2020.10.18 Sunday

こんなに縁遠く生きてきたけれどー映画『男と女 』53年の魔力ー

 70歳という坂をこえると、50年前、半世紀前という記憶が当たり前のことになってきます。たとえば、1970年の大阪万国博という歴史的事象に自分はどう関わったかと記憶をたどると、自分ことだけでなく(私は会場へ足を運ばなかったのですが)、自分の近くにいた人々や場所やモノたちもいっしょに、よみがえってきます。

 昨年の高校3年生時のクラス会でも同じことですが(2019.11.12「くるりと周回してー『思泳雑記』ー」)、かといって、50年、半世紀という時間が実感できているのかと自問すると、はなはだ怪しいといわなければなりません。1枚の白い紙きれがあるとして、よみがえった記憶は昨日のことのようにその紙の真ん中あたりに見えたりもしますが、それ以外は白紙のまま硬く沈黙したままです。そして、「50年」という言葉を意識することで、時の経過という物理的時間を否定できずに、50年も経ったのかと、いささか呆然となります。

 教育的効果か何かわからないけれど、「50年」=相当に長期間という物差しのようなものをもっていて(人生の時間との関係もあるのでしょう)、それが作用しているだけのように思います。本当のところ、「実感」というあまり合理性の乏しい感覚からすると、「50年」というものを「30年」や「20年」と比較して長短を区分できる何かがあるわけではないようです。

 「50年」という時間の経過を、どちらかといえば、近しい他者の姿かたちや言葉に発見して、その反射として、我が身の変化(老い)を意識しているのが、今の、それこそ実感ということになるでしょうか。では、50年、半世紀以上も前の記憶で繰り返し登場してくる記憶とはどのようなものか、その強さの根っ子には何があるのか、今の自分に問うてみたら、どのように答えることができるでしょう。

 

◈記憶の映像と映像の記憶ー二本の『男と女』の半世紀ー
 前段の意味不明な文章を書こうとしたのは、先日、神戸湊川のパルシネマで、邦題で書くと、『男と女』(以下《男と女》と表記)と『男と女 人生最良の日々』(以下《最良の日々》と表記)の二本立てをみることができたからです。

 前者は1966年、後者は2019年に制作されているのです。53年後の《最良の日々》は、《男と女》と同じ、監督のクロード・ルルーシュ、音楽のフランシス・レイはもとより、主演のアヌーク・エーメ(アンヌ役)とジャン=ルイ・トランティニャン(ジャン=ルイ役)、そして、前者でそれぞれの幼い娘と息子であった二人も同じ役柄(二人とも俳優になっているのです)を演じています。

 53年という時を隔てた映画を同じスタッフと俳優で撮影するという企てが成り立つとはなんてすごいことでしょう。《最良の日々》のジャン=ルイは今は施設に入り徐々に過去の記憶を失い始めている状態だけれど、長年探し求めてきたアンヌの記憶は残っているという設定でした。こんな父の姿を心配した息子が、アンヌの居場所を突きとめ、父に会ってほしいと頼むところから、物語が始まるというか、再び始まる映画なのです。

 二つの映画を続けてみて、前段のような文章を書きました。それにしても、私の記憶には、こんな物語とシンクロするようなものは何もなく、ああ、こんなに縁遠く生きてきてしまったものだという感慨がまず胸を突きました。

 映画館の私の周囲には、私以上に年を重ねた方々も多く見受けられましたが、気のせいか、あちらこちらで深いため息がもれていたように感じたりもしたのです。

 

 次々に映画館が廃業していた1966年、田舎の高校生で映画と関係なく生きていた私は、今回、初めて《男と女》をみることになりました。この映画の記憶は、映画そのものというより、「♪ ダバ ダバ ダバ ダバ ♪」というスキャットを今も口ずさめるフランシス・レイの音楽の方でした。当時、それだけこの映画は話題となり、憧れもあって大人気を博していたということなのでしょう。

 《男と女》、そして《最良の日々》と二本続けてみたということを抜きに印象を語ることは難しいのですが、《男と女》は古びることなく、というよりみずみずしいといいたくなる映画でした。ジャン=ルイがレーシングドライバーでル・マンとかモンテカルロラリーの場面も多く、疾走感のある映像と、ブルターニュのドーヴィルという美しい町と、妻と夫を亡くした者同士のひそやかな大人の恋愛と、そんなスタイリッシュでおしゃれな映画でした。53年の前にみていたらどんな感想をもったことやら、と思うと、思わず笑いだしたくなりました(ドギマギして話の筋などわからなかったでしょう)。

 ネットで探すと、プロモーション・フイルム出身の映画監督の先駆けとしてクロード・ルルーシュを紹介している記事がありました。《男と女》は「人類にとっての不変のテーマ「スピード、音楽、そして恋」についての見事なプロモーション・フィルムとなっている」とし、そこにこの映画の「永遠の輝き」の理由を発見していて、なるほどと得心できました。

 

 双葉十三郎さんの助けを借りましょう(双葉十三郎『外国映画 ぼくのベストテン50年』(2007年3月刊/近代映画社))。これも、やはり50年です。

 双葉は、この《男と女》を、1966年ベストテンの第10位としています。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した作品を第10位としていて、辛口といえますが、そのコメントは「恋愛映画にはいろいろなかたちの秀作があるが、ぼくはこのクロード・ルルーシュ監督作品が大好きである」と、こんな誉め言葉なのです。ちなみにこの年のベストテンには、フランス映画が《男と女》以外にも3本(第2位にアニエス・ヴェルダ『幸福』、第4位にルイ・マル『ビバ!マリア』、第5位にルネ・クレマン『パリは燃えているか』という、今やレジェンド級の名画)もランクインしています(なお、第1位は1941年制作のオースン・ウェルズ監督の『市民ケーン』というリバイバル上映作品です)。

 あとに続く双葉の短文には、この映画の骨格(あらすじ)がよく表現されており、私の無駄が多くなりそうな紹介に替えて、引用することにします。

 「 夫の危険な仕事に対する不安がこうじた妻が自殺してしまったカー・レ

  ーサー(ジャン・ルイ・トランティニャン)と、スタントマンの夫が死んで

  しまった妻(アヌーク・エーメ)が同じ学校(㊟ドーヴィルの寄宿舎付き)

  子供を通じて親しくなるが、それぞれ妻と夫への思い出を断ち切れない、

  という心情がしみじみと伝わってくる。」

  映画『男と女』のチラシ表 クロード・ルルーシュ監督/1966年/仏

  同上のチラシ裏

 短い休憩を挟んで続いてみた《最良の日々》の方は、前記したジャン=ルイの息子の願いを受け入れ、アンヌが彼の入所している施設を訪ねるところから、50年の時を隔てて物語が再開されます。でも、美しい庭におかれたイスに腰をかけて、ジャン=ルイとアンヌは会話を交わしますが、ジャン=ルイはアンヌ本人だと気づかないのです。ア「こんにちわ」/ジ「俺たちは知り合い?」/ア「どんな夢を見る」/ジ「美しい女性たち」「特にあなたと似ている女性」「ステキなしぐさだ」(㊟アンヌの髪をかきあげる動作)、予告編にはこんな映画冒頭の会話が登場します。こうしてジャン=ルイから深く愛されていたことをアンヌは自覚し、ジャン=ルイの運転する車に乗り、二人で記憶の地であるドーヴィルへ旅して、思い出のホテル、駅、海岸をめぐります。そしてこの《最良の日々》には《男と女》の美しい映像が度々挿入され、老いの深まりのさなかで男と女は新しい愛の物語を紡いでいくというような映画でしたとでも紹介すればいいのでしょうか。

 この挟み込まれる50年前の映像は、ちょうどジャン=ルイとアンヌの50年前の記憶としてよみがえった映像という関係になります。つまり映画の映像の断片は二人の記憶と重なっています、というよりそのものなのです。「映像の記憶」と「記憶の映像」とは、《男の女》《最良の日々》の関係であり、それはジャン=ルイとアンヌの関係でもあります。

  映画『男と女 人生最良の日々』のチラシ表 クロード・ルルーシュ監督/2019年/仏

  同上のチラシ裏

 ルルーシュ監督は、インタビューで《男と女》の50周年記念パーティーで、ジャン=ルイとアヌーク・エーメが話しているのを見て、「このふたりを映画のなかで再会させたらどうだろう」と思ったところから、企画が出発したと説明しています。そして、監督81歳、ジャン=ルイ88歳、アヌーク86歳のときに、この映画は撮影されました。

 ですから、撮影で大切にしたのは、二人の高齢を慮って「素早く撮影を進めること、そして俳優たちの自然な瞬間を捉える」ことであったとしており、ルルーシュ監督は「わずか10日間でふたりの最後の力を撮影したのです」と語っています。撮影2日目、二人が再会するシーンを撮影することになって、当日の朝にメイク中の二人に台詞のメモを渡し、それから、しばらくしてセットに入った二人に、リハーサルをしないままで、脚本の台詞を小声で伝え、彼らはその通り動き、自然な瞬間をカメラが捉えたとあります。こうして「19分間、カメラを回し続けた」のだそうです。

 「その夜、自宅に帰り、突然泣きそうになった。いままでのキャリアのなかで、最も美しいシーンを撮影したと実感したからだ」と、ルルーシュ監督は思いを吐露しています。

  《男と女》ドーヴィルの寄宿舎学校からの帰途にジャン=ルイの車にアンヌが同乗するシーン

  《最良の日々》映画冒頭でジャン=ルイとアンヌが再会するシーン

  《男と女》ホテルのエレベーター内でジャン=ルイとアンヌが別れを意識するシーン

  《最良の日々》ドーヴィルの海岸でのジャン=ルイとアンヌ(「すてきなしぐさ」)のシーン

 タイトルの「人生最良の日々」は、ヴィクトル・ユーゴーの言葉である「最良の日々はこの先の人生に訪れる」(ウィキの邦訳では「人生最良の日々とは、まだ生きていない日々だ」)から引用したものだそうです。ルルーシュ監督は、現在は過去より強いということを伝えたかったからだと述べています。

 このことは、どうもルルーシュ監督の人生観そのもののようで、次の興味深い言葉をインタビューに残しています。

 「 私は子供の頃、映画館に行くお金がなく、非常口から入って、終わり近

  くになるとこっそり出ていたので、自分の見た映画の冒頭とラストは知り

  ません。自分で空想しなければならなかったのです。人生はまさにそう

  いったものではないでしょうか。我々はどこから来て、どこへ行くのか知

  りません。ですから、私の映画の中にメッセージはありません。現在を愛

  することが私の映画にもあります。」

 続けて、フランス流のエスプリというものか、80歳の映画制作の極意というか、自然体の哲学を語っています。

 「 自分に制限をかけることはしませんし、最初の脚本にもこだわりませ

  ん。自分のやりたいことだけやっています。80歳になって、物事は予定通

  りに進まないということを理解したのです。我々がわずかに知っているの

  は幸福の始まりと、厄介ごとの始まりだけです。」

 こんな発言は、ある境地に到達できた稀有な人間の言葉だと申し上げておくしかないでしょう。とても到達することはできないだろうけれど、ちょっと刺激を受ける言葉ではあります。

 

 いずれにしても、《男と女》の53年後に《最良の日々》が、同じ監督・キャスト・スタッフのもとで、それぞれフランス映画らしい「素敵さ」を放射する映画として制作されたことは、映画史上に残る奇跡であろうと、私は確信しています。

 

◈寄る辺なき男の魂の彷徨ー『凱里ブルース』ー

 映画館でもらったPRチラシには、今年1月に大阪でみた『パラサイト 半地下の家族』の監督であるポン・ジュノ、アカデミー賞外国語映画賞を獲得した映画監督の「ビー・ガンはこの先20年間の映画界を牽引する監督のひとりである」との発言が載っていました。

 ビー・ガンとは、1989年生まれの映画監督、2015年に若干26歳で撮ったデビュー作が、今回、元町映画館でみた『凱里ブルース』です。ビー・ガンは中国の南西部に位置する少数民族も多く住む貴州省凱里の出身で、ビー・ガンもミャオ族の出自をもつ方のようです。貴州省は、四川省や雲南省と隣接していますが、凱里はもとより、私は聞いたことのなかった地名です(といってもウィキによると、人口は貴州省34,7460百万人[2010年]、凱里市45万人[2003年])。

 いわば中国の辺境?で育った青年が、映画オタクになって、こんなユニークというか、故郷の凱里でロケして破天荒な映画を創造し、これが中国の外に進出して、外国の人から高く評価されて、そして日本にもやってきたのです。

 デビュー作の本作は、わずか35万円の予算で撮影をスタート、その後1600万円を借金してやっと完成にこぎつけたと言われています(その後実績のあるプロデューサーの参画を得てサウンド面を完璧なものに仕上げたのだそうです)。そして、本作はロカルノ映画祭で新進監督賞並びに特別賞に輝きました。シンデレラストーリーだともいえます。

  貴州省の中国全土のなかでの位置(ウィキより)

  凱里市の貴州省のなかでの位置(ウィキより)

 この映画を紹介することは難しいですね。前半は、時間軸を意識的に攪乱させたような、つまり過去と現実が判別できないようなシーンが説明なしに執拗に繰り返されます。これはどういうことと映画に身をゆだねていると、主人公らしい一人の中年男が、バイクにまたがり、何かを探して旅に出ます。これはロードムービーそのもののシチュエーションです。

 映画の後半になると、その男(裏社会のトラブルで9年の刑期を終えて凱里の山村で老女医と診療所をやっていて、その刑期の間に妻は亡くなり、かわいがっていた甥はどこかへ出されてしまっている)は、そんな妻や甥、老女医のかつての恋人など「愛した人の幻影を追って」いることが、少しずつ点と点がつながるようになってきて、謎が解けてきたぞと思わせてくれます。でも、そんな謎解きサスペンスでは終わりません。

 行き着いたダンマイという架空の街で展開される出来事は、まるで白昼夢のようで、愛した人の過去と現在の境目がわからない、つまり幻影のようでもあり、現実のようでもあり、という不思議な世界に宙づりにされたまま、映画はプツリとエンドしてしまいます。

 この映画の男の旅は二重の意味でロードムービーである、つまり生身の男の、と同時に男の魂の、彷徨であるということができます。これはロードムービーの定跡でもありますが、その語り口が独特なのであり、その中年男、チェン(ビー・ガンの実の叔父であるチェン・ヨンソンが演じています)のみた幻影のような世界のなかに、チェンの声で語られる詩も重なって(魂の声なのでしょうか)、私たち観客もいつの間にか映画のなかへ投げ込まれてしまうのです。

  映画『凱里ブルース』のチラシ表 ビー・ガン監督/2015年/中国

  同上のチラシ裏

  『凱里ブルース』の中国でのチラシ

 どうも紹介になっていないようです。映画の後半、前記のダンマイという架空の街でのシーンは、40分に及ぶノーカット(ワンカット)で撮影されています。このことが話題となっており、私も事前に情報を得ていました。3回撮影し、最初のテイクが採られたとありますが、映画を見終わった現在、若きビー・ガンの面目躍如といいますか、謎解きとともに観客にカタルシスを与える躍動感に満ちていたという感想を、私はもっています。

 主人公の移動の後を、カメラは追走したり、歩調を合わせてついていったりし、時に、カメラは撮影の対象人物から離れ、わき道に入り、近回りしてから、再び主人公にフォーカスを戻したりというシーンもあって、笑わせてくれたり、驚かせてくれたりして、楽しませてもらいました。

  男はまだ見ぬ村へバイクを走らせます

  凱里へ出ることになっているダンマイの女ヤンヤン

 この『凱里ブルース』もまた、《最良の日々》と同様に、同様は言い過ぎかもしれないけれど、「記憶」のなかにある「愛した人々の幻影を追って」、「記憶」の向こうにある現実を探しもとめようとする魂の彷徨であるということもできるのではないでしょうか。「記憶」の映像として存在する過去と、現在の現実とを、切実に結びつけようと希求する魂の彷徨とでも表現しておくことにしましょう。

 いずれにしても、エンド直後はポカンとなったけれど、今になると、ああ若いビー・ガンだからこその初長編映画のもつ溌溂さというべきものだった、そして、そんな溌溂さに振り回されて楽しむことができた、と思っています。《男と女》のルルーシュ監督もまだ20代で(長編映画は5本目でそれまでは興行的に失敗続きで背水の陣であったと本人は語っています)、やはり、この「溌溂さ」という言葉を共有しているのだと強く感じています。

 この映画1本でどうこうではありませんが、日本も十分に広いけれど、広大で多民族の中国の今を、大都市ではない地域の現実を、少しうかがえたような気持ちになりました。

 

 本稿では、最近、神戸で見ることのできた映画を紹介しました。

 最後に、『図書』10月号の巻頭に寄せた宇野重規さんの「福島の哲学者とオルテガ」というタイトルのエッセーにふれておきます。

 宇野重規東大教授は、今次の日本学術会議の新会員として任命除外された候補者6人のうちの一人です。私がわかったように語ることは恥ずかしいことですが、まさに正統派の政治学者としてその著書にシンパシーを覚え、信頼の気持ちを深くもっている学者の一人です。

 この巻頭エッセーは、任命問題が生ずるずっと以前に書かれたものでしょう。福島の哲学者とは、2018年に亡くなった佐々木孝さんのことで、スペイン思想・文化の専門家として東京で教鞭をとったあと、故郷である原町(現・南相馬市)に戻り、妻の介護をしながら思索と研究の日々をおくられた方です。2011年3月、福島原発事故に遭遇した佐々木は、その体験からさらに思索を重ね、宇野の言葉によると「佐々木の目に、事故の原因究明はもとより、そこに至った日本の近代を徹底的に問い直すことなく、目をそらす日本の現状は嘆かわしいものであった」のです。

