小括」している文章から取り上げます。

 「予防対策の本質」という項です。下記の表により「必要な衛生活動」は表の《人と物への接し方》がすべてであり、この予防策が徹底できれば、移動や営業、集会や娯楽は禁じられるべきではないのに、「世の中は本末転倒になっているように思われます」と述べています。

 そして、「3密」ばかりが強調され、「「物を介した感染」に対する注意がおろそかになっているように感じられます」とあります。

 なかなか鋭い指摘だと思いました。政府が5月4日付で発表した「「新しい生活様式」の実践例」では、感染防止の3つの基本を「/搬療距離の確保、▲泪好の着用、手洗い」として、「人を介した感染防止」に特化されており(もちろん「物を介した感染」にとっても間接的な抑止効果が期待できますが)、「物を介した感染」への目配りが弱いようです(空気中の飛沫は自重から落下するのであり、それが付着した物を触ったことによって感染するケースが多いという前提に立っています)。もとより、事業者に対しては、人の触わりやすいドアノブやテーブルなどの物に対するアルコール消毒などとして例示されているところですが、確かに私たちの新生活スタイルにおいても、もう少し強調されてもいいのではないかと感じました。

 なお、「移動や営業、集会や娯楽の禁止」について<本末転倒>と評されているようですが、感染拡大が急増している状況下では、不可避の対策であったし、これからもそうであると私は理解しています。

  川村孝の「感染予防の本質」(部分)

集団免疫理論の虚実ー宮坂昌之大阪大学招へい教授ー

 免疫学の大家として知られている宮坂昌之は、在英国際ジャーナリストという肩書の木村正人によるインタビュー記事によって(テレビ出演もされている)、その発言が注目されている方です。そのうち集団免疫についての記事(2020.5.16「一般に信じられている集団免疫理論はどこがおかしいのか、免疫の宮坂先生に尋ねてみました(上)」)から紹介します。

 宮坂先生の発言は、私の思い込みを正してくれたと思っています。私の思い込みとは、ワクチンがない中で、新型コロナウイルスの感染拡大を止めるためには、「6割程度の人が免疫を保持することが必要である」、これが集団免疫の考え方であるということです。ですから、報じられている抗体検査の現状では、まだまだコロナウイルスの感染流行は止まらないことになるなあ、どうなっていくのかなあと理解していたのです。

 

 宮坂先生は、この集団免疫の理論に対し、明確に「違う」と否定しているのです。その前提である「われわれはこのウイルスに対して免疫を持たないので、無防備な状態で感染が広がると集団の中の60%ぐらいの人たちが感染するだろう」という考え方について、「私はこの仮定は違うと思います」と、宮坂先生は主張しているのです。

 この根底には、個体レベルのウイルス排除は、獲得免疫だけでなく、自然免疫の2段構えであるからだと説明します。そして、「今まで集団免疫は、獲得免疫の、しかも抗体というパラメーターだけを見て判断していましたが、私はそれが間違っているのではないかと思っています」、つまり自然免疫が強かったら獲得免疫が働かなくってもウイルスを撃退する可能性があるのであり、今回はそういうことが起きているのかもしれません」と指摘しています。

 「例えば」と、「武漢市」と「ダイヤモンド・プリンセス号」のことを例示し、2つとも「感染した人は全体の2割程度」だし、「集団の6割も感染するようなことは観察されていない」と説明します。もとよりそれは隔離措置や接触制限をすることによって実効再生産数が小さくなったということであり、「かなりの人たちは自然免疫だけを使ってウイルスを撃退した可能性があるのかもしれないということです」と述べています。

 以上から、「予想よりもずっと低い集団免疫閾値に落ち着く」と結論づけ、次の予測を立てています。

 「 特にこのウイルスが起こす免疫はあまり高くなく、持続も短いようなの

  で、免疫学者の目から見る限り、集団の60%もが免疫を獲得するような状

  況は、余程良いワクチンが出てこない限り起こり得ないでしょう。」

 そして、スウェーデンの集団免疫を前提とする対策を否定的に評価し(「外出制限を厳しくせず多くの死者を出した」)、次の文章で締めくくられています。

 「 集団免疫閾値はこの新型コロナウイルスの場合、60%は成立しない。た

  ぶん良くて20%だと思います。2割だったら今後ワクチンができてくると

  確実にそこは到達できると思います。

   ナチュラルな状況で人が感染して治るという状況だと、おそらく毎年、

  このウイルスにお付き合いすることになると思います。」

 

 もとより私にはこの宮坂先生の発言を評価する能力を持ち合わせていないわけですが、状況証拠的には正当な考え方ではなかろうかとみています。私のような思い込みを誘発させた、北海道大学の西浦教授たちの「このウイルスは何も対策を立てないと人口の6割が感染して何十万人もの人が死ぬかもしれない」という対策の前提となった考え方が独り歩きしている状態に対し、宮坂先生が明確に「間違い」と指摘されている意味は大きいと感じました。

 

◉「選択と集中」と院内感染対策ー黒木登志夫元岐阜大学学長ー

 著名な癌研究者であるとともに、「サイエンスライター」でもあると山中教授が評する黒木登志夫は、3月28日を皮切りにこれまで12本の新型コロナウイルス問題にかかる情報発信をしてきています。すべてではないですが、私のような素人にもわかりやすい内容ですので、愛読してきました。

 その中から、2つだけを簡単にメモしておきます。

 一つは、保健所と地方衛生試験所の現状について「選択と集中」というタイトルで警鐘を鳴らしているところです(2020.5.12付「コロナウイルス(11)」)。お定まりかもしれませんが、いわゆる「選択と集中」というお題目の対応で、保健所や地方衛研が弱体化してきた中で、今回の事態を迎えているという指摘です。昨年話題となった公立・公的病院の統合化対策(厚労省はコロナ対策で再編統合の期限延期を通知したとあります)も取り上げつつ、次の文章によって「選択と集中」を批判しています。

 「 このような一連の動きの背景にあるのは、「選択と集中」「グローバル

  化」という、経済至上主義の考えです。私は、「選択と集中」が大学を疲

  弊させていると繰り返し主張してきました。感染症の研究分野はともする

  と、「選択」され「集中」されるような研究分野です。しかし、大学は大

  事にしてきました。それが、いま役に立っているのです。コロナは、これ

  までの「選択と集中」「グローバル化」のような考え方を変えねばならな

  いことを教えてくれたのです。」

 学長として苦労された方でしょうから、より実感があるのでしょう。これはポストコロナの最大の思想的課題といってもいいのかもしれないと思います。災害とか、感染症とか、通常の時間感覚が別次元にある課題への対応は、新自由主義以降の世界にとって最も苦手な分野なのです。さて、どうなることやら、現代を支配する思想の自己否定を伴う変化、転換が求められるわけですから、やはり大きな岐路だというべきでしょう。

 公務員の端くれだった私は、効率化論者でなかったけれど、保健所は何をしているのかな、もっとコンパクトでもいいのかなと思っていたことは事実なのです。もっと複眼的な物差しが必要となります。時代の産物としての人間とその思想の限界、壁という存在を否定することができない以上、これからの人びとに託す、期待するしかないようです。

 

 二つ目は、直近号で「院内感染対策」について3病院の事例を独自取材されて整理されているところです(2020.5.20付「コロナウイルス(12)」)。

 和歌山済生会有田病院、岐阜大学病院、そして東京医科歯科病院という院内感染防止に成功した3病院の対策に共通しているのが、「第二次接触者:接触した可能性のある人を同定し、PCR検査を徹底」「職員:コロナの検査、医療に関わる職員のPCR検査」「入院患者:入院前のPCR検査」「外来患者:過密防止、事前問診など」「病院長:強いリーダーシップ」の5点だと指摘しています。

 そのうえで、黒木先生は、「院内感染予防にはPCR検査がいかに重要であるかが分かります」と強調しています。つまり「自前のPCR検査なしに院内感染は抑えられない」としているのです。

 にもかかわらず「分かっていないのは厚労省」だとし、病院の自己負担で検査している状況を、つまり「厚労省がわずかな負担を渋っている」ことが、院内感染を招き、ひいては医療崩壊を招くと、怒りを爆発させています。

 直近に厚労省の対応に変化が出ている可能性がありますが、医療費の抑制という大命題の圧力のもとでしか判断を許されてこなかった厚労省のトラウマということかもしれません。すなわち前記した言葉にあった「本末転倒」は至る所にある、それは私たち自身にも巣くっています。だからといって、現状が許容されるわけではなく、一つ一つ変えていく、変わっていくしかありません。

 

◈おわりにー新型コロナウイルスの顔ー

 前項の黒木先生の通信には、東大の河岡義裕教授(政府の専門家会議のメンバーでもある)から提供を受けたという「細胞内で増える新型コロナウイルスの見事な電顕写真」が掲載されています。「見事な電顕写真」とありますが、どうなのでしょうか、下記にその写真の写真をアップしています。

 永田和宏の別稿によると、人間の細胞の大きさは10ミクロン(100分の1mm)ほどらしくて、こんな小さな世界でウイルスは細胞内に入り増殖していることになります。人間の細胞は60兆個もあるらしく、細胞を直線に並べると、実に60万劼箸いΔ海箸砲覆蠅泙后C狼紊15周できるだけの長さになります(毎日10卻發として、地球1周の4万劼肪するには11年を要します)。そう聞けば生命体としての人体は実に驚異的な世界なんだと思わざるをえません。

 この電顕写真を見ていて頭に浮かんだ映像は、大中の県立博物館敷地内の池で観察できる蓮の成長です。冬入りの頃に片づけられて何もない池の面に、3月のある日、クラゲのような半透明の小さな円形が少しずつぽっかりと浮かんできます。4月の声が聞こえてくると、このクラゲ状のものが少しずつ緑を帯びて大きくなり、ある日、これは蓮の葉にちがいないと気づきます。池一面に緑の島が点在して増殖していきます。こうした蓮が成長していく姿を、このウイルスの増殖の写真に重ね合わせたのです。

  細胞内で増えるコロナウイルスの電顕写真

 

 昨日(5/25)、残っていた首都圏と北海道の緊急事態宣言が解除され、全面解除となりました。それぞれ1週間ずつ解除のタイミングが前のめりではなかったかという根拠なき感覚もありますが、これからどうなっていくことでしょう。この「解除」という空気感のなかで、宣言期間中にトレーニングで積み上げた「感染拡大防止」への予防感覚はアクティヴの持続というか、健在を維持できるでしょうか、試行錯誤の日々が待っています。

 以上、テーマはもとより書くという行為自体についても「不要不急」という文字を思い浮かべながら、それでも書いてしまいました。黒木先生が批判する「選択と集中」は、きっと「不要不急」という言葉が嫌いでしょうね。

 学校の再開にあたり、教師も生徒も、フェースシールド、フェースガードを付けて授業している風景が報道されていますが、それはそうかもしれないけれど、当事者ではない「贅沢な自粛」の私としては違和感なしに眺めることができませんでした。そして、マスクをして真夏の強い日差しの中を歩くことは、私にはちょっと想像しにくいし、想像したくないのですが、皆様はいかがでしょうか。

 今でもけっこう暑いのにとボヤキながら歩いていて、一輪だけ咲き始めたハナショウブに出会うことができました。

  ハナショウブ(播磨町野添北公園内) [2020.5.24撮影]

 

2020.05.15 Friday

個人の記憶というものー閻連科のメッセージからー

 昨年の今日(5/13)は、東京へ出かけた日です。70歳を機に集まろうという東京の友人二人からの誘いに、喜んで出かけました(2019.6.14、29「坂と丘と谷の街ー東京への小さな旅ー(1)(2・完))。

 東京から帰途につく日(5/15)、学生時代の友人と旧交をあたためる家人と別れて、上野の丘を独り歩きしたとき、鉄筋コンクリート造のホテル旅館の中庭に森鴎外の「旧居邸」が残っていることを知りました。そして、ホテルの方にことわって、ホテルの内部からですが、その鴎外荘を見学したのです。

 友人たちと、70歳という年齢をなかなか自覚できない私たちということもあったのでしょうか、漱石が亡くなったのは49歳のことであり、もっと長生きしていたはずの鴎外でも60歳であったと話していたのです。ですから、坂の途中にある電柱に、偶然、鴎外旧邸の案内板をみつけて本当にびっくりしました。

 先日、その「水月ホテル鴎外荘」が、本年5月末をもって閉じられるとの記事を読みました。新型コロナウイルスで売り上げが前年の約1割になり、このまま長引いて倒産してしまうと旧邸の維持費も捻出できなくなる、旅館の経営より旧邸を守ることが私たちの使命と考えるからだとありました。

 同ホテルHPの「閉館のお知らせ」には、鴎外がこの旧邸で処女作の『舞姫』を発表し、ここから無縁坂を登り、不忍池を回り帰ってきたことが後の『雁』の舞台になったとあり、「その鴎外荘を残していく為に五月末で閉館することを決断いたしました」と記されています。

  「森鴎外旧居邸↑」の案内板(上野池之端) [2019.5.15撮影、次も同じ]

  森鴎外旧居邸(水月ホテル鴎外荘の中庭)  

 

◈間の文化からー長谷川櫂の連載「隣は何をする人ぞ」ー

 これはもとより予言でもなんでもなかったのですが、当ブログの「新年の挨拶 2020」で、「信仰がある」とはいえない私が当たり前のように正月に神社を参拝した事実に続けて、長谷川櫂がこの国のもっとも基本的な掟だという「間の文化」のことに言及しました。つまり、ものともの、人と人との間隔である「間」というものが「さまざまな神仏の共存する土台になっている」のだと、長谷川は理解しているわけです。

 そして、「間の文化」は<夏をむねとすべし>で貫かれており、それは「挨拶の仕方」にもあらわれているというのです。つまり外国人は「互いに抱き合ったり、手を握りあったり、キスをしたりする」のに対し、日本人は「遠くから、あるいは少し離れてお辞儀するだけ」だと述べ、その理由を次のとおり説明しているのです。

 「 なぜなら、この高温多湿の国では体を触れ合うこと自体が暑苦しいから

  である。とくに夏には肌がべたべたしているので、そんな人同士が挨拶の

  たびに体を触れあっていたのでは皮膚病や伝染病を感染しやすい。それを

  防ぐためにも互いに体は触れあわず、離れたままでお辞儀することになっ

  たにちがいない。」

 以上、断片的ですが、お気づきではありませんか。そうです、新型コロナウイルス感染症との関連です。感染の拡大において、国や地域ごとの「生活習慣」の違いが何がしか反映しているのではないかと指摘されることがありますが、「間の文化」には、こうした習慣をもつ日本人には、感染症対策に資する生活習慣が初めから備わっているのではないかということです。

 もちろん、これでは不十分だとなりますから、政府のように「新しい生活様式」を呼びかけることになるのでしょうが、こうした「間の文化」をもたない生活習慣の国や地域の人びとは日本人以上に大変だということになります。

 

 さて、長谷川櫂は、岩波の月刊PR誌『図書』で、昨年10月号から「隣は何をする人ぞ」という連載を開始し、直近の5月号で第8回となります。

 その前年の2018年に皮膚癌が発見され、3度の切除手術を行ったという長谷川は、「癌を宣告されたことは死そして生について、あらためて考える絶好の時間を私にもたらした」とし、今回の連載はそのアウトプットだということになります。前月の4月号、連載第7回「誰も自分の死を知らない」において、次のように述べています。