 そんな佐々木が死の直前にまで推敲していたのが、スペインのオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』の翻訳であり、本年4月に、岩波文庫として刊行されました。この文庫版に、宇野教授は「解説 新鮮な自己批判の書」を寄稿しており、この巻頭エッセーとなったのでしょう。

 宇野教授は、佐々木の遺した新訳から浮かび上がってくるオルテガの思想が、従来からの「貴族主義的な大衆批判者という通俗的なイメージとは大きく異なる」と受けとめ、「新鮮な自己批判の書」として岩波文庫版へ解説を寄せているのです。これに続く締めくくりの文章を引用しておくことにします。

 「 彼のいう大衆とは、文明の便益を享受しながら、その文明を可能にした

  ものについて問わない人々であった。それはまさに現代人の自画像であ

  る。佐々木の思索を引き継いでいく必要を感じる。」 

 これでは、言葉足らずなのはわかっていますが、宇野の解説は読んだけれど、本文を読んでいない者として、これぐらいにとどめたいのです。

 ここで申し上げておきたいのは、佐々木孝と宇野重規の理解するオルテガの「大衆」とは、21世紀を生きる我々自身のことではないかということです。ですから、大衆の一人として、「思考停止にならないこと」「自己批判を怠らないこと」、このことがなければ、大衆社会は民主主義を形骸化する方向で作用するのではないか、これこそが、今の日本が、今の世界が、直面している事態であると、私は考えています。

 

2020.07.23 Thursday

ディスタンスというものー映画『コロンバス』に寄せてー

 現下の新規感染者数の増加傾向について、専門家も見方が分かれています。これまでの対応から、過剰反応体質を身につけさせられた国民は疑心暗鬼になりがちです。私自身もそうした一人なのでしょう。このウイルスとの付き合いが長期にわたること、かつ社会経済活動の再開とは一定の感染を含意していることを、多くの国民が理解しています。にもかかわらず、宣言解除後の嘘のようにしばらく続いた感染状況を経験した私たちにとって、今回の増加は逆バネとして不安を増幅させています。

 こうした中、私たち国民にも政府にも冷静さが強くもとめられているものと、これも頭ではわかっていますが、政府への信頼を失った少なからぬ国民は、なおさら過剰な反応を選択することになります(たとえば「緊急事態宣言」の再発令とか法的な規制強化(ロックダウンのようなレベル)など)。それは決して、あまりいい結果を招くことにならないように思えてなりません。

 私たちとしては、基本的な衛生行動(「新しい生活様式」の基本のところ)を自らに課しながら、動揺して極端へと走ることのないように、私たちそれぞれの日常を淡々とおくることが大切だと思っています。でも、その日常というものは、千差万別というほかなく、とかく弱いところにしわ寄せが行くこと、そのことは忘れることのないようにいたしましょう。

 

 こんないま、基底に立ちかえることが重要だと感じています。当ブログで紹介した福岡伸一の「ウイルスと人間は共に進化し合う関係」という見方(2020.7.3「手がかりはどこにーコロナ後の社会のありようをめぐってー」)に通じる考え方に出会いました。

 次稿以降でもう少しきちんとふれたいと思っていますが、NHKの特番で顔をみかける山本太郎長崎大学熱帯医学研究所教授は、2011年に『感染症と文明ー共生への道』(2011年6月刊/岩波新書)を上梓しており、今回のパンデミックを機にベストセラーとなっているそうです。

 同書と、6年後の2017年の岩波新書『抗生物質と人間ーマイクロバイオームの危機』で、山本は、最終的に感染症に勝利することはできない以上、「感染症との共生」が求められていると主張したのだそうです(2020.5.31/山本太郎「いま、岩波三部作を読む意味」/『B面の岩波新書』より)。で、共生といっても、もちろん完全な共生ではなく、「私たちにとって「心地よいとはいえない妥協の産物」としての共生かもしれない」と付記しています。

 そして、そんな結論の背景について、「ウイルスや細菌を含む多くの微生物が、実は、私たち人類の生存、あるいは地球という惑星の維持に必要不可欠な存在だということが、近年、次々と明らかになってきたからである」と、山本は補足したうえで、さらに『抗生物質と人間』から、次の文章を引用しています。結局のところ、感染症との「共生」が私たちに残された唯一の道なのだと説いているのです。

 「 私たちは現在でさえ、個々の生物の相互関係の連環を完全に理解してい

  ない。私たちが「有害」と考える生物(微生物を含む)であっても、相互関

  係の連環のなかで、ヒトの利益として機能している例は無数にあるに違い

  ない。そうした現象を生物の「両義性(アンフィバイオーシス)」と呼ぶ。

  私たちがそうした事実を知らないだけなのである。

   極端な言い方をすれば、私たちヒトは、微生物との複雑な混合物以外の

  なにものでもないのかもしれない。そうした「私」が、同じように複雑な

  マクロ(自然)の生態系に守られて生きている(生かされている)。それが、人

  の存在なのであろう。とすれば、私たちに残されている道は一つしかな

  い。共生である。ヒト以外の消えた世界では、ヒトは決して生きていけな

  いことは確かなのだから。」

 

 人と人との距離、「ソーシャル・ディスタンス」は流行語大賞並みの言葉になっています。

 本来、公衆衛生戦略としての用語は、英語で「ソーシャル・ディスタンシング」なのだそうです。だから、英語の「ソーシャル・ディスタンシング」で意味することを、つまり感染予防戦略を、今の日本では「ソーシャル・ディスタンス」と誤解して使っていることになります。こんなことはありうることで、特に目くじらをたてようとしているのではありません。

 実際のところ、「ソーシャル・ディスタンス」、つまり「社会的距離」は、社会学の用語であり、「個人と個人、集団と集団の間にみられる、親近感や敵対感といった感情のレベルでの親近性の程度を表すための物差し」の意味で使われているのだそうです。とりわけアメリカ社会学では、黒人や東洋系移民の社会関係の分析や問題状況の改善との関係で、この「社会的距離」という概念は用いられてきたのです。

 このような日本での「ソーシャル・ディスタンス」の使われ方とは関係ありませんが、WHOは、今回のパンデミックにおいて感染防止のために必要なのはあくまで物理的な距離であり、社会的な距離ではないことを理由に(人はテクノロジーを経由して社会的なつながりを保つことができる)、「ソーシャル・ディスタンシング」に替えて「フィジカル・ディスタンス(身体的距離)」という用語を用いるように提案しているのだそうです。

 なるほどそうかもしれませんね。

 

 いささか強引な喩えになりますが、本稿では、こうしたディスタンスということを改めて意識させられた映画に出会いましたので報告することにします。

 元々は3月の上映開始予定が延期になっていた『コロンバス』という映画です。先週土曜日(7/18)の午前中に神戸アートヴィレッジセンター(KAVC)で、5名ほどの観客の一人としてみました。

 以前は、同センターの1階には机とイスが並べられていて、新開地を歩く人たちが自由に一休みできる空間となっていましたが、今回、久しぶりに訪ねると、すべてのイスが取り払われていました。感染防止のための対応かと思いますが、ちょっとびっくりしましたし、残念にも思いました。

 

◈ジンとケイシーの物語とモダニズム建築の切り離せない関係に

                  −映画『コロンバス』に寄せて−

 元はといえば、正月明けの頃に、他の映画館で『コロンバス』のチラシをみて、ぜひみたい映画としてインプットされていました。チラシの表面には「モダニズム建築への恋文とも言うべき映像美、小津安二郎にオマージュを捧げたコゴナダ監督作品」とあります。当ブログを読んでいただいている方にはお気づきのように、私には「建築」や「小津安二郎」というものに無批判、無抵抗のまま傾きやすい体質があるのです。

 そして、今回入手のパンフレット、<INTRODUCTION>のタイトルは「小津安二郎の世界と現代をつなぐコゴナダ監督初長編作」、<STORY>の方はチラシにもある「モダニズム建築の街コロンバスで、二人は出逢い、そしてまた歩き出す……」とあります。

 だから、家人の心配の声を押しやって、神戸まで足を運んだのです。

 

 私の感想は、来てよかった、来る前から妄想して恋していたのだから当たり前かもしれませんが、何も事は起こらないけれどパッションを秘めたこの静かな映画に乾杯というところです。

 断っておきますが、この映画で、私はモダニズム建築をみていたとも、小津安二郎への連想に誘われていたとも、そんな特別な何かを感じたわけではありません。つまり「モダニズム建築」も「小津安二郎」も映画の後景として溶けこんでいるというほかありませんでした。コゴナダ監督はそんな野暮なことなどしていません。

 私は主人公である二人をずっと集中して追いかけていました。中年男のジンと高校を卒業したばかりのケイシーの二人が、出逢い、語彙を制限したかのような二人の会話を通して、やがてディスタンスが縮まり、関係が深まり、そして二人はそれぞれの出発と別れのときを迎えることになります。そんな二人の人生の時間にコロンバスの街をいっしょに移動しながら同伴していた感覚だといえばいいのでしょうか、つまり映画的な時間を存分に深呼吸することができたという満足感がありました。

 

 でもというか、ジンとケイシーの後景にあったこの美しい街の建築物こそが、二人の物語を誕生させたということも否定できません。インタビューで、コゴナダ監督は、数年前に家族でコロンバスに日帰り旅行をしたときに、この保守的な中西部の静かな町の「モダニズム建築」群に強く胸を刺されるものを感じ、すぐにここで映画を作りたいと思ったと語っています。そして、次の言葉でその切り離なすことのできない関係を表現しています。

 「 この小さな街は、モダニズム建築のキャンパスです。私にとって壮大な

  実験場なのです。一番難しかったのは街のモダニズム建築たちを収めるこ

  とのできる構図を追求すると同時に、この街の建築に絡めとられる二人の

  登場人物たちの物語を浮かび上がらせていくことでした。」

 こうしてコゴナダ監督にとって初の長編作品となった『コロンバス』は、監督の企図としたとおり、街の建築物と二人の物語が融合しており、まちがいなく成功したと評価してよいでしょう。

 ここで強調しておきたかったのは、二人の会話する目の前にある著名なモダニズム建築が主役ではなくて後景として二人の物語を支える関係として描かれていることです。映画をみる私はモダニズム建築を切り離してみていたわけではなく、どこか有機的な存在感を漂わせている建築物の目の前で展開されるジンとケイシーの物語を注視していたということです。

  映画『コロンバス』のチラシ[表] ミル・レース・パーク(1989)

  同 上[裏]

 ざっとあらすじをメモしておきます。映画のオフィシャルサイトで読んでいただければいいのですが、少しまとめてみます。

 高名な建築学者であるジンの父は講演のためにコロンバスに来ていて、突然倒れます。この知らせを聞いて、今はソウルで翻訳の仕事に携わる韓国系アメリカ人の息子であるジンは、父を見舞うためにコロンバスへやってきます。

 回復困難な容態に陥った父を見守るためにしばらく滞在することになったジンは、ホテル近くの図書館に勤務する若い女性ケイシーが館外でタバコを喫っていたとき、彼女と偶然に出逢います。ジンの父の講演に参加する予定であったというケイシーは、コロンバスの建築物が好きで興味があると語ります。そして、このモダニズム建築の聖地と言われる街をめぐり、建築物を媒介させながら、二人は静かな会話、対話を重ねていきます。

 やがて交わす言葉は互いの内面へと向かい、二人とも親との関係で問題をかかえていることが明らかになっていきます。ジンは仕事中心の父が自分を愛してこなかったという複雑な思いから父との確執をかかえ、だから父とも建築とも距離をとろうとしていました。一方、ケイシーは、都会へ出て建築を学びたいと思いながらも、かつて薬物中毒(覚醒剤)であった母の世話をするために街を離れられないという意識が強く、街にとどまり母を守ろうとしていました。

 ケイシーは、建築を好きになったきっかけであるファースト・フィナンシャル銀行を設計したデボラ・バークと知り合い、彼女から東部に出てきて建築を学び仕事をするように誘われていました。母をおいていけないという抑圧を自分に課しているとジンはケイシーに感じとり、何度も街を出ることを奨めます。ケイシーは躊躇しますが、ついに母と離れることについて考え始めます。一方、こうしたケイシーの姿に、ジンは昏睡状態の父と向き合うためにコロンバスにアパートを借りることにします。

 二人はそれぞれ、離脱と接近という、つまりケイシーは母と離れて街を出ること、ジンは父をみとるまで街に残ること、そんな当初は困難にしかみえなかった決断にたどりつきます。そして、コロンバスから出ていくケイシーを、コロンバスに残るジンはひしと抱きしめ、やがて出発と別れのときが来ます。ケイシーは、禁煙することにしたとジンに告げます。

 ジンとケイシーのストーリーはこんなところです。

 前述のインタビューで、コゴナダ監督はこの物語との個人的な側面、そしてジンとケイシーの親子関係について、次のとおり語っています。

 「 死とは別離。そしてすべての別離はある種の死。いつも私はこの二つに

  とらわれてきました。最期の別れと小さな別れです。老いていく両親、成

  長する子供たちと接していて、来るべき別離をますます強く感じていま

  す。不在に意味はあるのか?避けられない別離に我々はどう対峙していく

  のか。『コロンバス』の物語はこうした疑問から生まれました。」

 「 小津安二郎『一人息子』の冒頭で胸が張り裂けるような引用句が出てき

  ます。「人生の悲劇の第一幕は親子になったことにはじまっている」とい

  う言葉です。ジンもケイシーも親子関係に苦しんでいますが、その関係は

  全く違います。ジンは離れたい、ケイシーはとどまりたい。どちらも親を

  重く感じていることから来る欲望です。」

  ジンとケイシー、┐離◆璽Εン・ミラー邸を見学していたときのシーン

 さて、こんな中西部インディアナ州の小さな田舎町(人口47千人ほど)に、建築史に名前を残す建築家たちの設計した建築物が数多く残っているのは、やはりパトロンがいたからです。アーウィン・ミラーという、ディーゼル・エンジンのトップメーカーで地元企業のカミンズ・エンジン社の創業者が、1954年に財団を設立し、公共施設の建築費をサポートしたことに由来しています。コロンバスは、「アメリカのアテネ」とも呼ばれたりしているそうです。

 映画『コロンバス』には、パンフレットの下記写真にある14カ所もの「モダニズム建築」が登場したとあります。そんなにと思いますが、ここではどんな建築物なのかを感じてもらうために、パンフレットやPC画面を撮影したとても上等とはいえない写真を使って、二人のエピソードとともに、自分のためにノートしておくことにします。

  映画『コロンバス』に登場した14のモダニズム建築

.侫 璽好函Εリスチャン教会[エリエル・サーリネン/1942]

 ジンとケイシーが出会って最初に訪ねたのが、ファースト・クリスチャン教会です。登場する中で最も古いものですが、フィンランドの建築家エリエル・サーリネンの設計でコロンバスのランドマーク的な建物なのだそうです。

 ケイシーは教会のドアの前に立って「非対称でありながらバランスを保っている」などと、建築に興味があると語ります。ジンは「僕は建築に興味がない」と言い放って、この町の住民はみんな興味があるのかと問います。「まさか、何も思っていない人ばかりよ」とケイシーは答えます。

  ファースト・クリスチャン教会(1942)

▲◆璽Εン・ユニオン・バンク[エーロ・サーリネン/1954]

      (現アーウィン・カンファレンス・センター)

 ,寮澤彈圓梁子であるエーロ・サーリネンの設計で、アーウィンの財団が設立された1954年に建設されました。

 「2番目に好きな建築よ」とケイシーは言い、「アメリカ初のモダニズム建築で、当時はガラス張りの銀行などなかった」と、建築ガイド的な説明をします。「そんなことで好きになったの」とジンが挑発すると、ケイシーは「感動したの」と、大きな身振りで感動のわけを語りはじめるのです。

  元アーウィン・ユニオン・バンクを前にしたジンとケイシー

  現アーウィン・カンファレンスセンター(1954)

メンタル・ヘルス・センター[ジェームズ・ポルシェック/1972]

 ジェームズ・ポルシェックの設計した精神病院です。

 病棟と病棟をつなぐ橋のような建築物を前に、ジンは父親のノート(?)で読んだとして、「ポルシェックは建築を癒しの芸術だと考えていた」「だからこの連結通路は心をつなぐ隠喩だそうだ」と言い出します。ケイシーは「建築に興味はないと言っていたのに。面白い人ね」と語り、ジンと建築学者である父親との複雑な関係を感じとることになります。

  メンタル・ヘルス・センター(1972)

ぅ侫 璽好函Ε侫ナンシャル銀行[デボラ・バーク/2006]

 2006年という最も新しい建築物で、デボラ・バークの設計です。

 「3番目に好きな建築よ。ある日、とても引き付けられた」と告白するケイシーに、ジンは理由を尋ねます。ケイシーは「よくわからない。その頃、人生で一番つらい時期だったの」と語り、「教えてほしい」と言うジンを制止し、下記の写真のように車から出てタバコを喫います。そして、ポロリと「覚醒剤がはびこっている。覚醒剤とモダニズム建築の町」と、母親の問題を打ち明けます。

 ここには、ケイシーがこの建物に引き付けられた理由と、の「癒しの芸術ともなりうる建築」というテーマとの関わりが示唆されています。

  夜のファースト・フィナンシャル銀行を前にしたジンとケイシー

  ファースト・フィナンシャル銀行(2006)

ノース・クリスチャン教会[エーロ・サーリネン/1964]

 △汎韻犬エーロ・サーリネンの設計で、,22年後に建設されました。,寮澤廚砲和子エーロも参画していたそうですが、いかにもモダニズム建築である,醗磴辰董△海寮軼磴鬚發超飢颪鷲垰弋弔雰舛鬚靴討い泙后