 「 この連載はここまで正岡子規、夏目漱石の生と死を通して明治、大正の

  時代の空気について書いてきた。このまま谷崎潤一郎、太宰治、三島由紀

  夫とたどりながら戦前から戦後へつづく昭和の空気について書くつもり

  だったが、それではあまりに重苦しい。そこで今回から少し見方を変えて

  死の思索をつづけたい。」

 そして、今私たちの使っている日本語のルーツが、大和言葉か中国語かで、すなわち漢字が訓読みか音読みかでいろんなことがわかる、「死もその一つである」とします。

 例示として、訓である「恋」と音である「愛」の関係や、植物では日本列島に自生していた「桜」や「松」と渡来植物である「梅」の関係をあげています。本論から外れますが、前者の「恋」と「愛」について、「日本には愛が存在しなかった」という刺激的な文章を綴っていますので、メモを残します。

 「 男も女もあれほど恋の達人であり猛者であったのに、一方、愛となると

  日本人ほど疎い人びとも少ない。友愛、博愛、愛国、愛社、人類愛、家族

  愛、夫婦愛でさえどこかかしこまって、やけによそよそしい。何やら人に

  押し付けられている感じがする。その理由はこの国にはもともと愛などな

  かったからである。」

 さらにダメ押しするような文章を続けています。

  愛という言葉がなかったということは愛という言葉で表わす実体もまた

  なかったということである。王朝中世の歌人たちがあれほど恋に執したの

  に、愛が一度も歌に詠まれなかったのはその一例にすぎない。古代のこの

  欠落が長く尾を引いて日本人はいまだに愛の意味がよくわからないのでは

  ないか。」

 

 では、本論である「死」のことです。梅と同じく大和言葉のような顔をしているが、「死」は漢字の音であり、「死」も「死ぬ」も大和言葉にはない、「まず死という漢字が中国から伝わり、そこから死ぬという動詞が生まれた」のだとし、次のように想像をとばしています。

 「 ここから想像すれば、死という漢字が伝わる以前の日本人は死を知らな

  かったことになる。もちろん日本人も死ぬ。しかし死という現象を漢字の

  死が表わしているようなものとしては理解していなかったのではない

  か。」

 だから、「漢字の死に相当する大和言葉には「なくなる」「ゆく」「みまかる」」という言葉があるけれど、これらには「漢字の死にあたる厳粛な断絶の響きがない」のであり、「あくまである場所から別の場所へのゆるやかな移動」なのだと断じています。そして、最後に、次号に向け、こんな問いを導いています。

 「 つまり古代の日本人は漢字の死のようには死ななかった。では古代の死

  はどのようなものだったのか。

 

 こうした問いをうけた今月号、5月号連載第8回では「『おくのほそ道』の宗教地図」のタイトルで、古代の、仏教以前の日本人の死生観に迫っています。「おくの細道」の全行程150日、2400劼療喘罎卜ち寄ったお寺を拾っていくと、鎌倉仏教と平安仏教という二つの宗教圏が「同心円状に広がっている」ことがわかり、そのさらにその外側には仏教伝来以前の宗教圏の名残りがみられるとし、次のとおり説明を加えています。

 「 近くの里の人がなくなると、亡骸を岩の窪みに納めて波や風が清めるの

  に任せた。のちに仏教が広まると、この風葬の跡が仏道の修行場と

  なった。」

 だから芭蕉の尋ねた松島や立石寺には、それぞれ海辺と山の岩場に、古代の風葬、のちに修行場の痕跡が残されていることを指摘しています。そして、古代において風葬された人の魂は、仏教でいう「西方の極楽や地下の地獄にはゆかない」で、「そこにとどまって懐かしい子孫や里人の暮らしを見守りつづける」とし、次のとおり古代人の死生観を綴っています。

 「 人は命を失うと、魂はすみやかに里から渚や山へ移行する。そうした死

  生観がかつて日本の島々にはあった。」

 こうした論考を通して、以下のような抽象性の高いテーゼを、長谷川は2011年の東日本大震災直後に起きた東電福島第一原子力発電所の事故と関係づけて、冒頭で言葉にしています。

 「 新しい言葉の誕生によって世界が変わる。いいかえれば、世界は言葉で

  できている。

 ですから、前月号と今月号で展開された「四世紀あるいはそれより前、文字のなかった倭の国に中国から漢字がもたらされたとき」、「世界の組み換えが次々と起こったはず」であり、「その一つに死があった」というわけです。そして、当時の倭人たちが「なくなる」「ゆく」「みまかる」という言葉で表わしていた人の最期と、「死という漢字の意味する命の断絶」とは明らかに異質であったとしています。

 こうして中国から渡来した死という漢字が、それまでの人の最期について「連続」から「断絶」へと変わったとき、世界が変わったということを、長谷川は自らの癌体験を根っ子において論じたのであろうということができます。

 

 ここでは、長谷川の論旨をノートすることだけでとどめておくことにします。というより、それはそういうことなのであろうという以上に、長谷川の論考を批評する言葉を私がもたないためではありますが、それでも、ここであえてノートしておこうとしたのは、それだけインパクトをうけたということにほかなりません。

 この連載「隣は何をする人ぞ」が、どこへ向かうのか、楽しみです。

 

◈「一つの旅の終わりに」ー阿部昭『単純な生活』の終着からー

 直近のブログで途中下車して紹介したりした阿部昭の『単純な生活』に再乗車していましたが、やっと終点に着きました。

 むかしならといって笑われそうですが、2日ほどあれば読み通していたであろう小説を、コロナ情報に右往左往しながら少しずつ読んできました。昨日読んだことをすぐに忘れてしまう今の私には、こんなストーリー性のない小説の方がふさわしいのかもしれません。

 今からふりかえると、早すぎた晩年ともいえる、50歳を前にした阿部昭の連載長編小説は、凝縮した言葉で構築した短編小説を中核においてきた阿部にとって冒険でもあったといえます。この機会に、阿部の後期の作品を読みかえしていきたいと思っています、ぼちぼちと、忘れる前に。

 

 ラストからふたつの目の項、「百二」で、阿部は、この連載の二年半をふりかえり総括しています。そして、この期間を何によって生きたかといえば、「おそらく当人以外には取るにも足りない些細な事柄、笑止なくらいこまごましい、もろもろの事物の力によって生きた」のであると綴っています。そして、その事物、つまり小説のコンテンツを列記していますので、長々しくなりますが引用しておきます。

 「 ーーかれのみすぼらしい猫どもや引地川べりの家鴨たちの行状、岡崎の

  八丁味噌や水団の味、鎌倉行のバスの窓から見る海やフランスの田園風

  景、西日をよける葭簀や食べ過ぎる枝豆、「かわいそうなぞう」の話や

  『にんじん』の挿絵、それからまた、新婚時代の日光の思い出、Y君二世

  の誕生、LG君のパリからの手紙、小さな雑貨屋さんの小母さん、Mが

  拾ってくれたバルト海の小石、昔の中学の先生の水彩画、妻の癌ノイロー

  ゼ、等々。」

 かくして、「まことに、事物の助けなくしては、われわれは一日として生きられず、一行とて書くことができない」、こんな感慨を吐露して締めくくっています。

 前稿(「雲間に密やかな光をさがしてー阿部昭『単純な生活』からの途中下車ー」)には、前記の太字で示したエピソードを紹介しました。

 そして、「贅沢な自粛」を自認し、この変化の少ない暮らしを「単純な生活」とは呼べまいかと思ったりする私としては、阿部の言葉に共感するところが大きいのです。

 

 屋上屋になりますが、そのあたりのことをもう少し書かせてください。

 連載の2年半を終えるにあたって、狭い行動半径で身辺の記録のみが多かったけれど、人生を旅する者として「紙の上のそれであれ、一つの旅の終わりに」あるような心境でいる、と阿部は述べています。そして、「では、単純な生活とはなにか、何であったというのか」という、もう一度、書き始めたときの自問に戻っています。

 こんな生活であっても、本当のところは「単純のようであっても単純なものではなかった」、「むしろ世間並みに複雑怪奇と呼ぶほうがふさわしいものかもしれない」と感じている阿部は、「しかし、それでも」と、次の文章を書きつけています。

 「 しかし、それでも単純な生活というものはあるにちがいない。そういう

  言葉がある以上は、それをこの目で見たいという願う気持ちがあって不思

  議はない。そこで私は苦しまぎれに、はなはだ横着にして陳腐な言い草な

  がら、「どこを探すまでもない、それはわれわれの心の中にあるのだ」と

  答えて退散したいと考えている。」

 阿部の言いたいことは何か、「細部にこそ真実は宿る」ということか、やはり阿部にとってこの2年半においても「到底数え切れぬそれらのデテールの一切が、作者の生活には必要であった」と述懐しているのです。この鑑賞の対象ではない人生を生きるということは、それぞれの人生を旅することであり、そこに文学の源泉があるし、書くことの不思議もあるのではないかと、阿部は言いたいのでしょうか。

 ここで私が言葉にしておくとすれば、実生活という複雑怪奇な現実との乖離はいつも存在するけれども、心のありようとして、いうなれば心に大切なことを見失わないという芯をもって、「単純な生活」を希求することが、阿部の「心の中にあるのだ」とする「単純な生活」ということではないのかと思ったりしているのです。今は、阿部の『単純な生活』を読んで、「単純な生活」とはそのようなことではないかと感じています。 

 

 また後戻りするようですが、「六十六」の冒頭に、「心臓の故障という思わぬ事故で、この二た月、読者の皆さんにご無沙汰してしまいました」とありました。短期の入院生活もあり、ここで一息ついて、作家暮らしを離れて、連載を休載したのでしょう。

 病院のベッドの上で、阿部は、「つくづく考えた」とあります。「筆一本の暮らしになって今年でちょうど十年」、寡作、非流行の作家でも「なにやかや必要に迫られて書いているうちには心臓がおかしくなるのか……そもそも言葉というものが、心臓に、悪いのか」と自問します。そして、「作家生活」という四字を反芻しながら、「心臓の問題ではなく、心の問題」ではなかったかと気づいたことを記しています。 

 鵠沼に一軒しかない古本屋で中桐雅夫の『会社の人事』という詩集を買い求めたのだそうです。そして冒頭の「やせた心」という詩を「正しく自分の事として」読んで、次のように思ったのです。

 「 お医者さんも私に上手には説明できなかった私の病気について、この詩

  はかくも言葉少なに、しかも余すところなく答えてくれている!「やせた

  心」というのこそ、現在の私の本当の病名にちがいないと、そう思ったの

  です!」

 めずらしく阿部は「!」を二回使っていますが、次の文章を続けています。

 「 私はこの詩人よりはずっと年下である。老い先もまだそれほど短いとは

  言えない。しかし、だから、私の心が彼の心よりやせていないという保証

  はない。その反対でしょう。人類はだんだん年をとっていくのだから、誰

  の心も、いよいよますます、痩せ細って行っても不思議はないのではない

  でしょうか。少なくとも、いまはそう思いたくなる時代ではありません

  か。」

 病気と縁遠かったという阿部が、病気の診断をうけて、こんなふうにも思ったのだなと、私は申し上げるしかありませんが、阿部があと8年ほどしか生かされていなかったという事実を知っている今となっては、まことに残念だなという気持ちをかみしめるだけです。

 

 仕事から完全に離れてすぐに、私は、当ブログに「«仕事をする人»をみるとー旅の写真<仕事>編ー」を書いていますが、その中で阿部と同じく中桐雅夫の「やせた心」を引用して、この詩と「当時も今も」共振していることを告白しています。

 ご大層というしかありませんが、仕事は「自分の生きる証としての<信仰>のようなものだったかもしれない」、そういう自分に呆れ、否定さえしている自分を自覚しながらも「働いている、仕事しているという動詞の価値への信頼を失うことができなかった」とも記しています。

 自己美化というほかありませんが、今となっては膨大に費やされた自分の時間(「自分の時間」とは何でしょう)を全否定することがおそろしかったともいえるのかなと思っています。

 それから4年をへた現在、阿部の印象的なフレーズ「一切が歳月という慈悲に和らげられて、古ぼけた写真のように、淡々しく、なつかしく思えるだけですが」に近いような心境になってきたみたいなのですが。

 

 ここで阿部の『単純な生活』とお別れし、追記しておくことにします。

 『毎日新聞』5月8日付夕刊に、作家の山崎ナオコーラを取材した藤原章生記者の署名入り記事「「無理に働かない」広まる予感」が掲載されていました。その記事に、私が名前しか知らなかった山崎ナオコーラの発言として書かれたものを、長文ですが、引用しておきます。

 「 家にいても仕事ができるし、会議もオンラインで十分。ハンコ押す意味

  って何?とか、必要のない飲み会ばかりだったねとか、わかってきました

  よね。小さな世界にいても遠くにつながると実感したから、外へ外へでは

  なく、内へ内へと頑張る人が増える気がします。」

 「 コロナの影響で働かなくても堂々としていればいいという考えが広まる

  と思う。『稼がないと』『同僚に迷惑がかかる』と思って休めなかった人

  も、根っこには『働かないと社会人じゃない』という思い込みがあると思

  う。お金を稼ぐのが人間だという考えです。でも、コロナで価値観が変わ

  り、前より休みやすい社会になると思うし、働く働かないで線引きする考

  えも薄まるのではないでしょうか。」

 きっと私の心の奥底には「働いているのが人間だ」という意識が刷り込まれていたし、なおそこから自由になっていませんが、コロナはそうした既成概念をゆさぶることになるのかを注視しておこうと思います。それが人間の自由とか多様性を広げる方向であれば、なおのことすばらしいのですが。

 

◈個人としての記憶をもつことー閻連科のメッセージからー

 昨日(5/14)、全都道府県に対して発出されていた緊急事態宣言が、39県で解除されました。まだ関係文書を読んでいないので不明な点が多くありますが、ほんの1週間前の宣言の延長にあわせて「出口戦略」という言葉が先行して独り歩きし、政府を早期解除へ追い込んだ(「追い込んでもらった」という意識かもしれません)という図式ととらえています。ですから、専門家というより、政治側に重心の傾いた判断であるように受けとめています。

 万事に対策の遅れが指摘されてきましたが、今回の解除だけは性急な印象があります(当ブログでも紹介した宮沢孝幸京大准教授に触発され、私自身は自粛推進派ではありませんが)。ここで書く必要はありませんが、心もたないことを思い知った医療体制の再構築をはじめ、前途が多難であることは申し上げるまでもありません。

 

 中国の武漢は1月23日から4月8日までの76日間も封鎖されていましたが、NHKBS1で『封鎖都市・武漢 76日間 市民の記録』が放送されました。封鎖期間中に、武漢在住でインターネットで日記を公開して反響を呼んだ郭晶という29歳の女性と、武漢の市民の声を伝えつづけた北京のネットラジオ『故事FM』が主に登場していますが、昨年末の12月30日にいち早くコロナウイルス(タイプは調査中)による肺炎の発症について警鐘をならした眼科医である李文亮(1986-2020)についてもふれていました。

 この情報のネットでの掲載行為を「インターネット上で虚偽の内容を掲載した」として、1月3日に公安当局から訓戒処分を受け、その後も武漢中心病院でコロナ対応に当たっていたのですが、自身も感染し、ついに2月6日に亡くなりました。そして、3月5日、中国政府から烈士として表彰されたという方です。

 この「李文亮」の名前も登場する文書に、といってもオンライン講義の原稿だそうですが、心を揺さぶられました。北京在住の作家である閻連科(1958-)は、2月下旬(原稿は2月20日付)に教鞭をとる香港科技大学の大学院生らに北京から最初のオンライン講義をしたのですが、中国では転載と削除が繰り返されたと報告されている「論争的文書」だそうです。

 日本語翻訳文は、『ニューズウィーク』3月10日号に掲載されたものをネットで読むことができました(2020.4.3「ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト【特別寄稿】」)。閻連科による別の文書や方方の武漢日記を含め、別途の機会に設けて紹介することとし、今回は原稿の最後の方の部分だけをメモするにとどめます。

 

 この「この厄災の経験を「記憶する人」であれ」とタイトルされた文書において、閻連科は、自らと同じく文系で「生涯にわたって言葉を頼りに、現実と、記憶と付き合っていく」であろう学生たちに対し、新型肺炎をいかに記憶していくのか、個人の記憶力を鍛えよ、そしてその記憶力によって生み出した個人の記憶を大切にせよ、と強く呼びかけています。

 最終項「警笛を聞き取れる人に」から引用します。最初は、個人の記憶が集団である国家や民族の記憶に包摂されてしまう、変えられてしまう危険性を指摘しているところです。

 「 言葉を記憶することにおいて、幾千万人もの個人の記憶はさておき、集

  団の記憶、国家の記憶および民族の記憶は、歴史の上ではいつも、我々個

  人の記憶力と記憶を覆い隠し、変えてしまうものです。今日において、

  今、新型肺炎がまだまだ記憶として固まっていないこのとき、われわれの

  周囲では、既に高らかにたたえ、躍起になって祝う銅鑼と太鼓が鳴り響い

  ています。まさにこの点において、諸君に、新型肺炎という災禍を経験し

  た諸君に、記憶力に優れた人になってほしいのです。記憶力で記憶を生み

  出せる人に。

 この文書の日付である2月20日は武漢が封鎖されてから1ヵ月足らずの時期であったということを確認しておきましょう。そして、近い将来の国家宣伝を予測しつつ、次の文章を続けています。

 「 予測可能な近い将来、銅鑼や太鼓の音を鳴り響かせ、詩文が飛び交い、

  「新型コロナウイルスという国家の戦争」に勝利したと大騒ぎして高らか

  にたたえる声が上がるとき、諸君にはそんな空疎な歌を高らかに歌う物書

  きではなく、ただ個人としての記憶を持つ嘘偽りのない人間でいてほし

  い。

   至る所で盛大な演出が繰り広げられるとき、舞台の上の役者でも朗読者

  でもなく、その舞台に拍手する人でもなく、舞台から最も遠いところに

  立って、黙ってそのパフォーマンスを見つめながら熱い涙に目を潤ませ

  る、やりきれない思いを抱く人でいてほしい。

 最後に「李文亮」にも登場してもらって、ライティングを学ぶ学生に向け、次のメッセージを発しています。

 「 李文亮のような「警笛を吹く人(警鐘を鳴らす人、告発者)」になれない

  のなら、われわれは笛の音を聞き取れる人になろう。

   大声で話せないのなら、耳元でささやく人になろう。ささやく人になれ

  ないのなら、記憶力のある、記憶のある沈黙者になろう。われわれはこの

  新型肺炎の事の起こり、ほしいままの略奪と蔓延、近くもたらされるであ

  ろう「戦争の勝利」と称される万人の合唱の中で、少し離れたところに

  黙って立ち、心の中に墓標を持つ人になろう。消し難い烙印を覚えている

  人になろう。いつかこの記憶を、個人の記憶として後世の人々に伝えられ

  る人になろう。

 断片的な引用は危険ですが、こんな閻連科のメッセージをどのように読まれますか、あああの情報統制の中国のことだからという感想でしょうか、それとも私たちにも通ずる普遍的な警鐘として感じられましたでしょうか。私は、両方の気持ちで読んだのです。そして、胸に迫ったということです。

 藤原辰史の「パンデミックを生きる指針」を読んで以来の「文の力」を感じました。

 

 最後に、その藤原辰史の文書を中心据えた当ブログ(2020.4.24「同じ時間を生きている私たち、そして人類ー藤原辰史「パンデミックを生きる指針」などを通して拾遺できた言葉から―(2・完)」)の冒頭に引用したパオロ・ジョルダーノの文章をそのまま再引用したいのです。「新しいステージ」という合唱が始まっている今、もとより自分に向けてではありますが、本稿を読んでいただいた方にも、もう一度届けておきたいからです。

 「 すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現し

  たいのだろうか。

 「 コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうちに復興が始まるだろう。だ

  から僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおり

  になってほしくないのかを。

 

2020.05.10 Sunday

雲間に微かな光をさがしてー阿部昭『単純な生活』からの途中下車ー

 仕事から離れて以来、大学の聴講生となって、週に2回ほど講義を聴講してきましたが、今日、初めて遠隔授業というやり方で受講しました。聞いたこともなかったWebexを活用したリアルタイム配信型のオンライン授業です。今回はイントロダクションとして、今期の授業の方法を説明されただけですが、70名程度の学生たちが自宅から参加されていました。

 国文学という科目で『平家物語』を中心に歴史叙述のあり様がテーマですが、同物語には<転形期>だからこその面白さと豊かさがあると、講師であるH教授から説明がありました。そして、こうした遠隔授業の実施ひとつをとっても、このコロナの時代はのちのち<転形期>だったと呼ばれるであろうとコメントされたのです。

 

 今日(5/7)から「緊急事態宣言」の延長期間に入りました。多くの人たちが予想していたこととはいえ、「贅沢な自粛」を自認する私でさえ、ちょっと重くるしいものがあります。

 新しいフェーズというのでしょうか、新たな段階に入ったのだと感じました。今更のようですが、政府においても市中感染の広がりとPCR検査体制の不備という現実を否定できなくなったということです。

 当ブログ(2020.4.4「「桜は来年も帰ってきます」ー山中伸弥教授の新型感染症サイトー」)で、同サイトのトップに新型コロナウイルスとの闘いは短距離走でなく「1年は続く長いマラソン」との認識が示されていると紹介しましたが、政府の専門家会議も「長丁場」という言葉を使いながら、そうした認識の共有を打ち出さざるをえない状況になったといえます。

 さらにいえば、山中教授のサイトのトップから、「ウイルスとの闘い」、「闘い」という言葉が消去され、「正しい行動を粘り強く続ければ、ウイルスの勢いは弱まり、共存が可能となります」というように「闘い」が「共存」という言葉に替わっています。つまり、今は「全力疾走に近い努力が必要」だが、「その後の持久走への準備も大切」であり、それが相まって「共存」を可能にしていくのだという認識なのでしょう(「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」)。

 まともな専門家であれば、当然の認識なのでしょう。最初から、どうしてこうした認識に立った提言が十分にできなかったのか、でもそうはいかなったという現実があり、それはどうしてかという問いが生じます。

 もとより専門家会議の主要メンバーにそうした認識がなかったわけではなく、未知のウイルスに対し、万事が準備不足の中で手探りでの緊急対処が迫られ、「長丁場」というような枠組みが許されなかったというのが現実だったというべきでしょうか。それでもなお、もっと前に軌道修正の局面があったのではないかとの疑問が残ります。 

  

◈「新しい生活様式」ですかー政府専門家会議『状況分析・提言(5月4日)』ー

 しばらくは新型コロナウイルスについて半可通で書かないでおこうと思いながら、本編の前書きのつもりではありますが、もう少し続けます。

 現時点で私は専門家会議の5月4日付『新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言』しか読めていないことをお断りしたうえですが、この文書からは、「医療提供体制」の不備と危うさ、とりわけ入院患者を引き受ける医療機関の対応能力が既にギリギリ状態であるか、新規感染者の発生ですぐに逼迫する状況下にあるか、こうした医療提供体制への逼迫圧力が強く滲み出ています。こんな苦渋というか、恐怖のようなものが根っ子にあるのではないかというのが、私の率直な印象です。

 前記のウイルスとの「長いマラソン」「共存」という認識も、医療提供体制の脆弱さという制約条件のもとで、糊塗されていたのではないかと思ったりもしました。

 少々乱暴を省みずに申し上げるとすれば、医療費の抑制という大命題のもとで、長年にわたり、進められてきた諸対策の帰結が、今日の医療体制の不備と硬化を招き、今回のような新感染症への対応力を奪ったのではなかろうかと、私は理解しています。

 ですから、「緊急事態宣言」の解除条件は、新規感染者の発生数や陽性率などはもちろんですが、重症者対応への医療提供体制こそが鍵となってくるものと思いました。それが専門家会議の本音ではないのかと推測しています。

 いずれにしても、人材育成など短い期間ではできないことも多いわけですが、今は可能なことから、医療提供体制への緊急かつ重点的な資源投入が必要だということになります。

 

 今回の提言には、「新しい生活様式」という言葉が初めて登場しました。前提として「対策の強度を一定程度緩められるようになった地域」という条件をおいたうえで、次の提言を行っています。

 「 再度感染が拡大する可能性があり、長丁場に備え、感染拡大を予防する

  新しい生活様式に移行していく必要がある、と指摘した。」

 そして、これまでその重要性を訴えてきた「行動変容」を踏まえ、「新しい生活様式」の具体的なイメージとして、「今後、日常生活の中で取り入れていただきたい実践例」を(別添)としているのです。そこでは、感染防止の3つの基本である「/搬療距離の確保、▲泪好の着用、手洗い」をベースに実践例の細目を列記したものとなっています。

 これを否定しているわけではありませんが、いの一番におかれた「人との間隔は、できるだけ2m(最低1m)空ける」だけを取り上げても、可能な場合に対応する基準とすることは同意できたとしても、あらゆる場面で実践することなど不能な命題であることが気がかりです。たとえば、医療、介護の現場はもとより、今の対策の中核である保健所内をはじめ、エッセンシャルワークに取り組んでいる人びとの職場ですらできていないわけです(テレビで視聴する厚生労働省内の担当部局、クラスター班なども)。そして、再開するときの学校の教室(再開した学校で、二部制で交代で登校しているケースもありましたが)、一般のオフィスなどでも、いろんな工夫はありえても、工夫の枠を越えるような課題ということになりませんか。

 前稿で紹介した宮沢孝幸京大准教授の「新型コロナウイルスを100分の1に減らす大作戦」の具体的な処方箋は、基本のところで「新しい生活様式」とも重複していますが、実践性において可能なものに絞っているところに基本的な相違点があります。

 今後「新しい生活様式」をどのように位置づけ、広く社会で実践可能なものとしていくのか、今のような作文レベルですましていいわけではないと申し上げておきたいのです。

 

 無知を棚上げして書いたついでに、PCR検査についてもふれておくことにします。

 今回の『状況分析・提言』では、「(補論)PCR等検査の対応に関する評価」に相当の紙数をさいて、どうして日本においてPCR等検査能力が早期に拡充されなかったかを丁寧に説明しています。一つ一つの説明は事実に反したものと思いませんが、こうした状態をブレークスルーできる方策を提言できているかといえば、そうではないのです。

 それだけ難しい課題だともいえますが、従来からの公衆衛生行政に引きずられてきたし、今もなお、その枠を越えた提言をなしえていないことは物足りないといわなければなりません。相当以前から、山中教授や島田山梨大学長の具体的な提言がマスコミによく登場していますが、文科省との関係など、それができない理由があるのでしょうか。

 粉骨砕身でがんばっておられる専門家会議のメンバーに失礼というべきですが(どうしてPCR検査が諸外国に比べて少ないのか、どうして増えていかないのかという多くの国民の疑問に答えようとされたのですから)、長い言い訳を読まされたと感じたのは私だけではないでしょう。それこそ出口戦略などというためには、抗体検査も必要でしょうが、その前提として希望する方にPCR検査を提供できる体制の整備がやはり必須のように思っています。

 

◈日常と非日常というイメージの変化ー平野啓一郎の言葉からー

 長い言い訳ではなく、長い前書きが続きます。

 先月、コロナの時代への視座として、2回にわたり、文書やテレビ画面から拾遺できた言葉を、当ブログで書きとめました(2020.4.17、24「同じ時間を生きている私たち、そして人類ー藤原辰史「パンデミックを生きる指針」などを通して拾遺できた言葉からー(1)(2・完))。そこに追加しておきたい言葉に出会ったので、紹介しておきます。

 5月5日『毎日新聞』朝刊の「オンライン座談会 コロナ禍を生きるには」(歴史学者の磯田道史、作家の平野啓一郎、社会学者の富永京子の3氏)において、平野さんが冒頭でしている発言のことです。当たり前の発言といえばそのとおりですが、自分もそう思っていたことを言葉にしてもらったような、そんな快感が私にはありました。

 

 現状について問われた平野さんは、ここ数年の日本で多くの死者を出すような地震、台風、水害などの災害が発生し、一方で感染症も次々に起こり、そして今回の新型コロナ問題だという現実を指摘したうえで、日常と非日常の関係について、次のように変化するのではないかと、鋭く指摘します。

 「 僕たちは日常がずっと続き、非日常は切れ目のようにたまに訪れ、その

  都度、傷口が回復して日常に戻るというイメージで生きてきました。これ

  からは非日常と日常が頻繁に入れ替わるようなイメージで生きていくと思

  います。」

 非日常は繰りかえされる日常の点景として存在していたものが、コロナの時代以降は日常と拮抗するようなウエイトで出現してくるのだというイメージが一般化するということでしょうか。作家らしい喚起力をもった言葉に、私は驚きましたし、そうであろうと思ったということです。

 点景だからこそ「非日常」であったのです。それが点景でなくなるのなら、日常と非日常の区分は曖昧なものになっていくではないでしょうか。これまでの常識がひっくり返されることが日常化する世界、これが「転形期」と呼ぶべきものでしょうか。

 こうした変動にどう対処していくべきか、平野さんは次のとおり、常識的ともいえる発言をストレートに続けています。

 「 非日常が訪れるたび、社会がそのダメージを全面的に被り、何もかもス

  トップするというシステムでは到底存続していけない。非常時には非常時

  なりに、活動を持続できるハード面、ソフト面の整備を進め、可能な限

  り、ダメージの少ない形でスイッチできるシステムを構築してゆくべきで

  す。」

 では、「ダメージの少ない形でスイッチできるシステム」とはどのようなものでどう構築していくのか、座談会ではあまり展開できているようには読めませんでしたので、ここまでとします。

 ここでは、コロナの時代の前後で「非日常と日常の関係においてイメージの転換がある」という平野さんの言葉は、私にとって、一つの視座となるであろうと感じたという事実をメモしておくことにします。

 