 父親エリエルが亡くなってからの建設だよねと念を押しつつ、スマホで確かめようとするジンを制し、ケイシーは「1950年」というエリエルの亡くなった年を記憶の片隅から引っ張り出します。通話だけの携帯を使っている、検索はPCだと、ケイシーはジンに自分のガラ携帯を示し、「賢い携帯とバカな人間」と笑います。

 二人の心と心の距離が近くなった様子があらわれています。

  ノース・クリスチャン教会(1964)を背景としたジンとケイシー

Ε潺襦Ε譟璽后Ε僉璽[マイケル・ヴァン・ヴァルケンバーク/1989]

 チラシの表の写真がミル・レース・パークで、二人は奇妙な塔のようなものを眺めています。ランドスケープアーキテクトであるマイケル・ヴァン・ヴァルケンバークの手になるものです。

 下記の写真は場所がはっきりしませんが、ここでジンはケイシーに街を出ることを奨め、ケイシーが「母の世話は誰がするの」と強い口調で拒んだ場面だったように記憶しているのですが。

  不明 

Д灰蹈鵐丱后Ε轡謄・ホール[エドワード・チャールズ・バセット/1981]

 チャールズ・バセット設計の市民会館です。

 ケイシーにとって、好きな建築の順位で低位のもののようですが、夜の市民会館の前にジンが一人で立っていたとき、病院から父が合併症を起こしたという緊急の連絡があって、病院へ急ぐシーンにも登場しました。下記の写真はジンとケイシーが並んで座り、Δ痢岾垢鮟个襦廚海箸砲弔い届辰傾腓場面です。記憶が不確かですが、「もっと成功できるはず」などという言葉を、ジンはケイシーに向かって投げかけていたように覚えています。

   コロンバス・シティ・ホール(1981)を背景に座るジンとケイシー

┘◆璽Εン・ミラー邸

     [エーロ・サーリネン、アレキサンダー・ジラルド/1957]

 映画の冒頭で教授が倒れる寸前に立ち寄っていたモダニズム建築の街の立役者であるアーウィン・ミラーの自邸であり、設計はもう一方の立役者であるエーロ・サーリネンです。大変広いスケアな建築物のようですが、内部のインテリアはアメリカを代表するデザイナーのアレキサンダー・ジラルドが手がけています。

 ケイシーが一番好きな建築で、予約して見学ツアーにジンを連れ出し、そのリヴィングでジラルドのインテリアのすばらしさを説明します。下記の写真は同邸の広い庭を臨んで立つジンの姿ですが、映画の冒頭でジンの父親が同じポーズで立つシーンと重なっています。そして、ケイシーは姿の見えなくなったジンを探しますが、父の秘書が「教授、教授」と探す冒頭のシーンと、これも重なっています。

 父との距離を見直そうとするジンの決意のようなものが表出しているのかもしれません。

  アーウィン・ミラー邸の庭を前に立つジン

  右上と右下はアーウィン・ミラー自邸内

 以上のとおり、映画『コロンバス』は、街のモダニズム建築に喚起されるようにジンとケイシーの静かな対話が重ねられ、二人の出発と別れというエンディングへと向かって、ストーリーが展開していく構造となっていきます。

 下記の写真は、ケイシーの小さな家の内部の映像ですが、今振り返ると、これが最も小津安二郎の画面との共通性を、私が意識したシーンでした。奥行きのあるローアングルというのでしょうか。

 その下は、ケイシーが勤めているクレオ・ロジャース記念図書館の内部写真です。設計はあのI.M.ペイだそうで、1969年の建設です。その20年後の1989年に、ペイは、パリのルーブル美術館の真ん中にガラスのピラミッドを出現させたことで世界中を驚かせた中国出身のアメリカ人建築家です。

  ケイシーが母と二人で暮らす家の内部

  クレオ・ロジャース記念図書館(1969)の内部

 最後に補足の補足になりますが、『コロンバス』は地味な映画といえばそうなるでしょう。でも、映画は映画です。制作は2017年、すぐに日本で公開されなかった理由も推測できますが、やっと本年3月14日からの公開が予定されていたとき、今回のコロナ禍の影響を受けてしまいました。こんな二重の高いハードルを乗り越え、こうして公開に至ったこと、この映画に関わり努力されてきた個人・法人に感謝したい気持ちです。

 コゴナダ監督は、パンフレットによると韓国ソウル生まれとあって、ジンと同じく韓国系アメリカ人のようです。本名と年齢は不詳です。「コゴナダ」は小津安二郎とタッグを組んだ脚本家の野田高悟(kougo noda)から命名したとありました。映画研究者から出発し、実作者となって、著名な映画作家をテーマにしたビデオ・エッセー作品で注目されるようになったのだそうです。

 そして『コロンバス』の映像の静寂と深度を支えた音楽は、ハンモックとクレジットされています。先日の当ブログでふれた姫路・的形のハンモック・カフェとは何の関係もありませんが、名称だけでなく、どこか近しい雰囲気を感じています(2020.6.7「ちょっと足を伸ばしてー的形の海辺にー」)。

 <とてもいい映画でしたよ、私にとっては>といういつもの言葉、お決まりの感想でもって締めくくることにしましょう。

  [右]コゴナダ監督 [左]ケイシー役のヘイリー・ルー・リチャードソン

 

◈おわりにかえて

 人と人との距離、ディスタンスというものに関して、パンデミックのもとで、以前のように無意識のままでおれなくなりました。ディスタンスには、物理的・身体的、感情的・心理的、社会的・文化的などと分類できそうですが、相互に影響し合う関係にあります。パンデミックは、物理的・身体的なものだけでなく、人と人との距離を確実に変えようとしているのではないでしょうか。同時にまた、人と人が適切、適当な距離で、直接顔を認知し合い、会話できることの大切さについても再認識させてくれたように思っています。

 それは、WHOの「人はテクノロジーを経由して社会的なつながりを保つことができる」という考え方とは位相が異なるものです。WHOの評価、テクノロジーの進捗を否定するものではありませんが、それだけでは人と人のディスタンスのありようとして不健全であるし不十分であると、技術的進歩から取り残された私としては受けとめています。

 

 今回は、こうした大問題に手をつけることをスルーして、感覚的なことを最後に記しておきます。

 人と人とのディスタンスの諸相、ジンとケイシーの対照的な関係性を、家族、とりわけ親子という視点から照射してみせたのが、『コロンバス』という映画のテーマです。ジンの父子関係もケイシーの母子関係も、映画の中で謎を残したままのようなもどかしさを感じました。ジンもケイシーも、解き放ちようもない親子関係のなかで、二人の対話をバネにして出会った頃と反対の「離脱と接近」という出発(変化)を選択しました。私が読みとることができなかったというだけなのかもしれませんが、それはコゴナダ監督の人間観、家族観の表明というものだったかもしれないと思っています。

 フィンランドからアメリカに移住したサーリネン父子、二人とも著名な建築家として、コロンバスの街のモダニズム建築を先導しました。そんな父エリエルのファースト・クリスチャン教会と、息子エーロのノース・クリスチャン教会の、二つの教会がみせる外貌の極端な差異に驚きました。そこには時代背景という問題にとどまらない、父子関係というものの謎、そのディスタンスの闇のようなものが存在したのではないかと、私は想像したりもしました。

 そして、私自身の父子関係、父と私、私と息子、こんなにブログで長々と言葉を連ねていても、このことには言葉にならないもどかしさがいつも付きまとっています。まあそんなに自覚的とはいえないにせよ、近くて遠い、遠くて近いという、このディスタンスの奇妙さ、不思議さに途方にくれたりもします。

 

2020.03.24 Tuesday

木を削ることの祈りにー映画『巡礼の約束』ー

 先週(3/19)、久しぶりに映画をみました。約2ヵ月ぶりのことで、新型コロナウイルス感染症の件と無関係ではありません。「「非日常」の中でも、可能な限り「日常」を保守していかなければならない」と当ブログで記した私ですが(2020.3.10「見えないものに挟み撃ちされて見えてきたこと」)、私にとって映画は「非日常」の空気を取り込むための機会なのです。だからという訳ではありませんが、この間、神戸に出る機会はあっても、映画は回避しておこうとなった日もあったのは事実です。 

 夕刻からの会合に先立ち、元町映画館で上映中の『巡礼の約束』(ソンタルジャ監督/2018年/中国映画)に足を運びました。そして、この広大なチベット高原を舞台とする巡礼の物語に、不信心者の私でも身も心も強く揺すぶられた思いで映画館を後にしたのです。

 平日の午後、20数人の観客で、やはり同世代の高齢者層がほとんどでした。元町映画館では3月27日までの予定で上映されていて、あえて書くなら、世界的にパンデミックといわれる状況にある現在、静かにこの映画をみていただきたい思いがしています。

 脳天気な言い草だと呆れられそうですが、映画という「非日常」の空気を取り込むことによって、私の「日常」は私の願う「日常」として成り立っている一面が否定できません。結局、こんな「非日常」を帯びた刺激が、弱さをかかえた私の「日常」の姿勢を正してくれるのです。

  『巡礼の約束』ソンタルジャ監督/2018年/中国映画 [チラシの表面]

  同 上 [チラシの裏面]

 中国のチベット自治区で撮影されたこの映画のあらすじを記しておきます。ネタバレという面もありますが、一応のアウトラインを知っていただいておいた方がよいだろうと判断しました。

 現代の物語です。チベット高原の東端のギャロンに、ロルジェは前夫を亡くして再婚した妻ウォマと暮らしています。そして、前夫との息子ノルウは、ウォマの実家で母と暮らせない怒りと悲しみをかかえています。この三人が物語の中心です。

 ウォマはロウジェに不治の病を隠したまま、五体投地のやり方で聖地ラサへ巡礼の旅に出ることを決意し、ロウジェに伝えます。半年以上も要する巡礼の旅に、ロウジェは反対しますが、それを押し切ってウォマは出発します。数週間後、ウォマが病状を隠していたことを知ったロウジェはバイクを飛ばして追いかけ、ウォマを病院に連れて行こうと説得しますが、ウォマは頑として聞き入れません。そして、そこに息子のノルウも合流します。

 近くに住むチベット人家族にも助けられながら、ロウジェとノルウに介添えされてウォマの五体投地による巡礼の旅が続きますが、急に調子の悪くなったウォマは、衰弱し、息を引き取ります。ロルジェは近くの寺院で法要することにしましたが、その過程でウォマが前夫との写真とその遺灰でつくった仏像とともにラサをめざしていたことに気づくことになります(前夫と交わした「巡礼の約束」だったのでしょう)。そのことに苦しみつつ、ロウジェは妻ウォマを継いで自分が五体投地でラサへ向かうことを決心して、ノルウをウォマの実家へと連れ帰そうとしますが、ノルウはこれを拒絶し、母をラサへ連れていくと宣言します。

 こうして血のつながらない父ロウジェと子ノルウは、母を亡くしたロバとともに、ウォマの遺志をつないで巡礼の道を歩きつづけるのです。ラサを目前にして、二人はすっかり伸びた髪や髭を整えつつ、吉日を待っているところで、映画はエンドとなります。

 前記のチラシの裏面の文章を引用しておきます。

 「 悲しみ、後悔、嫉妬、それらを超えようとする夫と妻、なさぬ仲の父と

  息子に生まれる絆。チベット仏教の聖地ラサへの五体投地の巡礼から、死

  者とともに生きるチベットの祈りのこころが伝わってくる。」

 配給会社がこの映画の核心テーマと考えたのであろう小型パンフの方のキャプションは、次のとおりです。

 「 はるか昔から

   人々が祈り

   歩きつづけた巡礼の道。

   いま妻から夫へ

   父から息子へ

   過去をのりこえ

   こころをつなぐ。

  チベットのギャランとラサの位置関係図 [前記のチラシ裏面の部分]

  『巡礼の約束』の別の小型パンフ

 本映画を監督したソルタンジャ(1973-)へのインタビューから少し紹介しておきましょう。

 インタビュー記事によって差異がみられますが、プロデューサーで演技経験がないまま主演したロウジェ役のヨンジョンジャは「本当にリアルなチベットの姿を描けた」と語ったとあります。

 ソルタンジャ監督は、「もともとは確かにラブストーリーで、漢族の女性がチベットへ行き、そこで出会った男性と恋に落ちる」というものだったと明かしたうえで、巡礼の話はサイドストーリーだったのを「ラブストーリーの部分をばっさり切って、巡礼のエピソードと、ウォマの前の夫と現在の夫との関係のエピソードを付け加えました」とあります。制作の過程でまったく違ったストーリーに変化させたというわけです。

 そして、その理由を次のとおり説明したと、先の小型パンフレットに載っています。

 「 これまでチベットは、西欧の監督も含め海外からの視線の中で記号化さ

  れた対象として映画に描かれて来ました。私たちはそこから脱却して、誰

  もが触れることができる生身の感情を持った人間を描こうとした世代で

  す。今回『巡礼の約束』では、心に去来する抗えない嫉妬の思いから、夫

  がどのようにそれを乗り越えるのか、その感情の揺れ動きにこそが映画的

  だと思いました。」

 この「記号化されたチベットから、生身の感情を持つ人間を描くことへ。」というソルタンジャ監督の基本姿勢は、チベットの自然観、宗教観にみられる特殊性を通して人間の感情の普遍的本質への昇華として反映しています。だから、この映画をみた多くの日本人たちの心を鷲掴みにすることができたのだといえるでしょう。

 この映画をみながら、私が最も意識していたことが、前記したソルタンジャ監督の言葉を使わせてもらうと、夫ロウジェの「心に去来する抗えない嫉妬の思い」の深さであり、彼が巡礼中途で亡くなった妻ウォマとその息子のノルウという存在の前で、苦しみながらそれを「乗り越える」ことができるのか、そしてこの情景をどのように描いているのかということでした。圧倒的な大自然の描写を背景に、人間としての感情の複雑さをかかえながら、死者とともに生きる「祈り」の表現である全身を地面に投げ出して祈る五体投地をくり返して歩みつづけるという営みが、くっきりとした相貌、テーマとして立ち現れていました。

 こうした信仰をめぐる表現について、前記の記号化する傾向、つまりチベットといえばマニ車やチベット寺院ばかりが映像化される傾向がありますが、そんな必要などないのだと否定しつつ、ソルタンジャ監督は次のとおり語ったとあります。

 「 どんな宗教であれ、信仰を持てるということはとても幸せなことです。

  現代人の日常がかつての宗教的な作法から遠のいている点ではチベット人

  も世界の人々に変わりません。しかしあえて記号化して描かずとも、スマ

  ホをいじりバイクに乗る私たちに近しいものとして信仰は依然ある。」

 現在の不安の中にあって、信仰をもたない私にも、人間のかかえもった宿命というものが、同一の地平のものとして切々と伝わってきました。そこがこの映画の魅力であり、普遍性なのです。

  映画『巡礼の約束』 [前記の小型パンフの部分]

 次に、中国の中のチベットということに関連したソルタンジャ監督の言葉に耳を傾けておきましょう。

 映画を学ぼうとするチベットの若者は増える傾向があり、これに他の少数民族は「ちょっと嫉妬しているかもしれません」と語っています。そして、少数民族は「自分たちの言語で自分たちの思いを表現する機会が少なかった」ので、だから「このチベット映画人の現状はとても貴重なものだ」と思っていると発言しています。

 そして、表現の自由との関係、中国の検閲との関係について、今回の映画は前記したとおり「何かの主張のためでなく自明のものとしてそれらを撮ったので、政治的な検閲等をとくに警戒する必要も感じませんでした」と説明しています。政府の少数民族政策との関係において、チベット映画は保護されているのかとの問いに、まったく関係ないとし、「映画そのものの質の高さや芸術性が評価されている」と信じていると述べています。「私の映画は国のお金を一銭も使っていない」としたうえで、次のとおり発言しています。

 「 芸術は政治に絡めとられてはいけません。純粋に、芸術は芸術です。私

  は政治的、宗教的な議論には興味がありません。ただ映画でシンプルに物

  語を語っているだけです。」

 小津安二郎監督のファンだというソルタンジャ監督は、「当時の人々の生活をリアルに描写した」小津作品が「貴重な記録として今も私たちに訴えかける」とし、だから「私も同じようなことをしたい」と望んでいるとも語っています。

 もとより今の状況が継続することを期待していますが、ただ、ソルタンジャ監督の作品が、世界的に高く評価されてくると、つまり欧米から熱く支持されると、国際、国内情勢の変化をきっかけに、厳しい監視の目が強まるのではないかと、私は心配しています。

 

 さて、映画本体に話を戻すことにします。

 「五体投地」のことです。「最も頭を低くして全身全霊をもって対象に向かう」「帰依の作法」である五体投地という礼拝方法は世界各地で見られますし、仏教においても地域・宗派をこえて見られますが、巡礼の出発点から目的の聖地まで、移動手段に五体投地礼が採られているのはチベットだけだということです。もちろん聖地巡礼するチベット人はとてつもない数のようなのですが(正確な数字を示す資料はないとのことです)、そのごく一部が五体投地という困難な移動手段を選択するのです。

 映画『巡礼の約束』の公式サイトに「五体投地」のQA(「¨五体投地¨のこと、¨聖地巡礼¨のこと。」)を寄せた駒澤大学の別所裕介准教授は、「チベット人の五体投地巡礼は、「仏法に心から従う」という気持ちを全身で表明する最も敬虔な信仰実践」であるとし、だから「よほどのこと(大事故や病気など)がない限り」途中でやめてしまうことはなく、「絶対に最後までやり遂げるべき、と強く心に決めている」のだと説明しています。そして、その背景として、都市部の裕福なチベット人ではなく、自分の調査対象である農村部のチベット人の信仰(今回の映画もそうです)について、次の文章を寄せていて注目しました。