◈鎌倉の海へー黒田三郎の詩からフォークソングへー

 やっと本編です。

 といっても、前稿(2020.4.30「単純な生活というものーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー」)でも書いていたように、阿部昭の『単純な生活』を読んでいるのですが、いまだ半分ぐらいしか読めていません。それでも、ちょっと途中下車させてもらって、気になったところをメモしておきます。

 この400頁の小説は、昭和55年1月号から57年6月号にかけて『婦人之友』に2年半連載されたものを単行本にしたものだそうです。漢数字の番号で「」から「百三」まで103項に区切られていますので、毎月3乃至4項が書き継がれたのでしょう。今は「五十八」あたりを、私は味わって読んでいます。

 この小説中で心臓の不調についても語っていた阿部昭は、7年後の平成元(1989)年5月に急性心不全により55歳で急逝されています。

  阿部昭『単純な生活』 1982年8月刊/講談社

 さて、「二十」「二十一」には、「私」が、つまり藤沢の鵠沼に住んで作家生活をおくる阿部が、「朝からあんまりいい天気」なので、「机の前にじっとしてはいられない気分」になって、自宅近くからバスに乗って鎌倉へ出かけた、そんな早春の一日が書かれています。こんな便利なルートを知ったのは2,3年前のことだそうで、それまでは鎌倉へ行くには電車を何本も乗り換えていたとあります。

 海側の席に座り、海を眺めている情景を、「江の島を過ぎ、腰越、七里ヶ浜、稲村ヶ崎、由比ヶ浜と海ぞいを走り続けて、長谷の町並に入る」などと地名をあげつつ、ひとしきり描写しています。

 そして、「二十」に記されたエピソードは、この当日ではなく、もっと以前のことで、大きな古本屋のその「店の隅っこに、自分のまっさらの小説集が、一冊、300円という値段をつけてられて」突っ込まれていたときのことです。「ーーそんなこともあった」と、阿部は次の文章を記しています。

 「 私はいささか胸痛む思いで、こっそり手にとってみた。新品同様なのに

  三百円か。

   なんだかそのままにしておくのは忍びない気がした。預けたわが子を引

  き取るみたいに、引き取って帰ろうかと思った。が、ふっと気が変った。

  自分で自分の本を買うのもつまらない。このままにしておけば、どこかの

  誰かが三百円出して読んでくれるかもしれない。そう考え直して、そのま

  まにしてきた。」

 

 続く「二十一」は、当日のことで、「古本屋ではない大きな書店」に入ったけれど、探していた本がなかったので、「黒田三郎という詩人の薄い詩集を一冊」買ったから始まっています。昼食にカレーを食べたりしたあと、美術館に入る前に「八幡様(鶴岡八幡宮)」の境内のベンチに座って、「詩集をぱらぱらめくっていると」から話が展開していきます。

 阿部は、「中学生の息子の国語の教科書で見たことがあった」「紙風船」という詩が目にとまり、「けれども、そのあとがいけなかった」と続けます。「別の詩の一節が不意打ちのように私をつかまえた」と、その一節を引用します。

 「 とおいむかし

   白々しいウソをついたことがある

   愛するひとに

   とおいむかし            」

 この「たった四行の言葉のために、私はいきなり二十何年前の自分に連れ戻されて、ひどくしんみりしてしまった」とあります。まだ学生だった頃に女友達と鎌倉を歩いていたことがあって、「彼女と将来を語り合ったことがあったような気さえしてきた」のです。こんな文章が続きます。

 「 やがて、彼女との事には、終りが来た。白々しい嘘と知りつつ、私は彼

  女に嘘をついたのではなかった。しかし、結果として、私が彼女に言った

  ことはすべて白々しい嘘以外のなにものでもなかったということになるの

  ではないか。」

 そして「おかしな一日だった。」と締めくくられる「二十一」の直前には、こんな文章がおかれています。

 「 ようやく立ち上がって境内の砂利道を歩きながら、また,木立の中の美

  術館に入って版画やポスターの間を歩きながらも、二十何年前の午後の空

  気を呼吸しているような、足が地から浮き上がったような、自分が誰にも

  見られない透明人間ででもあるような、非現実的な感覚につきまとわれ

  た。

   夕方、またバスに揺られて、薔薇色に染まった海辺を帰ってきたが、家

  に着くまでずっとそんなふうだった。」

  『単純な生活』p103 大沢昌助の装丁・カット(以下同じ)

 と、私はここから連想ゲームというか、数珠つなぎ状態となりました。

 残念ながら、「女友達」のようなエピソードではなく、黒田三郎(1919-80)の詩のことです。当ブログでも何回か取り上げているように(2016.1.10「再読・詩と出会うー黒田三郎ー」など)、読んだことがあるといえる数少ない詩人のひとりですが、「紙風船」は知っていたけれど、あとの「白々しいウソをついたことがある」という詩はまったく記憶になかったのです。

 手持ちの『定本 黒田三郎詩集』(1976年1月刊/昭森社)をめくってみると、若い頃の黒田の詩を集めた詩集『失われた墓碑銘』の「苦業」とタイトルされた一編だとわかりました。「紙風船」よりも以前に書かれた詩ということになりますが、阿部は「ぱらぱらとめくっていると」などと前後を変えて小説にしたということでしょう。

 そして、ネットで検索すると、「苦業」という詩を、小室等が曲にして歌っていることを知りました。「紙風船」も赤い鳥が歌っていたのですが、あのころのフォークソングはシンガーソングライターとしての自作詩だけでなく、わりと知られた戦後詩を曲にしていたことが思い出されてきたのです。

 とりわけ「雨が空から降れば」の小室等はそうであり、私の記憶では谷川俊太郎の詩をよく歌っていた、特に「死んだ男が残したものは」とか「いま生きているということ」のことをよく覚えています。

 ここでは、「苦業」の全編を引用し、併せて小室等の味わい深い歌唱のユーチューブを貼り付けておきます。

     苦業

 

  螺旋階段をのぼる

  石壁にかこまれた

  暗い

  けわしい

  石の階段をのぼる

  小さなランプをぶら下げながら

 

  階段が尽きさえすれば

  水平線が見えるのである

  あ 階段が尽きさえすれば!

 

  螺旋階段のぼる

  石壁にかこまれた

  暗い

  けわしい

  石の階段をのぼる

  小さなランプをぶら下げながら

 

  とおいむかし

  白々しいウソをついたことがある

  愛するひとに

  とおいむかし

 

 小室等「苦業」(1974年ライブ)

 この歌唱において、小室は、阿部を不意打ちした四行の冒頭「とおいむかし」を「とおいとおいむかし」と歌っており、また最後に「螺旋階段のぼる」のパートに戻って復唱し、余韻を残します。

 

 鎌倉には一度だけ訪ねたことがあります。最近のことといってもいい2013年9月末、親戚の結婚式に出席し、当時千葉の船橋にいた息子一家の様子をのぞき、その帰途に立ち寄ったのです。

 鎌倉駅近くの小さな市場の一角にあった鮨屋さんで、今の私たちぐらいの年恰好であった隣接の逗子に在住というご夫妻に声をかけていただきました。鮨屋のあと、小町通のイタリア料理店に案内してもらって、ワインまでごちそうになったという、私たちにとって思い出となる話も残っています。

 七里ヶ浜のホテルで泊まった翌朝には、一人で江ノ電と並行した国道を江の島近くまで歩いたりしました。ウエットスーツを着たおじさんがサーフボードを脇にかかえて自転車に乗っていたりもしました。朝ということもありますが、9月末の湘南の海、鎌倉の海は、どんよりと朝曇りしていて、江の島の向こうに富士山とはいかなかったけれど、今も記憶にとどまっています。

 鎌倉駅で荷物を預け、自転車を借りて、鎌倉五山に行ってみようとしましたが、鶴岡八幡宮の中までが精一杯で、そこから先の上り勾配を前にあきらめ、反対に海の方、長谷大仏の方へ取って返しました。そんな短い滞在の鎌倉が実体験の全てです。どちらかといえば、小津安二郎の映画のなかに、私の鎌倉はあるといえます。

 で、鎌倉といえば、今のコロナの時代は「いざ鎌倉」という表現もふさわしいように思います。

  鎌倉の海   [2013.9.30鎌倉の七里ヶ浜で撮影]

  月曜日のサーフボード(鎌倉海岸)

  鎌倉行きの江ノ電

 

◈時は過ぎゆくー安田謙一郎からバッハへー

 もう一つ、「年下の友人でチェリストのY君」が登場する「五十一」「五十二」についてメモします。このY君とは、阿部が学生時代に家庭教師を務めた安田謙一郎(1944-)であることがわかっています。

 「五十一」は、そのY君から暮れに(昭和55年)「よい便り」があったことから始まります。「いつにない高揚した文面」で「初めての子供、それも男の子が生まれたという知らせ」でした。「いつのまにか三十代も半ばを過ぎているY君の異例の感激ぶり」を、手紙の文面を引用して描写します。

 そして、「私は、ああそうだった、そうだったなあ」と肯きながら、10歳年上で三人の男の子の父親である阿部は、長男の誕生した「1月の末、寒い寒い真夜中」の記憶を引っ張り出していきます。「後日その場面をそっくり」使った小説も引用しながら、「初めて経験したわが子の出生場面に興奮していました」と、Y君の感激ぶりと自分の経験を共振させています。

 このことを「まるでついこないだのように思い起こされた」としつつ、次の感慨を書きつけています。

 「 そうして、早速にとペンをとってY君夫妻にお祝いの手紙を書きなが

  ら、私はちょっとばかり彼が羨ましかった、ねたましかった。なぜって、

  私のほうはもうそんな人生の感激に見はなされてしまって久しいような気

  がしているから。あの看護婦さんが洗っていた、つるつるの長靴みたいな

  やつが、もうこの春は大学受験とかで、自分で勝手に生れてきて勝手に大

  きくなったような口をきくのですから。」

  『単純な生活』p187

 続く「五十一」は、「されど、時は過ぎゆく、です。」の一行から始まります。つまり現在三十代半ばを過ぎたY君ですが、その彼がヨーロッパに留学した24歳の頃に時間を巻き戻します。

 横浜港からバイカル号で出発するY君を「彼はその時、二十四ぐらい、まだほんの少年のようでした」とし、そんなY君をまだ末の子が生まれていなかった阿部一家(夫婦と幼い息子二人)は「寒風の吹きつけるあの大桟橋の埠頭で」見送ったのです。

 そして、Y君留学の年に生まれ、「もうじき小学校を卒業する」三男に焦点をあてます。「聞けばY君も小学校時代は問題児扱いで、いまで言う「いじめられっ子」だったらしく」としたうえで、その三男は「才能でY君にあやかれるくらいならいいのですが、うちの子は問題児というその点だけが同君に似ているようで」、「私も家内もずいぶん心を痛めたり頭を抱えていたりしました」とあります。

 そんな三男が、「この冬休みに、卒業記念の文集に入れる作文を書きました」とし、その作文から「自分たちが問題児を作っておいて、問題児なんて呼ぶのはおかしい」「問題児と問題児をつくる人の関係は、二学期になって自然に消えて行った。ちょっとさみしい二学期だった」などを引用します。それから、最後に次の文章によって、「ずいぶんと心を痛め」てきた親として深い安どの気持ちを確かめているのです。

 「 親馬鹿みたいなものですが、私は構わないどころか、実はちょっぴり嬉

  しかったのです。息子にしては上出来だと言ってやりたい気さえしたので

  す。こないだまで、なにをされても言われても、されるがまま言われるま

  まだった子供が、いつのまにか自分のことをこんなふうに書けるように

  なった。これなら、もう安心だ。自分で自分を問題児と称するくらいな

  ら、もう大丈夫だ、こう思ったのです。なぜって、それこそがユーモアと

  いうものでしょうから。」

   『単純な生活』p247

 阿部昭は親として懸命だったのだ、そんな方だったのだなあと、その点にまったく自信のないわが身をかえりみてしまいます。

 名前だけ知っていた安田謙一郎は、我が国を代表するチェリストで、今も現役で精力的に活動されている方のようです。彼のレコード・CDをもっていませんが、チェリストにとって極北であるバッハの「無伴奏チェロ組曲」を、2015年に40年ぶりにリリースしたとありました。

 『単純な生活』の別のところで、阿部はバッハにふれており、特に「四十四」では、ヨハン・セバスティアン・バッハの妻であるアンナ・マグダレーナ・バッハにフォーカスして、その出会いと結婚に至るエピソードをアンナ・マグダレーナの回想を用いて書いています。この項の最後の一文には「単純」という言葉を使っています。

 「 人間の生活はかつてはそのように清らかだったのだ。静かだったのだ。

  単純だったのだ。……」 

 残念ながら、安田のバッハを演奏したユーチューブが見つかりませんので、ここではバッハの無伴奏チェロ組曲についてインタビューで語っている安田自身の映像と、安田本人がブログで阿部にふれた記事をアップします。今も湘南に住む安田と阿部の関係が透けてみえます。

 加えて、私の最も好きなチェリストであるアンナー・ビルスマがバッハの第1番を演奏する短いユーチューブを貼り付けさせてもらいます。

 なお、別のインタビューで、安田は、バッハの同組曲を「僕はバッハの音楽を¨敬虔で日常的な祈り¨のように感じているので、時を経る中で少しはその理想に近づけていたらよいのですが」と語っていて、印象的でした。そして、インタビューで話す安田の年輪の刻まれた風貌をみていると、確かに「されど、時は過ぎゆく」と感じたのも事実です。

  ◉2015.1.29「クラシックニュース/

          バッハの無伴奏チェロ組曲の演奏に臨むにあたって

  ◉安田謙一郎ブログ 2018.12.14「鎌倉の海

 

  ◉アンナ―・ビルスマ「バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番(部分)

 

 もうひとつ付け加えておくとすれば、本稿で写真映像で示した『単純な生活』の表紙と内部の挿絵は多くの阿部作品の表紙となった大沢昌助画伯の手になるものです。こんな単純そうにみえる点や線だけで描かれた絵ともいえますが、この抽象画にある微妙な空間の配置は、どんな絵よりもある意味で日本的な美なのだと思っています。表紙カバーの絵は、この小説の通奏低音である鎌倉の海の波というイメージなのでしょうか。

 なお、当ブログにおいても、大沢昌助のことを書いたことがあります(2017.12.26「預けたままだった版画のことー「ギャラリー歩歩琳堂」ー」)。

 

 本稿で途中下車した『単純な生活』へ再乗車するにあたり、阿部の心の奥にある「単純な生活」のイメージの原型とでもいうものがあらわれた文章を紹介しておきたいと思います。

 「二十八」の最後のところで、フランス(阿部は思い立って一人でフランスの田舎町ツアーに参加しました)のルルドの街中で「フランシス・ジャムによく似た髭面の男を見かけた偶然に心を動かされた」ことから、「単純な生活」という言葉に突き当たる場面があります。

 「信仰なき私」が「中年に至ってカトリックに改宗した敬虔な詩人」であるフランシス・ジャムを云々するおかしいかもしれないがと断りつつ、次のとおり筆を進めます。

 「 ただ、私は「単純な生活」という言葉が、彼の口から八十年も前に発せ

  られ、紙の上に記されていたことに思い至ったのである。たしかに、

    おお 神さま どうか私が

    出来るだけ単純な生活(くらし)を続けるやうになさつて下さい。

   とジャムは書いてはいなかったろうか。   」

 そして、阿部は次の文章を続けています。

 「 神様なしで単純な生活があり得るかどうか、あるとすればそれはどうい

  う生活か、私にはわからない。しかし、私は私で、単純な生活を欲してい

  る。それが大それたことだというなら、せめても単純な生活を夢みてい

  る。」

 もはやこの阿部の文章に、私がさらに言葉を加えることは余計なことになります。それより、阿部と同じく「信仰なき」自分に対し、ここに「神なき者の祈り」に近い何かあるのではないかと問うてみようと思っています。

 

◈おわりにー「いま生きているということ」からー

 久しぶりに、ちょっとうなってしまうくらいの感銘を経験しました。前記した黒田三郎の詩から、その詩を歌う小室等につながり、その小室等が谷川俊太郎の「生きる」という詩を「いま生きているということ」というタイトルで歌唱するユーチューブに行き当たり、それを聞いて私は「感銘」などという大げさな言葉を使いたくなったのです。以前にも聞いたことがあったのですが、今のコロナ生活という時期だからなのか、当方の年齢ということもあるのか、今回は今までなく感じ入ったということです。

 ですから、この動画だけはアップしておきたいと思いました。元は1976年リリースのLP『いま生きているということ』が初出ですが、今回アップするュ―チューブは、ずっと後年の演奏ということになります。

  ◉小室等「いま生きているということ」(作詞:谷川俊太郎 作曲:小室等)

 

 これに関連して、谷川俊太郎がいわば原詩である「生きる」(1971年刊『うつむく青年』に所収、下記の写真は再刊(1989年刊)の同名詩集)について語っている記事を読みました(2018.9.21「インタビュー」㊟最後に「生きる」が引用されています)。

 谷川の膨大な詩の中で、半世紀以上にわたって広く愛されている詩の一つが「生きる」ですが、谷川本人は「よくできた詩とは思っていない」とし、「でも、きっちりと完成した詩よりも、どこかほころびがあるほうが、人は入っていけるんですよ」と語っています(㊟2013年に刊行された岩波文庫の自選詩集にも採用されていません)。

 この詩がポピュラーになった理由について、谷川は自分なりの分析だがとしつつ、加藤周一の「「いま・ここ」というのが日本人の感性の基本だ」との考え方から(加藤にとって必ずしも肯定的に評価していたわけではないが)、この詩では「「生きているということ」だけじゃなくて「いま」とついているところがミソなんじゃないかな」と発言しています。

 そして、インタビューアーの永江朗が分断と対立が激しくなっている時代にあって「「生きる」という詩によって人々がつながっていくのは感動的」と発言したことを受けて、谷川は次とおり答えています。

 「 それは言葉の力ですね。僕は作者の力だとあまり思わない。もちろん僕

  が書いたんだけど、自分の中から言葉が出てきたというよりも、過去の膨

  大な日本語の集積の中からこういう言葉を自分が選ぶことができた、とい

  う感触なんですよね。」

 

  谷川俊太郎『詩集 うつむく青年』  1989年10月刊/サンリオ

 今回、「生きる」と「いま生きるということ」の詞に少し違いがあることに気づきました。小室が加筆したのかどうか知りませんが、谷川と小室の関係ですから、いずれにしても相互了解のもとでのことでしょう。

 「生きる」の詩句でインパクトを受けたのは、2連目の「すべての美しいものに出会うということ/そして/かくされた悪を注意深くこばむこと」、そして最後の5連目の「人は愛するということ/あなたのいのちと手のぬくみ/いのちということ」です。いずれもその詩句の前に「生きているということ/いま生きているということ」からつなげると、その深度がまっすぐ伝わってきます。

 

 このような時期に、すなわち視界不良の非日常という大状況のなかで日常を手さぐりしているともいえそうな日々において、「いま生きているということ」の意味を問われているということもできます。そんな問い直しにとって、刺激や、きっかけを与えてくれるのではないでしょうか。そして、それぞれの「いま生きているということ」にまとわり絡みついた糸の塊りをほぐしほどくことが、今だからこそ可能なときかもしれません。

 実際はいろんな生きる現実が無数に存在しており、逆でしょうとの声が聞こえますが、私個人としては、そこから生じてくるものが「単純な生活」と呼べるものとありたいと思ったりします。

 いずれにしても、ぶあつい雲間に密かな光をさがして、かけがえのない毎日を意識して過ごしたいと願っています。

  雲間から光が差して(播磨灘)  [2020.4.27播磨町新島で撮影]

 

 

2020.04.30 Thursday

単純な生活ということーウイルスから行動変容とヴェネツィアなどー

 ああこれが「単純な生活」なのかと、ふと思ったりもしました。一、二行で今日は何をしたかが書けてしまう暮らしのことです。複雑なことなど、何も心当たりのない生活のことでしょうか。

 それこそ単純な私は、阿部昭の『単純な生活』(昭和57年2月刊/講談社)を引っ張り出し、また読み始めているのですが、まあ「単純」も悩ましいという話は、「行動変容」のこと、「ヴェネツィア」のことなどとあわせて、あとで報告することにします。

 

 ごく最近になって、クスノキの木の葉は、寿命が1年で春から初夏にかけて、短期間で入れ替わっていることを知りました。

 恥ずかしいことですが、クスノキが王様の大中遺跡公園で散歩やウォーキングと称して歩くようになってから数年、毎年、木の葉の色の変化を、まぶしい新緑を確かに眺めていたはずなのに、そんな毎年の木の葉の全入れ替えという可能性に思いが至りませんでした。「常緑高木」という分類は、ものみな変化、交代する生命の常識にとって例外であって、「落葉高木」のように1年サイクルではありえないと勝手に誤解していたのでしょう。

 先日、寺田池の堤防上を歩くと、「コロナの時期」として重苦しく記憶するであろう2020年にも、たしかに新緑の季節が始まっています。堰堤に立つクスノキは、すっかり薄緑の葉を全身にまとっていました。

 そんな寺田池周辺の保安林のかげで、鮮烈な黄色い五弁の花を、これまで名前だけ知っていたヤマブキが咲かせていました。家人とゆっくり散歩することが多くなった日々だからでしょうか、その存在に初めて気づくことができました。言われれば聞いたことがあると答える山吹色とはこんな色だったのか、年を重ねてきたのに、確かなことなど何もわかっていなかったのです。

 そんな寺田池の堰堤には、今も名前を知らないままのとんがり帽みたいな赤い花をのせた野草が大きな群落を作っています。きっと去年もこんな状態の時期があったはずなのに、見たといえる記憶がありません。忘れる忘れないというのではなく、気づく気づかないというレベルというべきでしょう。

 そして、ヤマブキと同じバラ科の八重桜が重たくて落下したいのをこらえるように、こんな4月下旬の時期まで咲き残っていることを、初めて気づいたように思ったりしました。

  クスノキの新緑(寺田池) [2020.4.25寺田池周辺で撮影/以下同じ]

  鮮烈な「山吹色」のヤマブキの花

  名前を知らないとんがリ帽状の赤い花をのせた野草の群落

  落下をたえている八重桜  [2020.4.26大中遺跡公園で撮影]

◈行動の変容ということー宮沢孝幸さんの新型コロナウイルス論ー

 今、あまり耳慣れない「行動変容」という言葉があふれています。

 そもそも人間の行動とは、外部環境条件で左右されていますし、個々人のレベルでは、その人の心身の条件で決まってくるというようなことは誰しも感じていることです。人の短い一生において、個々人自体の生存条件をはじめ外部や周辺の環境条件に大きな変化が起こったときには、何がしかの行動様式の変化、行動変容が生じることになります。このことは、天気予報による日々の服装変化から、もっと長期的な変化に至るまで、さらには個々人の性格という曖昧なものの変化まで、大変に内容的にも時間的にも幅広いものでしょう。そして、このことが一人一人の人間の条件としてある人の人生を形づくることになります。 

 従来の行動が変化するとき、自律的か他律的かという問題があります。たとえ外部条件の変化に応じた行動の変化であっても、自律的なものと受容できる変化の方が長続きすることは申すまでもありません。もちろん犯罪と刑罰のような特別な関係もありますし、事故・事件や災害に遭遇してしまったときの行動の変化という関係もありますが、総じて人間の自由という本質的なところに抵触してきますから、他律的よりは自律的な変化が好ましいといえます。

 こんな行動変容のことを言葉にしようとしたのは、もちろん新型コロナウイルス問題との関係ですが、大阪市が「十三市民病院」を新型コロナウイルスに感染した中等症の患者さんを専門的に受け入れる病院に指定したとの情報を知ったことも影響しています。

 というのは、十三市民病院のことを(現在の所在地とは違って淀川沿いにありました)、私にとって行動変容という概念と密接に結びつけられた存在として長く思い込んできたからです。当ブログで何度も書いてしまったとおり(2016.7.23「ホントウの誕生日」など)、大学4回生の卒業直前に診断された慢性肝炎で、就職の内定を取り消し、1973年5月から丸7ヵ月間の入院生活を、十三市民病院でおくったのです。それから10年余を経て再発状態となり、それから20年近くにわたり、そんな病名と付き合うことになりました。発症してから20数年間は直接的にウイルスを叩く治療薬がなく、ただ安静にしていることが唯一の対症療法でした。

 ですから、行動変容という言葉を聞いたとき、真っ先に浮かんだのは、このことでした。本当は、もっと深いところで私の行動を決定づけた、たとえば幼年期の外部環境や家族関係や心身状況はあったかもしれませんが、自意識にとりつかれていたのかもしれない青年期に診断を下された、ある意味でレッテルを貼られた病気、病名は(当時はまだC型肝炎ウイルスは発見されていませんでした)、その後の生きる姿勢と行動に大きく影響したことはまちがいありません。それがどのような行動変容を起こしてきたのか、当ブログにおいて露呈してしまっているということもできます。

 もちろんそんなレッテルから離脱した10数年前にも、具体の行動変化は起こったわけですが(飲酒や旅行の開始とか)、どうも基底の部分は変化したまま、いわば習い性となったように感じています(変化前と比べられなくなっているということもありますが)。

 

 さて、話が逸れてしまったみたいですが、今次の新型コロナウイルスという問題です。

 この地球規模の外部条件の変化に対峙している現在、私たちの行動は、どのように変容するでしょうか。私は、自分の行動の変化を「贅沢な自粛」と呼んでいますが、本来の意味で自粛することが制約なく可能という条件下にあるということです。前述の文脈でいえば、自律的な変化が可能な状況といえます。

 そんな私は、そうではない人びともたくさんいること、そんな自粛とだけいって済ましておれない条件下にある人びとの存在を意識しています。たとえば不要不急などではなく、社会的に必要な仕事に従事している人びと、そんな中には過重労働で現場崩壊という事態に苦しんでいる人びと、また、仕事の激減と喪失、雇い止め、解雇から倒産、事業の閉鎖などに直面している人びと、それが網の目のようにつながっていることから、いろんなケースが報告されています。こうした人びとは、予期していなかった負の打撃が生活を一変させ、自粛とは違う次元で根本的な行動の変容が迫られていることでしょう。

 なんたるパラドックス、軽々に行動の変容、外出自粛、ステイホーム、接触の8割削減という行動制限の強化だけを語っていてもいいのでしょうか。前稿で記したとおり、これだけ地球規模の協力関係が必要なときにもかかわらず、有事の国家的なエゴイズムの傾向が強まっているようにさえ感じられる現下の八方ふさがり的なパラドックスと、広い意味で同根だといえます。

 

 ここで紹介しておきたいのは、宮沢孝幸京大ウイルス・再生医科学研究所准教授が発信した提言です。3月28日から、あの「『うつさんこと』に意識を集中する」「危険なことわからんやつは、とっとと感染しちまえ」などの命令調で行動変容をツイッターで呼びかけて話題となったウイルス学者です。

 そして、4月23日には、新型コロナウイルス対策について、「ゼロリスク」ではなく「100分の1にリスクを減らす」ための具体的な処方箋を列記した一覧を作成し、提唱しています。下記の写真のとおり、日々ウイルスと実験で接している専門家として(実験で使うウイルスに感染していては仕事にならないので、防ぐ方法はわかっている)、私たちが行動パターンを変化させるポイントを列記しているものです。つまり私たち一人一人が自律的に選択できる行動様式の変化、行動変容が、感染拡大の防止につながる、合理的な行動をしようと呼びかけているわけです。その意味で実践性の高い内容です。

 この提言の実践力にフォーカスして紹介している記事が多いのですが、ここで注意しなければならないのは、宮沢准教授は、自粛推進派ではない(今の自粛を否定しているわけではないが、非合理な対応には限界がある、合理的な対応のコンセンサスを見出すべきとの認識なのです)と公言していることと、年単位で行動変容を続けていく必要があると考えているところです。

 このウイルスとの付き合いは長くなりそうだから、そして強い行動制限をいつまでも続けることができずに、短期の行動制限の強化と解除を繰り返すような事態にならないようにするためには、何よりも一人一人の行動パターンを変化させることが、そして、その状態を持続することが大切だというわけです。もとより現下のタイミングでは、行動制限が必要ですが、それだけでは上手くいかないとの認識に立っての提言なのです。

 この前提には、新型コロナウイルスの危険性についての評価がありそうですが(ウイルス学的には特別に恐れるようなウイルスではないというような(今は聞く耳をもたれていないようだけれど))、宮沢准教授は、今の高齢化社会にあっても、一人一人の行動変容があれば、年代に関係なく一律的に外出や接触を限りなく遮断するような行動制限をいたずらに強化することに合理性はないのではないかと主張されているものと、私は理解しました。

 まさしく「正しくおそれる」「正当にこわがる」ということです。そのうえで、自律的な行動変容を合理的に実行して、封鎖にまで行動制限をエスカレートしてしまって社会へのダメージを極大化することにならないようにしようというわけです。パニックにならないで一人一人が知識と胆力をもって行動変容を持続できれば「封鎖」など必要としないはずだということなのでしょう。

 私の理解は中途半端を免れませんが、宮沢さんと藤井聡京大教授(この方の意見に私はすべて同意するものではありませんが)との対談のユーチューブを参考にアップしておきます。ウイルスと長く付き合ってきた宮沢准教授、決してエキセントリックでなくバランスのとれた彼の説明と意見に耳を傾けていただければと思っています。

 ◉「コロナ対談:我々は新型コロナからは逃げられないから〜知識と胆力さ

   えあれば「封鎖」は必要なし〜」(第1部)//(第2部)

  宮沢孝幸京大准教授の感染防止注意事項 (2020.4.23配信)

  同上

 

◈人が消えて水の底が見えるようになってーヴェネツィアのTV放送からー

 NHKBS1で4月19日放送の「そして街から人が消えた〜封鎖都市・ベネチア〜」をみて、胸塞がる思いをもたれた方も多くあったのではないでしょうか。私もその一人です。

 昨年11月の高潮(最高187cmに達した)からの復活を宣言するカーニバルが2月8日に開幕しましたが(期間は18日間)、これをNHKのクルーが取材していたのです。ところが、元の企画は姿をかえて、新型コロナウイルスの感染拡大にのみ込まれて、観光客であふれていた街から人影が消えることになったヴェネツィアの今を伝えるドキュメンタリーになりました。