 「 私は、調査でよく訪れるチベットの小さな村に滞在していていつも感じ

  るのですが、おそらく、村の生活で激しい労働に身をすり減らすようにし

  てめまぐるしく働いている人ほど、「自分がちゃんと信仰していない、本

  来やるべきことを今生きているうちに達成できていない」という思い、潜

  在的な焦りのような気持ち、を強く持っているように感じます。そうした

  人々は、日常生活から離れて遠くの聖地へ巡礼する、という移動行為自体

  に「信仰する(できる)喜び」をかみ締めているのだと思います。

   チベットで出会う巡礼の人々が往々にして開放的で陽気で、生き生きと

  充実した時間をすごしているように見えるのはそのせいだ、と感じま

  す。」

 この映画におけるウォマの、それを継ぐロウジェの五体投地巡礼とは、その動機において差異が感じられるものの、そのベースには前記の「信仰する(できる)喜び」という共通するものがあったはずです。

 ロウジェの父母も、ウォモの父母も、嫁、娘であるウォマの決意に反対しないのです。なぜ妻一人で行くのかという思いで反対しようとする夫ロウジェにしても、根っ子のところで反対というより心配しているといった方がよいようにみえます。

 こうした宗教的、文化的背景から、この映画のリアルは成立しています。

  映画のワンシーン 五体投地で聖地へ巡礼するソォマ

 映画の前半、ウォマの五体投地巡礼の決意に戸惑いながら、それでもロウジェはウォマが五体投地で移動する際に両手にはめる下駄のような形の木板を丁寧に削ります。そんなちょっと困ったような顔をしながら木片を刃物で削っていくシーンが登場します。

 この妻の無事を祈りつつ木を削るシーンをみていたとき、私は『木靴の樹』のあるシーンへと、イメージを飛躍させたのです。

 当ブログには36年ぶりにスクリーンでみた『木靴の樹』(エルマンノ・オルミ監督/1978年/イタリア映画)[予告編]についての記事をアップしています(2016.7.9「浄福感の住処ー『木靴の樹』との再会などー」)が、この映画にも木を削るシーンが登場します。19世紀末の北イタリアの農村、司祭からすすめられて息子を遠くの学校へ通わせることになった父は、遠い道のりの途中で息子の木靴が割れてしまったことから、川辺のポプラの樹を伐り、新しい木靴を削って作ったのです。だが、その樹は地主のものであり、四家族が住む小作長屋から一家が追われて出てゆくというのが最後のシーンでした。

 ロウジェの下駄状のものを削るシーンから父の木靴を削るシーンへとつながったのは、木を削るという行為が祈りという行為にもに通じていると記憶されていた、それが最も感じられるシーンとして『木靴の樹』のシーンが私にインプットされていたからだと思うのです。そして、戸惑いを隠せないようなロウジェの面持ちの中に「祈り」を、私は確かに感じていたからでもあります。

 

 ここで、たとえば仏像彫刻とか、現代の木彫を持ち出して関連づけることは、くどくなるからやめておきますが、一言だけふれさせてもらいます。

 当ブログで舟越桂の彫刻を紹介したときに引用した酒井忠康さんの次の言葉です(2018.1.27「静かに想いと共に立っている人物像ー舟越桂の彫刻からー)。

 「 これはおそらく、木彫という技法のもつ制約と結びついて養われたもの

  にちがいない。人間感情の塊が、木との対話(もっと正確にいえば、木のも

  つ素性)を通じて浄化されるところがあるからだ。」

 この舟越桂の人物彫刻を評した酒井の「木との対話を通じた浄化」というものが、『木靴の樹』と『巡礼の旅路』の木を削るシーンをも共通して貫いているのではないかと、だからこんな反応したのであろう、と私は理解しています。そして、「人間感情の塊り」が「浄化」される地続きにあるのが「祈り」という行為にほかならないのではないかとも考えてみたいのです。

 

 私にとって、とても大切な映画である『木靴の樹』が、『巡礼の約束』とオーバーラップしたことによって、映画『巡礼の約束』は本物の映画だと確信できたのだと申し上げておきたかったのです。

 そして、この本物の映画は、現代を生きる私たちに、「信仰」の意味を、「祈り」の意味を問いかけています。さらに、私にとっては「信仰」をもたない者の「祈り」とは何なのかという問いかけでもあります。

  映画のワンシーン ロウジェが削った下駄状のものを手にはめるソォマ

 久しぶりの映画が、身も心も揺すぶられるものであったこと、静かに「おもう」ことのできる映画であったことに感謝したいと思います。そして「おもう」ことを通して、わが身の「日常」をふりかえって彼我のちがいをこえて「僕たちの話」でもあることを確認し、そこに人間の本質にあるものを感じとり、さらにそれが「祈り」という行為として現れていることを、改めて「おもう」ことになりました。

 本稿の冒頭で述べた「非日常」と「日常」というものの関係性、この映画では巡礼の旅という「非日常」が普段の「日常」を生きる人間を支える、深めるという関係性について、少しだけ気づいたような思いでいます。

 

2019.07.08 Monday

「70歳問題」を忘れてー映画『マイ・ブックショップ』の味わい ー

 「元気をもらった」とか「勇気をもらった」という表現を、あなたは使うことがありますか。私はといえば、そんな言い回しを使ったという自覚はないのです。でも、ふつうは「孫と遊んで元気が出ました」ですが、「孫と遊んで元気をもらいました」というような使い方を無意識的にしてしまったりしているのかもしれません。

 こんな表現方法について、先日、「「元気」は「もらう」ものか……自ら「出す」ものでしょ」と、ちょっと突っ込みを入れておこうとした文章を読みました(『毎日新聞』2019.6.24夕刊)。かねてより注目の<藤原章生>の署名入り記事です。

 藤原記者の調査によると、「元気をもらう」と「勇気をもらう」は、いずれも1980年代に最初の使用事例がみられるとのことで、「昭和の末期、バブル経済の絶頂へと向かう時代に芽を吹いた」ようです。そして90年代半ばから使用が急増したとの統計があります。また毎日新聞の記事データベースでは、二つとも少し遅れて90年代に初出し、東日本大震災のあった2011年にピークをうち、以後、使用頻度の高い「元気をもらう」の方は年間200件台で推移しているとあります。

 こうした言い回しに引っかかりを感じる藤原記者は、なぜ広まったのかを探ろうとし、語源に詳しいノンフィクション作家の高橋秀実さんに、その背景事情を尋ねています。「元気をもらった」という表現は「タダで何かをもらった」みたいだけれど、それは「今の若者の間では、タダが基本になっている」こと、つまりネット社会で「文章も情報もタダの波に襲われて」いることと関係しているのではないかと、高橋さんは説明します。そして、「タダ」でもらうということは、ご利益を求める神社仏閣巡りにも似たところがあると感じているとして、「もらえるものはもらわないと損だ」、「あの人ももらっているから私もという集団心理が働いているんじゃないですか」と、高橋さんからこんな社会的な事情変化の反映とでもいうような見方を引き出しています。

 なるほど「身につまされる見方」であり、「「元気をもらう」は恭しく授かるというより、街頭でちょっとした試供品や菓子を「タダでもらっちゃった」というような軽さがある」と、藤原記者は感想を記し、次の文章で全体を締めくくっています。

 「 本来なら、自分の中から湧いてくるはずの元気や勇気が、外からもたら

  されると考える人々の心の奥底には、何かを待ち望んでいる「受け身の姿

  勢」があるのではないか。ある日、救世主がどこかからやってくるという

  期待。自分の力だけではどうにもならない苦境から抜け出したい、という

  心理が「もらう」の中に隠れているのではないか。そんなふうに思え

  た。」

 「元気や勇気をもらう」の表現の奥底にある「受け身の姿勢」を、藤原記者らしく鋭く指摘していますが、いささか強引な論法のようでもあります。言葉は時代の産物でもありますから、1980年以降に言葉を獲得した世代の人たちとちがって、それ以前の藤原記者、さらにそれより古い私たち世代にとっては使えない、使いにくい言い回しだというだけのことかもしれません。

 でもしかし、藤原記者よりもっと根拠薄弱な意見ということになりますが、私個人の感覚においては、今の日本社会の人間像を反映しているともいえるのではないかと思っているのです。この社会の基本的な性向は、外向き、攻撃的というより、内向き、防衛的であり、何かを切り開くという野心というより、何かが付与されることを期待する傾向にあるのが現代の心性のようだと、これまで生きてきた社会との差異において私などはふんわりと感じているということです。これは成長から成熟へというきれいごとの構造変化というより、分断社会化とネット社会における社会的同調性の同時進行という面から捉えるべきではないかと思ったりします。

 こんな私の印象は、藤原記者の「受け身の姿勢」に通じるものであり、ひいては、現在の大多数の若年層、成年層が社会形成へ主体的にコミットしていくことに全く希望をもっていないようにみえる現実(初めから諦めているような絶望感ともいえます)と符合しているともいえるでしょう。

 「元気や勇気をもらう」という言い回しにおいては、主語は「私」ではなく「元気や勇気を与える何かという主体」であり、「元気や勇気が出る」では、主語は当然「私」です。「私」「自分」という主体性の回路を省略した「もらう」という表現には、自分の頭で判断しない傾向の反射のようでもあり、藤原記者の指摘にもあるとおり、私もちょっとした違和感をもっていますし、あえていえば現代社会の病理のようなものも意識してしまうのです。

 

 G20直後の韓国向け半導体材料の輸出規制の発動には驚かされました。政府は表向きは否定していますが、最近の元徴用工問題などへの対抗措置だとみられています。

 ここでは、伊藤智永記者の「完全かつ最終的な迷い道」というコラム記事(『毎日新聞』「時の在りか」2019.6.1朝刊)を紹介しておきたいのです。エッジの効いたコラムを書く伊藤記者の文章に、私は常に理解とか同意をできるわけではありませんが、今回のコラムは、無知だったこともあって、なるほどそういうことでもあるかと感じたからです。

 当該「輸出規制の発動」の1ヵ月前に書かれた同記事には、日韓請求権協定(1965年)で「請求権問題が完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」との取り決めがされているという日本政府の立場の問題点が、交渉当事者である日本側外交官が外務省内の聞き取りで本音を語った記録(公表されている)によって浮き彫りになっているのです。

 伊藤記者は、こうした確認を交わしたのは「完全かつ最終的な解決は難しいと恐れたからに他ならない」からスタートします。そして、外務省の公開資料(市民団体の訴訟によって原則不開示だった文書が部分公開された)のうち、外務省内の聞き取りに当時の外交官たちが本音を語った記録から、引用しています。完全かつ最終的な封じ込めをめざしたわけですが、それでも「難しいという冷静な見通しを持つ若手官僚」であった小和田恒条約局法規課書記官は、その記録に次の説明を残しています。

 「 原則は全部消滅させるのであるが、その中で消滅させることがそもそも

  おかしいものがある。理論的にどこまで消滅させ、どこまで生かしたらい

  いのかという問題と、政策的にどこまで消滅させなければいけないのかと

  いう問題」(伊藤記者の引用全文)

 まさに日韓基本条約締結は、法理を超える政治決断の典型だったとし、伊藤記者は、韓国併合(1910年)を、違法・不当な植民地支配とみなす韓国と、合法・正当と譲らない日本の対立を覆い隠した「合意なき妥協」なのだから、「土台から「完全かつ最終的な解決」に程遠い」と、日韓関係問題の前提を指摘しています。

 条約締結後、「冷戦と軍事政権のお陰でボロを出さずに」きたけれど、1987年の民主化後において個人が声を上げ始めた韓国の動き(「個人が国家の殻を破って権利を主張し出す」)のなかで、2005年の韓国における日韓交渉文書の全面公開、それに対応する日本側の部分公開の経緯を説明したうえで、現状を次のとおり括っています。

 「 交渉の核心部分は「日朝国交正常化交渉への備え」を理由に非公表のま

  まである。我々は「完全かつ最終的な解決」の本当の経緯や意図を知らず

  に、韓国をなじっているわけだ。」

 以上を受けるかたちで、伊藤記者は、日米安保体制や日中関係が継ぎはぎや補強を加えながらなんとか運用している実態を例示しつつ(日韓だけは65年の条約で固定されてきた)、そんな実情をみると一方的に「韓国のワガママとは言えまい」とし、次のような見通しで、コラム全体を締めくくっています。

 「 日韓だけ半世紀前の「合意なき妥協」で乗りきれるという了見は甘えだ

  ろう。前途は暗い。

   戦後70年談話で安倍晋三首相が日本は植民地支配をしたと明言しなくて

  も、世論は評価した。土台にごまかしを残す関係は「完全かつ最終的な幻

  影」を追って迷い道をさまようしかないからだ。」  

 「土台にごまかしを残さない関係」の構築はありうるのでしょうか。複雑怪奇な国際関係においてさもわかったような意見を発言している有識者も多くあるわけで、それに喝采や同意している日本人も多くいることも事実です。このことは、日本政府が今回の対抗措置に踏み切った背景にあるのでしょう。

 このような状況にあって、日韓関係の土台にある、つまり日韓併合への認識(植民地支配か合法的な併合か)の相違を捨象して「完全かつ最終的な解決」を図ることは困難といわなければならないと、伊藤記者の投げかけた直球の意味は重いと、私は思っています。

 

 さて、あと1ヵ月で30歳を迎えようとする女性を主人公とした『29歳問題』(キーレン・パン監督)という香港映画があります。私はまだ観ていないのですが、昨年、本国で20万人以上を動員するサプライズヒットだったそうです。最近の香港情勢は、これからますます香港が香港でなくなるという圧倒的多数の市民の危機感が反映していているようで目を離すことができません。

 とすれば、今月中に70歳になる私は、いわば「70歳問題」の渦中にあるはずですが、片足を突っ込みながらも、もう片足は相変わらずのままなのです。少し気ぜわしいなどといいながらも、5月後半から、2019年のキネマ旬報ベストテンにランクインしそうな映画を立て続けにみることができました。

 まずトーマス・ステューバー監督『希望の灯り』とラース・クラウメ監督『僕たちは希望という名の列車に乗った』はドイツ映画です。前者は東西統一後の2000年代初頭の旧東ドイツのライプツィヒ郊外の巨大スーパーが、後者は1956年の東ドイツ、スターリンシュタットという地方都市のエリート高校が、それぞれ舞台となっています。つまり旧東ドイツという点で共通しています。

 いずれもいい映画と思いつつ、私は前者の方に心打たれましたが、キネマ旬報的には、後者が高く評価されそうです。

  希望の灯り』 トーマス・ステューバー監督/2018/ドイツ 

  僕たちは希望という名の列車に乗った』 ラース・クラウメ監督/2018/ドイツ

 『希望の灯り』のチラシ裏面で、松家仁之さんの「はかなく密やかに、祝福のように」というタイトルの文章に出会いました。映画を観ていない方にはどうかと思われますが、私もこんな文章を書けたらいいのにと感じた文章なので、バランスが崩れるし、長くもなるけれど全文を引用させてもらいます。

 「 主人公がクリスマス・イブを迎えるまでの、永遠につづくかとおもえる

  映画的幸福を、ことばで置き換えるのはほとんど不可能だ。主人公クリス

  ティアンの不器用な口べたが、見る者にたちまち伝染するからだ。会社の

  同僚から静かに肯定され、反語的ユーモアに満ちた挨拶や欲望の目配せま

  で受けて、ここはクリスティアンに手をさし伸べる「秘密の花園」になる

  だろうと期待がふくらむ。しかしそのあと容赦なく、主人公とともに深く

  暗い穴へと落ちてゆく展開に夢はなく、希望もなく、ことばも感情も行き

  詰まる。見る者はただ青ざめるばかりだ。日差しのない人工的な照明の

  と、倉庫に置いてけぼりされたクリスティアンのうえにはしかし、はか

  く密やかな「希望の灯」が祝福のように降りてくる。その灯が持続する

  どうかはもはや問題ではない。この瞬間がたしかにクリスティアンを包

  だという以上に、わたしたちはいったい何を求めうるのだろう。いまの

  この時代に。」

 この文章の言葉が私から出てきたわけでは決してありませんが、映画を観ている間、そして終わった後しばらく、松家さんの言葉のように本当に感じていたと思い込んでしまっています。

  希望の灯り』チラシ裏面

 続くオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル監督『12か月の未来図』とパヴェウ・パヴリコフスキ監督『COLD WAR あの歌、2つの心』もいい映画でした。前者はフランス映画で現在のパリ郊外、移民の多い地区の教育困難中学校が、後者はポーランド映画で1949年から10数年にわたる冷戦下のポーランドとパリが、それぞれ舞台となっています。前者は学校教育という点で、後者は冷戦下という点で、『僕たちは希望という名の列車に乗った』と共通点があります。

 後者は、昨年のカンヌで是枝監督の『万引き家族』とパルムドールを争ったライバル作品だそうで、私からみても映画的というか、白黒の映像美と音楽の融合という点において圧倒的で、キネマ旬報ベストテンには必ずランクインすることになるでしょう。

 こうして「映画的」という言葉を考えもせずに使っていますが、総合芸術としての映画の強みを発揮できている、それが際立っている作品を、私は「映画的」という言葉で意味させようとしているようです。映画の映像は、演技と限りませんが、そこに登場するヒト、モノ、コトに美術や音楽、そして言葉が時間の流れに沿って融合し、物語を成立させています。短編小説のような映画だ、と思うこともよくあるわけですが、そして、そのような感想をもった映画を私は高く評価する傾向がありますが、小説は小説であり、映画は映画です。