 

 当ブログをはじめるきっかけになったのが、2015年に常勤の仕事から離れた直後に訪れたヴェネツィアのことを書いておきたいということでした。2009年に実質初めての海外旅行で訪れて最も印象深かったヴェネツィアの街を再訪して、その魔力のようなものに魅せられたというわけです。

 ですから、当ブログのカテゴリーとしてわざわざ「ヴェネツィア」を設定して今に至っています。5回シリーズからなる旅行記は、旅の記録というにはゴツゴツしすぎのメモになっていますが、私にとっては愛着があるのです。

 二度目のヴェネツィアでは4泊しましたが、ヴァポレットに乗船して行ったり来たりしていただけでしたし、サンマルコ広場のような超観光地を避けてもいました。だから、5月のヴェネツィアの街は、大混雑の観光地としてではなく、水と建築物と船のおりなす光景として記憶されています。

 

 さて、このヴェネツィアの街を撮影したテレビ番組から、あっという間に忍び寄ってきた目に見えない新型コロナウイルスとの関係をメモしておきます(イタリア全土の[感染者//死亡者数]で表記しています)。

 2月8日、今年もカーニバルが開幕しました[ 3// 0]。これに関わるヴェネツィアの人たちの高揚感が伝わってきます。2月9日、手漕ぎボートの水上パレード、2月15日、マリア祭の開催[ 3// 0]。この1週間で感染者数に変化なし。2月21日、マスク姿の観光客の増加をカメラは捉えています[20// 1]。翌2月22日、カーニバルのハイライトである仮面舞踏会の開催[77// 2]。

 そして、翌2月23日、サンマルコ広場での仮面・仮装のコンテストの開催[146// 3]。その当日、突然、翌日からのカーニバルの中止が発表。残りの会期は2日でした。1979年に180年ぶりに復活してから、カーニバルの中止は初めてでした。2月24日、カーニバルの片付けが始まり、同時に街全体の消毒作業が行われました[229// 9]。

 それから2週間余をへた3月8日、イタリア北部の都市がロックダウン(封鎖)され、ヴェネツィアも対象とされたのです[7375//366]。そして、人影のなくなった、空っぽの街をとらえた映像とともに、カーニバルの主催者側の二人や、仮面職人の父娘へのインタビューで締めくくられました。

 あまりに唐突な終結に戸惑い、虚脱感のなかで、彼らは一様に、次のヴェネツィアをたぐり寄せていこうとしているようでした。そこには、ヴェネツィアは何度も悲劇を繰り返し(主にペストです)、それを乗り越えて、復活してきたこと、今回もそうなることへの願いと決意のメッセージが込められています。

 

 このテレビ・ドキュメンタリーのあと、ほぼ人影の消えたヴェネツィアの街は、住民も驚く変化があらわれたと報じられています。濁っていた運河が透き通り、水の底が見えるようになったのです。ヴェネツィアの運河の様子を、封鎖の前後に上空から撮影した衛星画像をアップしておきます(「CNN:宇宙から見たベネチア運河」)。

 イタリアでは、5月からの封鎖の段階的解除が議論されているようですが、どのように街が復活していくのかを、遠くから見守っていくしかありません。

 下記には、2015年にヴェネツィアで撮影した写真から、人の姿の見えるヴェネツィアの映像とともに、1576年にヴェネツィアの住人の四分の一がペストに奪われたことで建立されることなったレデントーレ教会をアップしています。

 須賀敦子さんは、このパッラーディオの設計したレデントーレ教会が、とりわけ広々したジュデッカ運河の対岸に、ほぼ正面から眺められる位置に立つ姿をことのほか好まれたようです。当ブログでも引用した文章を再掲しておきます(2016,2.25「水の上に人間がきずいた不思議ーヴェネツィア(3)ー」【補足:レデントーレ教会と須賀敦子さん】)。

 「 この教会が再度ヴェネツィアを襲ったペストの終焉を願って、《レデン

  トーレ=人類の罪をあがなうキリスト》に捧げられ、建立されたのは16世

  紀後半である。運河の正面を広場に見立て、静かに流れる水面をへだてて

  見るときだけ、この建築の真の量感がつたわるという非凡なアイディアを

  編み出したパッラーディオは、竣工後[㊟着工後のまちがいか?]わずか4年

  で、内陸都市ヴィチェンツァで生涯を終えている。」

  大運河と走り回るモーターボート [2015.5.17〜21、ヴェネツィアで撮影/以下同じ]

  ㊟写真画面上をクリックすると画像が拡大されます

  満員鈴なりのヴァポレットとゴンドラ(乗船中のヴァポレットから)  

  バールも満員

  アカデミア橋の上にも多くの観光客がいて

 対岸のサン・マルコ辺り(サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から)

  朝のレデントーレ教会(ジュデッカ運河を挟んでザッテレ河岸から)   

 

◈変化のない生活と単純な生活とー阿部昭の言葉からー

 本稿の冒頭で、「これが「単純な生活」なのかと、ふと思ったりした」と書きました。これは嘘ではありませんが、阿部昭の『単純な生活』を読み始めると、「単純な生活」も単純にいかないものだという感想しか出てきません。

 私が「単純な生活」だと思ったというのは、結局のところ、今の現況を変化のない生活、変化の少ない生活だと思って、それを「単純な生活」という言葉に置きかえただけのことでしょう。つまり今日一日の生活を「朝起きて、朝食をとって………」と書くとすると、毎日ほぼ同じ文章を繰りかえすことになるなあと、笑ってしまったのです。

 

 私の「単純な生活」状態は、今に始まったことではなく、「仕事」をしなくなってからの延長線上にあることであり、今回のコロナウイルスで「変わり映えのない暮らし」の度合いが少し深まったから、出てきた言葉だったのかもしれません。

 さらに、この世は仕事をしている人たちで回してもらっているとの感覚から抜けきれなくて、そこに参与していない自分に引け目とか負い目を感じたりしてきていて、今回のことでその思いが増幅したから、自分を揶揄する意味で「単純な生活」という言葉が思わずとび出したということも考えられます。

 

 阿部昭は、小説『単純な生活』の冒頭部分で、外へ出かける仕事ではなく作家という在宅の仕事であり、「一年のほとんどをこんな海辺の町に逼塞して、変化のない毎日を送っている私のような人間にしてからが、単純な生活からとっくに見はなされている」と、入り口のところで「単純な生活」の成立を否定してかかっています。ではどうして、小説のタイトルに「単純な生活」を選んだのかについて、次のとおり述べています。

 「 残念ながら、単純な生活などは、いまの私には夢でしかない。こんなふ

  うに生きられたらという願望でしかない。それにもかかわらず、私はこの

  題名を選んだ。いや、私が選んだというより、題名のほうが向こうから

  やって来て私をつかまえたのである。」

 そして、「われわれにはいつだってもっと単純に生きられたらという気持ちがあるのだということを思い出していただきたい」と読者に訴えて、いや言い訳してから、「単純な生活」を綴っていきます。

 小説にはめずらしい「あとがき」において、次の文章で「単純な生活」を小説として書く意味のようなものを記しています。

 「 私は自分の書くものも自然に任せたい。即ち、悠然と反復交代を繰返す

  昼と夜、春夏秋冬、山川草木、禽獣虫魚の営みを眺めながら、いわば模倣

  しながら人間の生活について書きたい。それは元来われわれの文学が最も

  よく知っている筆法の一つであり、私もここで私流にやってみたのであ

  る。」

 <自然の営みを模倣しながら人間の生活について書く>ということか、大変に魅力的ですが、その前段でこんな文章論めいたものをおいているのです。

 「 もっとも、朝起きてから夜寝るまでを書くといっても、文字通りその一

  部始終をそっくりそのまま書けるものではない。何をどう書くにせよ、そ

  もそも書くということがおよそ単純素朴な行為からは遠い。文章というも

  のは、沈黙も一つの表現たり得るこの人生において、にも拘らずあえて書

  かれるものではないか。」

 

 胸にドシンときます。こんな駄文を綴っていること、阿部の言う「にも拘らずあえて書かれる」のが文章だというのなら、とりあえず書いてみようと書いているだけの私自身のところに戻ってきて、胸にこたえます。

 このことは横においておくとし、「単純」という言葉の正体のようなものはとても「単純」とはいえませんが、その骨格を、複雑ではない、無駄の少ない、自然に逆らわない、だから自然の中の人間の本質に沿ったものと理解しておきたいと思います。でも、こうした意味で、夜中に起きたりしている私の反自然的な生活実態からすると、「単純な生活」ははるか遠くにあるといわなければならないのです。

 ホントウの「単純な生活」は、たんなる形態というより「足るを知る」というような心のあり方と関係していて、私にとって願いであり、憧れです。バカは死ななきゃ治らないと申し上げるしかありません。

 

 かつてよく読んでいた作家阿部昭(1934-89)の文章を、仕事から離れたら読み返したいと長く願ってきましたが、まだ果たせていません(2017.11.10「『思泳雑記』の二年、そして三年目へ)。昨夏は、阿部の子どもを核とする短編小説群を実際に読んでみて(そんなに時間はかかりません)、やはりすごいやと思って、ブログに書こうとして頓挫しました。

 凡人が文学に親しむためには、ブログに結びつけようなどと邪念をもっていては、本当に楽しむことができないと思い知ったのです。

 こんなときこそ、読み返したいものを手に取ることにしたいものです。

 

◈おわりにー「命」と「いのち」ー

 何を書きたかったのか、よくあるとおり見失いそうになりながらですが、本稿にピリオドを打つことにします。

 

 よくメディアにも登場する生物学者の福岡伸一さんが「ウイルスは撲滅できない」とのタイトルでウイルスの本質を書いた短文を紹介しておきます(2020.4.6付『朝日新聞』デジタル)。

 ウイルスは「自己複製しているだけの利己的な存在」ではなく、むしろ「利他的な存在」であり、その宿主の細胞内に感染する(入り込む)ときの挙動は「宿主側が極めて積極的にウイルスを招き入れているとさえいえる」ようにみえるのだといいます。それはどうしてなのか、福岡さんはウイルスの起源について思いをはせると「自ずと解けてくる」とし、次の文章で続けています。

 「 ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえ

  ば、そうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイ

  ルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとし

  て、つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、ま

  た、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。な

  ぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速して

  くれるからだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にしか伝わらない。し

  かしウイルスのような存在があれば、情報は水平方向に、場合によっては

  種を超えてさえ伝達できる。」

 ですから、ウイルスは、「ときに宿主に病気をもたらし、死をもたらす」こともあるが、「生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった」といい、最後に次の文章でタイトルの「ウイルスは撲滅できない」を説明しています。

 「 かくしてウイルスは私たちの生命の不可避的な一部であるがゆえに、そ

  れを根絶したり撲滅したりすることはできない。私たちはこれまでも、こ

  れからもウイルスを受け入れ、共に動的平衡を生きていくしかない。」

 私にとっては、目からうろこでした。特にウイルスは高等生物が登場したあと、はじめて登場したということ、もともと遺伝子の一部だったことなど、たんに不勉強だったことになりますが、とても腑に落ちた感じがしています。

 このタイミングで「ウイルスは撲滅できない」というタイトルはいささか刺激的ではありますが、具体の政策にとっても基礎の基礎となる認識だと直感しました。これから起きる諸過程を議論する際に不可避な認識であり、ある意味で、この一文を書いた福岡さんの姿勢を大切にしたいと思ったのです。

 

 最後に、「命」と「いのち」という、漢字の「命」とひらがなの「いのち」についての発言を紹介しておくことにします。

 メディアにも登場する中島岳志さんと若松英輔さん、そして世田谷区長の保坂展人さんの鼎談から、当該部分を抜き出してメモします(2020.4.7『論座』「緊急提言!「命」とともに「いのち」を守れ」)。

 中島さんは、次のとおり説明します。

 「 私は、漢字の「命」とひらがなの「いのち」とを、少し違う意味で使い

  分けています。つまり、漢字の「命」は、身体が生きているか死んでいる

  かという、生命そのものの問題。この「命」が非常に重要なものであるこ

  とはいうまでもありませんが、実はそれを超えたところにもう一つ「いの

  ち」というものがあるのではないか。それは身体の生死だけでなく、人間

  の自由や尊厳といったものも含み込んだ存在ではないかと考えているので

  す。」

 「 もちろん、この問題では命自体が大変な危機に置かれているわけですか

  ら、それを守ることは非常に重要つか最優先なのですが、それだけではい

  けない。同時に、命の延長線上にあるいのちを守るということが、特に行

  政の立場においては非常に重要だと思うのです。」

 こうした中島さんの発言を受けとめるように、若松さんは次のとおり発言します。

 「 私も、今回の新型コロナウイルスの問題においては、命だけでなく「い

  のち」のことを考えるのが非常に重要だと思っています。自分と自分の愛

  する人たち、そしてそこにつながる「すべてのいのち」をどう大事に守っ

  ていくか。そのことが今問われていると感じます。」

 そして、若松は、「命」は単独で存在するが、「いのち」はそうではないとし、次のように補足しています。

 「 いのちというのは、「つながる」ことを本性とするものだと思います。

  「つながる」力は、とても不思議です。自己と他者をつなぎながら、自己

  と他者をそれぞれかけがえのない存在と感じさせる。信頼、情愛、希望

  は、ここにしか生まれない。ここには真の自由も生まれるわけです。」

 こうした「命」と「いのち」に象徴的にあらわれる問題の存在に、今回の事態は気づかせてくれた、くれることになると、私は思っています。

 たとえば、少しかたいけれど、芸術文化という存在に関連して話題となったドイツのグリュッタース文化相の「アーティストは必要不可欠だけでなく、生命維持に必要なのだ。特に今は。」という発言とも共振しています。ここで邦訳されて使っている「生命維持」は、中島と若松なら、「いのちの維持」ということになるでしょう。

 こうした感覚を失わないことがパニックにならないことにつながり、長いマラソンで疲弊してしまわないビタミンにもなるものだと、私は考えています。

 

【追録】

 ヴェネツィアの写真を追録させてもらいます。

 前記した旅行記で(2016.2.13「水の上に人間がきずいた不思議ーヴェネツィア(2)ー」)、<ヴェネツィアの魔力>について書いています。ヴェネツィアの街という空間体験があまりにも特異であるからこそ、非現実と紙一重であり、本当に現実だったのかという感慨に囚われてしまうことがあるというのです。だから、それを確かめるために、もう一度訪れたくなるというのが、<ヴェネツィアの魔力>ではなかろうかと記しています。

  早朝の大運河(アカデミア橋の上から)

  朝のヴァポレットは空いていて

  大運河から立ち上がる建築物(乗船中のヴァポレットから)

  現代彫刻と大運河(ペギー・グッゲンハイム美術館のテラスから)

  街中にはりめぐらされた小運河

  ジュデッカ運河と大運河が合流して(サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼から)

  早朝のジュデッカ運河に陽がさして(ザッテレ河岸から)

 

2020.04.24 Friday

同じ時間を生きている私たち、そして人類ー藤原辰史「パンデミックを生きる指針」などを通して拾遺できた言葉からー(2・完)

 「 すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現し

  たいのだろうか。」

 「 コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だか

  ら僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりに

  なってほしくないのかを。」

 イタリアの作家パオロ・ジョルダーノが、2020年3月20日付でイタリアの地元紙(ミラノ)に「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」のタイトルで寄稿したエッセーから抜き書きしました。

 冒頭の問いは、私が言葉にしたくてできなかった問いだと思いました。このエッセーは、イタリアで3月下旬に緊急出版され、日本でも4月24日に刊行予定の『コロナの時代の僕ら』(早川書房)のあとがきとなるとのことです。

 本稿では、この問いを、この問題意識を見失わないようにしつつ書きすすめたいと思っています(このジョルダーノの文章については後でふれます)。

 

 前稿((1))では、京都大人文研の藤原辰史准教授の「パンデミックを生きる指針」を中心に紹介しました。

 4月10日付の京都新聞によると、4月2日に公開されたこのテキストは、1週間に30万件超のアクセスがあったそうです。この反響の大きさに、藤原さん本人は「過去の歴史の声に耳を澄ませて『いたこ』のように伝えただけなのに」とし、「何より強調したかったのは、甘い希望を抱いてはいけない、という暗いメッセージ」なのにと驚いているということです。そして、「危機の時代、それぞれが自分なりに腹をくくる必要がある。生き方を考えるきっかけにしてもらえたのでは」と話していると、記事にはありました(2020.4.10付『京都新聞』「「負の声」と憎悪をめぐって」)。

 今は先が見えないけれど、ジョルダーノの「すべてが終わった時」の人間、社会、国家、世界について、前稿で述べたとおり、藤原さんは厳しい見通しを、大きな疑問と強い懸念とともに提示しています。すなわち、パンデミック下での基本的人権の制約が、ドイツのメルケル首相の語るように例外的でありつづけるかどうかについて、ウイルスに怯えて「認識を大きく変え」た人間がそうはさせないのではないかと、大いに疑問であるとし、「個別生体管理型の権威主義国家や自国中心主義的なナルシズム国家」がモデルになるかもしれないというのです。そして、国際的な協力や連帯よりも、現在も数多い自国中心主義に溺れる国家がリードするかのように、「世界の秩序と民主主義国家は本格的な衰退」を見せていくかもしれないと、ダークな予想を書き付けていました。

 もとより藤原さんのテキストは、パンデミックのもとで生きる人間の基本姿勢(生きる指針)について力強いメッセージを発していて、不安の中にいる人びとに大いに読まれているのでしょう。一方で、こうした重苦しい見通しを率直に描いているのも事実です。

 こんな藤原さんの見方は、今の世界における政治指導者の言動をメディアを通してみていて、私も共有していますが、彼の「生きる指針」とはジョルダーノの「今から(㊟パンデミックの最中から)、よく考えておくべきなのだ」と共振しているといえます。パンデミックのさなかを私たちはどう生きるのか、パンデミックの終わった後に、私たちはどう生きたいのか、どうありたいのかについて、私も思いを共有しておきたいのです。

 その第一歩として、ポスト・新型コロナウイルスの人間と世界に関する識者たちの言説を通して、私が拾遺できた言葉を、本稿にノートしておくことにしたいと考えたわけです。

 

◈コロナ禍の前に人類は「運命共同体」ー大澤真幸の問いかけからー

 社会学者、大澤真幸さんへの短いインタビュー記事から紹介します(2020.4.8付『朝日新聞』)。タイトルの「苦境の今こそ、人類の好機、大澤真幸さんが見つめる岐路」はまちがいとは思いませんが、私たちはどうしても好機=チャンスを活かして何かを<実現する><実現できる>というニュアンスとして受けとめがちです。そんなに大澤さんは楽観的ではないと、まずは申し上げて、その「岐路」という内容をみていくことにしましょう。

 

 パンデミックを招いた原因を、大澤さんは次のとおり語っています。

 「 『人新世(じんしんせい)』という言葉がある。人類の活動が地球環境を

  変える時代が訪れた、という意味です。人類の力が自然に対して強すぎ

  ため、気候変動で大災害が頻発する。それにより私たちはかえって、自然

  への自分たちの無力を思い知らされる逆説が生じている。今回のパンデミ

  ックも、私たちが自然の隅々まで開発の手を広げたことで、未知の病原体

  という『自然』から手ひどい逆襲を受けている。両者は同種の問題で

  す。」

 この見方を否定する政治指導者もいるわけですが、大澤さんは、こうした世界にあって現在の「多層的な封じ込め」というウイルス対策では限界があり、医療、経済、人々のメンタル面で崩壊が進みつつあると警告します。そして、『〇〇ファースト』はウイルスの脅威に通用しないのであり、「感染症に限らず、気候変動など、人類の持続可能性を左右する現代の大問題は『国民国家のレベルでは解決でぎず、国家のエゴイズムが問題を深刻化させる』という共通点がある」とし、だから人類の持続可能な生存には「国家を超える連帯」という道以外にないと結論づけています。

 すなわち解決には「地球レベルでの連帯が必要なのに、政策の決定権は相変わらず国民国家が握っている」という非対称性が、私たち、人類の前に立ちはだかっているというわけです。

 

 現状を見たら、「国家を超える連帯」といっても「絵に描いた餅」ではないかという問いかけに、大澤さんは、次の三点を指摘しています。

 第一は、気候変動と違ってウイルスによる感染はあっという間に広がりパンデミックとなったのであり、現在の「国際的な連帯」をめぐる「膠着状態を変える可能性がある」ことです。第二は、多くの著名人や政治家も感染するなど、「民主的で平等な危機」という一面があり、「その分、思い切った対策が進む可能性がある」ことです。そして、第三は、今回のパンデミックで、新たな未知の感染症のリスクを、つまり『人類レベルの危機』のリスクが日常と隣り合わせであることを「私たちは知ってしまった」ことで、「私たち自身の政治的選択や行動に大きな影響を与えるかもしれない」ことです。

 大澤さんは、現下のパンデミックでの環境条件を提起しており、現時点では、世界は「連帯」よりも「分断」に向かっているようにもみえるし、「危機的な状況ではかえって各国の利己的な動きが強まりかねない」ことに同意しつつも、次のメッセージを発しています。

 「 ポジティブな道とネガティブな道、どちらに進むかという岐路に私たち

  は立っています。

   (中略)

   人間は『まだなんとかなる』と思っているうちは、従来の行動パターン

  を破れない。破局へのリアリティーが高まり、絶望的と思える時にこそ、

  思い切ったことができる。この苦境を好機に変えなくては、と強く思いま

  す。」

 この「強く思う」とは大澤さんの、さらにいえば私たちの願望、期待といえますが、その拠り所をめぐってのメッセージだと、私は理解しています。

 

 以上の大澤さんの見方を、希望的な観測に過ぎないと断じてしまうこともできますが、ここからパンデミックとその後の世界を視野に入れて、二つのキーワードを抽出しておくことにしたいのです。

 「岐路」と「国を超えた連帯」です。現時点では、何も決まっていない、これからの私たちの人類の選択だという前提での「岐路」であり、そして同じ前提のもとで、現在の主潮流である自国中心主義を超えた「国を超えた連帯」の可能性ということです。

 このことを意識しながら、引き続いて識者たちの言葉に耳を傾けていくことにします。

 

◈選択を迫られているーEテレ『緊急対談 パンデミックが変える世界』からー

 去る4月11日にNHKEテレで『緊急対談 パンデミックが変える世界ー海外の知性が語る展望』が放送されました。道傳愛子キャスターが、経済学者・思想家のジャック・アタリ(4.1収録)、政治学者のイアン・ブレマー(4.2)そして歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ(4.7)の三人にそれぞれインタービューして番組としています。意図があるのでしょうが、番組では、ブレマー、ハラリ、アタリの順に編集されていました。

 番組のHPによると、「都市の封鎖や大量死が連日報じられている今、人類は大きなチャレンジを突きつけられている。世界はどう変わるか。人類は今後どこへ向かうのか」、世界のオピニオンリーダーたちに「徹底的に尋ねていく緊急特番」とあります。 

 なお、以下において番組の中で彼らの発した言葉としてメモするものは、私が画像から聞き取ったもので、ちょっと正確性に問題があるかもしれないことをお断りしておきます。

 

 この1時間番組の最後に、道傳キャスターは次のとおり締めのナレーションしています。

  私たちが同じ時間を生きていることを、これほど実感したインタビュー

  はありませんでした。

   通底していたのは、今人類の未来を左右する重要な選択を迫られている

  という確信です。

   パンデミックに立ち向かうことは、あるべき未来を私たち自身がたぐり

  寄せることなのです。

 この番組を総括する言葉、たとえば「私たちが同じ時間を生きていること」を実感するとは、「私たち」という言葉が「人類」に飛躍直結するというパンデミックの時期を生きる特質を示しており、ですから本稿のタイトルにも使っているというわけです。また、「人類の未来を左右する重要な選択を迫られている」というのは、前記した大澤さんの語る「岐路」に相当するものですし、全体として大澤さんのインタビュー記事と問題意識をほぼ共有していると申し上げても間違いないことでしょう。

 

 ここでは、三人のうち、慎重な言葉づかいではありますが「重要な選択を迫られている」ことを、明快に提示したハラリの発言を中心に紹介することにします。

 と、その前に、ブレマーとアタリの発言の概略をみておきましょう。

 まず、イアン・ブレマーですが、今次のパンデミックは指導者なき世界で最初に経験する困難であり、先進国は対応できたとしても、発展途上国が大変に厳しいことになると警鐘を鳴らしていました。

 そして、最後のところで、次の興味深く、かつおそろしくなるような発言をしていました。

 「 しかし(㊟2000.9.11テロ時とはちがって)、今日、人びとはアパートの

  中に安全を求めているのです。人間性が奪われています。

   人間は社会的動物です。つながりが必要です。スクリーン上の仮想現実

  では、不可能です。

   宇宙ステーションで1年間過ごした宇宙飛行士の精神的ダメージはひど

  いものであったことを覚えています。

   それと同じことが今起ころうとしており、個人レベルで対処していかな

  くてはならないのです。」

 こんな趣旨だと思いますが、社会的動物たる人間が、社会的距離をとった暮らしを長く続けることの、限界なり、非人間性というものを指摘しているということなのでしょう。

 

 2009年の著書でパンデミックの脅威を予言していたと紹介されたジャック・アタリは、最悪のシナリオとして、2008年をはるかにしのぐ経済的危機、失業、インフレ、ポピュリストによる政府の誕生、そんな暗黒の時代の到来とともに、連帯のルールが破られる危険性が極めて高いことを指摘しています。

 しかし、パンデミックという困難を前にして、私たちはもっとバランスのよい連帯を必要としているのだとし、今はそのためのチャンスに変えるべきだというのが、アタリの基本姿勢です。

 このために「利他主義」への転換を広く呼びかけていることを問われたアタリは、次のように説明するのです。

 「 「他者のために生きる」という人間の本質に立ちかえなければならな

  い。

   協力は競争よりも価値があり、人類は一つであると理解すべきである。

   利他主義という現実への転換こそが人類のサバイバルを先導する。」

 こうして「無私の聖人」と呼ばれることもあるらしいアタリのポジティブな楽観主義はどこからくるのかと尋ねられたアタリ本人は、「ポジティズムはオプティシズム(楽観主義)とは異なる」と否定したうえで、「いえいえ利他主義は合理的な利己主義」であり、「利他的であることが自己利益につながる」のだと説明します。

 パンデミックを望んでいるわけではないが、パンデミックになってしまった現在、前述のとおり、これをチャンスとして生かすしかないとし、長期的には<命の産業><ポジティブ経済>のように「経済を新しい方向に設定しなおす」必要があると述べていました。

 最後に、アタリは次のような趣旨の発言をしています。

 「 人類は未来について考える力がとても乏しく、また忘れっぽくもありま

  すし、元に戻ってもしまいます。人類が今そのような弱さを持たないよう

  願っています。私たち全員が、次の世代の利益を大切にする方向に向かう

  必要があります。それがカギです。」

 

 今回のインタビューを通して、アタリは人類をして「利他主義」の方向へ向かわせるダイナモを、起動させる力を、パンデミックという事態にみているのではないかといえます。ですから、アタリの「利他主義」は、このような危機の時代に直面した人類が、そこからの脱出をめざし、「合理的な利己主義」として採用すべき普遍的な哲学として呼びかけているのではないかと、私は感じました。

 こうしたアタリの発言は、あまりにも楽天的だとする批判もありますが、前述した大澤さん、そして次に記述するハラリとそう遠くないところにいます。三人とも今回のパンデミックはいずれ乗り越えられるであろうが、大澤さんの「岐路」と「好機」、そしてハラリの「分かれ道」と「重要な選択」とも通底しているわけで、世界は危険性に満ち、その行方は今から予定調和的に約束されたものではないと評価している点において、重なり合っていることを指摘しておきたいと思います。

 

 さて、三人目、1976年生まれのユヴァル・ノア・ハラリです。このイスラエルの歴史学者は、過去の歴史も踏まえながら、今回のパンデミックに対する大きな見取り図を整理して提示しようとしていました。ここには明快な処方箋が示されているわけではなく、今後の議論を進めていくうえで基盤となる素材を提供しているのではないかと、私は感じました。このテレビ番組だけでなく、朝日新聞デジタルに掲載された「コロナ危機、ハラリ氏の視座「敵は心の中の悪魔」」というインタビュー記事(2020.4.15付)も参照しながら紹介してみることにします。

 ハラリは、今や世界はウイルスの脅威に対し、医療だけでなく政治においても重大局面を迎えている「分かれ道」だとし、最大の敵はウイルスでなく、人間の心の中にある「悪魔」であり、これを防ぐことができれば、危機は乗り越えられるという基本のメッセージを発信しています。一方で、ハラリにとって自らの価値に沿う方向、つまり「民主主義の機能発揮と国際協調の進展」へ至る道は平たんではなく大変に険しく危ういとのメッセージを同時に出しているのです。

 

 番組インタビューの冒頭で、まさに「分かれ道にさしかかっている」という状況について、ハラリは次の言葉を与えていました。

 「 パンデミックは民主主義にとって挑戦であり、重要な選択が迫られてい

  る。

   こうした危機の時期にあって、歴史の変化が加速化する時代に突入しよ

  うとしている。

   次の2、3ヵ月の間に私たちは世界を根底から変える壮大な社会的、政治

  的な実験を行うことになる。」

 では、何が政治にとって重大な局面なのかについて、ハラリは新聞インタビューで三点の選択肢をあげて説明しています。一つは、国際的な連帯で危機を乗り切るのか、国家的な孤立主義の道を選ぶのかということです。二つは、すべての権力を独裁者か新たな独裁者に預けてしまうか、他方で民主的な制度を維持し、権力に対するチェック&バランスを重視する道を選ぶかです。そして、三つは、経済についての政治判断であり、大企業を救済するのか、小さなレストランや理髪店を助けるのかという選択肢もあるとします。