 最近、これも「総合芸術」ではないかと意識するようになったのは、建築という分野です。構造力学をはじめとする科学という基盤のもとで、デザイン、彫刻などの広範囲の要素が総合、統合されたのが建築物であり、それがいいなあと思うとき、「映画的」ならぬ「建築的」と言いたくなるのです。多様な芸術的要素が融合する「総合芸術」という点で、映画と建築は存外と近いところに存在しているのではないかと思うのです。

 だからなのか、当ブログにおいても、映画と建築は書いておきたいテーマになっているのかもしれません。

  12か月の未来図』 オリヴィエ・アヤシュ=ヴィダル監督/2017/フランス

  『COLD WAR あの歌、2つの心』パヴェウ・パヴリコフスキ監督/2018/ポーランドほか

 もう一つ、最後にイザベル・コイシェ監督の『マイ・ブックショップ』です。1959年のイギリスの海辺にある田舎町が舞台です。都会からやってきた戦争で夫を亡くした女性(フローレンス)がその町の長く放置されていた「オールドハウス」を買い取り、二人の念願であった書店を、読書好きの老紳士(ブランディシュ)の協力をもらいながら開き、手伝いに雇った少女(クリスティーン)とともにその経営に奮闘します。最初は予想外ににぎわいますが、この建物を別目的に利用したい町の有力者(ガマート夫人)からさまざまに妨害工作をうけ、次第に窮地に追いやられてゆくというストーリーです。

 イザベル・コイシェ監督はスペインのバルセロナ出身で、この映画はスペインのアカデミー賞といわれるゴヤ賞で作品賞、監督賞、脚色賞に選ばれています。そんな作品なのに、ちょっと表現がおかしいけれど、今回の5本のうちでは最も地味な映画かなと思います。つまりキネマ旬報ベストテンへのランクインが最も厳しそうな作品ということです。

 もちろん「地味」を「滋味」という言葉に置き換えてもふさわしい味わい深い映画でもあります。ということもあって、これも余計なことになりますが、コイシェ監督へのインタビュー記事から少しだけ紹介しておくことにします。

  『マイ・ブックショップ』 イザベル・コイシェ監督/2017/スペインほか 

 原作があります。コイシェ監督は、10年ほど前にロンドンの古本屋でタイトルに惹かれてこの小説を買って、そのつもりはなく読んだのだそうです。読み終わったとき、コイシェ監督は「映画にしたいと心の底から思いました」と語っています。

 原作は『The Bookshop』で、イギリス人作家ペネロピ・フィッツジェラルド(1916-2000)の長編第2作(1978)でブッカー賞の最終候補作であり、同作家は翌年の『テムズ河の人々』でブッカー賞を受賞しています。コイシェ監督がこの本を手に取ったときにはすでに亡くなっていました。このペネロピ・フィッツジェラルドという作家は、初めて本を出版できたのが60代であり、この点では須賀敦子さんに似ているところがあります。

 いずれにせよ、コイシェ監督にとっては、原作との出会いから10年以上をかけ、脚本を書きついに映画化できた作品なのです。この長い時間という助走期間が、このイギリスの光というべき鈍い陰影をたたえた美しい映画をはぐくんだのかもしれません。

 イザベル・コイシェ(1962-)には、1996年の初の英語作品『あなたに言えなかったこと』をはじめ、『死ぬまでにしたい10のこと』(2003年)、『あなたになら言える秘密のこと』(2005年)など、高く評価される作品があります。タイトルの記憶はあっても、私自身は1本も観たことはありませんが、コイシェ監督はすでに名監督として評価されている方のようです。

 

 映画と原作が異なる点について、コイシェ監督は、一番大きな違いはエンディングだったかもしれないと答えています。そして、「実は原作のエンディングは、落ち込んでしまうような暗い形でした。でも私は映像作家の義務として、リアルを描写しながら、希望ある物語として描きたいと感じました」と説明しています。

 いわゆるネタばれという奴になりますが、フローレンスが店をたたんで、大きなボストンバックを抱えて小さな船に乗って町から出ていこうとしたとき、オールドハウスのあたりから白い煙が高く昇っているというのがエンディングです。映画を観ていると、それは少女クリスティーンの仕業(店内に石油ストーブを倒す)とわかりますが、今は本屋を営む大人になったクリスティーンがフローレンスとオールドハウスの本屋を回想するところで映画はラストシーンを迎えます。

 映画の進行とともに、フローレンスと書店に肩入れし、だんだんとやり切れない気持ちになっていた観客も、このエンディングに意表をつかれながらも救われたような気持になるのです。

 もう一つだけ付け加えるとすれば、映画は終始、イギリスの静かな海辺の町で、その海鳥の鳴き声が聞こえる町で、そんな半世紀以上も前の舞台のうえで、登場人物の誰もが声高に叫ぶようなことなどなく、すべてが行われるということです。そんな海からの小さな音にもすべてがかき消されてしまう世界で、イノセントで静かに闘う人であるフローレンスはまっすぐに行動し、静かに去っていくことになります。顔をあげると、オールドハウスからは白い煙が立ち昇っています。

 

 この映画には、開店と同じ1959年に出版されたナボコフの『ロリータ』を書店においていいものかどうかを、フローレンスがブランディシュに相談する大切なシーンがあります(そして、この田舎町でとてもよく売れたのです)。

 この『ロリータ』とエンディングを結びつけるように、社会学者の上野千鶴子さんは、この映画に次のコメントを寄せています。

 「 本好き、イギリス好きにはこたえられない、

   チャーミングな映画。

   知性、ウィット、皮肉、偏屈、

   狡猾、そして頑固と誠実。

   オトナの裏をかく、

   ほんものの「ロリータ」は誰?

   という謎解きも。             」  

  マイ・ブックショップ』チラシ裏面

 ここからは余分の余分。

 読書好きというコイシェ監督は、次のように語ったとインタビュー記事にあります。

 「 活字離れはおろかなことだと思います。読書によって自分の建設的な批

  評家精神を養うことができるし、世界の見方を教えてくれ、作ってくれる

  のも書物。世界で起きていることを受け入れたいのか、受け入れたくない

  のか、そういった理解を養うことができますし、時には孤独や愚かさに対

  する薬の役割も果たしてくれました。孤独でいるのは悪いことではありま

  せんし、孤独について語り合える友人と出会うこともあります。」

 そして、コイシェ監督は、Amazonなどネットサービスによる本選びよりも、書店での偶然の出会いを重視しており、次のとおり発言したとあります。

 「 私はAmazonは嫌いなんです。表示されるおススメも気にしません。一

  体私の何を知っているの?と思ってしまう。今の世の中はアルゴリズムで

  動いているのはわかっているけれど、私には関係ないです。」

 映画に引き戻すようですが、東京銀座の古いビルの小さな本屋、一週間交代で、一冊の本だけを並べて売るという「森岡書店」の森岡督行さんは、次のコメントを寄せています。

 「 仕事と人生が結びついているのは幸せだと思います。

   毎日働いているけれど、むしろそれが楽しい。

   その幸せがなくなろうとしたとき、人はどうするか。

   一つの答えが作品の最後に示されているのではないでしょうか。  」

  鈴木ビルの右端が「森岡書店」銀座1丁目 [2019.5.14撮影]

 

 先週4日告示の参議院議員選挙、重くなる足取りとともに、大雨に心配しなければならない7月がはじまっています。

 先ほどAmazonのアルゴリズムが登場しましたが、「感情に訴える言葉による印象操作」とも言いたくなる選挙戦において、マスコミには、どんなに地味であろうと、継続的なファクトチェックを貫いてもらいたいと願っています。公約、政策をわかりやすく整理して短評する以前のこととして、そうした背景にある公然たる虚偽情報に対し、イエローカードを出すことをためらわないでいただきたいのです。政党間の公平性の確保というお題目に委縮することなく、その結果をオープンにしていくことを期待します。

 とりわけ毎日の印刷物という媒体である新聞は、その提供にこそ存在意義があるはずなどと思うのです。がしかし、ファクトチェックに基づいて投票行動する有権者は限られているとみなし、自粛、委縮してしまい、自らを貶めてしまっているようでならないのです。一方、私たち有権者にとっても、この間の投票行動が政治に反映されないむなしさに、重要法案が議論を深めることなく強行採決されてしまう国会の惨状に、つい顔をそむけたくなる誘惑に負けてはならないのでしょう。

 告示翌日の毎日新聞に、内田樹さんは、「「民主制に1票」を」という一文を寄せています(『毎日新聞』2019.7.5朝刊)。

 「 ……「投票など無駄だ」との虚無的な結論に飛びつくことは、民主主義

  の衰退に手を貸すことになる。民主制は政策決定に集団の全員が責任を引

  き受ける覚悟なしには成立しない。

   「投票したい候補者がいない」との理由で棄権する人は、どういう結果

  をもたらしても「知ったことじゃない」と言い捨てる権利を手に入れる。

  そのような国民の比率がある割合を超えた時、その国の民主主義は終わ

  る。投票とは国権の最高機関の威信に対し、1票を投じることでもある。

  「民主制に1票」を。」

 私たちは、民主主義、民主制の側から問い返されています。

 

2019.02.23 Saturday

感受性をひらくことー映画に感謝をー

 ほんとは「助けられて」「救われて」なのかもしれませんが、映画には「いつも楽しませてもらってありがとう」という気持ちをもっています。

 昨年1年間に映画館でみた映画は42本です。最初の退職から10年間で、最多の年間観賞本数を更新しました。2017年は29本でしたから、わりと増えたのです。どうしてか、約2か月間、神戸への通院が平日の毎日続いたからなのかと予想したものの、その治療後の11月、12月の2ヵ月間に12本もみたことが効いています。放射線照射という何も見えない感じない治療が終わって、ほっとして調子に乗ったということもあるでしょうが、元町映画館の旧作特集上映へと足を運んだためだったようです。

 私の場合、新作とは、ここ数年以内に制作された作品ですから、旧作とはそれ以前の作品になります。その目安でいくと、昨年の42本中、旧作は8本で、そのうち7本が11、12月に集中し、うち6本が元町映画館でした。ちなみに洋画・邦画の区分では、池谷薫監督のドキュメンタリー2本を含め、邦画が7本と例年より多くなっています。さらに映画館別では、「元町映画館」が20本で断トツ、「シネリーブル神戸」8本、「パルシネマ」7本、「神戸アートヴィレッジセンター」と「国際松竹」が3本ずつ、そして『ボフェミアン・ラプソディ』の「OSシネマズミント」が1本ということになります。

 かつてよく足を運んだ映画館としては、「元映」「アサヒシネマ」そして「ハーバーランドシネマ?」などがありましたが、今は全て廃業しています。神戸の映画館の創廃業は阪神・淡路大震災の影響を受けていることが多いのです。今、マイフェイバリット映画館である4館、パルシネマは歴史がありますが(1971年開業)、神戸アートビレッジセンターは震災の翌年である1996年、シネリーブル神戸は2001年に開業しており、元町映画館は2010年の開業です。ちょうど退職して時間に余裕ができたところに、やはり足の便のいい元町通に「元町映画館」が誕生したことが、映画をみる本数に影響しているといえそうです。

 

 今年のキネマ旬報ベストテン(第92回/2018年)は、これまでの1月ではなく、2月に入ってから二段階に分けて発表されました。このキネ旬ベストテンはアカデミー賞より一回多いという自慢したくなる歴史をもっています。本年発表のベストテン一覧はリンクしたサイトの方で確認いただけるようにしていますが、第1位は、日本映画が『万引き家族』(是枝裕和監督)、外国映画が『スリー・ビルボード』(マーティン・マクドナー監督)でした(「毎日映画コンクール」も同一の結果でした)。主演女優賞は『万引き家族』の演技でカンヌを圧倒した安藤サクラ、そして特別賞には樹木希林が選ばれました。

 ベストテンに入った映画で私がみていたのは、日本映画では『万引き家族』だけで、外国映画では2位の『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』(スティーヴン・スピルバーグ監督)、5位『ボヘミアン・ラプソディ』(ブライアン・シンガー監督)、8位『1987、ある闘いの真実』(チャン・ジュナン監督)、10位『判決、ふたつの希望』(ジャド・ドゥエヘリ監督)の4本でした。日本映画にも外国映画にもみたかったけれど機会を逃したという作品が並んでいます。

 当ブログには昨年「映画」というカテゴリで4本の文章をアップしています。ベストテンに関連して「どうして映画をみるのだろうー伊丹万作の言葉ー」、『万引き家族』に関する2本(「ひんやりとした一日ー『万引き家族』のことー」ほか)、そして「1993年の夏にーカルラ・シモン『悲しみに、こんにちわ』ー」です。『万引き家族』以外に該当する映画をみていない日本映画は論外として、仮に外国映画で推薦してといわれたとしたら、前記のベストテンに入っている4本を押しのけ、1位にならないだろうなと思いつつ、やっぱり『悲しみに、こんにちは』を推していたことでしょう。

 所詮ベストテンとはそういうもので、順位などにとらわれても仕方がないんだという話ですが、他に私の推したい作品としては、シリアス・コメディとしてみた『笑う故郷』(ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン共同監督)、ハンガリーの食肉処理場の冷たい空気のなかで静かな炎をみせた『心と体と』(イルディコー・エニュディ監督)、そして今年に入ってからですが、イスラエルの実情を垣間みせてくれた『私の愛したケーキ職人』(オフィル・ラウル・グレイツァ監督)などもあって、それぞれが強い印象を残してくれました。

  『心と体と』チラシ表

 どうでもいいことをだらだらと書いていますが、こうした映画をみていなかったとしたら、どうであったろうか、もっと心に隙間風が吹いたり、空洞ができていたのではなかろうか、と思いつつ、映画に感謝しているのです。

 先に元町映画館の「旧作特集上映」と書きましたが、それは『台湾巨匠傑作選2018』と『ベルイマン生誕100年映画祭』です。といっても前者は上映された5本中の2本を、アートビレッジセンターと共同開催の後者は13本中たった3本を、それぞれみることができただけです。

 台湾の方は、『藍色夏恋』(イー・ツーイェン監督/2002年)と『スーパーシチズン 超級大国民』(ワン・レン監督/1995年)です。台湾映画はホウ・シャオシェン、エドワード・ヤン両監督の作品しかみていないような私としては、こんな映画があったのだとうれしくなる作品でした。後者は台湾の戦後史の一断面を真正面から描いていて(ホウ・シャオシェンの『非情城市』に通じます)、私など胸苦しくもなりましたが、前者はこれぞ青春映画の傑作という宣伝文句のとおり、そのみずみずしさに喝采を叫びたくなったのです。

  『台湾巨匠傑作選2018』チラシ

 イングマール・ベルイマンの方は、今回上映された13本中7本の作品を30、40代のころにみていますが、今回の『沈黙』(1963年)と『仮面/ペルソナ』(1966年)は初めてであり、もう1本の『叫びとささやき』(1973年)は2度目でした。もう一度『ファニーとアレクサンドル』(1982年)をみたいと願っていましたが、叶いませんでした。

 ベルイマン作品といってもいろいろありますが、総じていえば、不気味でおぞましいとか、そこまでいかなくとも気色がよくないとか、一般的にそういう見方もされています。私自身も嫌とまでいえないが好きとはいえないなあと感じていましたが、でも「すごい」ということを否定できなかったのです。人間の奥底にありそうで隠しておきたいものを、容赦もなく剥いて白日にさらす、映像化する、その力に、それは芸術家というべきか、震撼としたものを感じていたのは事実なのです。だから、まあ人間、女性、わからない神という存在、そんなことの勉強のためにみてきたといえるかもしれません。

 当時から30年ぐらいを経た今、ベルイマンの作品に接すると、なんとなく近くにいるような感覚をもったのです。このことに驚きながら、どうしてだろうと思うと、私自身の老齢化に伴う死との距離間ですとか、あえていわしていただくなら人間観の成熟なり変容とか、そんなものに突き当たりそうなのです。それからもいろんな映画をみてきた結果、映画文法として堆積していることが影響しているのかもしれません。とりわけ二度目の『叫びとささやき』は、赤色を基調とする映像の毒々しさはありますが、ある種の不条理性を感じることもなく、ある意味で大変によくわかる作品だと思ったのです。

 ㊟ベルイマンは次のとおり説明したそうです。

  「 女の魂の奥は真っ赤な色をしていると思っている。だから私はこの映画で赤色を

          使った。赤色で女性の心の中を描こうとした。」

  『ベルイマン生誕100年映画祭』リーフレット

  同上リーフレット内の『叫びとささやき』を紹介する部分

 

 さて、二つの情報を紹介しておきます。

 一つは、安藤サクラさんのつながりです。姉である映画監督の安藤桃子さんが高知で映画館を開いていることです(『朝日新聞』「視界良考」2019.1.20朝刊)。正確にいえば、高知の中心部のビルを建て替えるまでの期間限定で活用をもちかけられた安藤監督が、映画館「ウィークエンドキネマM」の代表となって、2017年秋から常設映画館として本年1月まで経営していたのです。今はビルの建て替えで営業を休止し、21年に同じ場所でリニューアルオープンする予定だそうで、その旨がキネマMのHPにも明記してあります。

 もともとは安藤監督が、妹のサクラ主演の『0.5ミリ』を全編高知で撮影したことがきっかけとなりました。おおらかな県民性とあふれる自然の高知にひかれた桃子監督は2014年に高知市へ移住し、こうした映画館経営に至ったとのことです。短期間ですが、映画館を核に様々な仕掛けを行い、全国から注目を浴びる存在になっていたそうです。