 こうした三つの例を見ても、すべてにおいて決まった答えはなく、政治に選択が委ねられるのであり、このことを、ハラリは「政治の重大局面」だといいたいのでしょう。そして、現時点では、中国を視野に入れてのことか、「独裁と民主主義が生む結果に明白な差はない」ようであるが、「長い目で見ると民主主義の方が危機にうまく対応できる」と述べているのです。冷静な言葉使いを保ちながらも、独裁制(いわゆる現下の権威主義政治も含まれるのでしょうが)の一方向性よりも、民主政の双方向性が、結局危機対応においても優位であると、説明を加えています。

 そして、「国境封鎖とグローバル化は矛盾しない」としたうえで、国際的な協調、協力、連帯関係が構築されることを、最重要と位置づけて強く提言しています。「人類はもはや米国に頼ることはできない」のですから、パンデミックという世界が同時に共通するリスクに立たされている中で「異なる国々の集合的なリーダーシップ」が必要だと訴えています。先進国が持ちこたえたとしても、発展途上国の一部の破綻は世界同時の不安定化に直結している状況のもとで、「国を超えた連帯」の不可避性を説いているのです。

 

 このように「危機の中で、社会は速いスピードで変わる可能性がある」とするハラリは、今、世界でどんな変化が起きているかについて、「よい兆候」と「悪い変化」について言葉にしています。新聞インタビューの記事の方から引用しておきます。

 「 よい兆候は、世界中の人びとが専門家の声に耳を傾け始めていることで

  す。科学者たちをエリートだと非難してきたポピュリスト政治家たちも科

  学的な指導に従いつつあります。危機が去っても、その重要性を記憶する

  ことが大切です。気候変動問題でも、専門家の声を聞くようになってほし

  いと思います。」

 「 悪い変化も起きます。我々にとって最大の敵はウイルスではない。敵は

  心の中にある悪魔です。憎しみ、強欲さ、無知。この悪魔に心を乗っ取ら

  れると、人々は互いに憎み合い、感染をめぐって外国人や少数者を非難し

  始める。これを機にかねもうけを狙うビジネスがはびこり、無知によって

  ばかげた陰謀論を信じるようになる。これらが最大の危険です。」

 そして、次のとおり続けています。

 「 我々はそれを防ぐことができます。この危機のさなか、憎しみより連帯

  を示すのです。強欲に金もうけをするのではなく、寛大に人を助ける。陰

  謀論を信じ込むのではなく、科学や責任あるメディアへの信頼を高める。

  それが実現できれば、危機を乗り越えられるだけでなく、その後の世界を

  よりよいものにすることができるでしょう。我々はいま、その分岐点の手

  前に立っているのです。」

 テレビインタビューにおいても、ハラリは、最後の部分は同趣旨の発言、パンデミックで多くの人間が亡くなるけれど、私たち人類が重要な選択を誤ることがなければ、「私たち人類はウイルスだけでなく、自分たちの内側に潜む悪魔を打ち破ったのだ。後になって考えれば、人類にとって悪くない時期であったとなることだろう」との趣旨の発言をしていました。

 

 屋上屋ですが、もう少し補足します。2020年3月15日刊「TIME」誌に寄稿した「人類はコロナウイルスといかに闘うべきかー今こそグローバルな信頼と団結を」において、ハラリは冒頭で「感染症の大流行への本当の対抗手段は、分離ではなく協力なのだ」としたうえで、最後の文章を次のとおり結びます。

 「 今回の危機の現段階では、決定的な戦いは人類そのものの中で起こる。

  もしこの感染症の大流行が人間の間の不和と不信を募らせるなら、それは

  このウイルスにとって最大の勝利となるだろう。人間どうしが争えば、ウ

  イルスは倍増する。対照的に、もしこの大流行からより緊密な国際協力が

  生じれば、それは新型コロナウイルスに対する勝利だけでなく、将来現れ

  るあらゆる病原体に対しての勝利ともなることだろう。」

 この結論的な文章に先だち、昨今の「アメリカは利害関係しか念頭にないことを全世界に明確に示し」たこともあって、今や「外国人嫌悪と孤立主義と不信が、ほとんどの国際システムの特徴」となっていることを指摘しています。しかし、「信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、この種の大流行にくり返し見舞われる可能性が高い」としたうえで、「あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい」と、ストレートな物言いで、「緊密な国際協力」の重要性を訴えています。

 

 以上、当方の読みのレベルが低いからなのか、ハラリの論考も図式的な整理だけなのか、不十分な紹介になったと残念に思っていたら、もう一つの別の文章に出会いました。イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙に2020年3月20日付で寄稿した「新型コロナウイルス後の世界ーこの嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる」との長大なタイトルをもつテキストです。このタイトルがすべてを語っている文章を読んで、今人類に迫られている重要な選択の中身が、もう少しだけ分かったような気になりました。

 人類は今、グローバルな危機に直面しており、「今後数週間に人々や政府が下す決定は、今後何年にもわたって世の中が進む方向を定めるだろう」、「医療制度だけでなく、経済や政治や文化の行方をも決めることになる」という文章から始まります。それは、「今後、多くの短期的な緊急措置が生活の一部となる」、「一時的措置は非常事態の後まで続くという悪しき傾向がある」からであり、だからこそ、「自らの行動の長期的な結果も考慮に入れるべきだ」とし、「嵐が過ぎた後にどのような世界に暮らすかについても、自問する必要がある」と述べています。

 そして、「この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている」と、ハラリは次の2つを明記しています。

 「 第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、という

  もの。

   第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな

  団結か、というものだ。

 前述した新聞インタビューで、ハラリは三点の選択肢を説明していますが、上記の「第2の選択」はその1点目と同趣旨であり、他方「第1の選択」の方は、その2点目に相当するものの、新しいテクノロジーを活用した「監視」の問題に着目した具体的な内容となっています。

 「第1の選択」の方は、どのレベルで読み取れたのか自信がありませんが、報じられている中国の監視社会を、さらに進めたような新しいテクノロジーを活用する「一般大衆監視ツール」を採用をめぐる選択のことです。ハラリは、「プライバシーか健康か」という選択の設定は誤りであり(「健康」となってしまう)、両方を享受できる仕組みもあるとし、最近の韓国や台湾やシンガポールでの成果の存在を注意喚起しています。つまり、「自発的に情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ」というのです。そして、次の基本方向を言葉にしています。

 「 新しいテクノロジーも絶対に活用すべきだが、それは国民の権利を拡大

  するテクノロジーでなくてはならない。私は自分の体温と血圧をモニタリ

  ングすることには大賛成だとはいえ、そのデータは全能の政府を生み出す

  ために使われることがあってはならない。むしろ、そのデータのおかげで

  私は、より適切な情報に基づいた個人的選択をしたり、政府に責任をもっ

  て決定を下させるようにしたりできてしかるべきなのだ。」

 かくして、「新型コロナウイルスの大流行は公民権の一大試金石なのだ」として、正しい選択の重要性を訴えているのです。付言すれば、誤った選択は、藤原さんがテキストで今後の国家モデルになるかもしれないと明記していた「個別生体管理型の権威国家」に直結していくことになります。

 一方の「第2の選択」は前記の紹介とほぼ一致していますので、最後の文章のみを引用しておきます。

 「 人類は選択を迫られている。私たちは不和の道を進むのか、それとも、

  グローバルな団結の道を選ぶのか?もし不和を選んだら、今回の危機が長

  引くばかりでなく、将来おそらく、さらに深刻な大惨事を繰り返し招くこ

  とになるだろう。逆に、もしグローバルな団結を選べば、それは新型コロ

  ナウイルスに対する勝利だけでなく、21世紀に人類を襲いかねない、未

  のあらゆる感染症流行や危機に対する勝利にもなることだろう。

 もとより、「第1の選択」と「第2の選択」は深く関係しあっていることは申し上げるまでもないことです。同時によき方向を選択できないと、とりわけ「第1の選択」を誤ることとなった場合は、成り立たない関係にあるのです。

 かくして、行きつ戻りつの紹介となってしまったハラリの言説ですが、本稿の冒頭で引用したジョルダーノの「僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」「いったい何に元どおりになってほしくないのか」という問いと、私からするととても若い次世代の担い手二人が深いところで共振しているかのように感じています。

 

 本稿では、前稿の藤原辰史「パンデミックを生きる指針」も視野に入れながら、大澤真幸、アタリ、ハラリと、彼らの言葉を拾遺してきました。私の粗雑な頭では、どうもいずれも大変に近い位置と視角から、この危機の時代とその後の世界を読み解こうしていていると感じました。確かに藤原さんは、後者の三人と違って、もっと日常レベルに降りてこの時代への立ち向かい方を論じている点に、実践性というべきか、そこに特質がありますが、大澤、アタリ、ハラリはおそろしく近似した、共通した基盤に立った発言だと理解しました。

 このあたりのことは後述に回すとして、続いて、イタリア人作家パオロ・ジョルダーノのエッセイを紹介することにします。

 

◈今感じていることを忘れないーイタリア人作家ジョルダーノの言葉からー

 ここでは、冒頭に記した3月20日付で地元紙に掲載されたという「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」とのタイトルのエッセーを、4月13日付『毎日新聞』夕刊で藤原章生記者による「いま考えることを忘れまい」という記事も参照しながら、簡単に紹介しておくことにします。

 数年という長い時間をかけて一つの小説を発表するタイプの作家だというジョルダーノが、パンデミックのさなかに緊急出版した理由を、新聞記事は、本人の言葉として、次のとおり伝えています。

 「 感染が広がり混乱した人々を鎮めたかったのが一つ。もう一つは、疫病

  と地球環境の関係など、僕が考えたことを多くの人に伝え、今後も議論を

  続けてほしいと思ったからです。」

 だから、「いまは科学的実証を待つよりも、自宅でこもる中でわいてきた「直感」をさらすことが大事だと思ったようだ」とあります。

 

 では、エッセーの方です。

 2月から3月にかけての30日間、「まさかの事態」が繰り返えされてきたとし、さらに「まさかの事態」は長く居座るつもりでいるはずだと、次の思いにかられていることを記しています。

 「 僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミック

  が僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上

  がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなるだろ

  う。もしも今すぐそれを記憶にとどめぬ限りは。」

 普段であれば、「あまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために」書くのだとし、冒頭の引用「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」と続きます。だから、「僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく」とします。

 そして、「僕は忘れたくない。」から始まる短文を10段落並べています。トップの「僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。……」から始まり、展開していきますが、ここでは最後の三つ、8、9、10段落を引用します。

 「 僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事

  実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、

  僕らの軽率な消費行動にこそあることを。」

 「 僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的

  に準備不足で、科学に疎かったことを。」

 「 僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的

  でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もな

  かったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すら

  ろくに励ませなかったことを。」

 新聞記事では、8番目の環境破壊の問題が、このあとがきとなるエッセーではなく、本編からの引用によって、ウイルスを巣から引っ張り出したのは「僕たち」であり、「全人類」であり、その原因は「温暖化による気候変動だ」とのジョルダーノの自説が展開されていることを紹介しています。

 

 この短いエッセーは、このあと、現在、敷かれている制限措置の見通しにふれ、「もっとも可能性の高いシナリオは、条件付きの日常と警戒が交互する日々だ」としつつ、「そんな暮らしもやがて終わりを迎え」、「そして、復興が始まるだろう」と続きます。

 そして、支配階級は、肩をたたき合って、お互いを褒め讃える一方で、「僕らはきっとぼんやりしてしまって」、忘却が始まるにちがいないとします。だからこうするだと、次の言葉を続けます。

 「 もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考

  えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のため

  に、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道

  的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済シス

  テムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変え

  るべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらな

  い。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そう

  した物事はひとつとして実現できない。

 念を押すような言葉で、エッセーを締めくくっています。

 「 家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を

  助けよう。死者を悼み、弔おう。でも、今のうちから、あとのことを想像

  しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないため

  に。

 ジョルダーノのメッセージは、あとを追うように緊急事態宣言下にあって先の見通しが難しい日々をおくる私たちの胸に迫ってきます。誰に頼まれもしないのに、こんな愚ともつかない作業が日々の中心になってしまっている私には、なんだか励ましをもらっている錯覚さえしてしまいます。

 前記したハラリがフィナンシャルタイムズ紙に寄稿した「この嵐はやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる」は、ハラリの言説を長々と紹介してきたこともあって、ジョルダーノの静かだが決然と発する声に、地中海の東方からハラリが鋭く応答したもののように感じられてならなかったのです。

 

◈おわりに

 最近、見たり読んだりしたものの中から、「現下のパンデミックとパンデミック後の世界」への認識と見通し(立ち向かい方とその行方)について、識者たちの言説から私が拾遺できた言葉を紹介しました。

 何かまとめのような感想をと思うのですが、整理がつきません。ここに登場してもらった藤原、大澤、アタリ、ハラリ、そしてジョルダーノを含め、共通していることは、今回のパンデミックという事態が短時間に地球規模の、つまり「人類」の危機となっているという実感の迫真性です。したがって、彼らがその地点から思考していることは、「彼ら」はもとより、「私」「私たち」という層にとどまることを困難にし、「私たち人類」「人類」が主語となって発語することとつながっています。別に「私」「私たち」を喪失しているのではなく、「私」が感じる、考えることが、「世界」や「人類」に違和感もなく関係してくるような感覚なのです。

 私が、彼らの言説を選択したということは、藤原さんが言う「いたこ」のような言葉を私が欲していたことになります。ここで取り上げたのは、私を刺激し、私にうなづかせるものを有する言説だということになりますから、私がスクリーニングしたものであり、だから、驚くほど近似した、共通する基盤を持った「言葉」として受けとめたことは当たり前だということになるのかもしれません。

 

 ここで具体的な言葉として繰りかえしませんが、識者たちの言葉から、パンデミック前の世界の現実というもの、そこに生じたパンデミックが発する世界への深い衝撃、その立ち向かい方の困難性と危険性、そこから露呈してくる重要な課題のよき選択への模索、そのために必要な世界と人類のある種の跳躍への期待、というものを、私は少しは聞き取ることができたと思っています。

 そして、読みにくいであろう当ブログを読んでくださった方々も、多くの言葉が共振して重なり合っていることを感じていただけたのではないかと願っています。

 

 本文でも繰り返したように、世界と人類の、そして私たちのあるべき方向、さらに、そのためのよき選択の方向は共有できたとしても、現時点で、よき方向に向かうことは何の保証もないし、むしろ逆方向の危険に満ちていると申し上げなければならないと、藤原辰史さんと同じように、私は考えています。危機を好機とする、ピンチをチャンスにする、こんな言葉を発することは容易ですが、識者たちの言葉においても、私を十分に説得させる言葉があったわけではないことを確認しておきます。

 そんな奇跡のような処方箋が容易に転がっているなら、誰も考えることなどしないでしょう。問題は、私にもどってきます。ジョルダーノの「まずは進んでみなければ、そうした物事はひとつとして実現しない」という言葉が、出発点であり、真理というべきでしょう。くどいですが、緊急特番のナレーションのラスト「パンデミックに立ち向かうことは、あるべき未来を私たち自身がたぐり寄せることなのです」と、心にとどめておくことにします。

 このようなことを思いながら(2020.4.24朝)、二回にわたる「同じ時間を生きている、そして人類」を終えることにします。

                        【終:(1)へ/(2・完)】

 

プロフィール
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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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