 記者は、目を輝かせて語る安藤監督の言葉を、次のように記しています。

 「 映画って総合芸術だと、私は本当に信じきっていて。映画はフィクショ

  ンだけど、受け取った人の感性はリアリティー。お客さんの記憶とか心に

  刻まれたことが、すべて対話になって生まれてくる。映画の本質は感受

  性。高知にはその本質がある。」

 高知にはその本質が縄文時代から残り続けていて、感受性に「スイッチの入りやすいパターンの暮らしをしている」というのです。だから「感受性や喜怒哀楽がむき出し人たちが、むき出しの自然の中で育まれてきた」と、高知の風土を強調しています。つまり、人間が感受性の器のようなものなら、映画はその感受性を刺激してひらくものであり、高知には、高知の人間の本質には映画の本質である感受性があるのだと言いたいのでしょうか。

 この安藤監督の映画論は、前記した昨年1月のブログ「どうして映画をみるのだろう」で、思いついた理由を並べ立てていますが、次のような部分に少し呼応しているように感じました。自分の文章ですが、引用してみます。

 「 人間の体験や感情をそれぞれの物語に定着させた映画をみることで、そ

  れを共有する喜びであったり、辛さであったり、なにがしかの共感をもっ

  たりすることができます。既知のものであれ、未知のものであれ、人間の

  現実の奥行や広がりに、時には過去から未来まで幅広い時間領域に、フィ

  ルムという壁はあっても、直に接近することができます。」

 「 こう書けば、いやらしいでしょうか、こうして長く生きてきても何も知

  らないなあと感じている者としては映画が表現している人間の生きる現実

  や感情から多くのギフトをもらっていると感謝しているのです。」 

 特別の感受性などもたない私のような者にとって、ときに映画をみることは押しこめられて窒息寸前の感受性をひらいてくれるものだと思っているのです。暗闇に一人座って、映画と対峙している私と同輩、あるいはさらに高齢の方々も、1000円で、1100円で、たとえ難しい顔をしていたとしても、無意識のうちに、そのことを楽しんでいるのではないでしょうか。そうにちがいないと、私は感じています。 

 

 もう一つは、『キネマ旬報』が今年で100周年を迎えることに関連します。この出版不況といわれるなかで、この雑誌は部数の推移は知りませんが1世紀続いてきました。私は『キネマ旬報』を買ったことが一度もないのですが、やはりコアな映画ファンは途切れることなく存在して買ってくれることを示しているのでしょうか。

 「出版不況」をテーマに、森健さんが永江朗さんにインタビューした記事を読みました(『毎日新聞』「森健の現代をみる」2019.1.26朝刊)。まず事実を押さえておきましょう。2018年の書籍と雑誌の推定販売金額は、ピークである1996年に比べて半分になったとのことです。書籍と雑誌の区分では、書籍がおおむね3分の2、雑誌は3分の1なのだそうです。永江はかつて雑誌の役割に「教養と情報と娯楽の三つ」あったけれど、スマートフォンの普及によって「教養」以外はデジタルにとって代わられたといいます。

 そのほか、注目すべきは、1975年の新刊書籍販売冊数は2015年とほぼ同じである一方、発行のタイトル数では3〜4倍になっており、「つまり1タイトル当たりの販売冊数は40年間で3分の1から4分の1」へと減少しています。だから、編集者にとって、配送業者にとって、自転車操業以上の「オートバイ操業」の状態なのだと、永江は語っています。

 一方で、想像が届かないほどデジタルで活字を読んでいるという現実からしても、活字の需要は依然根強いものがあるのだから、工夫次第で「生き残り、市場を拡大する道はある」と記事は結ばれています。

 うすうす感じてはいても無知だったのは、書籍と雑誌で出版不況の中身が違うということです。雑誌と分類されているであろう『キネマ旬報』が続いていること、これは永江のいう「教養」という一面が強い雑誌だからということであるのでしょうが、むしろ購入する映画ファンにとっては「雑誌」というより「書籍」なのではないかと思ったりもしています。

 

 いずれにしても、昨年から今年にかけて映画をみることのできた時間や機会に、そして映画という「総合芸術」に、感謝の気持ちをもっていると書いておきたかったのです。

 

2018.09.28 Friday

1993年の夏にーカルラ・シモン『悲しみに、こんにちわ』ー

 1993年の夏、スペインのカタルーニャの田舎、小高い丘の上、密集する雑木林と背の高い草にかこまれた古い石造りの家。若い叔父家族のもとへ、両親を亡くした6歳の女の子がやってきます。夏の光、セミしぐれの通奏音、鳥や動物の発する音、風が空気と木々をざわつかせ、開放された戸や窓からジャズが響き、ちょっと家から離れるだけで、背丈の低い子どもにおおいかぶさるように濃い緑がゆらめきます。そして、黄色い光がもれる夜、外へ一歩踏みだすと、底なし沼のようにどこまでも深い闇が広がっています。いつの間にか、一軒家は遠ざかり、子どもの視界は、その灯りを見失ってしまいそうです。

 このひと夏を、まったく新しい環境で、不安と孤独の目をした少女はどのように過ごしたのか、その生々しい表情を、その感情のゆらめきを、カメラはとらえて離しません。1986年、バルセロナに生まれた、若きカルラ・シモンが初めて監督した長編映画です。原題、英題ですが『SUMMER、1993』、邦題は『悲しみに、こんにちわ』(カルラ・シモン監督/2018.7日本公開/スペイン製作)といいます。

 どちらでもいいことですが、私にとって、2018年、映画館で今日までにみた映画27本中、最高の作品でした。

 

 お気づきのように、1986年生まれのカルラ・シモンは、1993年の夏は6歳、そう彼女の実話に基づくストーリーということになります。

 物語は、母親が<ある病気>で亡くなったときから始まります。大都会のバルセロナで暮らしていたフリダが、祖父母に連れられて叔父、叔母、幼いアナという三人家族のもとにやって来た「1993年の夏」が描かれています。母の死を受けとめることのできない6歳の少女がすごした<特別な夏>、あとで<成長>と呼ぶことになるであろう瞬間をとらえて、圧倒的にみずみずしい傑作というべき映画です。

 <ある病気>とは、「エイズ」のことですが、映画では最後までこの単語が伏せられたままで、映画をみる者を惑わせ、想像させることになります。少女の出血への周囲の人たちの反応や病院での検査シーンが何かをにおわせてはいますが、なぜこうした手法を採ったのか、シモン監督は子どもの視点で物語を伝えたかったからだとしています。つまりち6歳のフリダにはエイズ云々は分からなかったわけであって(実際は12歳の頃に教えられたとあります)、だから<エイズ>は出てこないままで、ストーリーは進行するのです。

 この映画を母親の死後から始めた理由を、カルラ・シモンは、インタビューで、つらかったのは6歳のときに亡くなった母親のことを覚えていなかったことだ(自分のなかに母親のイメージがない)としつつ、次のように語っています(2018.7.20/ananweb)。

 「 (前略)そこを境にフリダの新しい生活が始まっていくことを描きた

  かったからです。つまり、「喪失」という部分に重きを置くのではな

  く、「新しい生活への適応」という部分を見せたいと思いました。」 

 話が前後することになりますが、カルラ・シモンは、この映画に二つのテーマをもってのぞんだとしています。一つは「子どもが死に直面するというテーマ」です。そこで、「自分の経験のなかで実際に私がどういうふうに感じていたのか、というところを通して伝えるのが一番いいのではないか」と思ったといいます。同時に、こういうリアルな感情に加えて、二つ目は「スペインでエイズが蔓延していた当時の時代背景などもとらえたい」という気持ちもあったとしています。

  『悲しみに、こんにちは』 チラシの表面

 先に<不安と孤独の目をした少女>と表現した6歳のフリダ、新たに加わったそんな彼女に戸惑う叔父と叔母は彼らなりに懸命にこの夏をフリダと共に過ごそうと腐心しますし、幼いアナは急に傍に登場したフリダと遊ぼうとします。当たり前といえば当たり前のことでしょうが、母の病もあって周囲から甘やかされ、突然、大都会から田舎へ引っ越ししてきたフリダは、どうしていいのか、どう振る舞えばいいのか分からないのです。実子であるアナへの微妙なライバル心、周囲で善良さを発揮する大人たちへの違和感、フリダは、突然、表情をこわばらせ、必死に自分の世界を探してもがきます。

 そして、ある夜、家出の真似事をしたりもします。もとより実話に基づくといっても細部はフィクションがほとんどですが、家出からターンしてもどったときのフリダのセリフ「暗いからまた明日にする」は実際にあったことだと、シモン監督は述べています。

 こんなフリダですから、難しいのは、キャスティングであり、演出だったことでしょう。シモンによると、フリダ役には「すごくいい子にも見えるし、すごく悪い子にも見える二面性のあるまなざしの持ち主だった」ので起用したといいます。アナ役の子が伝統的な家族構成で回りから褒められたり、愛されている子どもであったのに対し、フリダ役の子どもは「家族構成が複雑で、あまり伝統的な家族ではありませんでした」と語ってもいます。

 まずは「キャストには2週間ぐらい一緒にいてもらいながら、リハーサルにたっぷり時間をかける」ようにしたそうです。そのうえで、演出は、「正確に言ってもらう必要があるセリフに関しては、私が脚本通りのセリフを何度も繰り返して、それを聞きながら覚えてもらう」ようにしたが、それ以外の場面では、即興性や自由を優先して、「できるだけ彼女たち自身の言葉で話してもらえるようにした」と説明しています。

 

 なんといっても、すばらしいのは、ラストシーンです。叔母の目の前で、アナといっしょにベッドのうえで飛び跳ねながら遊んでいたフリダが、急に泣き出します。このシーンは、一切の説明的なセリフはなく、ただ声をあげて泣き、涙を流すフリダの顔がアップされたり、引いたアングルで叔母とアナとの三人のショットを見せたり、カメラは動かないまま、このシーンは軽く1分を超えて続くのです。

 このシーンによって、フリダの涙によって、どこかもやもやとしていた観客は、この<特別な夏>にフリダが経験したことを丸ごと受けとめ、フリダの成長の瞬間に寄り添えたような気持ちになります。かくして、母の死が半透明のベールの向こうにあったフリダは母の死を受け入れられたのか、心が解放されたのか、本当のところは分からないけれど、と思いながらも、彼女の言動に胸を締めつけられていた観客の多くが、心が解き放たれる、ある種のカタルシスを感じたことでしょう、少なくとも私はその一人です。

 

 カルラ・シモンは、前記のインタビューで、フリダの涙について、次の発言をしています。

 「 あのフリダの涙には、いろいろな感情が混ざり合っていると思うんです

  けど、まずは自分の居場所を見つけて、新しい家族に愛されていることを

  感じている幸せ、でも、そのいっぽうで、今後もこの生活が続いていくん

  だろうという悲しみでもあります。つまり、両親は本当に戻ってこないん

  だということを理解した瞬間ということです。」

 このシーンをラストに決めた理由を、シモンは、母の亡くなった日に泣くことができなくて、罪悪感として心に残っていたこともあった、そして、養母から1993年の1年後か2年後かわからないが遊んでいたときに急に泣き出したことがあると教えられ、これを象徴的に描くことでフィナーレとしようとしたのだと語っています。

  『悲しみに、こんにちわ』 チラシ裏面(部分)

 この映画の二つのテーマは、すでにカルラ・シモンの短編映画として、準備されていたことも知りました。

 エイズのことは、2012年の『BORN POSITIVE』という2作目の短編映画で、エイズにかかった子どもたちをテーマとして撮っています。カルラ・シモンは幸い両親のHIVにかかっていなかったけれど、そうであったらどう感じていただろうということを映画にしているのです。

 もう一つの「子どもが死に直面する」というテーマの方は、3作目の2013年『LIPSTICK』で、ふたりの子どもがおばあちゃんの死に直面するという短編映画を撮影しているのです。シモンは「子どもたちが<死>というものをどのように捉えていくのかという視点を深めていくきっかけとなった」映画だったと語っています。

 カルラ・シモンにとっては、こうした準備を経て、自身にとって最大のテーマである「両親の死と私」に取り組み、初の長編映画として結実させたというわけです。

 

 限られたスペイン映画しかみていない私がどうこう申し上げるわけにはいきませんが、同国の映画は子どもを主人公とする伝統がありそうです。それはビクトル・エリセの呪縛かもしれません。

 カルラ・シモンは、そのエリセの1973年『ミツバチのささやき』とカルロス・サウラ監督の1978年『カラスの飼育』が「最大のインスピレーションの源」だと言明しています。後者はみていませんが、多くの観客と同様、私もエリセの『ミツバチのささやき』と『エル・スール』(1983年)につながる映画として、『悲しみに、こんにちわ』をみていたのは事実です。

 シモン監督はバルセロナで若い人たち向けの映画スクールをやっているそうですが、そこでは是枝裕和監督の作品も見せているようで、子どもたちを演出する方法についても何がしかの影響を受けているのかもしれません。

 

 この映画のPRリーフレットから、二人のコメントを紹介しておきます。

 いがらしみきお(漫画家)のコメントは、次のとおりです。

 「 (前略)シモン監督の自伝的作品であり、私の自伝でもあり、あなたの自

  伝でもあります。夏休み、田舎、おじさんとおばさん、大人だけの会話、

  ひとり遊び、いとこ、お祭り、誰にとっても身に覚えのある映画。」

 この映画をこのようにみた方もいますが、私にとっては「身に覚えのある映画」ではありませんでした。この映画に心を動かされたわけですから、こんな反応をしているわけですから、何かあるのかもしれませんが、残念ながら、私はそんな人間ではない、そんな感性を持ち合わせていない、そんな幼年時代が今の自分からは失われています。このコメントを読んで自分の現実と欠陥というものを強く意識させられたのです。

 男女という問題もありそうですが、それだけではないのでしょう。

 もう一人は、奈良美智(美術家)のコメントで、こちらは私の感じたことに近いと感じました。

 「 主人公のひと夏の始まりは、僕の心を孤独感で揺さぶるが、小さき者は

  いつの間にか成長していく。それに気付く時、彼女の生きる世界の何気な

  い美しさも見えてくるのだ。」

 この映画の強い磁力とは別に、家人は、ちょうど6、4、2歳の孫との接し方について、反省的な弁を述べていましたが、そんな見方もできるのでしょう。

 

 カルラ・シモン監督はどこへ向かうのか。これだけの処女作をつくってしまった重圧に抗しつつ、次の作品にどう向かっていくのか。少なくともビクトル・エリセのように十年に1本ではないことを期待したいと思います。

  ㊟『悲しみに、こんにちわ』は現在、シネリーヴル神戸で上映中です。

2018.06.19 Tuesday

カエルのうたがひびきー前稿『万引き家族』に補足してー

 真夜中、田植えの終わった水田から、カエルのうたがひびいてきます。この地域でもずいぶんと水田が減ってしまい、田植えは季節の大行事といえなくなりました。「ケケケケ」「ゲゲゲゲ」「ケロケロ」「ゲロゲロ」、昔の人はよく耳をすませていたのですね。いずれにも聞こえます。

 直近の当ブログ(「ひんやりとした一日ー『万引き家族』のことー」)を書いている途中で、理由がわからないまま、入力が不能になってしまい、尻切れで終わらせることになりました。今回も同じ現象が起きてしまうかもしれませんが、書き残したと思っていることを、補足的にメモさせていただくことにします。

 

【[補]朝鮮戦争から米朝首脳会談まで】

 前稿で保坂正康さんのコラムを紹介しました。1953年に休戦したままの朝鮮戦争が、それから65年目の今次の米朝首脳会談によって、終戦という段階を迎えたといえるのではないかという内容でした。

 この朝鮮戦争が東西冷戦の代理戦争であったという説明に改めて出会うと、「東西冷戦」というキーワードが、第二次世界大戦後の世界を強く規定してきたことを感じずにはおれませんね。その後のソ連の解体などによって世界が融和と平和に向かうのではないかという希望はすぐに打ち砕かれ、今や新たな分断と対立の時代にあるといわざるをえない状況に、私たちは深い失望とともに直面しています。こうした戦後世界にあって、日米関係、「対米従属」の持続的状況は、東西冷戦の一方の旗頭であり、その後も続くアメリカの世界戦略抜きで理解することなどできませんが、このことはまた別稿で取りあげてみたいと思っています。

 それにしても、戦後すぐに生まれたいわゆる団塊の世代が今や70歳前後の年齢に達しており、既に「人生の短さ」を思い知ったという地点にいるわけです。と書きつつ、当事者の一人である私は、ほぼ人生とオーバーラップする戦後70年余が「遠い過去」のように思えたりするのですから、多くの若い人びとにとっては「いつの話のことか」ということになってしまいます。「維新150年」の折り返し地点に第二次世界大戦中の時期が位置するといわれても、私の時間軸にはうまく定位することができません。

 いずれにしても、「歴史」と向き合うことは難しいことです。さすがに年を重ねたせいか、今を生きるとき、はなから歴史を無視することなどできないことはよくわかってきました。ボタンをプチッと押してリセットしてしまうわけにはいきません。もとより自分の都合だけで「歴史」をつくってしまう怖さを自覚しつつ、少なくとも「歴史」の前では謙虚でなくてはならないと意識していたいものです。

 

【[補]『万引き家族』-見えないものの可視化】

 前稿で、是枝監督が制作の意図について「社会からこぼれ落ちた『見えない人たち』をきちんとした可視化しようとした」と語っているインタビューを引用しました。同監督の作品はドキュメンタリー映画みたいだ(もともとテレビでドキュメンタリーの制作者でした)とよく評されますが、フィクションにする理由を、当たり前のことでしょうが、次のとおり説明しています。

 「 ドキュメンタリーだと家の中にカメラを入れられないからです。『誰も

  知らない』を撮った時にも思いましたが、ドキュメンタリーは倫理観から

  いって、子どもたちの生活を事後に外から撮るしかないじゃないですか。

  あのアパートの子どもの暮らしにカメラを入れるのはフィクションでしか

  できないから、そういう寄り添い方をしてみたいと思って作りました。今

  回もそういうことです。」

 前記の「見えないものを可視化する」というのは、カンヌの授賞式で審査委員長のケイト・ブランシェットから、今回の出品作には「¨Invisible People(インビジブル・ピープル=見えない人々)¨に光をあてる作品が多かった、映画の役割とはそういうものではないか」というニュアンスの発言があって、これに共感した是枝監督が使った言葉なのだそうです。

 この映画の音楽を担当した細野晴臣との対談においても、映画だけでなく写真にも同じ役割があるとしつつ、次のように語っています。

 「 今回の『万引き家族』もそうだけれど、ただの犯罪者としてニュース

  だったらすぐに忘れ去られしまう人たちの存在をちょっとだけ立ち上げて

  可視化するという……それがきっと映画を作るってことなんだろうなって

  思ったんですよね。[中略]

   そこに見えないものを見ていく。あるいは見た気になっている人に、実

  は何も見ていなかったっていうことを気づかせる。自分自身もケイト・ブ

  ランシェットの言葉を聞いて、映画を作るっていうことはそういうことな

  んだなっていうことを再認識しました。」

 この是枝監督の発言に対し、細野晴臣は「見えないものを見せてくれる」というのは映像や写真の一番いいところだと同意しつつ、音楽にも話を広げています。

 「 音楽っていうのは、もともとそういう見えないようなものの一つなんで

  すよ。僕にとってはね。記憶の中に眠っている何かを引っ張り出していく

  ような作業なんですよ。」

 なんだかよくわかるような気にさせてくれる言葉ではありませんか。 

 

【[補]『万引き家族』-ケイト・ブランシェットが語ったこと】

 是枝監督は、カンヌの授賞式後の公式ディナーの席で(㊟安藤サクラは既に帰国していて不在でした)、ケイト・ブランシェットは安藤サクラの<泣く>芝居を、「熱く熱く語っていました」と振り返っています。女優であるケイトだからこそ、という面もありそうですが、「彼女のお芝居、特に泣くシーンの芝居がとにかくすごくて、もし今回の審査員の私たちがこれから撮る映画の中で、あの泣き方をしたら、安藤サクラの真似をしたと思ってください」と語ったのだそうです。

 この場面だけでなく、前稿では書けなかったのですが、下の写真のシーン、幼い凜を抱きしめるときも同じように<泣く>お芝居をしているのです。是枝監督が単純な聖母子像を撮ろうとしているのではないことはいうまでもないのですが、このシーンの安藤サクラの信代は「なんだろうね」とは言わないまま、抱きしめた両手から愛情がほとばしることをコントロールできなくなって、涙が出てきて何度も手のひらでぬぐうのです。

 この前段があって、最後のシーン、つまり凜たちと引き裂かれて警察の取り調べる受ける場面の涙と、しぼりだすようにつぶやく「なんだろうね」は活きてくる、さらに心を動かすものになったのだと、今書きながら、私はとても納得できたような気持ちになりました。

 

【[補]「共同体」としての映画祭】

 是枝監督は、連載中の「空の虫かご◆(『考える人』2016年冬号 ㊟『海街ダイアリー』を撮影した直後)に、「旅と祭りとタキシード」と題する一文を寄せています。祭りという共同体の象徴と、映画を祀るお祭りともいえる映画祭(特にカンヌ映画祭)をだぶらせつつ、映画祭で何回も参加して次第に気づいてきたことを素直な言葉にしています。

 もともと共同体意識など必要ないと思って生きてきた是枝監督ですが、最近少し考えが変わったというのです。歳をとって保守的になったということかもしれないがと断りつつ、「例えば」と次の文章をおいています。

 「 地域共同体も企業共同体も崩壊し、家族の共同体も核化が進んで、人々

  がこの社会に個としてバラバラに散らばった時に、その不安に耐えられず

  に一番わかりやすい共同体である国家に=ナショナリズムに回収されてし

  まっている状況というのが今の日本なのかなと気付いた時、それに抗うに

  は、人がいくつもの小さな共同体に所属していることが大切なのかも知れ

  ないと思うようになったのです。」

 このことを受けて、是枝監督は、自分にとって映画祭が「小さな共同体」の一つなんだというのです。

 「 自分も何かの一部である、それはもちろん同調圧力の強い、同質性を重

  んじる閉鎖的な集団ではなく、いつでも離脱可能な、多様性を重視した他

  者との出会いとしての共同体。それが僕にとっては映画祭であり、映画で

  した。」

 このようにいわば映画の国の住人として参加する映画祭、特にカンヌ映画祭に行くと演出が見事で、是枝監督は、「もしいるのだとすれば「映画の神様」に恥ずかしくないものを作らなければーーという畏怖の念に襲われる」とし、だから祭りの一部であることの恥ずかしさに多少耐えられるのだと記しています。  

 そして、映画祭という神聖な空間で次のことを自覚することができたと続けています。

 「 自分も映画という百年ちょっとの歴史を持つ共同体の一部であるという

  意識。大河の一滴であるという自覚は決して不快なものでも自己卑下でも

  なく、むしろ「解放」に近かったわけです。華やかな場所に自己アピール

  をしに行くわけでなく、むしろ、何かを怖れるためにその神聖な空間に身

  を置く、そんな場所と時間を持つと人は謙虚に、倫理的になるのだと気付

  きました。」

 このことは、これまでの是枝作品、とりわけ「社会からこぼれ落ちた『見えない人たち』をきちんと可視化する」という姿勢に反映されているというべきでしょう。

 

 この『万引き家族』を見る前に、竹中大工道具館にも立ち寄りました。2014年に新神戸駅近くに移転した同館は、濃い緑のなかに、地上1階地下2階の和で意匠された、「シンプルでミニマム」「環境と調和したつつましさ」という言葉を使いたくなるような姿で建っていました。

 ちょうど特集として、藤井厚二の木造モダニズム建築「聴竹居」に関する資料が展示されていて(7月16日(月・祝)まで)、京都府大山崎に現存する本物(「聴竹居」HP)を見たいと思わせてくれました。

 大工道具館そのものも見どころの多い建築ですが、ひとつだけ写真で紹介させてもらいます。地上と地下1階をつなぐ階段室で、吹き抜けを挟んで離れた場所からは梯子段が空中に架けられたようにも見え、のびやかな美を感じさせてくれました。

  竹中大工道具館 特集展示「聴竹居」のリーフレット(表) [2018.6.12撮影]

  吹き抜けの手前から階段室を撮影しました

  地下1階から階段を撮影しました

 

 異例なことになりましたが、一応、前稿の補足というか、注釈をすることができました。

 映画館の入場観客数は長く横ばいが続いています。余計なお世話ですが、ちょっと勿体ないような気がします。今回取りあげた『万引き家族』にかぎらず、映画の歩みは続いていきます。

 

2018.06.17 Sunday

ひんやりとした一日ー『万引き家族』のことー

 一昨日は(6月15日)、ひんやりとした一日でした。夕刻には、乾いて冷たい北からの風が強く吹きました。梅雨入り直前から半袖、半ズボンのウォーキング・スタイルにきり変わっていたのに、いささか不似合いな空気感でした。

 

 こうして何も考えないで歩いているうちに、「米朝首脳会談」なるものも終わっていました。この会談の評価は、トップ同士が直接対話したという事実を重いものとしつつも、今後の具体化に向けた課題の大きさとその困難さについて言及するものがほとんどであったと思います。

 昨朝の新聞でも(『毎日新聞』6月16日)、毎月連載中の「保坂正康の昭和史のかたち」が、[米朝首脳会談の核心]と題して取りあげていました。保坂さんは、朝鮮戦争になんらかの形でピリオドを打つかどうかが歴史的会談のゆえんではないかと注視してきたけれど、共同声明にはそれはなかったのであり、「惜しまれる」と書いています。すなわち一部で予想されていた「平和協定移行への署名」まで結果的に至らなかったにせよ、「平和協定は北朝鮮の非核化、米国による体制保証の前提でもあり、この方向が確認されたこと自体、朝鮮戦争は休戦段階から終戦の段階に入り、いわば両国間の戦争状態は終わったとの言い方もできるだろう」と、保坂さんはみているようです。そして、このコラムのタイトルを「朝鮮戦争、休戦から終戦の段階に」としており、これが保坂さんにとって[米朝首脳会談の核心]だというわけです。

 朝鮮戦争は、1950年6月から「東西冷戦の代理戦争の形で武力衝突」がはじまり、3年余も戦闘が続いて、53年7月に休戦協定が締結されたのです。それから65年をへて、初めて、今回の会談が行われたのですから、まさに「画期的」であったのだと、第二次大戦後の歴史に長くコミットしてきた保坂さんとしては感慨をもって受けとめたのでしょう。

 

 さて、米朝首脳会談が行われた日に(6月12日)、『万引き家族』(是枝裕和監督/2018年)という映画をみました。前週の土曜日から公開されたところで、平日にもかかわらず、満席状態でした。60代後半の私たち二人よりもっと年上の、それも女性客の姿が目立ちました。もちろんカンヌ映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞したという情報の洪水が、私も含め、この動員を招くことになったといえます。

 それはさておき、『万引き家族』はどうでしたか、と問われたなら、いかなる感想になるのでしょう。単純に答えにくいですね、この映画は単一の結論へと導くことを拒む映画であり、ストンと腑に落ちることはなく宙ぶらりんにされて、なんだかふむーーと複雑に絡んだ印象に戸惑うような気持ちになりました、それでもいい映画でしたよ、見ていただいて時間の損にはなりませんよ、まあこんな感想を書いておくことにします。

 おことわりしますが、この映画を否定的に見たというわけではありません。もとより見たいものを見たという感じではありませんが、見ておくべきものを見たという感覚なのでしょうか。血のつながらない5人に幼い女の子が6人目として加わった一つの屋根の下での生活を、そんな疑似家族というべき日常が親密な雰囲気を醸しだす前半から、後半はあるきっかけでそれが一気に壊れていく、崩れてゆく有様が描かれています。明と暗、善と悪、真と偽など、いわば価値軸の両極に揺さぶりをかけることによって、見る人の心を、宙ぶらりんの気分へと連れていくのです。

 

 補足的に二つのことをメモしておくことにします。

 一つは是枝監督へのインタビュー記事(『西日本新聞』2018年6月8日)からです。是枝監督は、これまで「社会に対するメッセージを伝えるために映画を撮ったことはない。どんなメッセージかは受け取る側が決めること」と何度も発言してきていますが、でも「思い」はあるはず、「今作も、一つの家族を通じて社会のひずみをあぶり出したのではないか」と、記者は質問したのだそうです。これに対する是枝監督の発言を引用します。

 「 家族を通して社会を見ようとした、ってのは違う。社会からこぼれ落ち

  た『見えない人たち』をきちんと可視化しようとした。」

 「 (前略)家族はこうあるべきとか、やっぱり母親がいいとか、いつの時代

  なんだと思うけど、そんな告発のために映画は作らない。(万引き家族は)

  確かにひどいやつらかもしれない。でもみんな今、その先を考えなくなっ

  てきている。僕がやるのは、あの家族をきちんと描くこと。じゃないと社

  会は見えてこないから。」

 このインタービューの最後に、記者の感想である「彼らは社会から断罪され、一家は散り散りになっていく。見る人の心が締め付けられる」という質問に対し、是枝監督は次のように語ったとあります。

 「 でもね、単純に共感できるようには作っていないつもりなんですよ。

  だって、彼らを引き裂いているのは私たち(社会)なんだもん。意地悪で

  しょ。へそ曲がりなんですよ、僕は。

 見る人それぞれではありますが、これが映画を見終わってどこか割り切れない気持ちというか、なんだか混乱させられた気持ちになる根っ子にあるものかもしれません。是枝監督が自覚的にそのように映画を作っているとすれば、社会の一員である観客として宙ぶらりんにされた感覚は当たり前で、そこに美談や悲劇に回収されない是枝映画の凄みがあるのだというべきでしょう。

 

 もう一つは、カンヌ映画祭で審査委員長をつとめたケイト・ブランシェットが、ラスト近くの警察での取り調べシーンで<泣く>安藤サクラの演技を絶賛していたと、是枝監督が報告していることです。

 演出方法ですが、取り調べシーンに限っては安藤や尋問する側の池脇千鶴へ事前に脚本を渡さず、問題のシーンは、尋問する側の池脇にはホワイトボードに書いた台詞を見せるが、尋問を受ける安藤には何も見せないという条件下で撮影したとのことです。

 ではどんなシーンかです。警察の取調室、池脇千鶴演ずる刑事が、対面する安藤サクラを取り調べています。安藤が子供を産めなかったことを「羨ましかった。産めなくて」などと意地悪な質問を浴びさせたあげく、それで血のつながらない2人の「子供たちになんて呼ばれていましたか」と、とどめをさすのです。疑似家族で母親の役割を担ってきた安藤は、絶句してしまい、ついに抑えていた涙がこぼれてきて、それを手のひらで何度もぬぐいつつ、「なんだろうね」少し間があって「なんだろうね」と声をしぼりだす、そんなシーンなのです。

 この映画を最初から見てきた者にとっては、安藤といっしょになって、家族とは、正義とは、この社会の現実とは、「なんだろうね」と言いたくなる強度が備わったシーンとして立っていました。

 この安藤の演技について、是枝監督は、別のインタビューで次のようなことを語ったとあります。

 「 普通、女優であれば、大粒の涙を見せようといったわかりやすいお芝居

  になるんですが、あんな泣き方をする女優を僕は初めて見ました。身も蓋

  もないよね(苦笑)。」

 「 あのシーンでの安藤さんがすごいのは、そこで¨安藤サクラ¨に戻るわけ

  ではなく、ちゃんと信代として座っていて、信代として泣いているところ

  です。決して素ではないことが見ていてわかり、僕は鳥肌が立ちました」

 ㊟すいません。尻切れですが、PCの不調なのか、これで終わります。

2018.01.14 Sunday

どうして映画をみるのだろうー伊丹万作の言葉ー

 先週10日には「2017年キネマ旬報ベストテン」が発表されました。第91回目だそうで(アカデミー賞より一回多い歴史があるとのことです)、第1回は1924年です。戦時中ということもあって、1943-45年の3年が中断しています。

 驚いたのは、日本映画と外国映画の第1位をみていたことです。過去のキネ旬ベストテンををふりかえっても、片方だけのことはけっこうありましたが、両方ともはなかったと思います(何年後かにみることはあったとしても)。

 2017年の第1位には、日本映画は『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(石井裕也監督)、外国映画は『わたしはダニエル・ブレイク』(ケン・ローチ監督)がそれぞれ選定されています。

 このほか、私がみた外国映画でランクインしているのは、当ブログでも紹介した『パターソン』(ジム・ジャームッシュ監督)が第2位(「二本の映画の接するところー『パターソン』と『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』ー」)、第3位の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(ケネス・ローガン監督)、第10位の『ラ・ラ・ランド』(デミヤン・チャゼル監督)の3本です。

 私は、毎年、このベストテンをどんな映画がランクインしているのだろうと確かめています。そして、わりといつも、なるほどそうかというより、えーホントにそうかになることが多いものですから、今回のように第1位を2本ともみていたのにはびっくりしたというわけです。

 ランクイン=いい映画とはいえないことはもちろん、第1位=名作などと短絡すべきものではないと、私は考えています(過去のベストテンからもそう思います)。ですから、今回のことは喜びでも自慢でもなんでもありませんが、映画評論家や映画記者たちがそんな評価したのかという気持ちはあります。

 

 昨年は映画館で29本の映画をみています。最近はずっと年に30本以上みていましたので、昨年30本を下回ったのは体調のことや神戸へ出る機会の減少やらも影響してのことでしょう。読んだ本の書名を記録することはないのに、退職してからですが、なぜか映画だけは手帳にタイトルだけを書きとめているので、本数がわかるのです。

 このように月に2、3本ぐらいしかみていないのですから、私のベストテンというものもないわけですし(キネ旬ベストテンには読者投票によるものもあって2月に発表されます)、映画誌のベストテンを云々できる蓄積も何もありません。特に日本映画の方はそうなのです。

 2017年にみた日本映画は「最高密度の青色」の1本だけです。ちなみに2016年は『海よりもまだ深く』(是枝裕和監督)、『クワイ河に虹をかけた男』(清田康弘監督)そして『この世界の片隅に』(片岡須直監督)(「新年の挨拶 2017」)の3本です。まあ、外国映画に偏重しているのです。

 気になる映画があったら、チラシやネット情報でどう伝えられているのか、自分の好みに合うのかをたしかめ、タイミングさえあえば映画館へ足を運ぶことになります。私のようなフリーな人間でも、タイミングが難しく、だから昨年も見逃したと思っている映画もたくさんあるのが実情なのです。

 

 昨年6月4日にみたと手帳に記している『映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ』は、こりゃいい映画だな、これ圧倒的かもしれないと、即座に家人と言い合った記憶があります。

 これはブログにも書きとめておこうとチラシやネット情報をクリアファイルにまとめていましたが、書けないまま部屋を片付けたときに捨ててしまいました。この映画の主人公である慎二と美香のゆれ動く心身が、二人の生きづらさとともに、東京の新宿と渋谷という喧騒の街にひそむ浄化されたる魂を感じさせ、何もかも忘れてしまう最近の私ですが、今も記憶にとどまっています。わざわざ映画のタイトルに「映画」を付しているのは、石井裕也監督が最果タヒの同名の詩集をシナリオ化したことに示すためでもあるのでしょう。

 一方、『わたしはダニエル・ブレイク』の方は7月にパル・シネマでみています。同シネマは館主が近作からいい作品をチョイスして2本立てで上映している、私のような者にとっては貴重でありがたい映画館です。だから、見逃していたこの映画をみることができました。

 この作品は80歳をこえたケン・ローチ監督が引退を撤回して撮った映画で、カンヌでパルムドールをえています。その受賞スピーチでローチは「映画にはたくさんの伝統がある。その一つは、強大な権力を持ったものに立ち向かう人々に代わって声をあげることだ。そしてこれこそが、私の映画で守り続けたいものだ」と語ったとあります。

 

 2018年、昨日は映画館をハシゴしました。今年初めての映画です。

 元町映画館で『きっと、いい日が待っている』(イェスパ・W・ネルスン監督/2016年/デンマーク)、そしてシネ・リーブル神戸で『否定と肯定』(ミック・ジャクソン監督/2016年/英国・米国)です。いずれも実際に起こったことに基づいているとクレジットされており、ヘヴィではありますが、だからこそなのでしょうか、なかなか記憶に残るであろう映画でした。ホロコースト否定論者による名誉棄損裁判をテーマとする後者は、今の世界、トランプとトランプ的なものが跳梁する現代とシンクロせざるをえない1本です。

 🔹『きっと、いい日が待っている』  元町映画館:終映日は1月26日

 🔹『否定と肯定』          シネ・リーブル神戸:終映日は未定

 

 この機会に、どうして映画をみるのだろう、という問いにもならない自問に応えてみておくことにします。

 人間がクリエートしたものを鑑賞することの喜びと言ってしまえば、そのとおりです。人間の体験や感情をそれぞれの物語に定着させた映画をみることで、それを共有することの喜びであったり、辛さであったり、なにがしかの共感をもったりすることができます。既知のものであれ、未知のものであれ、人間の現実の奥行や広がりに、時には過去から未来まで幅広い時間領域に、フィルムという壁はあっても、直に接近することのできる体験だともいえます。

 私の場合は、現実に生きていることの体験に限界があることを実感していることから、映画の体験は大変に貴重なものになっていると思っています。つまり、自分の生きている「現実」の質量には限りがあることから、いわば代替の体験としての映画で補填しているというか、体験できないような体験の代償措置になっているのかなと理解しています。

 もちろん若い頃から映画はみていたのですが、年齢を重ね、自分の世界は狭く閉じられている、文字による言葉、本を読むことで得るものの壁を強く意識したとき、映画は従前よりずっと大切なものになった、比重が大きくなったといえます。量的なことばかりでなく、質的にも世界の広がりを知るための、感じとるための手段ともなっています。

 ふだん見るべきものから視線をそらして見ていない、見えていないことがよくあります。そんな私にとって、暗闇のなかで視線をくぎ付けされる映画の体験は新たな発見の宝庫なのだと感じているのです。この場合、視覚が中心ではありますが、言葉を含め、諸感覚を総合した体験だという点で、本を読むことよりも、映画をみることは受動的になりやすいというマイナス面はあるものの、実体験に近いのではないでしょうか。

 もとより映画は娯楽という側面があって私もそうした享受をしていますが、どちらかといえば、学んでいる、といえそうです。こう書けば、いやらしいでしょうか、こうして長く生きてきても何も知らないなあと感じている者としては映画が表現している人間の生きる現実や感情から多くの大きなギフトをもらっていると感謝しているのです。

 具体的には、子供たちが家から出てゆき、夫婦50割、シニア料金でみることができるようになったこと、また数少ない家人との共同の体験でもあること(一人でもみますが)、さらにくりかえしになりますが、本を読む速度が遅くなり量もこなせなくなってきたことの代替として必要になったことなどということになります。なんだか、身もふたもないことになりそうになってきましたが。

 

 映画つながりということで、伊丹十三監督の父、同じ映画の監督であった伊丹万作(1900-46)の言葉を紹介しておきます。この伊丹の言葉は、保坂正康さんが「[年賀状文化]友人の人生と伊丹万作の言葉」とタイトルされたエッセー(『毎日新聞』「保坂正康の昭和史のかたち」2018年1月13日(土))で引用していたものです。

 保坂さんは70代後半になって事前投函が面倒となり、1月1日に着いた順から返信の意味で年賀状を書くことにしているといいます。むしろ3日か4日以降に届く年賀状の方に、友人たちの人生が垣間見えるような本音が宿っていることに気づいたとしています。保坂さんはこれを称して年賀状文化と呼んでいるのです。

 そんな年賀状の一通には、伊丹万作が亡くなる年の46年8月、『映画春秋』創刊号に寄稿した「戦争責任者の問題」の一節だけが、年賀のあいさつ代わりに引用されていたとして、保坂さんはその伊丹の文章を引用しています。賀状の差出人の引用、そして保坂さんの再引用、さらに再々引用となりますが、私も心がさわぎましたので書いておきます。

 「 多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃え

  てだまされていたという。(略)だますものだけでは戦争は起こらない。

  (略)だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中

  にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど判断力を失い、思

  考力を失い、信念を失い、(略)自己の一切をゆだねるようになってしまっ

  ていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の正体

  なのである。」

 このあと、保坂さんは次のように続けています。

 「 伊丹万作はこう指摘したあとに、「だまされていた」といって平気でい

  られる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろうーー結論づけ

  ている。こういうメッセージが今もっとも重いし、時代を突いている。」

 この保坂さんの「「だまされていた」といって平気でいられる国民なら」に続く伊丹の文章をもう少し詳しく引用しておきましょう。

 「 「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も

  何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだま

  され始めているにちがいないのである。

   一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力が

  なければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追及もむろん

  重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体が

  だまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自

  分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めるこ

  とである。」

 伊丹さんの「現在の日本」は1946年のことですが、保坂さんの言うように2018年の「今の日本」を突いているように感じるのは、私一人ではないでしょう。

 今年最初のブログ(「新年の挨拶 2018」)でアーサー・ビナードが高畑勲さんにインタビューしたなかから、高畑さんの「多くの国民が流されて、積極的に戦争する側に立ったのです。のっていったんです」という見方を紹介しました。こうした「流されて、のっていった」国民の裏返しが、戦後の「だまされていた」といって平気でいられる国民なのです。

 私を含め戦争を知らない国民が大多数になった現在、結核で9年にわたり療養していた伊丹万作が自分もたまたま戦争に加担しなかっただけでそんな国民の一人であったと自己批判しつつ1946年に発した言葉を、私たち国民はかみしめることはできるのか、憂慮の底なし沼はますます深くなっているとしか今は書くことができません。 

2017.09.07 Thursday

二本の映画の接するところー『パターソン』と『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』ー

 最近は「うそ」という言葉に敏感になっているようです。

 NHKEテレの「旅のイタリア語」という番組には「野村雅夫のCinebar」というコーナーがあります。そこで取り上げた映画(今回は『カーネーションの卵』シルヴァーノ・アゴスティ監督/1991年)から<名台詞>として一つだけ紹介するのですが、その中に「うそ」という言葉がありました。こんな台詞です。

 「     僕は幼いころ 大人をこんなふうに見ていた

  日々の暮らしのなかで うそに誠実であることを強いられている人々 」

 この映画はアゴスティ監督の自伝的映画だそうで、第二次世界大戦から長い時を経て、息子を連れて北リタリアの故郷を訪れた主人公が、ちょうど大戦中(ムッソリーニのイタリア)であった少年時代の記憶をたどるストーリーです。戦後すぐに主人公の父親は戦時中にファシストのイベントへ参加した時に撮影した家族の写っている写真を暖炉の火で燃やす場面があります。そんな自分の写っている写真が炎となっていくのを、姉とともに少年であった主人公がじっと見つめています。劇的な体制転換に直面した父親は、戦時中の記憶を消したがっているように写真をすべて焼き尽くしました。

 そんなシーンの後に、今の主人公が回想するナレーションが流れますが、その際の「名台詞」ということになります。 

 「日々の暮らし」を成り立たせていくためには、「本当」のことを「本当」といえず、「うそ」をつくしかなかった戦時中のファシズム下の社会を、大人になった主人公が、「うそに誠実であることを強いられている」大人たちの社会として、悲哀をこめて批判した言葉なのでしょう。

 それは、もとより戦争の本質、いわば銃後の本質でもあります。

 

 先月の初め、現下の政治状況を当ブログで「事実から遠く離れてー真顔で「ウソ」をつく政治とはー」としてスケッチし、平気で「うそ」をつく政治の構造的な問題に接近しようと試みました。この映画で描かれた「うそ」をつく戦時下の社会と、状況には大きな差異があるわけで、同一レベルで論じられないところはありますが、強権というか強大な力で同調を強いられる集団、社会という観点からは共通した部分を感じます。つまり強権の下におかれた霞が関という利益共同体に生息する人々(直接には問題の当事者)が「本当」のことより「真顔で「ウソ」をつく」方を<強いられてしまう>という構図は、どこか共通したところがあるといわざるをえません。

 「うそに誠実であることを強いられた人々」とは、本来ポジティブな「誠実」がネガティブに反転しているのであり、なかなか喚起的で意味深長なる表現だなあと感じたのです。

  NHKEテレ「旅のイタリア語」2017.9.5再放送分の映像を撮影したものです

 

 直近にみた二本の映画について感想をメモしておこうと思います。

 映画がまとっている衣は、まったく肌触りの違うものだという印象があります。でも不思議なことに、その外形を超えて映画の根っこに「詩」「詩を書く人」「詩人」というところで接しているのです。

 神戸では、シネリーブルで上映中ですので、まずオフィシャルサイトを貼り付けておきます。

  🔶『パターソン』 

           ジム・ジャームッシュ監督・脚本/2016年

  🔶『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』 

           テレンス・デイヴィス監督・脚本/2016年

 後者は当ブログ(「台風のあとにー『図書』2017年8月号ー」)のなかで、神戸で上映されたらみてみたいと書いていた作品です。

 

 二本とも私にとってよい映画でした。特に『パターソン』は、今年映画館でみた20本余の映画の中で最も好きな映画だなあと思っています。

 まず『パターソン』の方ですが、これは現代の話、ニュージャージー州のパターソンという町で、バスの運転手をして、詩を書いているパターソンという名の若い男性とその妻ローラの(夫は内省的、妻は外交的と相補関係)、ある一週間をスケッチした映画です。その肌触りはシンプルで穏やか、オフ・ビートで緩い感じ、「絶妙なユーモアと飄々とした語り口」で切り取られた日常、日常のなかに発見される詩と喜び、その繰り返しのなかに浮かびあがってくる「自分らしい生き方」という問いというところでしょうか。

 ジャームッシュ(1953-)監督の映画はこれまで4本ほどみており、2005年の『ブロークン・フラワーズ』から10年以上の間隔があって今回の『パターソン』でした。この映画をみていると、ジャームッシュはジャームッシュですが、ジャームッシュなりのよき熟成が感じられたのです。

 

 ジャームッシュはこの映画を「ダークでやたらとドラマチックな映画、あるいはアクション志向の作品に対する一種の解毒剤となることを意図している」とし、「ディテールやバリエーション、日々のやりとりに内在する詩を賛美」する主人公たちの人生における7日間を追うだけの映画なのだと公式サイトに記しています。

 主人公パターソンは20世紀アメリカを代表する詩人であるウィリアム・カーロス・ウィリアムズの『パターソン』という詩集を愛読している設定なのですが、ジャームッシュ監督は別のところでウィリアムズの詩から感じ取ったことと映画の関係について次のように語っています。

 「 ¨身の回りにある物事や日常におけるディテールから出発し、それらに

  美しさと奥深さを見つけること。詩はそこから生まれる¨。僕はあまり分

  析的に仕事をしない方だけど、いくつかの詩のフォームから影響を受けた

  のは確かだね。いわば詩のフォームをした映画と言えるかな。映画の

  フォームをした詩ではなくて。」

 主人公パターソンは日常会話のなかでさりげなく詩を語りますが、その味わい深さが「詩のフォームをした映画」のゆえんであり、この映画を「豊かな緩さ」に変貌させ、すばらしいものにしたのです。その詩はジャームッシュ監督が好きなロン・バジェットという詩人の旧作と新作が使われています(すばらしいと言いながらその詩をまったく記憶できていないことは情けないし、さみしいかぎりです)。

 

 二人で映画に出かけて帰ってくると、パターソンはソファに置き忘れた詩のノートを毎夜散歩に連れていく愛犬が粉々に噛みちぎってしまったことに気づきます。

 翌日(日曜日でしょうか)、滝の前のベンチに腰かけ、途方にくれています。そこに永瀬正敏演じる日本の詩人がやってきて、二人で腰かけてぼそぼそと会話し、パターソンへ何も書かれていない白いノートをプレゼントします。そして、映画はパターソンの詩のある日常が続いていくだろうと思わせて、エンドとなります。

 パターソンは自分のことを詩人とは思っていないのでしょうか。詩を書くバスの運転手なのか、バスの運転手をしている詩人なのか、まあそんなことはどうでもいいことですね。大切なことはそんなことではないでしょと、この映画はそんな気分にさせてくれます。

  チラシの表面です このポーズから各7日がはじまります

  チラシの裏面です 

  モノクロですが、主人公パターソン(アダム・ドライバー)と日本からきた詩人

  (永瀬正敏)が会話するシーンです

 

 もう一方の『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』もよい映画であり、緊張感のある映像と会話、偉大な詩人を敬愛をこめて描いた重厚で立派な作品です。

 エミリ・ディキンスン(1830-1886)のことを「偉大な詩人」と書きましたが、生前は全くの無名、10篇の詩を発表しただけで亡くなり、妹が整理ダンスから1800近くの詩稿を発見したことから、今日の評価につながっています。

 そんな「家族以外に交流がほとんどなかった」といわれる詩人の生涯を描く伝記映画なんだと思ったのですが、映画ですから、そう単純なわけではありません。字幕監修を担当した武田雅子さんによれば、テレンス・デイヴィス(1942-)監督はディキンスン像を明確にするために、取捨選択を含めた脚色も行い、「ひたすら詩作の内面を描こうとした、つまり真の「詩人」である意味を追求した」のであり、「詩作に、その内面に大胆に切り込むという試み」をしているとし、そして内面を描くために詩のテーマとしても「生と死に集約させ」たのだと解しています。

 デイヴィス監督は「ディキンスンは死後に評価されましたが、それは不当です。彼女は真に偉大な芸術家であり、永遠に賞讃されるべき人です」と、映画制作の動機を語っています。

 

 映画をみていて驚くことは、19世紀中葉(南北戦争のあった時代)におけるニューイングランドの精神風土の厳しさです。信仰、教会との関係、家族との関係、男女関係、何より女性であること、そのただ中に生きる詩人の魂、魂の自由のためには何も恐れないディキンスンは孤立し、自室にこもって詩を書きます。八木忠栄さんは、彼女の根底には「当時の社会通念に対する明晰で勁い姿勢が貫かれていた」とし、「神への信仰に強制されない詩の自由。理解されにくい、詩人本来のあり方だ」とします。「潔癖で孤高な詩人の精神をもった生き方を堅持する」ディキンスンはますます辛辣になり、「痛々しい」までの言葉を吐き、「周囲の人々を傷つけ、自らも傷つく」のです。

 映画ではそんなディキンスンを敬愛を込めてではありますが、室内でのランプの明かり、現在からするとあまりにも薄暗い明かりのなかで、激しいけいれんを伴うブライト病を発病する姿を含め、呵責のないドラマが展開されます。いい加減に暮らす私のような映画をみる者は極度の緊張と苦行のような時間に息苦しくなりますが、それでもディキンスンという詩人は「誰もが本当は求めているはずの魂の自由を勝ち取った人なのだ」という光が感じられるのです。

 これまでに作品をみたことのなかったデイヴィス監督ですが、これは瞠目すべき映画であり、武田さんが記すように「監督のメッセージは、地味で静かではあるが、強烈で激しいもので、まさに¨a quiet passion¨であったのだから」、まことにそのとおりだと思います。

 

 チラシの表面には、¨アメリカ文学史上の奇跡¨と讃えられるディキンスンが発表することを断念して書き続けた詩の一節「これは世界にあてた私の手紙です/私に一度も手紙をくれたことのない世界へのー」とあります。この詩を字幕監修の武田雅子さんがチラシと少し違う言葉も使って新たに訳出していますので、最後に掲げておきましょう。

 「 これは世の中に宛てた私の手紙です

   世間から私に便りはなかったけれどー

   やさしい威厳をこめて

   自然が語った 素朴な知らせです

 

   自然の便りは

   私が見ることのできない手に 委ねられます

   親切な皆さん 自然のために

   私をやさしくご判断下さい          」

  チラシの表面です

  チラシの裏面です

  ディキンスン家で牧師を囲んで跪くシーンです 詩人だけが跪いていません

 

【追補】

 本稿では二本の映画のことを書こうとすると「詩」を媒介としてその「接する」ところが見えてくるのではないかと期待していましたが、どうもうまくいかなかったようです。でも、今改めて二本の映画の映像を思い返してみますと、パターソンもエミリ・デッキンスンもほんとに小さな机でノートやら紙片に「詩」を書いている姿が立ち現れてきました。その二人の「詩」の生まれる場と時間こそが、二本の映画の「接する」ところにちがいないと気づいたのです。(9/8)

プロフィール
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70代前半。兵庫県在住。ニックネームは「パンテオンの穴」。
リタイア後の日々の中で思いを泳がせて、あるいは思いが泳いで 感じたこと、考えたことなどを、のんびりと綴っています。
                         
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